第163話 「灰燼に帰す政治犯収容所」
「派手に燃えるじゃねぇか」
轟々と天高く燃え盛る火柱。
肌に焼け付くように熱が照り付け、眩しすぎる光が夜闇を退ける。
瓦礫があちこちに散乱する、この整然としていたはずの殺風景な建物。
ここに乱雑に破壊された、焦げ付いた壁の破片が放置されていた。
混沌とした空間には、絶叫や興奮の音が途切れ途切れに聞こえてくる。
焼け出されたまま放置された死体が、あちこちへと転がっている。
あらゆるものが灰燼に帰したような、地獄絵図が顕現していた。
「逃げ場なんて消し飛ばしてやる」
獣人の女が、端正な顔を野卑に染める。
担いでいた大斧を、肩に立てかけた。
何かが滴り落ちている極彩色に染まった武器が肩に接しても、気にすることはない。
もう既に体中血まみれだからだ。
その周囲には、赤が充満していた。
見るも無残な刑務官たちの躯が、そこら中に散乱している。
檻の中にいた獣人たちは解放され、自由の喜びを手にしていた。
一方で収容されていた人間たちは、皆殺しの憂き目にあっていた。
著しく道義に反する、野放図な虐殺が繰り広げられている。
獣の特徴を持った人型の民兵たちは革命の先鞭として、無人の野を征くが如く制圧していく。
この政治犯収容所は、無遠慮と無秩序が支配していた。
「同志よ! 助けに来たぞ!」
「…………たすけに……きて……くれたの……か……?」
牢屋の鍵が解錠され、あるいは錠前ごと破壊された檻が開かれる。
尽く憔悴した政治犯とされた獣人たちは救出され、感動的に抱きしめ合いその健闘を称え合う。
その一方で惨禍は広がっていた。
力を誇示するかのように、獣狩りをするかのように、人間たちは面白半分に追い立てられていた。
看守と収監者を問わずに、平等に。
意気盛んに自分たちの戦力をひけらかすように、残虐な末路が与えられた。
見るに堪えない凄惨な光景が、まき散らかされる。
自らがそうされてきたように、尊厳を貶めることを是とする。
その言葉の節々には、ただならぬ悪意を感じる。
「獣人を蔑ろにした者の末路だ!!! 裁きの鉄槌を下してやろう!!!」
「死ねぇぇぇぇ!!! 獣人様を甚振ってくれやがって!? 汚ねぇ断末魔きかせろや!!!!!」
「おら! 立ってみろよ! 雑魚が! できなきゃくたばりなぁっ!?!?!?」
足を斬られて蹲る刑務官の頭を踏みつけながら、嗜虐的な笑みを浮かべる獣の特徴を持った者たち。
この場においては圧倒的な優勢を得た彼らは、背徳的な乱行に及んでいた。
元より一族郎党族滅となり得る、国家反逆罪である行為をしているのだ。
この程度の人の道に外れた触法行為など、ものともしないのだろう。
「頼む!? 俺には家族が……犯罪者以外の獣人を迫害したことなんて一度も……」
「獣人の誇りを穢しただけで、生きる価値のない大罪人なんだよぉぉぉぉ!!!!!」
地べたに腰をついて必死に言い訳をする刑務官へと、剣が振り上げられる。
縋るような瞳が、瞬時に何も映さなくなった。
血飛沫のこびりついた壁面を背に、軽侮の念を呈しながらも満足げに足を進みゆく獣人たち。
暴力を好む者たちの前には、慈悲に縋る言葉は無意味だった。
そのような光景はこの施設のいたるところで行われ、同じような悲劇も枚挙に暇がない。
命乞いの哀願など意に介さず、即答で残酷な死をもたらした。
今までの恨みを晴らすべく、憎悪を剥き出しにして狂乱めいた暴動の様相が顕著になる。
ここに彼らのやりたいことの、現実が映し出されていた。
辛酸を舐めていた者たちの、復讐劇。
演者たちは喜び勇み、闊歩する。
