第167話 「親代わりの重圧」
夜が更けても寝ずに我が子と共に過ごすと、固く主張するアルフェッカ。
これが親子の別れとなるかもしれない、そんな暗い夜。
だからこそこの時は、最後かもしれない時は。
出来る限り親子二人きりで過ごさせることとなった。
部屋を辞したサルビアは、フラフラと廊下を歩き続ける。
度重なる看病による疲労で、心身とも限界であるのだろう。
まだメイド見習いであるステラも、それを何とか手伝ってはいる。
それでもアルタイルの看護責任を担う、彼女の業務は多すぎる。
「サルビアさん……お部屋に戻ろうよ……? 疲れた顔してるよ?」
「…………えぇ……もう少ししたら……」
「もうこんな遅いんだから! それに私たちができる事なんてないよ……みんなもう寝ちゃったんだもん。サルビアさんも休まないとダメだよ!」
「…………えぇ」
心配の声をかけた、このアルタイルの乳姉弟である少女。
一拍置いて返答した銀髪の女性は、憔悴した顔を緩慢と向けた。
無言で歩く二人。
ちらちらとステラは、身長の高い銀髪のメイドの様子を窺う。
それほど心配するまでに、彼女は顔を陰鬱に沈み込ませているのだろう。
そのまま倒れこむように、自室へ戻った。
「――――――私は…………坊ちゃまを支えているつもりでした…」
「え…………?」
しばらくベッドの上で、無言で座っていたサルビア。
このメイド服を着た美しい女性は、何を思ってか力なく呟いた。
それに対して水差しを持っていた手が止まった美少女は、薄紫のツインテールを揺らす。
「私がいなければ、坊ちゃまは生活すらできないと、そう思いあがっていました」
「何……言ってるの?……サルビアさんは沢山お仕事して…………」
突然の言葉に怪訝な様子で答えるステラは、否定の言葉を述べた。
だがそれは納得するに程遠いものだったのだろうか。
「私は坊ちゃまのことなど、何もわかっていなかった」
小さなステラの言葉を遮り、強く否認した。
この銀髪の女性は影の漂う表情で、その内心を吐露する。
「あの子が課せられた重圧。私たちを心配させまいと、気丈に振る舞っていたのでしょう。大事なことは、苦しいことは隠す子です。病や戦争に苦しんできたから、痛みがわかるから、優しい子なのです。わかっていたはずなのに。私が一番にわかっていてあげなければならなかったのに―――――――」
アルコル家当主アルフェッカの妻であった、ナターリエ亡き後。
ステラの実の母であるヘンリーケと共に、アルタイルの親代わりとなっていた彼女。
しかし英雄である彼女の主人の内心を、完全には察することができていなかった。
寄り添い、癒すことを怠っていたのだと自責の念を呈した。
「それなら……ステラだって! お兄ちゃんが死んじゃってから、わたし……頑張って修行してたけど……まだ何の役にも立ててないし……お仕事だって全然できないし……」
この少女の兄は、魔将トロルとの戦いで、無残にも命を奪われた。
その影響もあってか、アルタイルの支えになりたいからか、適性のある武術に打ち込んでいるステラ。
その上達ぶりは目覚ましいものがあるが、何分まだ子ども。
戦場に出ることは、アルコル家の武官長からまだ許されていない。
だからこその焦燥。メイドとして満足に仕事がこなせていないことも、それを助長しているのだろう。
「あなたは立派です。坊ちゃまのことをお助けするべく、子どもながらに命を懸けて戦場に立とうとしている。でも私は違う…………大人で、非戦闘員の私は違う……ナターリエ様が亡くなり、あの子の親代わりとなるべく誓った日から。残された病に苦しむあの子を、心だけでもお支えしようとしたはずなのに……治してあげられるどころか、何もできない歯がゆさを実感したのにもかかわらず、それを忘れて……」
