第10話 「発動されし神の力」
重々しく杖を突く音が、床を通して腹の底で痺れる。
そうすると使用人たちは即座に廊下の隅に控え、緊張した面持ちで恭しく首を垂れるのだ。
お爺様が来る合図へと。
今日は俺の部屋まで喧騒が届くほどに、やけに屋敷周辺が騒がしい。
その疑問は解消されることになる。
ここに赴いてきた彼の言い渡した、冷酷な指示によって。
「先の戦で出た傷痍兵の治療に当たっている、回復術師の手が足りない。アルコル家の一員として戦争に慣れさせるためにも、アルタイルを治療に従事させよ。出来損ないでも多少は役に立つだろう」
「何を言っているのです!? アルタイルはまだ2歳にもなっていないのですよ!? それどころか体を病んでいる!? この子を殺す気ですか!?」
「…………」
後を追って大声で抗議する、若きアルコル侯爵家当主アルフェッカ。
恐ろしく怒気が噴出した父は、その迫力も相まって鬼のようだ。
生半可な人物では、たちまち彼の意のままに反射的に動いてしまう事だろう。
だが祖父アルファルドは足を止めず、彼の言葉に聞く耳を持たない。
彼の息子の懸命な説得にも、応じる気配など微塵もない。
億が一くらいで実はお爺様流愛情表現なのかもしれないけど、愛の鞭痛すぎだろ。
「アルタイルはまだ子どもです! ナターリエが死んで寂しがっている中で、そんな」
「だから何だ?」
俺の直前に至ると、祖父は俺を見下ろす。
戦慄と共に目を逸らせば部屋に控えているサルビアはずっと無言で、深く腰を折ったままだった。
ようやく唸るように祖父であるはずの筋骨隆々なる老翁は返答するも、非情な言葉が齎される。
父は目を見開いて、若干呆気にとられた。
「抵命は貴様の自由。いずれ家族や領民そのすべてが、その報いを受けるだけの話である。まさか、そこにアルタイルが含まれていないとでも思いあがってはおるまいな?」
「……」
あれあれ? 父上なんで黙っちゃったの?
唇噛みしめてないで、ちゃんと言い返してね?
息子が一番大事だよね?
それを確かめるべく、おずおずと口を出した。
しかしお爺様は無愛想に俺の前から踵を返し、至極あっさりと冷淡な返答をしたのだ。
「エッ。でもボクまだ子ども……」
「そうだな。やれ」
それって俺はまだ離乳食食べてる幼児だけど。
こんなに可愛くて、首も座って少しだけ歩けるようになったばかりだけど。
こんなに小っちゃいのに回復魔法使える、神に選ばれしスーパー天才だけど。
怪我してる人が沢山いるから、医者の真似事をやれってこ……と……?
知識人皆殺しにしたら医者いなくなったから、子どもに医者やらせた。
みたいな三流国家中の三流国家みたいな国家情勢だから、児童労働なんて法律無用ってわけか。
労働基準法すら適用されてないとか、マジで終わってんな。
誇り高き貴族の誉れはどうした?
都合のいいプライドもあったもんだぜ!
とは言えない俺であった。無念なり。
「何も戦地に出ると言っているわけではないというのに、何を迷っている? お前の息子の傷つく心とやらと、今も失われるだろう命。どちらが大事だ。お前の中でどう天秤が釣り合っているのか、言ってみろ」
圧力をかける祖父の毒づいた言葉。
父上は歯を食いしばりながら懊悩し、受け答えの術を持っていなかった。
返答を待たず、再び杖の突く音が木霊する。
俺は恐怖と共に見送るしかなかった。
父上。お爺様行っちゃうよ?
けんもほろろに大切な子どもについての重要事項を、薄情にもあしらわれてしまったよ?
