第162話 「望むべきもの」
ゲレス配下の革命軍幹部たちによる誘導の元、獣人たちはどこからか運び込まれた武器を手にして雄叫びをあげる。
彼らは革命の始まりの地へと、次々と向かって行っていた。
ゲレスはそれを見つめながら、報告を聞いている。
その光景に、ある変容が訪れた。
「―――――――貴様、何を考えている」
慮外のことでもあったのか、厳しく何かを追及する男の声が上がる。
首を傾けて振り返るゲレスは、笑みを崩していない。
革命軍首領に直談判したこの男は、組織においても相当の地位を占めているのだろう。
話始めた途端に人垣が割れ、ゲレスへの道が出来上がる。
その姿はローブに覆い隠され、顔すら判別できない。
この異様な空間においても、一際異彩を放つ。
辛うじて見える口元とフェイスラインから、美男であると推測は出来る。
この場においても姿を覆い隠す男に、誰も非難しようとはしない。
それだけでこの人物が、この集団で相当な上位にいるであろうことが推測できる。
「何を、とは身に覚えがないが…………今までの俺の行動に何か問題でも? すべて為さねばならぬことを、為しただけだと思うのだが?」
「詭弁を弄すな。お前の行いは、いたずらに混乱を招くだけ。このような強硬手段に出て、なんの正統性と利益があった? アルタイル・アルコルを殺害するなど、俺は一言も聞いていない。そこにどんな道理がある? 答えろ。ゲレス」
「ふむ……? つまりお前は英雄殿が生きていた方が、革命に有利になると……? その根拠を教えてはくれないか」
「敵は少ない方がいい。多くの敵を抱える俺たちは、無用な争いは避けるべき。何よりも今ここで魔物たちを堰き止めている功労者を排除して、何になる?」
ローブの男は有無を言わさない口調で、その真意を問い詰めた、
含み笑いをした凶相の男は、余裕をもって返答する。
2人の間に、不穏な静寂が立ち込めた。
ゲレスは口角を吊り上げ、教え諭すように柔らかな語調で語る。
まるで日常会話でもしているかのように。
「答えは簡単な論理だよ。今ここで彼を刈り取らねば、手を付けられない英雄に育つだろう。英雄殿の今までの行動を見る限り、所詮は体制側に過ぎない。彼が成長して力をつけきったその時、我らが解放される道は永遠に閉ざされる」
「無辜の幼子まで手にかければ、革命の理念が揺らぎかねない。その建前がなければたちまち我らは暴徒と化し、イナゴのように社会を食い荒らすようになるだろう。そうなれば始末に負えない。巻き添えになるのは無辜の民…………そして人は理性を磨いて行ける生き物だ。それはアルタイル・アルコルも然り。年端もいかない無知な子供に、貴様はどこまで責任を負わせるつもりだ。そのような下衆な画策を用いることに、貴様はどう正義との帳尻を合わせるつもりだ。答えろ……!」
理路整然とローブの男は問い詰める。
それを楽しそうに聞いていたゲレスは、謡うようにすげなく躱した。
日常的な所作も舞台役者のように、やけに仰々しい。
視界に入るとこの禍々しい美形から、途端に目を離せなくなる。
王族や一部の老練なる貴族とは一風違った、独特のカリスマ。
それがこの集団の統括者に目が吸い寄せられる、一因となっている。
粗野で学のない者が多い獣人の中では、一際目立つ。
だがローブの男は全く物怖じせずに、それに抗している。
この教祖的な男を軽蔑するように、さらに語気を強くする。
「そうならないように俺がいる。お前がいるのだろう?」
「御託はいい。そんな言葉で片付けられるほど、革命の理想も我らの憎しみも安くない。
そんな軽薄な言葉が、何の慰めになるという? 思いあがるな。焚き付けた貴様にも、この熱狂を制御できるものか。その傲慢、いつか高くつくぞ」
問いただされたゲレスは間髪入れず、意味ありげに陳腐な言葉ではぐらかす。
それに対してローブの男は言い逃れなど許さないとばかりに睨みつけ、革命軍の頂点に位置する男はそれを薄笑いで躱す。
にやりと思わせぶりな態度で、言葉巧みに翻弄し丸め込む。
この男は人あしらいがうますぎる。
並大抵の人物ではその思考を暴き立てることなど、とても叶わないだろう。
「結局のところ、俺たちはどうなろうとアルコルを敵に回すことになった。事ここに至っては、このまま計画通りに進むしかあるまいし、それ以外の方策などあろうはずもない。案ずるなよ。火をつけた責任は取るさ」
「責任? 貴様がどう責任を取るという? 革命が失敗した先の最悪の結末で、魔物たちに世界が蹂躙された後、俺たちの躯の前で懺悔でもするつもりか?」
「当て擦りはやめてくれ。これも正義を遂行するため。わかっておくれよ」
「分かり切ったような口をきくな。未だかつて誰も成し遂げられなかったことを、我らは成し遂げようとしている。剰さえ、歴史上に類を見ない政治体制を築き上げようとしているのだ。一から十まで筋書き通りにいくものか。それを正視しないことは、明白な裏切りだ」
論理にかなった、矛盾が見当たらない推論。
黙ってそれを聞いていた周囲の獣人たちも、不安げな顔になってきている。
