第164話 「解き放たれた囚人」
「なんだぁ……? ……人間。死になぁっっっ!!!!!」
その姿を目撃するや否や、躊躇いなく剣を振り下ろす獣人。
しかしその先にいる男は、意外な反応を示した。
「…………………」
「なっ……!? ガ……ハッ…………」
振り下ろされた剣を手錠の鎖で受け止め絡めとると、獣人戦士の頭を回し蹴りで壁へと激突させた。
もう片方の獣人も同様に、手早く片付ける。
動かなくなった獣人から素早く剣を回収し、この男は牢の外へと出る。
鉄の檻の外では、罵声と悲鳴交じりの大きな喧噪が立ち込めている。
誰がいようが、周りのことに気遣う余裕などない。
だからこそ誰であってもその中に紛れ込んでしまえば、見分けのつけようもない。
「………………………」
目元に深く隈が刻まれて憔悴しきっているだろう人物は、素早く周りを見渡す。
この一瞬でも事の本質を見抜き、性質を悟ったのかもしれない。
先ほどまで傲然と肩を聳やかしていた、物言わぬ骸を見遣った。
無感動に一瞥をくれてやると、素早く状況を確認するため。
あちこちに視線を遣ると、状況判断を終えたのか早歩きで進み始める。
「『ignis』」
謎の囚人は自分と同じような背格好の死体を独房へと放り込み、炭になるまで燃やし尽くした。
自らが脱獄したことを悟られないようにする、カモフラージュのためだろう。
彼は煙を浴びながら、その縛られた手で口元をしきりに触っている。
恐らくは枷を外すための、カギを探しに行くためか。
やけに大きな水桶、いや水槽のある異様な独房を後にした。
恐らくここでは、水責めによる尋問が行われていたのだろう。
「………………………」
不気味な静けさを伴って、歩き続ける男。
暫くの時が経ち、彼はある場所にたどり着いていた。
それはこの収容所の所長室だ。
この人物の収容先は、最深部近い場所であった。.
だが運命とは奇妙なもので、いや予めこの建物の構造を知っていたかのように。
順調に最上階近くの目的の場所へと、彼を誘った。
無論、この男の類稀なる戦闘力と、判断能力あってのものでもあるが。
ところどころ返り血に染まった姿で、口枷のカギを入手して、ようやくその束縛の鎖を取り払った。
「――――――度し難い連中だ。人間であれば誰でも不満の捌け口にしていいかのように嘯く、その口を省みることを期待できないだろう」
この惨状を前にして、ようやく縛りが解けてまで尚、無感動な口調。
淡々とした品評が、大きな違和感としてこの空間に染みわたった。
恐ろしく冷徹な言葉。
この期に至ってこの男は、顔色一つ変えていない。
そこに異変が訪れる。
多くの金属音が鳴らされながら、それらはこの場に現れた。
「―――――ここかっっっ!!! …………何だお前は!?」
「人間は皆殺し――――――」
「――――――『ventus』『ventus』『ventus』」
丁度、獣人たちもここに辿り着いたようだ。
彼らは怒声を上げ、剣を構えた。
謎の人間は振り返りざまに、魔法を放った。
風魔法の三重発動。
それは彼が大陸でも、屈指の大魔法使いであることを表している。
既に発動された魔法陣を、阻害する者はない。
獣人たちが驚きの目に染まる前に、すべては決した。
詠唱した途端、夥しい血飛沫が飛んだ。
「陛下の宸襟を悩ます、不逞な輩ども。王室を蔑ろにした者など、この手ですべて誅しておきたいところだが」
葛藤を口にするが、その表情は鉄仮面のように微動だにしない。
手早く部屋にある、金目のものを回収している。
作業が終わると切り刻まれた死体の横を通り過ぎ、元来た道をなぞっていく。
足音の残響が鳴り響く廊下を、ひたすらに突き進む。
「しかし……あのシファー宰相が…………大きな誤算であったな…………『sonus』」
初めて動揺に揺れる、独り言を露わにした。
彼としてもシファー公爵暗殺事件は、意図せぬ出来事であったらしい。
風魔法で情報収集に努め、透明な敵が複数いると知った青年は、早々に退却へと移る。
多勢に無勢であるし、欲をかいて弱った自分が対処できない攻撃を受けてはおしまいだからか。
身の終わりを防ぐべく、惨劇を切り抜けようと行動する。
そんな折に、彼の耳はある気になる文言を捉えたようだ。
『―――――――――火を放て。開戦の狼煙とする』
その言葉と共に革命軍の者たちが、いたるところに放火した。
既に作戦目的は達成されたのだろう。
同志の解放と、それに伴う収容所職員の皆殺しという。
火魔法の数々が詠唱されると、轟々と火柱が立ち昇る。
この政治犯収容所は、証拠隠滅のための巨大なる炎に包まれた。
すでに中にいる者たちは全滅していたが、これでは碌な犯人捜査もできないだろう。
しかし獣人たちがこの場所に向かっていたことは、目立っていただろうから周辺地域の者たちにはわかっていたはずだ。
だからこそ獣人への迫害は激しくなり、革命軍へ合流する者たちも増えるかもしれない。
それこそが革命軍首領ゲレスの仕組んだ、目論見なのかもしれないが。
「………………………」
謎の人物は機械的なまでに無機質な瞳で、立ち込める火柱を見上げる。
数瞬後、踵を返していった。
行先は出口へ。
荒野へと繰り出し、淡々と足を踏み出した。
「ここで朽ちるべき定めではなかったという事か。運命の妙というものは度し難い。だが幸運だ。叛徒共に助けられた形となったことは業腹であるが、存分に利用させてもらおう」
勇戦も虚しく、数の差で押し切られた政治犯収容所。
この謎の魔法使いは非難や軽蔑の意を含んで、革命軍を評した。
その顔色は非常に悪いが、目には強い力が宿っている。
何かを決意するように、歩を進める速さを上げていく。
「―――――――――私はこの時代において、まだ果たすべき役割があるということか」
度重なる激しい尋問によって、やつれた男。
今も惨劇が繰り広げられるこの場を後に、ふらつきながらも外へ出る。
剥ぎ取っていた武器や服などを着用して、魔法で姿をくらます。
しかしその輝くばかりの美しい中性的な顔立ちは、衰えがない。
そのピンクの長髪を靡かせて、夜闇へと韜晦していった。




