第17話 「敵中孤立する父達」」
アルコル領の東部は峻険で巨大な山々が連なり、そこに広く面した魔王領域との国境線となっている。
この山脈地帯から漏れ出る魔物たちを討伐することを任されているのが、アルコル侯爵家だ。
この山脈は大陸を東西に分割する、自然国境線の一つを担う。
ここを突破されないようにアルコル家は日々魔物の動向に目を光らせ、時には戦っているのである。
だが今回は武運拙く大損害を受けてしまった。
完全に人間世界へ侵略しようとしていたのであろう、魔物たちの軍勢に出くわしたのである。
アルコル家当主アルフェッカの的確な指揮により、最低限の犠牲で迅速なる撤退をすることができた。
接敵した際はアルフェッカの巧妙なる指揮。
険しい山や鬱蒼と生い茂る木々。
魔導具罠の使用。
騎士たちの命を賭した攻撃で、逃走を実現させた。
と言えども、撤退戦には危険が付きまとう。
昼夜を問わぬ後退行動で、何とか街道にたどり着くことはできたが。
兵たちは寝不足と追撃への警戒で、ひどく疲弊している。
そのせいか兵士たちは表情が固い。
王国最精鋭とも評される鉄の規律を持った、百戦錬磨の強者だからまだ崩壊しないだけなのだ。
「何人残った」
「これまでに2割が死亡、1割が怪我で動けないといったところです」
無表情のアルフェッカの質問に、武官長ダーヴィトが返事をする。
いつもはどこかおどけているダーヴィトも、余裕が見えない。
軍事常識では3割の死傷で、全滅という扱いになる。
それを未だ組織だって統率しているアルコル軍の練度は、これだけで知れよう。
「死者は置いてきました……遺品や遺髪など軽いもので、回収できたものは持ってきています」
「糞ッッッ!!!」
話を聞いていたアルビレオが悪態をつく。
将としては咎めるべき行動だが、総大将たるアルフェッカは何も言わず瞠目する。
一呼吸おいてダーヴィトが報告を続ける。
「怪我人は多数……その護衛に割く分などを考えると、戦闘行動をとれるものは約半数かと……」
戦傷者の護衛をせず見捨てていくと、士気は著しく下がり、脱走兵が出てしまう。
敵陣に孤立していることから、逃げたとしても安全地帯まで行けるとは限らない。
結局戦傷者たちを護衛し、一ヵ所に固まることが効率がいいのだ。
また元より全軍が戦えるわけではない。
兵站を確保するための部隊も必要なのだ。
その分を踏まえると、どうしても護衛に割く兵は多くなってしまう。
「まずいな……機動力が落ちる。これではいい的だぞ……」
アルコル家当主アルフェッカは渋い顔でこめかみを押す。
独り言を話すように地図を見ながら、これからの戦略を早口で呟く。
「父上への連絡は送った。だが合流するまでにどれくらいかかる……」
誰も返事をしない。
いやすることができない。
伝令として部隊最速の馬を数頭放ったが、その返答がまだ来ない以上。
アルコル家の屋敷に辿り着いたのかさえ、彼らは分からない。
最初から部下たちの返答を期待していなかったからか、アルフェッカは続けざまに推論を重ねる。
「幸いというべきか街道が均されている。人間にとっては歩きやすい、迎え撃つならここしかない。街道をそれて父上たちと合流できないこともまずい」
アルビレオたちも神妙に頷く。
アルフェッカの推測に同意しているのだろう。
だが彼は難しい顔で、敵のこれからの行動を予測する。
「――――――だが街道は目印になりうる。機動力に優れた魔物の迂回、そして側面攻撃。簡単に予測できる」
「反撃はしやすい分、敵に捕捉はされやすいですな」
ダーヴィトが合の手を入れると、アルフェッカは小さくため息をしながら頷く。
誰の目にも明確に示された道路は、それ自体がリスクとなるのだから。
「相手は魔物だ……統率の取れた指揮はないが、だからこそ恐ろしい。後方を気にしないで遮二無二突撃してくるのだから。追撃戦をされる側としては嫌な相手だ」
話に聞き耳を立てている兵士の一部は、げんなりとする。
それを見たからかアルフェッカは、自らがとりうる最善策を表明した。
「内線作戦で確実に各個撃破するしかない。もし完全包囲されたら終わりだ。私たちに援軍が来たとしても壮絶な殲滅戦になる」
アルビレオなどをはじめとした、有力な騎士たちは誰もが口々に同意を表す。
人間は戦術をもって強大な敵に対抗する。
その機能が不十分となる混戦は、極力避けたいものだ。
アルフェッカは兵士たちの反応を見渡すと、自らが出した結論をやや尻すぼみに述べる。
