第169話 「離別」
同時刻、教会にて二人の男性が向かい合い、親しげに言葉を交わしていた。
一方は深緑の長髪を肩もとで結んだ、車椅子に乗った柔和な美形。
もう一方はシックな装いに身を包んだ、どこか童顔な赤髪の美青年。
「アゲナさん。こんなにも喜捨を賜り……感謝の言葉しかございません。神もお喜びになるでしょう」
「今こうして私が無事に商売に励んでいられるのも、教会の方々が弱者救済に努めていたからでございます。それにより助かる命があるならば、私は財を惜しみません」
教会への多額の献金。
赤髪の商人はこの場にて、それを贈っていた。
恐縮しきったように、膝すれすれまでに頭を下げるセギヌス。
常に冷静さを崩すことのない彼がこのような態度をとるという事は、そこまでの大金であったのだろう。
深く感謝の意を表した聖職者に、恐縮しきったように返答する大商店の若頭取。
「戦争準備に加えて、度重なる悲劇が王国を見舞いました。教皇猊下もさぞやお喜びになられることでしょう」
「私の行動が人類の一助となれたなら、これ以上ない光栄でございます」
謙虚にも軽やかに礼をするアゲナ。
教会にいる聖職者たちすべてが、一斉に頭を下げた。
皆、感極まったように、敬意を表した面持ちである。
それだけ教会すら、貧窮していたのだ。
懸命に外面を取り繕っているが、着用する法衣も年を経ているのか色褪せみすぼらしい。
普段から清貧を尊ぶ彼らも、度重なる戦乱とそれによる影響から厳しい生活とならざるを得ない。
そこに届けられた膨大な資金援助となれば、多大な感謝を表すのも当然である。
それを見た赤髪の美青年は困ったように、所在なくしている。
熱に浮かされたような表情のシスターたちも多くいる。
年若い美形で、大店の代表を務め、おまけに信仰心厚く、人格にも優れていれば当然であろう。
少しばかり見える隙も、その魅力を引き立てているのかもしれない。
「えぇと…………あはは…………そこまでされると、恐縮です…………」
「いつもいつも、本当にありがとうございます。あなたに神の加護があらんことを」
「こちらこそ高名なセギヌス様より、祈祷を賜り光栄の極みです。ありがとうございます。それでは私はこの辺でお暇させて頂きます。お忙しいところを失礼いたしました」
夢見がちな表情を浮かべた、年若いシスターの少女に見送られた赤髪の青年。
彼が去ると途端に黄色い声が響き渡り、年長者にやんわりと窘められる一幕があった。
それを背にしたアゲナは教会から出ると同時に、目深にフードを被り大通りを避けて裏道へと進んでゆく。
ディースターヴェーク商店のある通りにつくと、フードを脱ぐ。
すると無言で魔法を起動し、それを焼き払った。
瞬きする程の一瞬で行われた、超絶技術。
この男は表情を柔和な優男のものにしたまま、裏通りを闊歩する。
「――――――――――」
そこに変化が。
天から行先を阻むように、男が舞い降りた。
アゲナは驚いたような様子もなく、足を止めた。
フードを目深に被った、大男。
それを脱ぎ捨てると、癖のある茶髪が肩もとにかかる。
ワイルドだが、美麗なる顔立ちが暴かれた。
アゲナは人柄のいい柔らかい笑みで、それに対する。
視線の先の外見の特徴を見れば、情報屋の男だ。
その名はシェダル。
以前アルタイルと情報交換を行った、フリチラリアの兄貴分である男である。
だが彼は普段の飄々とした表情は、鳴りを潜めている。
「シェダル! 久しぶりだね。しばらく仕事が忙しかったから、あまり会いに行けなくてごめん……」
「…………………」
「えぇと…………どうかしたのかい……? 僕、君に何かしちゃったかな……」
悲し気な表情でアゲナは、自らの非を詫びようとしている。
シェダルは重々しい雰囲気で、無言で佇む。
この飄々とした人物の普段なら、ありえない態度。
その姿にアゲナは動揺しているようだ。目の前の人物の機嫌を窺おうと右往左往している。
奇妙な沈黙がしばらく、その場を満たした。
無音がこの路地を覆う。
「おい……お前まだ、あんな奴らと付き合ってるのか?」
「それを聞くことに何の意味がある」
「俺はっ……! 俺たちは―――――――」
「―――――――お前には関係ないだろう」
ようやく口を開くと、責めるような口調で問い詰めた。
教会から出てきたアゲナへ、何か言いたいことがある様子である。
返答はあった。
だが一瞬で冷たい口調に豹変したアゲナ。
先ほどまでの好青年ぶりが嘘のように消え、まるで別人のようだ。
冷たくあしらわれたシェダルは、怒髪天を衝く。
普段の平静さをかなぐり捨てたこの情報屋の男は、大商店の頭取の胸ぐらを掴む。
身長差からアゲナの体は少し浮かび上がるが、この赤髪の青年は意に介してもいない。
非常に背丈があるシェダルに厳しく咎めるような大声で凄まれても、恐怖など微塵も沸いていないかのようである。
「あいつらの計画なんかに便乗してまで、何がしたいんだよおまえ!?!?!?」
顔が接するまでに近づけられ、怒声が前髪を吹き飛ばすほどに発されても瞼一つ動かさない。
そして無感情に、一言だけ告げた。
「理想の成就」
「それは……俺たちの過去がそうさせていたのだとしたら…………グッッッ!?」
淡々と何事かをほのめかすと、情報屋の男は昔の出来事を引き合いに出した。
その言葉に返答はない。
美しい顔を痛みに歪め、くぐもった苦しげな声と共に手首を抑えたシェダル
凄まじい勢いで手を払いのけ、瞬時にその背後に立っていたアゲナは振り返らずに歩き続ける。
シェダルの眼前には、二つの魔法陣が消えていった。
無詠唱魔法の二重発動。
市井で目にすることなどありえない、恐ろしいほど巧みな魔法技量。
その背中に叫ぶ。
それは彼自身への、誓いでもあったのだろうか。
「―――――――お前は絶対、俺が連れ戻す!!!」
「………………………」
何の感慨もなさそうに機械的に、夜霧へと消えていったアゲナ。
それを見送ると壁にもたれかかり、悔しそうな表情で魔道具を用いてタバコに火をつけたシェダル。
震える手と口元が、点火することを阻んでいた。
やっと灯がともると、何も見えない天を力なく仰ぐ。
結露とも汗とも知れない雫が、その細く美しいフェイスラインを伝って顎から地に滴り落ちる。
それがどこから流れ出て落ちたのか、そしてどこへと向かうのか。
彼も、そして何者もわからない。