「ひぅぅ」
「済まないアルタイル。本当にすまない。恨んでくれて構わない。どうか彼らを助けてほしい」
哀れっぽく縮こまった俺と目を合わせるため、彼は跪き。
ハイライトの消えうせた瞳で、血を吐くように声をかけた。
庇護欲を誘うため小動物のように小さく高い声で悲鳴を漏らすも、彼の意志は固いようで。
幼児に対して、あまりにも酷な命を下したのであった。
「できないならそれでいい。心に傷を負わせることになるだろうが、早いうちにわかったほうがいい」
自身も余裕のなさそうな彼が告げたのは、残酷な台詞。
受け入れ難い未来を、半ば強制的に押し付ける言葉だった。
「君がこの世界を受け入れられるのかどうかを」
連れていかれたのは地獄絵図。
傷痍兵たちが収容される、アルコル家本邸近くの看護施設。
ここには悍ましき惨禍が顕現していた。
止血処置をしただけの身体が、そこら中に何百も転がされている。
その中には明らかに生命の失われたような、タンパク質の塊も散見される。
それらの物体と化した肉に気づくと、瞬時に顔を背けた。
その先には次々と担架で担ぎ込まれた、血濡れの人型が。
そして骸だけは別の場所に運ばれてゆく。
死に際の壮絶な表情を見てしまった瞬間、俺は口を抑えて何とか胃から逆流する液体を喉元で堪えた。
その遺体は、顔が半分吹き飛んでいた。
肉が腐ったような臭いと、糞尿や汗とヘドロを混ぜたような悪臭。
脳髄が零れた頭部、先ほどの景色がリフレインする。
「痛ぇ……痛ぇよぉ……」
「母さん……どこに…………私の……足が……」
「魔物が……! たくさん俺を……! あぁぁあぁぁぁぁあぁ」
亡者のような呻き声は、絶えず流れる。
死に瀕する兵たちは阿鼻叫喚の様相であり、まさしく生き地獄と称せよう。
死臭漂う空間。
医薬品を運ぶ、白衣の集団の速足は常に忙しない。
そして回復術師であろう魔法陣を起動した何十人もの者たちは、やつれきっている。
目の隈が酷く、足取りもふらついている。
それでも命を救うため、駆けずり回るのだ。
鮮やかな色の液体を飲み干して、いかにも調子が悪いのに治療に当たっていた。
いまにも機能不全を起こしそうな極限状態は、医療崩壊という単語を想起させる。
場違いな程に年若い、俺の手を借りたいという言葉も頷けた。
「病床数が足りない!? 早く治療を!」
「魔法薬もだ! 緊急対応してほしい!!!」
「直ちに準備させます!」
迫りくる死に怯える怪我人たちを見れば、前世の末路が思い起こされる。
あの苦痛を想起すれば、恐怖は伝染する。
命に係わるいじめや虐待を受けたとて、戦争経験など皆無の平和な世の中に生きてきた。
絶望することはあったし、悲嘆にくれることはあった。
それでも生存本能にガツンと来る死の気配と、狂気的に生を求める異常事態に直面し。
平静を保てる気配は一切なかった。
修羅場を前に足が竦んで狼狽する。
右往左往する俺を尻目に、ドンドン担ぎ込まれる傷痍兵。
戦場から帰ってきても地獄絵図のまま、彼らは今も戦っているのだ。
「助けてくれ……痛いんだ……痛くてたまらなくて、早く助けて……」
蚊の鳴くような声で訴える。
死に瀕しながら譫言を呟く兵士は、切実に助けを希求していた。
苦痛を訴えるというのは、実にストレートな感情表現だ。
他人事であっても心に迫るのは、直情的に本能へと響く魂からの叫びだからであるのかもしれない。
「すまない」
「い……やだっ……俺はまだ……死にたく―――――」
哀願の声は途絶えた。
刃をもって、人生に終止符を打たれるという結果を通して。
こんな部屋の隅で、また一人と魂が旅立った。
ここまで呆気ないものなのかと、愕然とする。
信じられない光景が、猛烈に今まで形成してきた価値観へと襲い掛かった。
介錯される姿を見送るためか。
臨終の時をみんなで確認し、短時間ながらも祈りを捧げていた。
「…………っ」
「…………」
戦友であろう人物の命を絶った兵士はうなだれて。
それを仲間が背中に手を置いて、無言で励ましていた。
理解ができない。
死んだら終わりだ。
一度死んだ俺ならわかる。
絶望の中で、苦痛だけが最期の時を支配していた。
あんな悍ましいことは絶対にあってはならない。
狂気が伝染するかのような空気で立ち竦んでいるところに、声をかけられる。
父は動揺している俺に向かって、無慈悲にも治療を頼んできたのだ。
「アルタイル……頼む……! 助けてやってくれ……! 見なくていい。魔法をかけるだけでいいから、少しだけでも楽にしてやってくれ」
現場指揮を執っていた父は汚れた床に跪いて、俺の両手を握って頼み込む。
