第161話 「復楽園」
先導者。いや扇動者。
この言葉がふさわしい。
常軌を逸した訴求力。
それにより獣人たちは、彼ら自身の過去に思いを馳せる。
「権威主義が世に悪を蔓延らせることを、弾劾せねばならない!!!!! 歪んだまま硬直した社会構造を、正さねばならない!!!!! 世界とは、公正でなければならない!!!!!」
なさねばならぬ大義があるのだと。
正義の美名のもと。これからの行動に対する免罪符とし、義挙であると宣伝する。
誰もが自分たちに酔いしれ、圧政に立ち向かう事へと決意を固めていく。
凄まじい怨念と怒気が充満する。
それが彼らが受けた苦痛。
理不尽。不条理の証だ。
意気盛んに暗い情念に身を焦がし、それまでに受けた屈辱への反動からの暴力性が突き動かしている。
数多の復讐心が、何輪も咲き乱れる。
「神々は世界を去り、苦しみを背負い続ける我ら獣人…………天上に座す偉大なる主は、我らを救う気配はない…………であるならば!!!!! 我らの手により!!! 唾棄すべき人類秩序を打倒し、真に公正な楽園を作る!!! その理想に突き進み、いまこそ!!! 我らは勝者となろうではないか!!! その到来を予言するこの瞬間に、今まさに時代は転換点を迎えている!!! 開明的思想を基に、諸君らが変えるのだ!!! そう!!! 支配者を標榜する、人間への裁きの鉄槌をもって!!!!!!!!!!」
「「「「「「「「「「ゲレス!!! ゲレス!!! ゲレス!!! ゲレス!!!」」」」」」」」」」
厳粛に、そして熱狂的に連呼される単語。
ゲレス。
それはこの扇動者の名なのだろう。
正義、理想、愛、希望を掲げながら、この澱んだ空気は何故だろうか。
幸福と平和を望むはずの彼らが、殺意と怨嗟に染まっているように見えるのは何故だろうか。
拳によって虐げられた彼らが、拳を握り締めているのは何故だろうか。
彼らは耳障りのいい言葉に酔いしれ、怨念に囚われ.。
詭弁に秘められた下卑た目論見に、踊らされているようにも見える。
差別されたはずの彼らが、差別心を持っているように見えるのは果たして勘違いだろうか。
だが誰も気づかない。
致命的な矛盾があることに気づかない。
背反するはずの思考はグチャグチャにかき混ぜられ、自分でもわかっていないからこそ怒りを助長していることに気づけない。
なぜならば社会の方こそが、より大きな矛盾を抱えているからだ。
憎しみが、理性を打ち砕く前に。
確かに持っていたはずの優しさが、散りゆく前に。
彼らはそれに、気づく時が来るのであろうか。
正義とは、か弱き迷える子羊たちを獰猛なる狂狼へと変貌させる、悪魔なのかもしれない。
「打ち破れ忌まわしきくびきを!!!!! 至るのだ真の世界へ!!!!! 団結された正しき一念を通し、腐った既存社会を破壊せよ!!!!!!!!!!」
ゲレスは大衆の手による、決起行動を促す。
そして苛烈に国家転覆を標榜した。
肯定を表明する、業火のように多大な歓呼の声が上げられる。
「尊厳を貶められ、不当に支配されてきた同胞たちよ!!!!! 問題提起せよ!!!!! あるべき世界を創造するため!!!!! 立ち上がれ!!!!! この残酷は!!!!! 許すべきではない!!!!! 意思を集約せよ!!!!! 同志たちと団結せよ!!!!! 既存権力打倒のため!!!!! 総力を結集せよ!!!!!!!!!!」
開明的、夢想的な側面が強かったインテリ層ですら、正義を己の手で形作るというロマンチシズムに酔いしれだす。
並び無く優れているこの人物は、そんなことはないはずなのに、すべての貴族が迫害者であるかのように。
王国全てが、悪であるという風に仕向けた。
巻き添えになる罪なき人々のことなど、意図的に思考から排除させたのだ。
大義は容易く精神のタガを消し飛ばし、暴力的衝動に身を委ねさせる。
その企みを見抜く者も、ごく少数ながら居るだろう。
しかしそれに同調しないことで排除される恐怖が、彼らの口を噤ませた。
それが破滅を呼ぶことになるという考えに、心理効果が蓋をして。
「旧弊を打破し、自由なる世界へ!!!!! 自らの手で切り開くのだ!!!!! 星々が平等に照らす空の下、恵みをもたらす大地と海の上で、我らが搾取されていい場所など何処にもない!!!!! 我らは奴隷に生まれついたのではない!!!!! 一つの尊重するべき人格として、幸福を掴むために存在しているのだ!!!!! この権利は誰に阻まれていいものではないのだ!!!!! 我らが取り戻すべき幸福を、失われていた望みを在るべきところへと奪い返すのだ!!!!!!!!!!!」
恐ろしいほどの熱量で、この男はマントを激しく靡かせ吠える。
一連の動作に、人々を無条件にすら熱狂させる。
いや、あるべきモラルを崩壊させて狂わせる。
魂の籠った言葉が放つ炎。
意図された入れ知恵。
抗いがたい狂騒が最高潮に達し、威勢のいい大歓声が現出する。
この男を称える声が、建物が震えるほどに反響する。
憎悪が理性を粉砕する前に。すべてが怨恨に沈む前に。
それに気づくことができるのだろうか。
他の者たちの熱に充てられて、誰もが平静を失う。
群集心理は自分たちを省みるという考えすら吹き飛ばし、衆望を通り越して独り善がりなゲレスへの信仰すら感じさせた、
そして少しの静寂を齎すとポツリと呟くように、今までの憤激を噛みしめるように言葉を表していく。
ゲレスはその言葉をもって、最後の一押しとした。
それにより獣人たちの思想は一丸となる。なってしまう―――――――
「―――――――――出来るはずだ…………隣にいる者たちとなら、できるはずだ!!!!! 我らすべて楽園を目指す、同志ゆえに!!!!!!!!!!!」
「「「「「「「「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」」
紛れもない歴史の転換点。
それを理解していた群衆たちは、瞳を充血させて興奮に酔う。
冷静な思考など吹き飛び、この男が作り上げた熱の濁流にその身を任せていた。
このゲレスという人物の演説だけで、復讐のための牙を研がれたのだ。
埋められない心の傷を抱えた喪失感の代わりに、憎悪と狂気が充填させられてゆく。
良心の破砕音の、幻聴が聞こえた。
「進軍せよ!!!!! 目標は政治犯収容所!!!!! 我らを阻むものはない!!! この時をもって!!! 王国への宣戦布告とする!!!!!!!!!!」
堂々としたその弁舌は、確かに指導者としての才覚を認められるものだ。
威容に満ちた姿には、確固たる覚悟が宿っている。
それを見れば彼ならばと思わせる、何かがある。
そしてその倫理観にも、確信を得ることができたはずなのだ。
同時に宿る狂気さえなければ、だが……
彼の野望にギラついた面差しは、天を向く。
その凶悪な面貌は、何かを想ってか満足げに歪められた。
この扇動家の瞳が、怪しく輝く。
彼らが向かった先。
その目標には既に黒煙が立ち昇り、火に焼け出された黄昏時の空を赤黒く染め上げていた。
平穏なる時代の終わりを告げる炎は、不気味な形の暗雲を空に描き出した。
それすらも悲劇の先触れに過ぎなかった。
この決起集会をもって、歴史の転換点を迎えることとなる。
今は悲しみの時代。
平和は遠い。




