第185話 「山脈への本格突入作戦、決行」
キララウス山脈内部に突入すると、明らかに植生がアルコル領と異なることが見て取れる。
高山植物とでも呼ぶのだろうか。
背が低い植物相が立ち並び、大きく派手な色合いの花々が咲き誇っている。
標高の高い高山地域であるからか酸素濃度が薄いため、疲労感も高まってしまうだろう。
中腹ですら気温も若干低く、天気も変わりやすいと聞く。
山々が連なり、上り下りも激しい。
防寒具などの装備も必要となるから、かなりの重装備にもなる。
砂利道も多くなってきているし、ここを踏破するだけでも至難の業であろう。
更に俺たちは魔物への警戒も密にしながら、非常に慎重にそこを進んでいく。
ダーヴィトたち先遣隊が、大損害を被ったのだから当然の判断だ。
這う這うの体で戻ってきた彼らは、哀れ極まる惨状であった。
それによる対策を講じてなお神経がすり減らされ、気疲れが激しい。
行軍しながらそれを行う兵士たちは、疲労が目立っている。
俺は回復魔法を満遍なくかけ続けながら、それを支援する。
もちろん俺の疲労も著しい。
俺は行軍の時は昼寝していることもあるが、この時ばかりはそれもできない。
山脈地帯が故に馬車も揺れ、腰も痛む。
便利な魔法があっても、容赦のない自然は厄介だなぁ。
「アルタイル。すまないが、また移動して回復を頼む」
「『terra』『terra』『terra』 ハイ父上。『Curatio vulneris』『Curatio vulneris』『Curatio vulneris』」
回復魔法を幾重にもかざすと、静かに礼を言う兵たち。
それまでは土魔法で用いて、部隊の進軍経路となる通行帯を地ならししていた。
その理由は明白であるが、後ほど詳しく語ろうか。
先遣隊であった兵士たちは、ここは一度来た道だと言うがこの疲労だ。
俺なしでは前回調査は、これ以上に大変だっただろう。
雨降った時は全く動けなかったって言うから、マジ辛そう。
そして―――――
「―――――あの『透明の新種の魔物』……出てきませんねぇ」
「…………おかしい……最悪はあの魔物だらけの地を、襲撃されながら進軍するという悪夢のような作戦であると考えていた。『透明の新種の魔物』の出所を探ること。それが第一目標であるが…………地政学的にもキララウス山脈があることで、戦争で先手を取られ続けて私たちは振り回されるばかり。更なる余裕と猶予を得るためにも、断固として魔物たちの影響を挫き、我らの支配下に置いて勝ち取らねばならない。よって第二目標として、ここを勢力圏に是が非でも収めたいが……」
父上は俺の発言を受けて返答したが、話し途中で黙り込む。
彼は今も思考に没頭する程、悩ましい事態なのだろう。
その視線は鋭く、情報を求めるために周囲を忙しなく行き来している。
軍隊に補給を続けるためには、物資輸送が簡易となるため河川利用が望ましい。
キララウス山脈から流れ出す数多の水流は、それを容易くする。
だからこそ確保せねば、荷物などを多く抱えなくて済むので、敵の機動力が強化されかねないのだ。
当然だが身軽な状態で山の中に逃げ込まれれば、捕捉は難しくなるのだから、
そして高地を得るという戦術的優位性に留まらず、国家戦略にまで影響するとのこと。
当たり前だ。カルトッフェルン王国をはじめとする人類国家の水源の大部分は、このキララウス山脈から流れ出でているのだ。
変なものでも川に混ぜられたら、それだけで作物不足から人類が壊滅しかねない。
だからこその教会を含めての、攻略作戦であったのだが……
ダーヴィトたちの調査では、魔物は強力なものばかりがいたと報告したが。
戦争以来『透明の新種の魔物』の姿は、まるで嘘であったかのように消え失せていたのだ。
夢幻のごとく、その存在がない。
だが散発的に魔物たちの襲撃はあり、アルコル軍が返り討ちにし続ける。
しかしその事実こそが、あまりにも不気味だった。
「何らかの作為を感じざるをえない。なぜあのタイミングで、そしてあのような杜撰な襲撃を行ったのか。『透明の新種の魔物』に関して、腑に落ちないことが多すぎる」
「やはり兄上は魔王勢力による、何らかの策謀であるとお考えで?」
「断定はできない。だが……私たちは今持っている情報では、その目論見通りにかもしれないが。こうやって山脈攻略作戦を決行するしかない。手をこまねいていては、永遠に先手を取られるだけだ」
静かな叔父上の問いかけに、父上は事務的に返答した。
兵士たちもやけに静まり返っている。
なるべく地面を踏みしめる音を小さく、鎧を鳴らさないように歩いていた。
彼らも不安なのだ。
あれほどに苦しめられた『透明の新種の魔物』がいないこと自体、異常が過ぎる。
ならばあの『透明の新種の魔物』はどこから来たのか?