しかしそれに対するゲレスの返答は、一言だけ。
だがそれこそがローブの男の逆鱗に触れた。
「理想などわからぬさ――――――」
「―――――――!!!」
ゲレスは革命の理念に背くようなことを、平気で口にした。
ローブの男は歯軋りをして、この革命軍を操る者に素早く詰め寄る。
身体が接触する前に、ようやくその存念を話し出す革命軍を統括する男。
その口ぶりは何を思ってか可笑しそうなもので、しきりに笑いが漏れ出ている。
それがローブの男の反感を助長させたようだ。
見るからに怒気が噴出し、平静であった声が怒りに揺れている。
「ここにいる獣人たち。革命軍のそのほとんどは、生活するために闘っている。それを忘れるなよ……? 彼らにとって理想は手段に過ぎない。安寧を手に入れるため、恨みを晴らす正当性のため。お前こそ履き違えてくれるなよ。俺は崇高なる理想を追い求めるだけが、生きることのすべてだとは思ってはいない…………」
いったん口火を切り、首をかしげてローブの男の表情を窺っている革命の首魁。
そして謎めいた顔の見えない人物の抱える現実と理想との乖離を、突き刺すように指摘する。
両者の意見は嚙み合わない。
隔絶した見解は、スタンスの相違点を如実に表す。
折り合いをつけることを許さないほどに、不和が広まっているようにも思える。
白熱する議論に、周りの獣人たちも動揺を隠せないでいる。
「それを思えるのは、お前が持てる側である証拠。誰もがそこまで辛抱強く、正しさを追い求められるわけではないのさ。苦悩に満ちた人間誰もが、高潔な理想を抱くわけではない」
「ならば目指すべき理想は、夢物語のままだ。ゲレス。貴様は現実を楯に、妥協を強いるのか? 笑わせるな。それはこの社会を腐らせた貴族たちと、何が違う?」
「違うし、違わないさ。所詮は俺も、現実に生きる生物に過ぎない。理想に焦がれ、現実に敗れる、そんな夢想家ではいられないのだよ。そして何もかも万全に始まる革命もないだろう。だが連中と違って、全力を尽くすつもりだ。愚かであっても、恥をかこうとも、過ちがあるならば正していく所存であるよ。何より間違えた時はお前がそうしてくれると、俺は信じている――――――――」
巧みに美辞麗句を弄する、狡知にたけたこの男がローブの男の肩に手を置き、すれ違いざまに横を通り過ぎた。
やけに楽しそうに冷笑するゲレスは、ようやく口達者な舌の活用を止める。
世間話はここまでという事だろう。
彼らの選んだ選択肢が、何をもたらすかはわからない。
この劇的な変化すらも、これからの変革の先触れに過ぎない。
「――――――――ならば見定めればいい。誰もがそれを為さないならば、俺が為そう。人倫と理性に基づいた、目指すべき普遍的理念を指し示す。己の理性から行動を決意すること。そうして啓蒙は始まる。正しき行動と結果の集大成をもって、正しき世界を万民に再認識させてみせる」
「お前に何もかも押し付けたいわけじゃない。寄り添いあって共に歩き続けたいよ。それこそ我らが目指す世界故に…………我らは同志。協力できることがあれば、遠慮などしてくれるな。俺たちは貴族たちのように、足の引っ張り合いなどという自滅行為などしない。同じ轍を踏まないようにするのが、学ぶという事だろう?」
反感からか刺々しいローブの男の言葉。
これはアルタイル・アルコルへの対応だけではなく、様々な革命への方針を言い表しているのだろう。
歩みを止めて首を後ろに傾けてこの人物の反応を伺いながら、独特の抑揚で語り掛ける反乱の首謀者。
その美声は空間へと染みわたり、抗しがたい何かを呈する。
それがこの男の持つ最大の武器なのであろう。
この扇動家の言っていることにどう思ったのかは判然としないが、ローブの男は無言で立ち去った。
「誰かに負担を押し付けることなど間違っている。だからこそ俺たちは立ち上がったのだから。この志は我らすべてが共有していると、俺は信じている」
「……………」
「予定通り、俺たちは政治犯収容所へと向かう。お前もうまくいくことを願っているよ」
「……………」
その言葉を背中越しに聞くと、フードを被った人物は静かに闇へと溶けていった。
無言で立ち去った人物の背を見つめて、革命軍首領は微笑を浮かべる。
ゲレスは無視されたにもかかわらず、気分を害した様子も見受けられない。
何を考えているのかは定かではないが、どこか不吉なものを思わせる。
しかし彼を見送るその口は、不気味に弧を描いていた
そして革命とやらの行く末を握るであろうゲレスはそのシンパ達と、目当ての場所へと向かう。
いやに大きな満月が、うらさびしい輪郭を現す。
寒々とした風が、誰もいなくなった廃教会に吹き抜けた。
ここにはもう人も、神すらも視線を向けることは、ないのかもしれない。
狂乱の時代の訪れ。
流血の嵐は、間もなく吹き荒れる。
なぜ人は赤を好むのだろうか。
人に最も近い赤は、血。
文明をもたらし、生物の頂点へと導いた炎も、赤。
人が赤を求めるのは、闘争を欲するからなのだろうか。
忌まわしい宿業。
それすらも、世界に潜む悪意の一部に過ぎない。