やんわりと異議を唱えた、メイド服を着た妙齢の美女。
小さなメイド見習いの頑張り様を褒め称える一方で、自らを卑下するサルビア。
ステラからその緑の眼を反らし、悲しげに自身の過去を自嘲する。
「私はあの子の気持ちを、苦しみを、何もわかっていなかった。いや目を背けていた。すぐ近くに暮らしていて、命を守られている分際でありながら」
「サルビア……さん……」
何もかける言葉が見つからないステラは、口籠ってしまい俯く。
度々風邪をひき調子悪そうにするアルタイルに、彼女自身も何もできなかった記憶がある。
そんな自分を差し置いて慰めの言葉を発することは、とても叶わないのだろう。
「本当はまだ、友達と無垢に遊んでいる年齢のはず。私があの年の頃なんて、何も考えていなかった。お父様に命ぜられるがままに、ただ漫然とメイドの職務をしていただけだった」
アルタイル・アルコルは、男爵位を得る紛れもない貴族。
しかしまだ一人前と呼ぶには、ありえない程の幼い年齢だ。
天才であるから、英雄であるから。
そんな称号にぼやかされた、その真の姿を知るものだからこそ許し難い己がいるのだろう。
悔しそうに哀愁に満ちた美しい顔を歪め、艶やかな唇を噛みしめた。
「あの子は他とは違う子なのだと、英雄だから当たり前なのだと。天才だから当然なのだと。そう思い込んでいたくせに、自分がいなければ何もできないのだと。くだらない矛盾したプライドを抱え、愚かにも己を分不相応に過大評価していた」
恥ずかしげもなく、身勝手な自己満足に浸っていたのだと。
醜い感情に気づいたときは、もう遅かったのだ。
アルタイルは意識不明の重体。
その声を再び聴くことすら、危うい状況。
そんな時になってようやく悟った、捻じ曲がった自尊心。
ふてぶてしく居直ることができなかった彼女の澄んだ心が、自らを傷つけるのだ。
「私は浅ましい女。英雄を育て上げたのは自分だと悦に浸り、自分に都合のいいことばかり考え。寄り添うべき存在を裏切り続けてきた、くだらない女なのです。こうして一番大事なものを失いつつあるとき、ようやくそれを自覚した愚かな女なのです」
自嘲の言葉を漏らしながら、片手で目元を抑える。
普段は大人として、悪いことをした子どもたちを叱っていた彼女。
それらすべての行動を保証していた、立派な大人としての自負。
それが崩壊した今、情けなさからか細くしなやかな指の間から、雫が次々と溢れ出ていた。
次々と床に向かって、水滴が滴り落ちる。
「そんなことないよ!? サルビアさんは私たちにいつも優しくしてくれたもん! いっつも助けてくれたもん! アル様はサルビアさんと一緒にいると、いつも喜んでたもん!」
「……………」
「それにまだ失う訳ないもん! アル様は絶対生きてるよぉ! 絶対……絶対なんだから……」
「……………」
悲鳴のような声で叫ぶステラ。
物心ついた時からアルタイルと共に育てられた女の苦しむ姿に、心を痛めているのだろう。
しかしどんなに腕を揺さぶっても、何の反応も返さない。
小さなメイドは暗澹たる表情で、力なく手を動かす速度を緩めていく。
ひどく冷たい沈黙が流れる。
ステラは涙を次々と流すが、サルビアはそれに対応する余裕もないようだ。
唇を噛みしめ、鬼気迫る面持ちで何事かを思いつめていた。
「――――――――――失礼します」
「…………………入りなさい」
そんなところにノックが聞こえてきた。
年若い女の声。
それに緩慢と掠れた声で、入室を促す銀髪のメイド。
瞬時に佇まいを正し、仕事への準備をする。
入ってきたメイドは、泣き続けるステラを見てギョッとした顔をした。
だが急を要する要件であるからか、早口で一方を告げる。
サルビアはそれを聞くと、彼女らしくない怪訝な感情がその美しい顔に現れた。
「教会から特使が来たとのことです」




