第144話 「黄金の思案」
教皇が去り、荒れる祝宴。
国内外を問わず賓客たちが、絶える間もなく会話を交わしている。
白熱する討論がそこかしこで繰り広げられる中、レグルス第一王子は直ちに有効手段を打つべく、迅速に思考を巡らせていた。
そこに静かに付き従う、フォイヒトヴァンガー侯爵家の後継者アルブレヒト。
彼は何か言いたげな視線にて、レグルスへと訴えかける。
白皙の美男子は流し目を送り返し、静寂を引き裂いた。
「さて、目下は先の教皇がもたらした発言についてだが。アルブレヒト。含む所が有るようだな」
「殿下、時期尚早かと。情勢が傾くまで、ご静観為されてはいかがでしょうか。下手に動いては、殿下の失点となりかねません」
衆目に晒すには、危うい発言。
だが自らの主君のためと危険を冒しながら、忠実なる従者の務めとして真意を問う。
「際どいぞ? アルブレヒト。王位に色気を見せて、国家の屋台骨が揺らぐこと。それは俺が望むところではない。そこにどのような道理がある? 己が欲にかまけて尊き義務を忘れることは、王たるものに相応しくない。だが臣からの忠言、胸に刻もう」
「至極ごもっともです。出過ぎた真似をお許しください」
誇り高く宣言した王子を眩しそうに見つめ、微笑んだ臣下。
懐刀である、この若き貴族。
彼は己の主の王道をひたすら進む、謹厳実直を貫いた人品を熟知している。
「よい。それよりもどのような腹積りかは知らないが、権力欲の権化と思しきあの教皇が、無償の善意で支援を渡すなど考えられぬ。奴の今までの行動を鑑みれば、見返りや利益を求めないとみなすのは到底できない話だ」
切り出した話を一旦止め、信頼する部下の表情を確認する金髪の王子。
無言で首肯したアルブレヒトの反応を確認すると、再び推測を語りだす。
その声の色は、やけに冷たいものにはなったが。
「何を企んでいるか、見え透いたことよ。当て推量ではあるがアルコルを取り込み、自らの権威を押し上げようとしているとしか思えん。無論、何か別の意図を潜り込ませた、姑息な画策をしていても全く不思議ではないが。誰も反論できない大義名分を笠に着ているところが、小憎たらしい」
「俗人としては、何とも申し上げられません……私如きでは、猊下のご深慮は計りかねます……」
未だ憶測の域を出ないが、先の一件に教皇の作為が無いと考える方が不自然だろう。
双方とも現時点では意見を交換していっても、回答は出ない様子である。
両者は思考を重ねるが、その企みを完全に見抜くには情報が足りなさすぎる。
早々に思索を打ち切り、次の論題へ移る。
現況から推測される、アルコル家の動静を討議していく。
「剰つさえ兵站と兵力の支援。アルコル家にあそこまで好意的とは、おそらく王国の分断を狙っているに違いない。まかり間違ってアルコル家が王国を見限り、坊主共に靡いたのだとしたら、王国全体にとって非常に悪いことになりかねない。坊主共がアルコル家のために動く名分など、いくらでも作れるのだからな。その逆も然りだ」
「私にはあの御方の視座は想像もつきません。しかし殿下の危惧されることは、ごもっともかと」
「アルコル家へ介入されては、ようやく安定の兆しを見せた王国情勢が、再び混沌へと沈んでいく。それは俺の望むことではない。財政収支は窮乏の極地だ。ここにアルコルに陥落されては、あらゆる面において詰む可能性がある。アルコルのいない王国へ複数の魔将にでも襲来されたら、王国の歴史は途絶えかねない。今この状況が奇跡的な均衡によって生じた平穏であると、理解できぬのだ。大局的な視野のない蒙昧は」
「…………事件の数々からによる諸侯のご心労を考えれば、無理からぬことと存じます」
穏やかな性格のアルブレヒトは、貴族に対してフォローを入れる。
しかしレグルスはぴしゃりとそれをはねつけた。
余程に腹に据えかねるものがあると見える。
