第194話 「ピット器官」
…………ローズマリー?
意外な名前が出てきた。
ローズマリー・ローゼンシュティール公爵家令嬢。
全ての分野において目覚ましい業績を上げている、万能の天才と称して差し支えない才媛である。
「ピット器官とは、蛇の目と鼻の間にある熱感知器官のこと。特定種類の蛇しか持たない能力だが、火魔法の温度感知魔法と同等以上の能力を持つと推測されている。夜間に蛇が獲物を襲い、捕食できるのはそのためだ」
つまり夜間戦闘能力に長けているという事。
戦闘前、野営という選択を取らなくてよかった……
夜はバジリスクの時間なのだ。
視界不明瞭な中で、夜襲をされかねなかった。
父上の判断と偶然に助けられたが、バジリスクに奇襲を受けたと想像すると怖気が走る。
「また概して蛇は視野が狭く、目がよくないと言われている。その代わりに聴覚と嗅覚が発達している。空気中や地面の振動すら聞き取れるという、優れた聴力。これらの能力からも、私たちを知覚できているのかもしれない。魔物は魔力も感知できることは、よく知られているしね……もしかしたら魔眼によって、視覚自体も強力なる能力を秘めているのかもしれない……」
つまり敵は俺たちが認識できない領域まで、感じ取れるという事。
接敵した当初、距離があるとはいえ目にもとまらぬ俺の水魔法を躱したのだ。
反射神経も非常に高いが、感覚器官が凄まじく発達しているのだろう。
またトロル戦でもあったが、魔物は外界の魔力感知に長けている。
俺たち人間は大雑把な、かつ身近な魔力の大小くらいしか判別できない。
しかし魔物たちはある程度遠方であっても、魔力を感知し正確な方向まで悟ることが可能なのだ。
「魔物の研究は、ローズマリー嬢の登場により目覚ましい発展を遂げた。また彼女は生物学にも造詣が深い。その中に蛇に関する研究もあった。私としても知識欲を満たされ、その中に現在の状況にも有用な、多くの気になる記述があった」
彼女はそのような研究まで……
魔法学、工学、農学、医学、考古学、経済学、挙げればキリがないくらいの業績を多分野で発揮している。
王国史上最高の天才として、既に名前が挙げられているくらいだ。
そういった貴族たちの情報や学問には興味がなかったので、全く知らなかった。
父上がその研究内容を知っていなかったら、この戦場も危うかった。
知識量で生死が左右される。極限状況下で俺は、身をもって実感した。
「蛇の種類によっては、多彩なる能力を持つと言われている。それらを持つという事は、蛇の王と称される所以があるという訳か……!」
魔眼の性能か、蛇特有の近く方法かはわからない。
だが相手は視界に頼らない、感知方法を持っている。
俺たちの姿が見えなくとも、その位置を判別できるという事は。
つまり気配察知スキルを持っているのと、同じという事―――――
「―――――俺と同じってわけかよ」
そう俺が静かに呟いた間にも、熾烈な攻防は続き。
壁を作り魔法を放っては、それを破壊され躱されてゆく。
アルコル軍最高戦力たる俺たちを滅さんと、ここまで肉薄するためにバジリスクは暴れまわる。
その高速で這いずり回る姿を何とか捉えようと、視力と気配察知スキルを駆使して試みる。
魔将といっても、まだトロルよりは遅い。
まだ軌跡だけは、俺の目で追える。
あそこまで出鱈目な近接戦闘能力を有しているわけではない。
しかしその変幻自在の軌道は、読めるものではない。
意図しないタイミングで、急に視界から消えるのだ。
予備動作を読める程に俺は目が良くないし、戦闘勘もない。
「『scopulus』! 叔父上もダーヴィトも……早く来てくれ……このままじゃ……」
「埒が明かないよ!? 難しい話はよくわかんないけど……ステラたちがバジリスクの攻撃に対応できないって知られたら、いっぱい攻撃してくるに決まってるじゃん!!! もう壁もほとんどないんだよ!? アル様も頑張って作ってるけど、みんなバジリスクにやられちゃってるんだから!!!」
防戦一方。
削りに削られた兵たちは、既にバジリスクに対抗するギリギリのラインだ。
ステラの言う事は最も。
