第18話 「悲惨な戦場 家族の温もり」 (イラストあり)
俺はひどい痛みから魘されるように起きた。
周囲にはいつか見たことのある医者がおり、俺の姿を見ると驚いたように叫び回復魔法をかける。
耳鳴りが激しく、意識が朦朧としている。
ぼやける視界の中で見えるのは医者と。
あとは……お爺様だ。
「―――――――!」
「―――――――」
何か言い争いをしているようだ。
しかしお爺様が俺の方向を見ると、医者に何かを告げる。
医者はそれに怯むが、それに反論しようとする。
だがお爺様は一言何か口にすると、身を翻し部屋を出ていった。
医者は一瞬棒立ちしていたが、すぐに俺に駆け寄り回復魔法をかける。
俺は体が動くことに気づき、ぎこちなく体を起こした。
「アルタイル様!?!?!? まだ安静に寝ていてくだされ!!!」
「いい。だいぶ楽になった。迷惑をかけたようだな」
俺はベッドから体を起こし、回復魔法を自分にかける。
まだちょっとフラフラしているが、体は癒えたようだ。
周りがガミガミ煩いが、俺にはやるべきことがある。
そう思って立ち上がろうとするが倒れてしまった。
だが俺の体は柔らかい何かに抱き留められる。
この感触は……
そうか。聞こえてなかっただけで、居たんだな。
「……ってて」
「坊ちゃま!?!?!? 何をしているのですか!!! 奇病に罹っているのかもしれないのですよ!?!?!? 寝てください!!!」
「……サルビア? いやいい。原因は俺がわかってる。病気じゃないよ」
「何を言っておりますか!!! そんな体で何をなさるおつもりです!?!?!?」
普段は全く声を荒げることのないサルビアが絶叫して、俺を万力の如き力でベッドに押し戻す。
彼女はマスクをしており、俺が奇病に罹っているかもしれないのに近くで看病してくれたようだ。
本当に俺を大切に思っていてくれているのだ。
自分の身を顧みず。
だから俺は――――――
「もう聞いてるだろ? 父上たちを助けに行く」
「…………!? なりませんッッッ!!! それはなりませんッッッッッ!!!!!」
サルビア……そうはならないだろう。
お爺様は言っていたはずだ。
「サルビア。お爺様は何と言っていたんだ?」
「…………」
サルビアは沈黙する。
答えないのはお爺様の言葉を、捻じ曲げて伝えられないからだ。
その反応だけで分かったよ。
「お爺様は何と言っていた? 俺が起きたら出陣させろと言っていたんだろ?」
「…………坊ちゃま……ご命令とあれば私は身命を賭し、坊ちゃまを連れてどこまでもお逃げします……」
サルビアの言葉に周りは騒然となる。
当然だ。封建社会において貴族の命令は絶対。
それも戦争中の侯爵家前当主の命令を拒めば、死は免れないだろう。
それでもサルビアは決然と宣言した。
俺のためだ。
嬉しかった。
自然と顔が綻ぶ。
サルビアは俺のために全てを投げうってでも、俺と一緒にいてくれるといったのだ。
でもだめだ。
俺が行かなければ家族みんなが、お前の命が。
俺の命すら危うい。
「ありがとうサルビア。でも行く。俺が行かなきゃみんなを助けられない」
「…………っ……」
サルビアは顔を歪め、何か言いたげに俺の顔を苦しそうな顔でじっと見つめる。
数度口を開きかけるが、幾度もそれを飲み込む。
彼女も現状を理解しているが、それを認めたくない気持ちと、もつれる感情があるのだろう。
「――――――アル様!!!!!」
部屋の隅ですすり泣く声がしていたが止み、俺を呼ぶ方向を見る。
そこには目を真っ赤に腫らしていたステラが俺に叫んでいた。
隣にはヘンリーケが泣きながら包帯などを抱えていた。
傷心の中であるにもかかわらず、俺を治療してくれたのだろう。
「戦争なんか行っちゃだめだよアル様!?!?!? 死んじゃうよ!!! …………わたしに喧嘩でいつも負けてるくせに……!!! 弱いくせに……!!! だめだよ!!!!!」
「ステラ」
悲痛な声でステラは叫ぶ。
俺にどうしても戦争に行ってほしくないのだろう。
彼女はまだ幼く、論理的にそれを否定する言葉を持たない。
それでも幼少期を常に共にしてきた女の子の気持ちは、その激しい剣幕で俺に伝わってくる。
「もし魔物にあったら死んじゃうんだよ!?!?!? そんなこともわからないの!?!?!?」
ステラは地団太を踏みながら癇癪を起こす。
そしてしゃくりあげながら、俺に金切り声で絶叫する。
「お兄ちゃんだって……死んじゃったんだ……よぉ……! ……ぅ…………ぅぅ……」
「………………」
そうだ。戦争は人が死ぬ。
俺は自分の心が痛むまで、その本当の意味を知らなかった。
無言で聞くことしかできなかった。
「坊ちゃま……ステラが申し訳ございません……ご無礼お許しください」
ヘンリーケがステラを抱きしめながら、俺に頭を深く下げる。
俺はまた何も言えなかった。
首肯のみで答える。
「ですが………わかってあげてください…………」
彼女はゆっくり顔を上げて言う。
ステラはこの乳母の胸に顔を押し付けながら、言葉にならない声で泣きじゃくる。
「坊ちゃまに何かあれば…………とても私たちも平静ではいられません…………」
「絶対帰る」
ヘンリーケの言葉に俺はすぐ返す。
そう帰ってくるんだ。
俺は絶対に生き残って見せる。
死にに行くんじゃない。
生きるために戦いに行くんだ。
俺は心の片隅にある雑念を押し込める。