賢明な彼からは、的確でない判断をする者たちは受け入れがたいものがあるのだろう。
そこには諸々の感情的反感も見え隠れしていたが。
「愚か者共であるのに変わりはない。欲深き坊主共にも、説法をくれてやりたいところだ」
「ご命令とあれば、教皇猊下へと取り次ぎますが?」
教会の動きを掣肘するかという問いに、レグルスは一笑に付す。
深慮をもって、その考えを明かした。
その言葉には、宰相への批判も含んでいるのだろう。
彼にとっては、余程に立腹する出来事であったらしい。
「ぬかせ。俺が何を言ったところで、戦争は止まらぬ。止めようと無意味。その時は、俺が武官から顔を背けられる」
「これは御無礼を致しました」
昵懇の間柄であるアルブレヒトの冗句に、頬を緩めるレグルス。
多少余裕ができたのか、彼は気を取り直して考えをまとめる。
「事ここに至っては、実務者会議を執り行い、戦争準備を行った方が賢明だ。早速根回しをする。お前も伴をせよ」
「御意にございます。ご相伴にあずかります」
「どの道、戦争は必要なのだ。長きにわたる戦争で産業構造そのものが、戦争経済とも称すべきものへと歪んだ形で固定化されている。誰もが理解しているとは思えんがな。官僚ですらそうだ。このような浪費の極地ともいうべき行いがなければ、たちまち失職するもの。食うに困るものすら出るだろう。そうそうこれが変貌することなどあるまいよ」
腕を組み、現在の社会情勢を俯瞰するレグルス。
その推測は間違っていない。
国力のすべてを人類生存につぎ込んだからこその、国家総動員しての軍需傾倒。
それは共通理念として、官民一致している。
国民すべてが戦争に対して、生存のため自発的協力をしているのだ。
先の獣人管理法とてそうだ。これすらも勝利遂行のための、戦時立法の一環に過ぎない。
だがこの経済システムは不安定なものであり、際限なく膨張するリスクを孕んでいる。
一度そのバランスが崩れる、例えば戦争の敗北などにより、深刻な不景気が訪れることになりかねない。
この王子の危惧するところは、経済破綻するかもしれない戦争を、経済活動のために行わなければならないという矛盾にあるのだろう。
彼ですらこのような難事を片付ける良策が思い付かないからか、目先の懸案に思考を傾ける。
「俺たちも魔道具をかき集めなければ。先の教皇の発言から、ただちに諸侯も武具を夢中で集め始めるだろう。戦争を目論んでいた、宰相派閥はすでにそうしているだろうな。がめつい商人に価格を吊り上げられては敵わん」
「忙しくなりそうですね……私たちで、物資全てを自弁できれば良いのですが…….」
「市場の競争原理には馴染まないものも、軍需産業は多々ある。一方、官主導で全てを差配することは弊害が大きい。産業が守られすぎると、多くの者がモラルハザードを引き起こし、産業を衰退させる。慢性的な戦時体制を取っており、戦争遂行を最優先とする統制経済を導入し続けていることこそが、その問題を見えづらくしているがな」
「………………」
「国家は軍需産業の活動を優先させ、資金もそこに集中することになっている。民間ですら、その悪影響を受けているほどに…………お前ですらわからなくても無理はない。戦争していることが普通の世界で、生まれ育ってきたのだから」
「……ご賢察、恐れ入ります」
高い視点からレグルスは、王国社会を見渡す。
未だ学園に通うその若さで稀なる見地をもつ、次代の知の巨頭。
経済分野にまで通暁した卓越した知性は、この時代にそぐわないほど先進的なものである。
アルブレヒトは感嘆の表情を浮かべ、その深い知性を敬した。
さして大したことでもないかのように、レグルスは次の話題へと移らせる。
「アルコルが齎した新種の魔物とやら。お前はどう見る?」
「もしも王国にあのようなものが紛れれば、国家の根幹を揺るがすことでしょう」
