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君の隣に  作者: 素元 珪
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留学生の初日の終わり

 六限が終了すると盛岡先生がやってきて、最後の連絡事項の伝達をする。彰とマトアカルには荷物を取りに来るようにとの連絡があった。

 先生が教室を出ると教室は一気に賑やかになる。部活へ行くもの、家に帰るもの、寄り道の相談など、思い思いの雑談に教室が沸き立つ。もちろんマトアカルに目を向けるものも少なくはないが、声をかけてくるものは誰もいない。それはそうだろう、今日一日で厄介な相手であるという印象が全員に深く刻み込まれたはずだ。彰だって本当は逃げ出したい。

 だがそんな中、まっすぐに彼らに向かってくる人影が一人、いや二人いた。

 それは唯花と泰司だった。唯花は昂然と、泰司は及び腰で。つまり唯花が泰司の腕にしがみつくようにして、引きずっていたのだ。『おい、本気か?』『もちろんよ。約束したんだもの』などという声も聞こえてくる。その二人は彰達から机二つ向こうで立ち止まって揉み合い始めた。

「もういいから、離してくれよ」

「捕まえてないと逃げるんだもん」

「ここまで来たら、もう逃げやしないから」

 そして今度は泰司が前、唯花がそのすぐ脇という位置でやって来た。

「おい、この後はどうするんだ?」

 泰司の言葉はぶっきらぼうだ。

「まず荷物を貰いに行くんだけど」

「それは聞いてた。その後だよ」

 すると唯花が横から身を乗り出してきた。

「もしよかったら、町に出ない? 案内するのよ」

 そう言うと唯花は今度はマトアカルに顔を向ける。

「マトアカル、私は坂上唯花というの。唯花って呼んでね。あっくんの友達なのよ」

「さかがみゆいかを覚えます。名前はゆいかです。でも、あっくんとは何かわからないです」

 唯花はぺろっと舌を出した。

「そうだった。あっくんは彰君のこと」

 すると、マトアカルはぎょっとしたように目を見開いた。ひどく驚いたようだが、一体今の唯花の言葉にそんなに驚く要素があっただろうか?

 彼女は普段より大きな声で、だがやはり平坦な声で言った。

「ゆいかがあきらに名前を与えたのですか?」

「ああ、そうじゃないのよ。名前なんて勝手につけられないもの。でも、呼び方はよく変えるわよ。ニックネームとかあだ名とか」

「それから俺が」

 未だにとまどっているマトアカルの前に乗り出すように泰司が胸を張る。

「鈴木泰司。泰司と呼んでくれ。彰の親友のつもりだ。それでな、町へ出ないか?」

 こいつら、本当に友達だ。彰は涙が出るほど嬉しかった。だが現実的にはその前に大きな問題がある。

「ちょっと待っていてくれ」

 彰が立ち上がると、マトアカルも立ち上がろうとする。それを手で制して彼は教室を出ると、隣の地学教官室をノックした。先生の返事を確認してドアを開ける。中では地学担当の初老のおばさんが苦虫をかみつぶしたような顔をして座っていた。もっとも彼女はいつもこんな顔だ。

 そして壁際に渡辺がいた。彼の前にはいくつかの小さなモニターが並んでいる。その一つには彼らの教室が写っている。彼は彰を見ると、軽く手を挙げた。

「やあ、彰君。どうしたかな?」

「言わなくても、聞いてたんでしょう?」

 彼はにっと笑った。

「それで、どうなんですか? 帰り道に寄り道してもいいんですか?」

 彼は意外にあっさりと頷いた。

「ああ。彼女には普通の留学生のような自由は保障することになっているんだ。自転車通学でも徒歩でもいいし、帰りの寄り道だってもちろんいいよ。とんでもないところでなければね」

 彰はその答えにむしろ驚いていた。てっきりこれからずっと黒い車での登下校を続けるのだと思っていたからだ。

 ただし、と彼は言葉を続けた。

「申し訳ないんだが、当分は勘弁して欲しいんだ。警備の体制を整えるのに今週いっぱいは今のままでお願いしたい。それから先は言ったとおりだから」

 いかにもな話ではあったから、納得せざるをえない。だからついでに聞いてみた。

「じゃあ、休日はどうなんですか?」

「ああ、それも同じだ。基本的には自由だよ」

 渡辺は気軽な感じで言う。

「ただし来週は彼女、検診があったはずだ。その先もそんな日程はあるけど、ない日は自由だよ。でも遠くに行くときには早めに言ってくれるとありがたいな」

 それも当然のことと思えたから、彼は頭を下げて部屋を出た。

 彼は教室に戻り、渡辺から聞いた話を二人に、そしてマトアカルに伝えた。二人は残念だと言ったが、泰司に関しては確かに安堵の響きが混じっていた。

「でもお話は出来るのよね」

「そうです。明日はその時間を持ちたいと思います」

 そんなやりとりを聞きながら、彰は立ち上がった。

「そろそろ行こうか」

「わかります」

 彰達が立ち上がると泰司と唯花は手を振ってくれた。軽く手を挙げて挨拶を返し、教室を後にした。職員室で盛岡先生から制服や体操服、体育館シューズなどを渡された。改めて教室に戻り、教科書類を鞄に詰めて玄関へ向かう。車は待っていてくれたので、家まではあっという間だった。彼女はやはり窓に張り付きっぱなしだった。


 家では母が出迎えてくれた。驚いたことに黒服連中は家に入ってこなかった。学校と同様に監視体制を整えて、周囲のどこかに拠点を作ったのだろうか。もっとも家に入ると二人待機してはいた。

