第189話 「石化の魔眼」
「バジリスク。バジリスクって……!」
ステラが固い声で、警戒心を露わにした。
大剣を強く握りしめ臨戦態勢に入るも、どこか姿勢が強張っている。
彼女の好きな御伽噺に幾度も出演した、強敵を表すワードであるからだ。
俺を馬車に乗せていた数匹の馬が、大いに息荒く恐慌している。
あの姿を捉えれば、生物は本能的に過剰反応してしまうことだろう。
興奮した馬匹を制御するために、兵たちが寄り集まって落ち着かせていた。
バジリスク。
俺を一瞬で昏倒させた、あの強力なる毒を持った魔物。
全容は判然としないが、大凡の目測で全長数十mにも及んでいるだろう。
今もその牙より出でているだろう毒は、生命の存続を許さないまでに強力無比。
視線に含まれた呪いはあらゆる存在を石と変え、容易く砕くと言われる。
細胞組織を尽く破壊できる、突出した殺傷能力を秘めた生物特性。
「史書に記されていた存在と、姿形と能力が酷似している。攻撃した者の武器を伝わって、逆に殺しかねないとすら称された毒。古に討伐されたとあり、躯も現存し、教会が保持しているが…………別の個体か?」
古の時代、伝説として謳われた魔物は、ここにその威力を示した。
歴史が嘘であり教会が保持した躯は偽物だったのか、それとも別の個体かは俺たちにはわからない。
そんなことよりも今は眼前に坐する脅威を取り除かねば、この場にいる人間の未来はない。
父上が分析していた途端、計り知れない暴威が飛び出してきた。
その爬虫類が持つ縦長の瞳孔に俺を捉えた瞬間、凄まじい運動性能を発揮した。
飛び上がったその巨体は、俺たちが建設した防御陣地を容易く飛び越える高さへと。
空に浮かび上がるその重量物が飛来する前に、アルコル家当主は対抗策を叫ぶ。
「魔物たちも生物の一つ。その一族あるいは子孫が存在しても、何ら不思議ではないという事か―――――――――総員、迎撃せよ! 最大火力にて、その襲来を打ち払え!!!」
シュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………
ドォォォォォォォォォォォォンッッッッッ!!!!!!!!!!
父の号令の下、七色の放物線を描いて、兵たちは思い思いの魔法と魔道具を射出した。
数百にも及ぶ魔法現象の数々は、バジリスクの行く手を阻む。
そうして弾き飛ばされた仇敵は戦闘方針を変更したのか、凹凸の激しい大地と木々の中に行方をくらました。
大蛇は傾斜のある地面を爆音と衝撃を撒き散らし、縦横無尽に這いずり回る。
人間ならば足が囚われるであろう、少々の不安定な足場などものともしない。
角度をつけた斜面から飛び上がり、その体重で襲い掛かって来るのだから、たまりもない。
迎撃を成功しても、敵の体重と速度で爆裂した土石が、銃弾のように兵たちへと降りかかる。
次々と兵たちの肉が抉りちぎれ、空に肉片が舞う。
ゴォォォォォォォォォォッッッッッ!!!!!!!!!!
ズガガガガガガガガガガガッッッッッ!!!!!!!!!!
「はぁっ!!! どりゃあっ!!!」
「―――――!」
ステラは大楯を軽々と振り回し、バジリスクが吹き飛ばしてきた弾丸の如き土砂から防御している。
ルッコラも軽鎧と鉄兜を装着し、同様の行為を行っていた。
次々とガトリング弾のように襲い来る暴威を、身体能力のみで防ぐのだから驚嘆すべきことである。
対してバジリスクは石が転がる隆起した地形でそれを行うのにもかかわらず、傷跡も見えない。
その表皮も強固なものであると推測できる。
兵たちの魔法も、有効なダメージを与えられていないという事だ。
しかもその素早さと変幻自在の動き方から、偏差射撃をしてもほとんどの魔法が当たらない。
一周するとまではいかないが、俺たちの周りをグルグルと同心円状に動き回り狙いを定めさせてくれない。
「地形の凹凸が激しいといっても、勾配は緩やかだ! 隆起した岩に隠れて、土魔法と魔道具で補強せよ! それらを利用して盾にして、魔法兵は被弾面積を最小限にすべく蹲れ! 重装備部隊はその装甲で味方の盾となれ! バジリスクに手持ちの盾を向けて、視線は合わさず眼球は晒すな! 眼球が石化する可能性がある!!! お前たちはバジリスクの突貫を押し留める事だけを考えろ!!! その間に陣形を立て直すべく、土魔法にて防御壁同士を接合し簡易陣地を敷け!!! なるべく高所を占拠するべく、行動を開始せよ!!!」
土魔法で形成した土囊と、魔道具で補強したバリケード。
山地における戦闘訓練も、もちろん父上は見越して事前に行っていた。
彼の部下たちは直ちに、父上が望むアクションに移る。
遠距離攻撃。つまり魔法の射線確保のために、高所を取るべく動く。
あの体当たりも高地から位置エネルギーを利用して行うのだから、それを防ぐためにも必要だ。
「決して我らに近づけるな!!! バジリスクの攻撃距離に入っただけで、一巻の終わりだ!!! 魔法兵交代!!! 毒の霧を吹き飛ばすことを第二目標とせよ!!! 第三目標として陣地を敷きつつ、魔道具罠設置!!! アルビレオたち他部隊の方角に向かって、塹壕線と土壁を引き延ばせ!!! 半包囲しつつ、多数の火力投射で打倒する!!!」
「「「「「『『『『『ventus』』』』』!!!『『『『『terra』』』』』!!!」」」」」
バジリスクの毒も石化の魔眼も、致命的かつ被害範囲が広大と予測される。
間合いは絶対に堅守しなければならない。
その間に俺は必死に、傷痍兵の治療へと集中する。
早く俺もバジリスクへの対処に、参加しないと……!
だが第三目標である陣地作成の余力は、ほとんどない。
バジリスクの接近を許したら、文字通り終わりなのだ。
よって相当数の兵力を、牽制射撃に割かなければならない。
数の暴力で相手を倒したいのに、そのための道筋を立てさせてくれない。
こちらは移動に制限がある中で、尚且つ視界も暗いのだし、満足に機動力が発揮できるはずもない。
起伏の激しい地形で戦闘するのも、体力の消耗は激しくなる。
ようやく防御陣地は完成しつつあるも、依然として敵の攻撃に振り回されている。
スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………
その瞬間、紫の霧が漂ってきた。
いくら吹き飛ばしても、無限ループみたいに襲来してくる。
全力で抵抗しているのに、前線の兵たちへと襲い掛かった。
「……………ぐ゛ぁ゛っ゛!?!?!?」
「ゴホッ゛!?!?!?」
そうやって刹那の激闘を幾度となく繰り広げた中で、バジリスクの毒霧は飛び散る。
前方に位置している兵たちが、糸が切れたように倒れ込み始めた。
毒には神経毒も入っているのかもしれない。
まずい。
俺の治療行為の対処能力を超えてきている。
素人考えだが、長期戦はマズいかもしれない。