「同感だ。そして恐ろしい懸念がもう一つ」
「間違いなくアルコルは、それを大量に保持している」
固い声色でアルブレヒトは、すげなく返答する。
何事かを勘案しながら王子は頷き、その意思を表明する。
彼らの言葉が指しているのは、軍事転用どころでは済まない凶悪に過ぎる性能である『透明な魔物の躯』について。
これは『狂気の魔道具』などと同じように、禁制品として登録された。
既存の透明化魔法を、遥かに上回る能力が示されたが故に。
そこで問題となるのが王国もそれを研究しているが、どう考えてもアルコル家は秘密裏にそれを大量保持している。
新種の魔物が出現した領地ではあるが、人類文明の最前線として強大な貴族特権を持つアルコル家には迂闊に立ち入ることすらできない。
それが宰相をはじめとした諸勢力からの警戒を呼んでいるのだ。
敬意と感嘆、嫉妬や畏れが入り混じる複雑な声色。
完璧なまでに新種の打倒を成立させたアルコル家へ、この金髪金眼の青年は大いに思うところがあるようだ。
「彼らの権勢は、国家の中の国家であると称するべきといえよう。あのような危険物があれば、斬首作戦で敵対者の首魁を刈り取れば済むこと。宰相のあの画策は過剰ではある。だがそこに潜ませた意図は、理解できなくもない。最早パワーバランスは完全にアルコルに傾いた。俺ですら排除せねばと思うほどに」
「そのようになさりますか?」
「叶わぬ願いよ。そう動いただけで俺はアルコルに敵対され、最悪は殺される。彼らを魔王勢力との戦いへと、集中させるように仕向けるしかない。王家ですら、媚を売るしかない状況であるのだ。目端の利くものは認識を改め、早速アルコル男爵へ手を揉んで阿っていたな。既に王家や諸貴族の対立構造など、羽毛のごとく吹き飛ばされた。アルコルにつくものと、それ以外へと趨勢は動いた。時代が変わったのだ――――――」
一呼吸置こうと、グラスを煽ったレグルス。
その迫力のある瞳にも、不承不承の感情が混じっていることは否定できないだろう。
それを黙って待つアルブレヒト。
件の報告により、暗殺など恐怖に怯える事となった上流階級の面々。
心許した近臣のみ侍らせ、恨みを買っていると思うものは近づけようとしない貴族さえいるとの話だ。
抑止力など現状皆無。
それはアルコルに逆らうことなど、到底できないことを意味する。
国家の柱石を自ら破壊することの愚かしさを理解しているからこそ、王族ですら手の打ちようがない。
普段は悪感情をおくびにも出さないアルブレヒトですら眉間に皴を寄せる、由々しき問題なのである。
「それもあっての彼らへの戦争支援ですか」
「いの一番にアルコルのご機嫌伺いをするしかないだろうよ。誰よりも先んじて、誰よりも多くの支援をアルコルに捧げる。それをもって俺の王位継承に利用する。まずはそれからだ。為さねばならぬことも、今の立場ではできやしまい」
「仰せのままに」
「手強く危険な新種でも、王家直轄領に出てくれれば。そう思ってしまうのは、人の性よなアルブレヒト。自らの才覚がどこまで通用するのか試し、戦果をあげ、それを持ち帰ることを望むこと―――――」
一旦、口火を切るレグルス。
その次の言葉には苦悩が込まれていた。
常に満ちていた覇王のごとき威容にも、陰りが見える。
「―――――陛下に……父上に、俺を後継者として望んで頂く事」
痛切に呟かれた、明らかに今までとは様子が違う王子の言葉。
名工が製作した造形物のように、精巧な美しさを誇るその姿は損なわれることはない。
ないが、明らかに覇気が色褪せている。
アルブレヒトは柔和な表情を消し、厳めしく口を噤んでそれに聞き入る。
そこには普段の風格が掻き消えた、第一王子ではない、一人のレグルスという人物がいたから。
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