 彰は部屋に戻り、部屋着に着替える。これで夕食までは自由の身だ。

 と思っていたら急にドアをノックされた。同時に声も聞こえた。

「あきら、中に入るのを許可しますか?」

 マトアカルだった。彰としては気が重かったが、拒否する理由もないし断るのもまずいだろう。

「いいよ。入ってきて」

 彼の部屋は男子高校生の部屋としてはまずまず綺麗だ。何しろ母がそういった方面にはうるさく、下手をすると昼間に掃除をされてしまう。そうするとそれなりに気まずいこともある。だから自分で掃除するのは一種の自衛策だ。そんな点でも女子が部屋に来ることには拒否感はない。

 しかしドアを開けて身軽に飛び込んできた彼女は。

 裸だった。

 いや、全裸ではなく下着は着用しておりそれに靴下も身につけてはいた。下着は上下おそろいの無地の青。デザインはごくシンプルなもので、特にブラジャーはいわゆるジュニア用、妹の瑞樹が小学生の頃に最初に身につけたようなものだ。

 もちろんそんなことをまじまじと確認するほどあきらの度胸は据わっていないし、それなりの自制心もある。彼は彼女の姿を見るなり慌てて回れ右して彼女に背を向けていた。

「なんだよ? どうして裸なんだ?」

 だが彼女はいつも通りの平静な声を崩さない。いや、それは翻訳機のせいでもあるが、態度そのものも普段通りだ。

「これは裸ではないとの認識があります。下着は着用しているのです」

「それは、そうだけど、さっきまでの服はどうしたのさ?」

「あれは着用を続けると疲労が激しいのです」

 確かに堅苦しい服ではあったからその気持ちはわかる。

「じゃあ、脱いだのは楽になるためか? 他意はないんだな?」

「たいはないは、何かわからないです」

 本当は彰だって馬鹿なことを言っているのはわかっていた。だが言わずにはいられなかったのだ。

「いいんだ、聞き流してくれ! 他の服は?」

「外出用の服しか持っていないのです。今後この地に於いて装備を充実させる予定があるのです」

 彼は頭に血が上った状態で、それでも打開策を見つけ出した。

「じゃ、じゃあ、体操服はどうだ? 今日貰ったろう?」

「たいそうふくは何かわからないです」

「さっき学校で貰った服だよ! スカートじゃない方で、シャツと短いズボンみたいなの、あったろう?」

「ああ、それはわかります」

「じゃあ、それに着替えてきて!」

 彼女が部屋から出ると、彰は一気に脱力した。全身から汗が出て、疲れ切った身体に更に疲労がおっかぶさって来るのを覚えた。

 彼女は数分後に、確かに体操服を着用して戻ってきた。彼女の目的は教科書を読むことで、要するに六限目の続きだった。何しろ漢字を読み進むのが大変で、授業中だけではとても追いつけない、と判断したらしい。

 それは確かにその通りなので、夕食までの時間を彰は彼女に漢字を教えて過ごした。夕食時間にはまた彼女の食品に関する質問を受けた。食後には母が入浴などの説明をしたが、それ以外の対応はすべて彰の仕事だった。

 その後、今度は彼女の部屋で教科書読みの補助をした。

 彼女の部屋は昨日とまるで変わりがない。それはもちろん当たり前だが、それでも女の子が一晩過ごした部屋はどこか雰囲気が変わったように思えた。それに入浴後の彼女の方からいい香りが漂ってくる。それはシャンプーの匂いと、それに何か甘い香り。ただしそれは色っぽさを感じるよりも、幼児のものに近い気がした。

 彼女の方は何度も彼に質問して、その上に質問を重ねるようにしてようやく世界史の教科書の冒頭数ページをこなした。気絶はしなかった。だが、やはり疲労はあるだろう。その動きや声には明らかに精気がなくなっていた。だから彰は時間が遅くなる前にその作業を打ち切った。彼女の方も素直にそれに従ってくれた。

 部屋に戻る前に、言っておかなければいけないことがあるのを彰は思い出した。

「マトアカル、一つ、聞いておいて欲しいことがあるんだ」

 彼の言葉に特別なものを感じたのか、彼女は生真面目な表情になった。それを見て彼も緊張する。何しろ言うべき事は少々恥ずかしいことだ。

「ああ、つまり、人前では裸になっちゃいけない、ということ。それから、下着姿もそうだから」

「どうしてですか?」

 マトアカルの返事は、真正面からの疑問だった。しかしこれはひどく答えにくい。当たり前すぎるし、正直に答えるのは恥ずかしすぎる。というか、それ以前になぜわからないか、それが不思議だ。

「そ、それは、恥ずかしいじゃないか?」

 しどろもどろにそう答えたが、彼女はその意味がわからないように首をかしげた。そして急にその表情を曇らせた。なぜかわからないが、自分が悪かったと考えたようだ。

「羞恥を感じるとは、それは粗悪なものを他人に見せたことを恥じるべき、ということなのでしょうか? 私は彰に失礼なことをしたのですか? 謝罪が必要ですか?」

 そのままだとお詫びを始めそうな様子に彰は慌てる。

「違う違う! そうじゃないんだ、恥ずかしいのは僕の方! 他人の裸を見るのは、恥ずかしいことなんだ!」

 それでようやく彼女は表情を緩めたものの、やはり釈然としない顔だ。

「わかりません。この体の裸には、何の価値も特別な意味もないのです」

 彼はその言葉に奇妙な印象を受けた。同時に彼女の様子も、何かを抑圧したような緊張があるような気がする。改めて彼女を見直したが、そこにあったのはいつも通りの彼女だった。

「でも、理解します」

 彼女は改めて生真面目な表情に戻った。

「これからは他人には裸も下着姿も見せないように注意します」

 そう言って彼女はにっこりと笑った。

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