あまり理論的ではないが、その類稀なる戦闘勘で、現状を正しく把握したのだろう。
陣地も次々と爆散してゆく。
俺たちの身を守る防壁は、刻一刻と削り取られてゆく。
相手が長期戦を不利と見て短期決戦に移行してくれば、ここまでの突破力を有しているのだ。
「うぉーーーーーっっっ!!!」
「お、おいステラ!? 何やってる!?」
ステラが突然に防壁まで突貫し、とある物体を行きがけに拾った。
そしてジャンプして土壁の上に飛び乗り、誰もが意図しない奇抜極まる動作を行う。
丸太を両腕で持ち上げ、勢いよく投擲したのだ。
「『fortis』!!! ぬおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
およそ年頃の少女が出さない、雄々しい掛け声。
強化魔法で増強された身体能力で、彼女はそれを撃ち出した。
馬鹿力で勢いよく飛んでいく丸太は、寸分違わずバジリスクの脳天へと突き進む。
俺の制止を無視した奇想天外な行動と思いきや、理に適っていたのかもしれない。
甲高い風切り音を立てて、いよいよ大敵に炸裂しようとした。
「当たったか!?」
『「ventus』……!』
しかし風魔法で避けられる。
木製の杭は地面に刺さり抉れ、衝撃波が周辺部へと伝わる。
これは無意味ではない。
相手の魔力を削ぐことができたのだから。
勘違いかもしれないが、バジリスクの声に焦りも見えたような気がする。
だとすると……そしてステラの攻撃は、脅威と認定されたことに等しい。
戦力として数えるに申し分ない。
彼女の身体能力は、現在この時点でもアルコル軍武官長に匹敵するものなのだから。
「避けるんじゃないよ蛇っころ! もっかい! 次は串刺しだからね!」
怒りと共に吠える、俺の乳兄妹。
ステラが女だてらに戦場に出れるようになったのは、この強化魔法を取得したから。
あらゆるメイドとしての修行を放棄させて、これだけに注力してやっと覚えられたようだ。
魔法は魔法陣を覚え、適切に魔力操作しなければ発動できない。
それを覚える事だけに集中力と時間を特化させて、ようやく一つの魔法の取得。
しかしこれは必殺でもある。
基本にして奥義とも言われる、基礎能力の向上。
それが戦闘の天才とアルコル家武官長に評される才覚が加わるのだから、その力量は言うまでもない。
「おいステラ!!! そんな丸太より魔道具罠を使え!!! 魔力は込めてやるから!!!」
「あっ!!! その手があったー――!!! 投げるからお願い!!!」
騎士が魔法兵に指示すると、直ちに用意された球状の魔道具罠が手渡される。
魔道具の発射機よりも遥かに早い、まるで砲弾のような速度で大きく振りかぶって投球する。
装填し照準を合わせる手間もいらないのだから、人力で威力も高いならこちらの方が効率的だ。
人体で魔法機械を凌駕する威力を出せるとか、この世界でもそうそうないんだけどね。
だから俺の護衛という形でも、少女が戦場に出ることを許されたのだから。
それは次々とバジリスクの体へと当たり、粘体物が広範囲にわたって付着した。
メジャーリーガー級のボールコントロール力だな。
「当たっているぞ!」
「気が咎めるが、嬉しい誤算ではある。ステラはそのまま少しでもバジリスクの行動を拘束せよ!」
「わかりましたぁっ!」
父上は苦い顔。
幼き少女が最前線でこの戦法を取ることに、難色を示しているのか。
だが良くも悪くも実力に見合った働きをしてくれなければ、俺たち全員が危うい。
俺の専属メイドは総大将へと快活に返答し、事後承諾であるが更なる高速スローを執り行う。
疲労がピークに達していた兵たちは歓声をあげながら、戦況の好転に喜色ばむ。
「たくさん当たっているぞ!!!」
『シャー――――ッッッ!? 「fortis』! 「fortis』!』
「決定的瞬間だ! アルタイルは高位魔法で攻撃! お前たちも総攻撃を加えるんだ!」
「はい! 『Torrent cataracta』!」
――――――――ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッッッ!!!!!!!!!!