その凶悪面に似合わない、必死の懇願。
彼は大貴族である侯爵家現当主のはず。
それが幼い子どもに縋るしかないという、ひどく不格好な行動をとっていた。
前世の親はこんな頼みごとをするような、殊勝な人間ではなかった。
地位のある者が恥も外聞も捨てて頭を下げる程、それだけ切羽詰まった事態なのだ。
子どもを医者にするくらい、ここは追い込まれている。
あまりにも情報量が多すぎて、頭がパンクしそうだ。
それでもやるべきことはわかった。
「『Sanatio』」
俺は何とか魔法陣を起動する。
目についた人物へと対象を定めた。
グロテスクな肉片がこびりつき、運ばれてきた急患。
手足がちぎれて大量出血している。
圧迫止血していても、命の赤が流れなくなる気配がない。
吐き気を抑えきれない。
それでも精神力で患者を診続けた。
もしかしたら既に嘔吐していたのかもしれないが、転生してから研ぎ澄まされた魔法技能にて治療を行った。
「アルタイル様……! いえ。それではこちらの患者もお願いします! お連れいたしますので……」
「待ってほしい。内臓活動に支障がないまで治療させる」
断面が治癒して、人体の損傷は押し留められた。
しかし内臓にも損傷がある。
回復魔法の余技として、回復した部分の情報を得ることができる。
治癒させた部位の感触から、ダメージを負っていることを知るのを可能とするのだ。
自分の治療を何度も施していたからこそ、冷静に対処することができていた。
場所を移せば、骨が飛び出した解放骨折。
次も重篤な戦傷者へ、魔法を使う場面に移動する。
「骨を正常位置に戻す! 猿轡を噛ませろ! 意識を保って踏ん張れよ! アルタイル様は即座に治療をお願いいたします!」
「わかった。『Sanatio』」
「がぁぁぁぁぁっっっっっ!?!?!? …………ぅ」
響き渡る絶叫。
鼓膜を通して脳に響く音量に、こっちがショック死してしまいそうだ。
それでもその音量は段々と小さくなる。
魔力の光が、骨折者に収束していったからだ。
脂汗を掻いていた彼の血色は良くなり、息も平常なものになっていた。
それでも失われた四肢は戻らない。
先程の四肢欠損者のこれからを思えば、素直に喜びきれなかった。
「やりましたね!」
「…………あぁ」
安堵する兵士たちに対して、俺は険しい面持ちで受け答えた。
ストレスが嵩んだ成果、調子が悪くなってきた。
疲労困憊し頭が重い。
動悸が激しく、内臓を中心に痛みが増してきた。
それを押して次の患者へと赴き、意識を切り替え続ける。
あまりにも辛かった。
それでも辞めなかったのは死という悲劇を認めたくなかったからか、何もせず後悔したくなかったからか。
「重傷者はこれで以上となります! ありがとうございます」
「すごい……どう見ても千回は超えていたぞ……」
「どんな魔力量をしている……これがアルタイル様の魔法……」
「魔力枯渇どころか、魔力低下の兆候すら全く見えていないという事は、まだ余力が……? 常人の数百倍で済むのか……?」
どれだけの時間が経っただろうか。
途中からは回復させた人数も数えていなくなっていた。
だがようやく完了したようだ。
衛生兵たちを初めに、口々に感謝や驚愕の言葉を並べる。
しかし俺は倦怠感が色濃く、返事もままならない。
「ここまでとは……この子は将来何処まで――――――――――」
父も驚きを隠せない様子。
だが生返事をする気力しかなく、回復魔法を自分に使うだけで精一杯だった。
淡き魔力光が、この身を包み込む。
「『Sanatio』……うぅ」
「ありがとうアルタイル。辛かったね。もう休んでいいよ」
頭がくらくらする。
平和な日常の裏には、こんな凄惨な事実が潜んでいた。
子どもの耳目には隠されていたのだ。
彼らはどんな強大な敵と戦っているのだろうか?
魔法があるのに関わらず、ここまでの被害を追う魔物とは何なのか?
そんな取り留めのない思考が、疲弊した脳裏によぎった。
「班ごとに戦闘詳報を提出せよ。武官長にも今回のレポートを伝達してくれ」
治療が終わり次第、直ちに報告を求めるように命令する。
それを耳にしたのを記憶の最後に、俺の意識は途絶える。
幼児の身体は体力がない。
限界に達して、糸が切れたように眠りに至る。
「すぅ……すぅ……」
「寝ちゃったか。こんなに可愛い顔をしているのに、お前は……」
視界の隅で父は嬉しそうに、悲しそうに。
初めて見る表情を浮かべていた。
それを見送りながら、闇へと落ちていった。
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