その考えに行き着くことは、想像するに難くない。
未知という恐ろしい概念。
自らの命がかかっているからこそ、少しでも情報を知ろうとすることは自然な推移であった。
「我らが先手を取らねばならない。あのような事件がありながら、後手に回っていては、いずれ取り返しのつかない事になりかねない。人類勝利のため、成功させなければならない作戦なのである」
声の調子を高めた父。
進軍している中であっても声は静かに、だが確かに伝わっていった。
静かな闘志がじんわりと伝播し、波打つように兵士たちの足の進め方も力強くなった気がした。
最高司令部である彼らアルコル家の首脳部も、兵の想いをわかっているからこそ。
伝えるべきこと、あるいは伝えてはいけないことは、彼ら自身が把握している。
少しでも自らの推測を部下たちに流すことで、安寧を提供するのだ。
わからないことは多いが、自分たちの頭であるアルコル侯爵家当主が考え続けているという事実。
兵士たちは、それがあるから不安を減じることができた。
それだけのことを成し遂げてきたという信頼があるから。
アルフェッカ・アルコル。
彼は不可能を、可能にし続けてきた人物であるのだ。
「何があっても、気を強く持て。ここから先は、私たちの常識が通用しないのだから」
日頃のおちゃらけた様子など、一切見えない戦場の父上。
そのギャップが兵たちの気を引き締めさせる。
であっても行軍による精神的重圧も嵩めば、足も心も重くなってしまう。
ここまで歩いてきても、目前にはさらに高い連峰が広がっている。
もっと先には森林限界があり、より困難が待っているのだ。
絶望にしか思えない、全然楽しくねぇ登山。
アルコル家のほぼ総力をもってこの山を攻略しているが、シュルーダーとヤンは留守番だ、
ヤンは王国を取り巻くゴタゴタから、情報収集で忙しいし。
キララウス山脈入り口の警戒も、誰かがこなさなくてはならない。
今回は遠目の利く叔父上が、適性からこちらへと来たという事だ。
あの魔道具のメガネがあるからね。
だからシュルーダーは後詰め兼、山脈入口の要塞に駐屯。
働き盛りのアルコル家の血族が一纏めで戦争に行くとか、本当にやめたいんだけどね。
でも親戚そのものが少ないの。みんな今までの戦争で死んだらしいから。
もう一族として末期的様相なんだよね。絶望よ絶望。
「フヒヒ♡」
「……にゃん♡」
馬車の荷車が大きく揺れ動くと、柔らかく温かな温もりと接触する。
隣に目を向けると、褐色肌の戦装束を纏った、愛くるしいネコミミ褐色肌ロリが。
そう♡ もちろん俺の護衛であるルッコラたんは、俺の隣にいるよ♡
かわいい♡かわいい♡にゃんこたん♡
ニャンニャンといれば、それだけで心はポカポカになるの♡
馬車の揺れでたまに体が触れ合うと、驚きからか甘い声で少し喘いだような吐息を漏らすんだ。
僕もぉ……ルッコラたんの体ぁ……柔らかすぎてぇ……ビックリ……しちゃうよぉ……
こんな所でなければ、襲い掛かっているところだった。
危なかったニャン。
「お山だぁ……高いなぁ……」
重装備の戦鎧に身を包んだステラは、物珍しそうに周囲を見回している。
広大な自然に感動している様子。
そもそもこのメイドの少女は外出自体が、俺以上に行動範囲も少ないしな。
こいつも初陣に来ることとなったのだ。
俺の護衛に集中するだけだが。
ちなみにチューベローズとかいう名前のカスだが、俺が何度来るように言っても聞かなかった。
魔道具製造がどうちゃらとかほざいて、滅茶苦茶気が立っている様子だ。
いやそんなものより俺の安全だろ。
しかし食い下がる俺のことを、しこたま殴り飛ばしてくるので諦めざるを得なかった。
それを目にした父上はとてつもなく渋い顔をして、断念したという経緯である。
マジでアイツ役に立たないなら、他のショタのところに行ってくれないかな?
仕方ないさ。
俺という偉大な存在が被害を受けないための、尊い犠牲なのだ。
かわいくて清楚で聡明で従順なエルフなんて、贅沢物だったよ。
そんな儚い幻想に囚われていると、声がかけられ我に返る。
「アルタイル。橋を架けてくれ」
「ハイ父上『scopulus』」




