第187話 「奇怪な叫び」
「アルビレオ。何か異常は?」
「いえ。その方角を見渡してもわかりません。あの付近は遮蔽物が特別多く、見通しが悪い。もう少し近づいて頂きたく」
魔道具のメガネから魔力光を灯しながら、叔父上は返答する。
障害物を透視できるわけではないのだ。
リスクがあっても承知の上で、確認は肉眼でせざるを得ないという事になる。
俺たちが最大限に警戒しているのは、『新種の透明の魔物』に急襲される遭遇戦となること。
そのためゲリラを捕捉次第にその移動を拘束し、すべてを殲滅しなければならない。
討ち漏らしが一体でもあっては、行軍に支障をきたすことになるし、何よりアルコル領の危険になり得る。
それらを撃滅するにはアルコル軍の主力が全力を発揮できる、正面攻撃が望ましい。
反して敵のキルゾーンに飛び込み、伏撃を許してはならない。
常に身を隠す敵の隠蔽を暴き、撤退ルートを遮断しつつ移動も制止せねばならない。
むざむざ相手の得意な土俵に立つことなど、ありえない。
地理の不明な峻厳な山岳で、作戦行動を実施するのだから。
何よりも敵は透明で、常に俺たちの死角に潜んでいるに等しい。
先の陸橋を建設したことも、谷間を移動している間に挟撃されることを防ぐためだ。
そのような敵ながら理想的ゲリラである『新種の透明の魔物』だからこそ、行軍も遅々としたものであったのだが……
以前のダーヴィトたちの任務はこれで散々苦労したと、血を吐くように聞かされた。
「進軍ルートを外れるわけにもいかない……全くわからない地形の中で、戦闘する方がリスクになる……消息不明の斥候の下へ、複数ルートから物見を放て。一時進軍は停止させる。部隊側面と後方にも警戒しつつ、慎重に向かえ」
「「「はっ!!!」」」
それを把握すると多くの先遣隊を送るが、それすらも反応がない。
行方不明の斥候の方面へ、使い魔を送ってもだ。
誰も、何も帰ってこないのだ。
すでにかなりの時間が経過し、太陽の位置も動いていることが目視できる。
そのような異常を知ると、異常事態であることが確定される。
その場すべての者の雰囲気が変わった。
斥候とは、特殊部隊である。
つまり猛者揃いのアルコル軍の中でも、精鋭。
それが簡単な異常すら知らせることができない。
何の意志も伝達すらできないとなると、相当の重大な危機を意味する。
総大将ある父上は長時間、ひたすら黙考していた。
「アルタイル。敵戦力の合流を防ぐべく、土魔法にて地形を移動困難なものへと変えよ。短時間でも敵戦力の移動を妨害し、遊兵化させたい。私たちの退却路、そして敵の進路を固定するべく一方向だけは残せ。侵入ルートさえわかっていれば『新種の透明の魔物』の対処も容易い」
「はい父上。」
俺は進軍してきたルート以外の、生物が歩けそうな全ての突入可能ポイントを潰しに行く。
大岩を立て交通路そのものを遮断し、魔道具罠を仕掛けることを迅速に成し遂げる。
敵は迂回すらままならず、天然の要塞を前に二の足を踏むに違いない。
最も時間をかければ、乗り越えられるであろうが。
だが突貫工事の時間稼ぎには、十分にすぎるものである。
それを完了させると、再合流する。
総大将ある父上は長時間、ひたすら黙考していた。
「父上。完了いたしました」
「うん。ご苦労だった」
「……………」
「……………」
ステラは身を固くすると、すぐに臨戦態勢に入る。
その小さな背に背負う、身の丈に見合わない程に分厚く長大なる大剣を抜き放つ。
構えたその姿勢は全く揺らぎが無く、英雄の護衛に相応しい佇まい。
ルッコラも無表情で馬車の荷台で立ち上がり、無造作に前傾姿勢を取る。
普段は全くそりの合わない二人だが、俺の前方に揃って横に並ぶ。
彼女たちの戦の勘も、それを行うことを選んだようだ。
「これを放置して、アルコル領に退却することはできない。日が落ちてから何をするかわからない敵の前で、野営することなどとてもできない。少しでも情報を得るため、部隊を移動し総軍で挑む。左右に展開する兵たちの安全確保を担う、中央部隊となる私の指示のもと問題領域を囲め。『新種の透明の魔物』対策のため、各部隊には砂魔法を使える者を必ず配置。各指揮官は、感知魔法の管理をせよ。私はここに留まり、総合的判断を行う。何かあれば魔法にて伝達せよ」
「「「「「ハッッッ!!!!!」」」」」