自分としても、あまり良策とは思えないようだ。
「逃走経路を確保した後、機動力の乏しい部隊で敵主力を拘束。機動力に優れた部隊で逆包囲し、殲滅する。使い古したような戦術だがこれしかないか……」
「なけなしの魔道具罠がありますがね。途中だいぶ使ってしまいましたし、こんなことは想定していなかったもんで、もうかなり少ないです。とても敵全てを拘束とはいかんでしょう」
誰もが隣り合うものたちと何か名案がないか相談するが、芳しくない模様だ。
そんな中、アルビレオが意を決してアルフェッカに懸念を口にした。
「ですが兄上。相手は知恵のある魔族だ。欺瞞作戦を取られたらどうするので? 意図的に主力だと勘違いさせられて、私たちが包囲しようとした方向と、逆方向から時間差で攻撃されたら……」
「そこがネックなんだよね~いつもなら余裕で対処できたんだけど、現場指揮官となる騎士がかなりやられちゃったからなぁ……」
アルフェッカが沈んだ顔をし、顔を手で覆う。
兵士たちの一人が死んだ戦友だろうか。
ある名前を静かに口にすると、しんと静寂が降りる。
しかし一つとして弱音を吐く弱卒はいない。
それは兵士の質が高いだけではない。
アルフェッカの卓越した軍事的才覚への信頼があるからであろう。
それでも負けが込めばわからなくなる。
誰もがその最悪の可能性を考えないようにしているのだ。
それは自軍への誇りでもあり、現実からの逃避でもあった。
自分の言葉に責任を感じたのか、アルビレオが冷や汗を垂らしてその静寂を切り裂いた。
この状況を打破できる情報を入手するという、事態の打開策である。
「せめて魔物たちの動向が掴めればいいのですが……」
「相手は馬よりも早い魔物がいるだろう。少数の斥候を放っても自殺行為だ。だが最悪を想定すれば、部隊を割る愚を犯すしかないね」
「遅滞戦術もできんですな。相手の方が動きが速いのだし、相手の邪魔をすることも、やりようがない」
八方塞がりにも思える状況に兵たちは歯噛みし、拳を固く握りしめる。
アルフェッカは再確認しながら、状況を整理していく。
「この辺の地形はしばらく平野が続くばかりだし、魔物に工作は効かない。私たちは怪我人を大勢抱えて身動きが取れない。敵戦力は大体わかったし、何とか一方向だけでも相手に遊兵をつくり出すことができれば、やりようはあるんだが……」
不利要素を列挙するたびに望みは断たれていくが、勝利のために直視しなければならない。
アルフェッカが自分の言葉に呆れたように語ることを止め、天運に任せるように願望論を口にした。
「なんとか父上たちの軍がどこにいて、どれぐらいの規模かわかればいいんだが……」
「父上たちの軍と連携が取れれば、取れる手は多くなりますね」
最も安全な勝利とは、数の有利でで押すという事。
よって味方を増やすことを兵たちの希望とし、作戦の前提とした。
アルビレオの同意にアルフェッカは同意し、話を切り上げると軍に朗々たる声で号令をかける。
「何としてでも父上たちとの合流を目指す! みんなそれまで頑張ってくれ!!!」
兵士たちは全く同時に答礼し了承の意を述べると、音が津波のように地面に響き渡る。
この軍の総司令官はこくりと頷くと、彼の弟がすかさず発言する。
「はっ! 別動隊を組織し、私が偵察に参ります」
「ありがとうアルビレオ……いつも迷惑かけてばかりでごめんね……」
「いえ。これもアルコル家の一員としての務めです」
アルビレオの生真面目な態度に、アルフェッカは悲し気な笑みを浮かべ。
視線を横にやりダーヴィトを見つめる。
「……………ダーヴィト。君も別動隊に加わってくれ」
「はっ」
「……ありがとうございます兄上。それではダーヴィト行くぞ」
「はっ」
武官長は唸るように手短に返事をすると、本陣からアルビレオと共に外れていく。
アルビレオはアルフェッカに深く頭を下げると、この兄は口を開こうとした。
だが弟は無言で手をひらひらと振る。
長年共に生きてきた兄弟には、それだけで通じるのだろう。
彼はもう一度頭を下げ、席を辞した。
アルビレオは馬を本体から離れさせ、逃走方向とは別方向へと向かう。
その顔は厳しい。
別動隊の兵は皆、死を覚悟しているのか、厳しい表情ばかりだ。
本隊が豆粒程度にしか見えなくなったころ、彼は誰にも聞こえないほど小さな声で祈るように囁く。
その目には悲壮な決意が宿り。
そして祈るような、縋るような複雑な感情が渦巻いていた。
「強くなりたい……もっと……みんなを守れる英雄に……」




