第172話 「行政介入 金融支配 経済戦争」
どんなにごたついていたとしても、やるべき行動。
万難を廃してでも示しをつけるという、アルコル家が健在であるという示威行為。
淡々と告げるその瞳には、殺意だけが宿る。
彼らは王国屈指の暴力装置。
殺戮を産み出すことが王国で最も得意な、戦闘人形になれる者たちなのだ。
その表情から、暖かい感情が欠落していく。
冷徹な戦争機械と化した、殺しの天才は宣言する。
「アルコル家嫡男に手を出した罪は重い。血の粛清をもって、裁きと成す。」
憎々しげに細められた瞳が、鈍く輝く。
アルコル家に明白なる挑戦を、仕掛けられたのだ。
この大貴族家の、至宝ともいえる英雄。
その命を狙うという事の代償は、身をもって支払わねばならない。
「徹底的な報復を」
凄まじい剣幕で、軍事力を動かすことを表明したアルコル家現当主。
憎悪を研ぎ澄まし、殺意へと変換する。
アルタイルは毒耐性などの幸運があったので、危うきを得た。
しか激昂する家族にとっては、関係ない話である。
彼らの敵がすべて撃滅されるまで、それは鎮まることはない。
「下手人とされる貴族へ経済攻撃を仕掛け、穀物相場を荒らして敵対する家を潰す。戦争で食糧がいる。おあつらえ向きに農繁期が来るのだから、我々で有効活用してやるとしよう。愚かな貴族に従わざるを得ない哀れなる民には、適当な値段で売り返してやればいい」
決然とした態度で、市場破壊に臨むと告げたアルフェッカ。
経済戦争をもって、報復措置とすることを決定した。
適当な値段。
それはもちろん庶民が買い取れる、ギリギリの値段という事だ。
アルフェッカは相場操作をすることを宣言した。
これは王国中の経済を、アルコル領が操ることができるという事の証明でもある。
彼は軍事力と経済力の両面において、圧倒的優位性を誇示することを選択した。
それはアルコル領が、王家を凌ぎかねない権力を保持したという事を認識させるということ。
なおかつ王家に向けたメッセージだ。
アルコル家は、このような事態を引き起こした王家を信用していない。
だからこそ独力で、この混乱の解決に当たるという事。
王国屈指の大派閥が独自行動をとるという、無言の意思表示である。
「穀物を買い占めて高騰させる。干上がらせた領地には、それを高値で転売してやれ。王国中の敵対者へと、それを行う。飢餓にならないラインは、既に以前の事件で見極めた。その時に御用聞きとして恩を売ってやった商人どもは、溜め込んだ金で貴族共に賄賂を渡して領内政治に組み込まれている。それを使えば、前よりはやりやすいだろう。利益で転ぶ連中には、形はどうあれ納得するだけの飴を用意してやればいい」
以前も同じようなことを、やったような口ぶりである。
彼は淡々と不倶戴天の仇敵となった貴族たちを、相場操縦的行為をもって圧砕することを取り決めた。
このアルフェッカは経済分野にも造詣が深い。
彼の能力の真骨頂は、ロジスティクス。
物流と人流を最適化することで、戦略的勝利への道筋をコントロールすることを得意としている。
それは裏を返せば、物流を止めることも巧いという事。
モノの流れの意図的な妨害行為をもって、敵対者の経済基盤を崩壊させることを目論んだのだ。
それを規制する法律など、この王国には存在しない。
よって食料という生殺与奪兼を握られてしまえば、逆らうことなどできはしない。
多くの罪なき民を巻き込む、陰湿に過ぎる姦計を用いても。
彼はアルコル領だけでなく王国にとっても、それが最大多数の最大幸福となると判断したのだ。
「敵対貴族の領地で多く生産している商品作物に、増税するようにツア・ミューレン伯爵へと要請しろ。王国各地で生産される、各種魔道具関連産業にもだ。我々がこれらの物品を買い占めてから、王家にも同様の政策案を迫る。戦争費用捻出という、大義名分をもって。穀物相場操作と合わせて、経済圧力をかける。王家ができないと首を横に振るなら、彼らに気遣う必要はない。通告なしに王国各地の産業基盤が破壊するまで、相応の対処を取るまで」
増税案の名目上は戦争費用の捻出であるが、言ってしまえば該当貴族への経済制裁のようなものだ。
税制度の改正により、利権を得る勢力を恣意的に選定することができる。
特定分野の経済活動を破壊することは、その利害関係者の収入源を断つことを意味した。
各産業に対する国家事業などの財政投資を、誰がどこで行うのかは行政機関が採択する。
それを操ることのできる者が、金融支配を可能とするのだ。
この場合はアルコル家の権力を背景にした、ツア・ミューレン伯爵。
そして宰相を失い、アルコル家に弱みを握られた王家とその派閥である。
