第159話 「落日」
王都に強行軍で戻り、王宮への特使を送る。
これだけの大事件だが、今は夜。
新種の魔物の皮を用いた間者が入る危険性から、明朝父上たちが報告に行くこととなる。
シファー家に家人を送り届け、護衛のために臨時駐屯するアルコル家。
この晩は、ここで過ごすことになる。
シファー宰相のその職務ゆえか、まるで本邸が王都にあるかのように巨大な屋敷とそこに勤める家人たちがいた。
彼らは突然の凶報に混乱していたが、そこは貴族に仕える者たち。
俺たちという来客へ、的確に対応する。
そのような経緯で、このような饗応を受けている。
家格に相応しい立食会とは言えないが、そこは公爵家。
突然の来訪にも及第点を与えられる、もてなしを受けることができた。
近くにずっと控えていた給仕の持つ盆から、グラスを一つ頂戴する。
一気に喉奥へと傾けた、
次いで肴を口に運び舌鼓を打ちながら、ゆったりと構える。
いいもん使ってるじゃないか。
流石は宰相を輩出した公爵家。
「―――――――!」
「―――――――?」
父上たちを見ると食事なんかはさておき、情報交換などでバタバタしている。
女子供が中心に食事をしているが、憔悴からかすぐ退席する者。
そもそもショックからか、出席しない者も多い。
子供は寝る時間も近づいているので、次々とその場から消えていく。
俺はその挨拶対応をしていた。
これくらいは爵位持ちとして、こなさないといけない。
英雄の俺が一声かけるだけで、彼らは安心したように寝室へと向かう。
……あれ? 俺の仕事これから増えるんじゃね?
父上たちが動けないとき、俺がやることになるんじゃね?
英雄として相応しい言動を求められるんじゃね?
本日の最後の最後にも、衝撃の事実に気が付いた俺。
眩暈がする。
児童労働という悪しき文化を、お前たちも俺と駆逐しないか?
「―――――――――――?」
急に視界が揺れる。疲労が溜まっていたからか?
昔はよくあったっけな。
今では回復魔法で自己治療する頻度も、めっきり減った。
もう遺伝子異常諸々は消え去り、完全なる健康優良児だもん。
それはさておき、回復魔法を使うか。
しかしこんなところで魔法陣起動させるとか、いきなり武器を振り回すようなもんだし。
少し夜風に当たりながらやるか。
薄暗くなった夕方。
星々がそろそろ見えるころだ。
病に蝕まれていた小さい頃は、よく見ていたっけ。
美しくも疎ましく思っていた景色。今となっては懐かしい。
感傷に浸りながら、見物する。
「―――――――――――ぁ?」
しかしふいに激痛が走り、歩みが止まる。
何かおかしい。
猛烈に喉の底からこみ上げてくる何か。
俺は耐えきれずに、粘りとした鉄の味がする液体を吐き出した。
血だ。
なぜ?
「―――――――――――ゴボッ」
呆然とそれを眺めるが、何が起きているのかさっぱりわからなかった。
しかし俺は生存本能と今までの苦痛体験への反射から、魔法を起動させようとする。
しかし痛みに爆裂しそうな全身が、集中力を途切れさせる。
朧げに明滅した魔法陣は僅かばかりの効果をもたらしたが、途端に掻き消えた。
詠唱どころか声を出すことすらできない。
さらに大量の血を吐いた。
まずい。声も出ない。
意識すら保てなくなった。
本当にまずい流血量だ。
過去最高ともいえる激痛。
「……………………ぅ゛………ぁ゛…………」
吐血した床の血だまりを呆然と見下ろしながら、制御を失い崩れ落ちる体。
何が起こっているのかもわからないまま、その中に正面から倒れ伏した。
焼けるように激痛が走る臓腑と、朦朧とする意識。
頬にこびりついた血の感触もしない、失われゆく感覚。
「―――――――――!?!?!?」
「―――――――――!!!」
「―――――――――!?」
視界の端には人々を跳ね飛ばして俺に駆け寄る、泣きそうな顔の父上が見えた。
俺は自分に何が起きているのか理解できなかった。
誰もが大口を開けて、血相を変えている。
音声の消えた、壊れたテレビ画面のようになっている。
いや、俺は音が聞こえてないのか。
彼らは悲鳴を上げているのであろう。
「―――――――――――」
だが、これだけはわかる。
『死』の気配をひしひしと感じる。
今となってはうろ覚えだが、かつて共にあった苦しみの感覚を鮮明に思い起こさせた。
俺は走馬灯の中に、目まぐるしく浮かぶ2つの生の記憶の中に、意識をすべて奪われていッた。
多くの英雄を破滅へと追い込んだ猛毒は、一切の区別なく平等にその身を蝕む。
黄昏時に日は落ちて、一日の終焉の兆しとなる。
英雄も何者かの策謀の魔の手にかかり、悪意の闇に墜ちた。