第180話 「宰相職」
淀みなく答えるヴォーヴェライト公爵は、わかっている。
貴族たちには選択肢がないことを。
己の欲望に従い、利益を追求する結果。
宮中に住まう尊き蝙蝠たちが、何を選ぶのかを。
「シファーは没落。オーフェルヴェークは失脚。ユーバシャール、フォイヒトヴァンガー、あるいはゼーフェリンクなども、戦争にかかりきりです。はてさて、どうしたものか…………王国の不安定に、私は憂いを覚えます。王国、いや人類の危機に今、まさに総力をもって立ち向かわなければならない。これについては異論を挟む余地が、ないかと思われます」
白々しい発言に、誰もが不満に満ちた顔でヴォーヴェライト公爵を見る。
肘をテーブルについて、指を組む彼は問いかけた。
彼が見回すと、各々それぞれの感情を滲ませて目を逸らす。
嫌悪、恐怖、苦悩、悲嘆、野心。
それら全てを吟味しながら、穏やかに貴公子は問いかけた。
「皆さんの存念を伺いたい。私と志を共有できれば、この上なきことなのですが」
「ヴォーヴェライト内務大臣。誰が犯人なのかわからないこの状況で、拙速に事を運ぶのは些か違和感が拭えませんな」
シファー家連枝の貴族の一人が、牽制する。
その言葉には政敵であったヴォーヴェライト公爵こそが、此度の一件の真犯人なのではないかという事を暗に示している。
「この一件で、誰が一番得をしたのか……それを考えれば、誰が王国を裏切った真犯人だったのか。推測が付きそうなものですが」
もったいぶって持論を述べ、意味ありげな推論を突きつける。
しかしこの詰問に対し一顧だにせず、内務大臣は意見を述べた。
シニカルで天の邪鬼な癖のある人格は、ここまできて更なる軋轢を次々と生みだす。
しかし論理的整合性を示すことが説得力となり、反論を押さえつける。
それこそが尚の事にこの人物を、人々が忌避する要因となるのだ。
「ふむ。私にはこの状況を放置しておく方が、よほど非効率的と思いますが。そのような考えも、あるのでしょうね。何人もの犠牲を積み上げようと、慎重に判断しようとする姿勢。意見こそ違いますが、私は敬意を覚えます」
「……!」
「誰が一番利益を得たのか。その解明に当たるという論理は、至極ごもっともです。それはこれからの調査で判明するでしょう。素晴らしいご意見でした。私から感謝を申し上げますよ」
額に青筋を立てた貴族に、にこやかに頭を下げるヴォーヴェライト内務大臣。
益々この場の雰囲気は悪くなるが、彼は実に楽し気だ。
議論そのものを遊興のように弄びつつも、自らへの疑いを論理だてて言破り。
彼自身が楽しみながら議論相手をやり込めるのと同時に、現状では犯人捜しをすべきでないと因果を含ませる。
それは対話というよりも、さしずめ押しつけのようだ。
「それと私が真犯人だと思っているのなら、それは誤りですよ。シファー宰相が亡くなったことで、私の派閥は確かに成長するでしょうが…………宰相なき、そしてシファー公爵家が丸ごと消えた宮中勢力を率いて、アルコル侯爵家、ローゼンシュティール公爵家に対抗するなど、罰ゲーム以外の何物でもないでしょう。間尺に合いませんよ」
捕捉するように、その根拠を述べる。
鮮やかなまでに、邪推をはねつける。
もはや4大公爵家に、アルコル家を押し留める力など足りない。
3つの大領地を得たアルコル家には、王家ですら風下に立ってしまったほどだ。
アルコル領からシファー領まで、多くの貴族領地が存在する。
それらを最後通告という形式をもって、アルコル軍は通過した。
王家ですら貴族の領地には、強制しても立ち入ることは難しい。
これは証明したのだ。
アルコル侯爵家、そして英雄アルタイル・アルコルの暴力の権威には、誰もが逆らえないという事を。
怒れる彼らに誰もが傅くが如く恭順の意を示すことで、その軍事力が自らに向くことを避けたのだ。
そして話に挙げられたローゼンシュティール公爵家。
この権門中の権門もまた、王国において特殊な立ち位置である。
彼ら由緒ある名門に対して建国以来、一定の配慮を王家は続けているのだ。
彼の公爵家が歴史上幾度も反乱を起こしても、お家お取り潰しができないほどに。
「だからこそシファー宰相はあの時点ですら、あれだけアルコル家の足を引っ張っていたのですからね。宰相派閥であったあなた方は、それがよくお分かりかと存じます。王国の、ひいては人類全体の利益を考えれば、それはいかがなものかと個人的には感じていましたが」
「こ、このっ……!?」