論理的には正しいのであるからこそ、否とは言えない。
心優しい現王カールの気質が、彼の感じる同情心からもそれを助長させる。
建前が取り繕えていれば、宰相という頭を失った烏合の衆である法衣貴族たちは、歯向かうことはできなかった。
敵には困窮を強い、味方には利益を与える。
そうして古来より支配者は利権を拡大し、政敵の存在価値を薄めてきた。
この利害調整ができる者は、財政をはじめとした権力基盤を意のままに操ったのである。
「軍に兵糧として販売するため、宰相暗殺の混乱から穀物価格の吊り上げを行った。そのように難癖をつけて、連中の商売を一時的にでも邪魔してやれ。人類に対する利敵行為をしていたという事実に、変わりはない。その僅かなる隙でもあれば、私なら全て処理を達成させられる。その行為をもって奴らを、地獄の底に葬り去れ。屍も残すな」
「かしこまりました」
アルフェッカは控えていた部下たちへと、指示を繰り出す。
情勢が混乱を極める王国で、彼の得意分野に追い縋れる者など早々いない。
いたとしても、彼ほどの権力を持ち、かつ能力のある人物は皆無であった。
すなわち彼の意図通りに事が運ぶことは、ここに運命づけられたのである。
長く続く戦乱で、食品類の相場は荒れ続けている。
だからこそ商人たちの、浮き沈みも激しい。
米転がしのような一儲けする者もいれば、積み重なった在庫を抱えて路頭に迷う者もいる。
人類側の体制が安定すれば、阿漕な商売も少なくなるだろう。
だが余裕のない社会では、弱肉強食の理こそが社会に適用される。
よって王国屈指の智謀を持つ権力者が動くことにより、相対的な弱者たちは全てが翻弄されることとなった。
アルフェッカの激情は、留まることを知らず。
怒りは、敵を穿つ力となる。
「経済的に強固である、高位貴族はどうする?」
「王家や叛徒共だけではない。私たちも手に入れたものがあるだろう。それを使って殺す」
「…………ふむ」
「殺すのは最も単純だ。回りくどく策謀を巡らすより、わかりやすい。それがいい。そういうのが一番いい」
ヤンは普段ではありえない程、端的に質問を行う。
彼の主人の策が及ばないかもしれない、身分が高く資産を持つ者たちへの対応である。
彼は頭に血が上っているアルフェッカの極論に対し、平静を取り戻すようにやんわり窘めた。
白髪の密偵が言外に使用を暗示した『透明の新種の魔物』の皮などを使用すれば、問答無用の報復合戦になりかねないからだ。
一呼吸おいて落ち着きを取り戻した金髪の恐ろしい青年貴族は、自嘲めいた返答をする。
「事件に関する証拠がどうしても見つからないやつは、そうしよう。そうさせないための俺だ」
「…………そうだな。頭を冷やそう。すまない」
「へへへ。いいってことよ。あいつらが叛徒共に加担したって証拠を捏造してやっから、楽しみにしとけや」
ふざけた調子で親指を立てて、揶揄うヤン。
物騒にも程がある言葉を口にするが、誰も指摘しない。
普段の軽口か、本当に実行するのかさえ不明である。
だが彼らからすれば真相など、実利からしたら些事であるのかもしれない。
そんな様子を見て眉尻を傾けて、苦笑いしただけのアルフェッカ。
古くからの縁であるという彼ら。
その関係でしか、通じ合わないものがあるのだろう。
ヤンは友人であるアルフェッカの感情に、冷却期間を置かせるために話を合わせて再考を促したのだ。
このアルコル侯爵であれば時間をおけば、性急かつ強引に過ぎる先程の言に気づいて撤回するだろうと。
友人である彼ならば時間をかければ、必ず真実に辿り着けると信じて。
余談ではあるが彼らの策は完璧に炸裂し、完膚なきまでに敵対派閥は多数が経済崩壊することとなった。
大貴族でさえもアルコル家の厳しい追求から逃れることはできず、その勢力を落とした。
例を挙げるに及ばない数々の木っ端貴族は、お家断絶の憂き目に遭った。
アルコル家が革命軍の駆除と、その持つ『透明の新種の魔物』の躯を管理することで。
半ば追認であるが、王家からその管理を特権的に任されることも決定される。
何故かというと獣人たちを捕縛した際に、証拠品として押収することがあるからだ。
それを王国へ提出する際に、そこまで持ち運ぶ必要がある。
すでに透明の魔物の躯を秘密保持していると断定されていたアルコル家は、なし崩しに搬送・保持権限を認められることとなった。
王家はアルコル家の離反を恐れ、媚び諂ったという事である。
歴史の皮肉であるがアルタイル暗殺未遂事件は、アルコル家勢力の伸展に寄与することとなった。
対照的にその敵対派閥は、尽く没落することとなる。
従ってアルコル家がカルトッフェルン王国を経済的にも牛耳ると、史書に称される道筋はここに定められた。