「アルタイルは感知魔法で敵の奇襲を防げ。『新種の透明の魔物』とも限らないが、特殊な攻撃をしてくる可能性が高い」
「はい! 『resolvere substantia』」
父上の指示のもと、直ちに部隊を再編制して作戦行動に移る。
ダーヴィトとアルビレオ叔父上を分隊として、展開させる。
散開した兵士たちは、岩石と草木が複雑に入り組んだ一帯を取り囲もうと陣形を組む。
かなり視界が悪く、10m先でも状況が判然としない。
俺は土属性の感知魔法で、土中内部に魔力を浸透させていく。
これは地中の物質構造を、把握する魔法だ。
副次効果として大雑把な音などの振動、熱状態なども判別できる。
俺クラスの魔力操作レベルになれば、火魔法の感知魔法に準じるレベルで地中の異常を感じ取ることも可能だ。
しばらくの間、無言で留まり集中する。
じれったい時間が刻々と過ぎゆく。
先の父上の命令について考えるが、どう見ても苦渋の決断だ。
情報が全く分からない敵に挑むなど、絶対にしたくはない事。
それでも戦わざるを得ないという思考の帰結に至ると、考えるのを止めて恐怖を無理やりに打ち払った。
敵の動きは今は静かだが、いつ流動的になるかはわからない。
『新種の透明の魔物』ならば、ここで捕捉しているのに取り逃す方が痛い。
報告を今か今かと待つが、一向に反応はなく。
木々のさざめきが、いやに不気味に聞こえた。
「――――――ッッッ!? てきしゅ――――――」
聞こえた。
敵襲?
「…………今、敵襲って……」
「ああ。敵襲で間違いない。だがなんだ? なぜ続く反応がない?」
確かに聞こえた。
だがその音の波は、不自然に途絶える。
思考を巡らす父上は、顎に手を添える。
考え事をする時の、癖である仕草。
差し迫った事態に関する疑問に、珍しく若干だが声が上ずっている。
眉間の皴は濃くなるままで、とても解が導き出せない様子だ。
その間にも異常は、増加の一途を辿る。
「こちらに――――――」
「……発見した! 直ちに応答願う! 敵は――――――」
「おおきな――――――」
次々と同じような怪奇現象が、続けざまに生じてゆく。
そして奇怪なる中断が繰り返される。
なぜ。
なぜだ?
なぜ不自然に言葉が途切れる?
叫び声の、まったく同じような中途半端な途切れ。
断絶を繰り返す、単語の連なり。
想像できない原因に対する恐怖が、増長してゆく。
不気味な焦燥が俺たちを覆う。
誰かの固唾を飲む音。
しきりに視線を震わせる騎士。
背中が震え始めた年若い兵士。
奇怪に過ぎる、未知なる現象。
何か恐ろしいものが迫りくるという、本能的予感。
「何かが近づいてくる……巨大な……重々しい……」
「誰か。時間差をつけて、各方向から確認に向かえ」
使用していた感知魔法により、何か異様なる存在を俺は捉えた。
地面に幅広く擦り付けられる、重量感があり長大なる何かがひしめく異音。
木々が薙ぎ倒され、その葉緑体を含む細胞が引きちぎれる轟きが近寄りつつある。
それに対して父アルフェッカは、更なる指揮行動を下知する。
物見を放ち、食い入るように周辺の観察を続ける。
散発的に金属音や、魔法光が遠目に見えた。
怒声が幾度も聞こえるが、すぐに途切れる。
「這いずるような、音……それと、戦闘音……」
段々と魔法による衝撃音や、兵士たちの怒号も聞こえてきた。
だが変なタイミングで、偶に途切れる。
未だ『新種の透明の魔物』の研究は、ろくに進んでいない。
その生態は未だ判然としていないし、透明となる理論解明にも数年単位を要するようだ。
だからこそ『新種の透明の魔物』のいる可能性が高いこの場において、厳重なる警戒が必要なのである。
しかし現状では何に対して注意を払わなくてはならないのか、それがわからない。
それが俺たちの焦りを煽っていた。
「デカい……相当デカいんじゃないですか? 父上……?」
「アルタイル。最大出力で攻撃魔法を準備せよ。しかし状況によっては指示を変更する。私の命令に迅速に従え」
「はい」
突然的事態にも、全く狼狽えない。
実の父の行動といえば、その方角を凝視するのみ。
彼は何を考えているのだろう。
なぜ援軍に直ちに向かわないのだろう。
問いかけに返事がないことへ、不安になる俺。
視線を彷徨わせると、ある怪奇現象が瞳に移った。
思わず呆然と凝視し、口から驚愕が飛び出した。
「―――――虫が……固まった?」