「お願いします!!! お願いします!!! お願いします!!! 病に苦しむ母と、幼い弟、妹たちを養わなければならないのです!!! 私はまだ死ぬ訳にはいかないのです!!! 何でもします!!! 足を舐めろと言われれば舐めます!!! 裸で踊れと言われれば踊ります!!! どんな命令でも従って見せます!!!」
まだ少年の面影を残す青年が土下座しながら、振り絞るような必死の声で哀願する。
獣人たちは下衆な笑いを浮かべ、この地面に頭を擦り付ける年若い看守を眺めている。
「まだ職務に就任したばかりで、給料どころか仕事すら与えられていないのです!!! 貧しい生活の中で家族の後押しを受けて勉学に励み、やっとのことで得た悲願なのです!!! 何とぞお慈悲を!!! どうかお慈悲を!?!?!?」
「そうか」
「国家を裏切れと言われれば、裏切ります!!! 知っていることは何でも話します!!! 家族が大きくなった時、死ねと命じられれば死にます!!! 今だけは!!! 今だけはどうか見逃してください!!!!!」
しばらく考え込む獣人。
いやに勿体ぶっている。
少しの沈黙。
そして放たれた無慈悲なる言葉は、この年若い人間を絶望へと突き落とした。
「同じ様に懇願しながらも命を散らされていった、我らが同胞と同じだな。死ね」
「――――――――――ぁ」
一縷の望みを賭けて、命を振り絞るように絶叫するも無意味に木霊する。
その声の持ち主も、鬱陶しそうに処理された。
非情にも振り下ろされた刃が煌めいて、赤が迸った。
下劣な笑い声が、絶叫を覆い隠した。
「あー――――はははははははははは!!!!! 傑作だぜ!!!!!」
「見たかよこの無様な死に様ぁ!?!?!? 人間狩りはぁ……たまんねぇなぁ!!!!!」
「死ね死ね死ね!!! 人間は!!! 死ね!!!!! 全員死んで、地獄に逝きなぁっっっ!?!?!?」
事切れた骸をオモチャのように無造作に蹴飛ばしながら、馬鹿笑いする獣たち。
お祭り騒ぎのように囃し立て、その尊き命の死を侮辱していた。
恥ずかしげもなく唾棄すべき喜びを呈する、狂いつつある数多の生き物。
道理にもとる大罪であると、指摘する者はここには居ない。
この惨状を齎した者は、血の付着した剣を振り払う。
致死量の血液が辺りに散らばり、業火の赤と混じった。
「貴様らの流れる血は多ければ多いほど、 我らが苦痛を慰める。さあ、次だ――――――――」
目に余る所業。
集団の狂気は、善意を蝕み破壊する。
今まで虐げられてきた鬱憤を晴らすように、虐殺を繰り広げる獣人たち。
ここに女子供がいないことが、せめてもの救いか。
居たならば死ぬより悲惨な目に合っていたこと、必至だろう。
しかしこの場にいた尊き命は一様に、この世から消失した。
狂乱の時代であることが、如実に映し出される。
「へへへ…………奥にいるやつらも全殺しだ」
「こんなところにいる人間どもは、屑ばかりに決まってんだよ!!! 俺たちで駆除してやんねぇとなぁ!!!」
歪んだ汚らしい笑みで、舌なめずりする獣人たち。
眼球は狂気に彩られたまま、最奥に至る。
厳重に封じられた独房。
何物も立ち入ることを許さないような。
何者もここから出ることを阻むかのようなもの。
「らぁっっっ!!! バラされたくねぇなら出てこいや!!!」
「ゴミ共は根絶やしにして、火ぃつけてやるから覚悟しなぁっ!!!」
だが彼らは開錠し、押し入った。
そこに待ち受けているのが何か、知らないまま――――――
「――――――――――」
そこに居たのは、手枷と口枷を付けられ項垂れた長髪の男。
その体は濡れていた。
瞠目していたこの人物は、ゆっくりと首を上げ開眼した。