ドォォォォォォォォォォォォンッッッッッッッッ!!!!!!!!!!
だがそれを座視しているバジリスクではない。
一心不乱に地面に体を擦り付けて、粘体物をこそぎ落とそうと奮闘している。
仕舞には強化魔法を二重発動して、それを行った。
格好のチャンスを逃す軍事的天才ではない。
相手の弱みに付け込み命を刈り取るべく、果敢なる攻撃を与える旨を父は下命する。
レーザーの如き水流が俺の魔法陣から放たれると、バジリスクを射殺そうと突き進んでいった。
『――――――!? シャァァァァァッッッッッ!!!!!』
転がるように何とか躱すバジリスク。
しかし胴体の中央部が5分の1ほど抉り飛ばされ、絶叫しながら噴水のように流血する。
強化魔法の二重発動で、仮にトロル並みの速度を得たとしても。
俺の超速魔法が制止した的に向けられれば、回避することは実現不可能に近い。
『――――――!?!?!?』
声にならない悲鳴を上げるバジリスク。
しかしそれも一瞬の事。
絶命を避けようと、直ちに対処行動へと移る。
ところどころ鱗が剥げた状態で、ステラへと突撃した。
それほどの脅威と判断したのだろう。
魔法の直撃や、強化魔法の二重発動による反動からか、身体の至る所から血が噴出している。
「(―――――ダメだ……魔法を連射する時間が足りない!?)」
俺はどうにか妨げようとするも、高位魔法は連射が効かない。
ステラは身を固くし、一瞬後方を振り返った。
頼りない壁二枚を隔てて、俺と目が合う。
しかし意を決したような面持ちで、無言のまま再度前方へと向き大楯を構える。
何をしているのだと、俺は悲鳴のような言葉をかけた。
「逃げろ!!!!! ステラ!!!!!」
「………………!!! 『fortis』!!! 『fortis』!!!」
返された言葉はなく、反応と言えば強化魔法の文言のみ。
先程発動していた強化魔法が切れかけているだろうとは言え、これで強化魔法の三重発動。
ご主人様の制止を振り切ってまで、何をしているんだ。
それではまるで……
咄嗟に防御姿勢を取り、身の楯にした。
一瞬小さな少女の体が浮くも、あの巨体を前に踏ん張った。
バジリスクの進撃が停止する。
あの齢にして、単身で魔将の全力攻撃を制止するという偉業を成し遂げた。
彼女が避けようとしなかったのは、後方にいる俺たちを守るため。
「ステラー――――ッッッ!?!?!?!?!?」
「――――――――ぁ」
鈴の鳴るようなソプラノボイスの、か細い呻き声が漏れた。
それでも地に足を踏みしめ、懸命に踏ん張り続ける。
火事場のバカ力もあったか、バジリスクを弾き飛ばした。
しかしバジリスクの石化の瞳は、怪しく光る。
迎え撃っていたステラの小さな体は遂に吹き飛ばされて、白く細い腕と足がひしゃげ。
鎧は耐えきれずに、爆散する。
最後に見えた光景は、絶望的なスローモーションで。
見たくもない命の赤が、空に撒き散らされた。
英雄と称されているはずのアルタイル・アルコルは成す術なく、その儚い姿を無力に見送るしかなかった。
幼き頃よりずっと一緒にいた乳姉弟の背中から足は、石と化した。