「何より革命軍とやらを企みに用いたとして、公爵家当主である私も標的にされるに決まっているでしょう? 口封じをされない、あるいは彼らの仲間と認められる保証があれば別ですが…………そんなものが果たして、存在するのでしょうか? 皆様のご賢察を伺いたく」
シファー宰相の派閥の者たちは、痛烈な皮肉。
いや侮辱に顔を真っ赤にしているが、否定できないのか口を噤んだ。
反論の余地がない程に言い負かされた結果、内務大臣を睨むことで反感を示すしかなかったのである。
それを見ると機嫌よさげなヴォーヴェライト公爵は、朗らかに笑いかけた。
丸め込んだ目の前の貴族を見て、愉しんでいる様子である。
「私を信用できないのでしたら、それぞれ存分に保険を掛けて頂ければ。それが皆様に安心を齎すのであれば幸いです…………余談はさておき現状での宰相職とは、そんな難儀な仕事です。華々しい戦果を陛下に報告するだけの、簡単なお仕事だと思っていたいですね。ねぇ典礼大臣?」
「内務大臣の意見は、一理はある。だが建設的な意見を言えるなら、最初から節度を持つべきではないか」
「そのように感じさせてしまったことは、遺憾であります。しかし不快感を与えてしまったのでしたら、謹んで謝罪いたしますよ。さて、場も温まったところで本題に移りましょうか」
わざとらしいまでに畏まって謝辞を述べておきながら、即座の掌返し。
居直りが良すぎて、悪感情を通り越して驚愕すら覚える。
この嘲りが直撃した貴族は、反感から頭に血が上りすぎて顔を真っ赤にさせていた。
肝が太すぎるのか、楽しんですらいるのか、内務大臣は朗らかに声を立てて笑った。
この殺伐とした世界の中が、彼の適地だというかのように生き生きとしている。
あらゆる配慮に欠けたその態度こそが、彼を毛嫌いするまでに敬遠する者が数多い要因。
先ほどとは違った意味で、ピリピリとしたムードが生じていた。
曲者たちが集う、歪んだ社会の中でも、一際捻じ曲がった貴族社会の縮図。
貴族子女たちは、この魑魅魍魎が蔓延る伏魔殿に飛び込むこととなるのである。
不快感を催す嫌味ばかりが飛び交う、未だ年若き彼らは何を思うのだろうか。
そんな凍った空気を打ち払うべく、話を切り替えようとした重鎮の大貴族が一つ咳払い。
そして一際大きな声を出す。
話題転換をして、場を改めようとしたのだろう。
嫌悪感が滲んだ表情ではあるが、先ほど罵詈雑言を発していた貴族もそれに倣う。
彼だけでなく全員が憂苦そのものとしか言えない様子で、相談し始める。
「理に適っている。しかし安易に決めていいことでは」
「状況に一石を投じられるなら、やってみる価値はある」
「状況を悪くしたものを排除しても、悪くなった状況の始末は残ったまま。事態がどう転ぶにせよ、現状を変えなければならないことは不可避なのだ」
この時ばかりは、彼ら同士で舌戦を繰り広げること能わず。
苦み走った面持ちが並ぶ中、ある発想に収束しつつあった。
もう既に、この議論がどう転ぶのか。
彼ら自身は、この時すでに予測していたのかもしれない。
この話そのものが御膳立てされた、形式的なものに過ぎないことを。
日頃は風見鶏を決め込む者たちも、ここに至っては立場を明確にするしかなかった。
中立とは、全方位から潜在的な敵であると思われるということ。
この混迷を極める政治情勢で味方がいないことなど、貴族社会では死に値する。
だからこそ必然、時流がそれに倣う事を求められ。
長い物には巻かれるということに帰結した。
ヴォーヴェライト公爵は笑みを浮かべて、見つめ返す。
彼は自らの利益を追求しようとする地ども、おくびにも出さない。
日頃は余計な口出しばかりをするというのに、この時ばかりは黙って様子を窺っていた。
議論がようやく結論に達し始めると、数多の視線が交差する。
ある老貴族は目を逸らしつつ、諸貴族の代表として、苦渋に満ちながらも答えを告げた。
全ての条件を網羅する者。それは―――――
「ヴォーヴェライト内務大臣。我らは次代の宰相に、あなたを推す」
この男を貴族の頂点に据えるという事。
ヴォーヴェライト公爵は、変わらぬ平坦な口調で答えた。
だがその言葉は、誰もが押し黙る部屋に響く。
太陽が傾き天窓から差した光が、彼の貌に陰影を浮かび上がらせた。
「――――――――――光栄です」
次回より、第一部最終章となります。(長いので章を分ける可能性もあり)
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