それに向き合うと、足が動かなくなるとわかっているから。
ヘンリーケは涙を必死に堪えようとしているのか、顔が引き攣っている。
しかし我慢できず、一つ涙が流れるとそれだけに留まることなく、次から次へと流れゆく。
彼女は目頭を押さえると俺から顔を背け、俺の戦支度を始めた。
「約束してください」
サルビアが懇願するように俺に近寄ってきながら、震える声で告げる。
その表情はこれまで見たことないほどに、感情的だった。
「坊ちゃま。私の坊や。絶対に帰ってきて。私の目を見て約束して」
彼女は縋りつくように俺を抱きしめる。
俺はこの銀髪の女性の目を見つめて、確固たる決意を固め宣言した。
「約束する」
「………っ……まだっ……こんなに……小さいのに………」
俺の姿を目に焼け付けるように、サルビアはまじまじと俺の顔を覗き込む。
そして瞳が揺れたかと思うと、涙を滂沱として零した。
頬を伝って幾筋もの糸となり、落ちていく。
俺はそれを見ていられなかった。
これ以上見れば未練になりそうだった。
だから俺は彼女に向けて心配させないように無理やり笑みをつくり、外套をひっつかんで部屋を出た。
悲しみの籠った号泣が、背中に響いてくる。
俺は振り向けない。
「行ってくる」
国境地帯に街道を伝って進むと、いくつか物資集積所がある。
ここを拠点として父上たちは休息し、物資を補充して魔物たちと戦いに赴くのだ。
そしていくつかの物資集積所を通り過ぎると、俺たちが向かわせた伝令が帰ってきた。
馬はもう潰れかけで、だらりと舌を垂らしながら息荒くしている。
伝令は鬼気迫る姿で俺たちに向かって声を張り上げた。
「報告!!! 次の物資集積所に、アルフェッカ様たちの軍の傷病兵が到着!!! 至急、回復術師を派遣せよとのこと!!!!!」
壮絶な激闘であったのだろう。
お爺様は一足先に父上たちの救援に向かい。
俺を含めた回復術師を向かわせた後方連絡線は、数百に及ぶ兵士たちが死屍累々の有様だった。
どこを見ても血まみれの男達。
所々に転がる赤黒い肉片。
幽鬼の如き呻き声。
気でも狂ったように叫ぶ奇声。
鼻腔を衝く異臭。
既に事切れた骸。
「…………ぐぅっ……が……ぁ……」
「あいつらが……!あいつらがぁっ……!!! リヒターの奴を……! 殺す! 殺してやるッッッッッ!!!!!」
「うわぁぁぁぁぁあああ!!!!! やめろっっっ!!! 俺の腕を食うのはやめろぉぉぉぉおおおおお!?!?!?」
俺はこの兵たちのように顔中脂汗まみれだった。
あまりの惨状に恐怖が募り、歯がカチカチと鳴る。
吐き気がこみ上げる。
こんなもの正気で眺められるわけないだろう。
「なん……だよ…………これ……」
俺が思わず零した声は、それ以上の兵たちの悲鳴にかき消される。
病理に詳しくないが、おそらくPTSDの者もいるだろう。
心を病んだ者達の声は、俺の心も蝕む。
とても聞いていられない。
「………ぅ…………っぷ…」
俺は腹からこみあげてくるものを、何とか駆けて外に出て吐き出す。
体が嫌に重怠い。
胃の中のものを出したことで、もう既に消耗が激しい。
あんなところに戻りたくはない。
「――――――居た! アルタイル様!!! 回復魔法を!!!!!」
「………あぁ。すぐやる」
俺を探しに来た回復術師の必死の声かけにより、我を取り戻す。
そうだ。俺が来た本分を果たさなければ。
建物の中に戻り、俺は回復魔法を使う事だけを考える。
俺は重症者達のもとに案内され、それぞれの患部を見つけるとすぐに回復魔法を使用する。
「『Curatio vulneris』」
呪文により巨大な魔法陣が起動し、俺の周りを柔らかな光が包む。
痛みに喘いでいた傷病兵たちは呼吸が安らかになり、一区画だけ他の区画とは打って変わって穏やかな静謐が降りる。
「じょ……上位魔法…………」
「ばかな……これほどの魔力で……信じられない……」
「魔法薬の……補助すら必要としない……だって……?」
我がアルコル家の回復術師たちが言っている通り、これは回復魔法の上位魔法だ。
効果は範囲治療。そして通常の回復魔法よりも効果がずっと高い。
これができれば一流中の一流の医者として、活躍できるとのことだ。
軍に入れば、とんでもない待遇で召し抱えられるという。
今回の功績で小遣いくらい貰えるよな?
「………………め………がみ………?」
「女神だ……」
「ありがたや……ありがたや…………」
虚ろな目で俺を見つめる兵が曖昧な呂律で呟くと、その言葉は兵たちに口々に広がっていく。
誰が女神じゃい。
そのまま俺は貴重な回復魔法使いであるので、地獄絵図の中を駆けずり回る。
重傷者は全員俺に任された。なんで?
いくら俺が一番有能な魔法使いだとしても、ワンオペブラックとか許されざるよ?
あと児童労働だからな? ほんまふざけとる。
いくらか時間が経つとこの空間は一変し、先ほどの底気味悪い凄惨な光景の影も見当たらなくなった。
あ~疲れた……あとは軽症者だけか……
でもこっちの方が、ずっと多いんだよな……
回復術師つっら。
やっぱ医療職はブラックなんだね。
「――――――アルタイル!!!!!」
「叔父上!」
俺が次の区画に移動しようとしたら、傷だらけの叔父上とダーヴィトがいた。
無事だったのか!
大きな怪我も治療したのかないようだ。よかった!
ところで父上の姿が見えないが、どうなっているんだ?




