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君の隣に  作者: 素元 珪
6/30

留学生の初昼休み

「昼食はどうするんだ? それともお姫様のところか?」

 昼休み、そんな風に泰司が話しかけてきた。いつもは彼と昼食を取るからだ。たいていは二人とも学食でパンを買ってすませる。

 彰は彼の言葉でマトアカルのことを思い出した。何かあれば連絡は来るのだろうが、確認しておいた方がいいだろう。

「そうだな。ちょっと見てくるよ」

「わかった。パンは適当に見繕っておいてやるよ」

「すまん。恩に着る」

 二人で廊下に出ると、彰は泰司と別れて保健室へ向かった。

 保健室をノックすると『はーい』という女性の声が聞こえた、ドアを開けると、中には例の沢本女史だけがベッドのそばに座っていた。彼女は椅子に腰掛けて本を読んでいたようだ。その本を脇の机に置いて顔を上げた。

「あら、彰君ね。どうしたの? 彼女の様子を見に来たのかしら」

「ええ、まあ」

「そう、なかなか感心ね」

 彼女はそう言って立ち上がり、静かに保健室の入り口までやって来た。

「大丈夫、静かに眠ってるから。でもそろそろじゃないかと思うの。その時は呼ぶからお願いね」

「わかりました」

 彰は彼女がまた席に戻るのを見ながら教室に戻った。自分の席にいると、程なく泰司がやってきた。

「すまん、これしかなかった」

 彼が手渡してくれたのは、卵サンドとウグイスあんパンだった。

「うーん、菓子パンかあ?」

「悪いな。何なら俺のと交換してやろうか?」

 彼が差し出したものは卵サンドともう一つ、その袋には『クリームメロンパン』とあった。彼も激戦を戦い抜いてきたのだろう事が忍ばれる選択だ。

「わかった。これでいい。ありがたくいただくよ」

 彰が座り直して袋に手をかけたとき、泰司は小さく頭を下げた。

「すまんな、こんな事になって」

「何のことだ?」

「いやあ、あの子のことだよ。冗談で言ったのが本当になったもんだから、こう、何か気になってよ」

「馬鹿言え。お前のせいじゃないんだから」

「まあ、それはそうなんだが」

 彼は卵サンドを一口食べた。それからまた言い始めた。

「でも驚いたよなあ。ふっと立ち上がって、そのまま窓をひとっ飛びなんだぜ」

 そこに唯花もやってきた。

「私も混ぜてよ。いいわよね」

 そう言うと、二人の答えも聞かずにすぐ隣の席に自分の弁当箱を置いた。普段は仲のいい女の子達と食べるが、気が向いたらこうしてやって来るのが珍しくない。

「ねえねえ、やっぱりあの子の話? あの子の話よね?」

 今日の場合、その話をするのが目的なのだろう。

「まあな」

 泰司は彼女に向かってそう言って、机の上に彼女のためのスペースを作ってやる。それからまた彰に目を向けた。

「それで、あの子、どうなんだ?」

「どうも何もないよ。昨日は部屋に案内してそこで気絶、今朝も中庭で気絶、その間はずっと質問を受けっぱなしだ。あの子のことで聞いた話なんてほとんど無いんだぞ。みんなと聞いた話も、あの時聞いたのがほとんど初めてだったんだから」

 それは完全に彰の愚痴、どこへも持って行けない鬱憤だった。泰司達にもそれはわかっている。だから親身に聞きつつも聞き流してくれる。

 にしても、唯花は相変わらずマイペースだった。

「でも、美人だよね、彼女」

 泰司もそれに相づちを打つ。

「ああ、スレンダーな宇宙美少女ってところだな。あんな美形と毎日一緒なんて、少しは嬉しくはないか?」

「馬鹿言え、それどころじゃないんだ。何なら代わってやろうか?」

 憤然とする彰に向かって、泰司はおどけてお辞儀を返す。

「とんでもない。俺みたいな一般庶民にはおそれ多いというものだ。彰殿にはつつがなくお役職を努められたい」

 わざとらしい改まった口調に、彰としては笑うしかない。唯花も一緒に笑って、それから口調を変えた。

「そんなことを言いながら、それでもあっくんは最後までやっちゃうんだよね。無理はしないでね」

 彼女の言葉に彰が露骨にいやそうな顔を作った。彼女はまたおかしそうに笑い声をあげた。

 すると、不意に泰司が声を潜めた。

「でも驚いたよな。いきなり窓からポン、だからなあ」

「ああ、あれ。すごく身軽なのね」

 唯花の感想は、やはり前向きだ。だが現に振り回される彰の方はそんな気にはなれない。

「しかし、宇宙人には常識はないのか?」

「ないんじゃないか。宇宙人なんだし」

 泰司はあっさりと切って捨てる。

「いやしかし、種族的にはほとんど同じだって言うじゃないか。だったら向こうの家にだってドアと窓の区別くらいはあるんじゃないのか?」

 勢い込んで言い続ける彰に、泰司が手を広げてみせた。

「そんなこと、俺は知らんよ。でも、時間をかけて説明して、わかって貰う。それしかないんじゃないか?」

 彰はため息をついた。確かに彼の言うとおりだ。だがその相手があれではうまくいくかどうか。それ以前に、彰の体力が続くだろうか、そんなことまで考えざるをえない。

「くふふ。私は色々お話してみたいな。その時には誘ってよね」

 そう言って微笑む唯花の笑顔は、いっそ無邪気と言っていいほどに明るかった。

 その時、小さなブザーのような音がして同時に彰のポケットが振動を始めた。今朝渡された携帯端末だ。慌てて取り出したのを見て、泰司が目を丸くする。

「お前持ってたっけ?」

「ああ、彼女関連だ」

 それで納得した泰司に背を向けて、着信ボタンを押して耳に当てる。

「はい」

「沢本よ。彼女、そろそろ起きそうなの」

「わかりました。すぐ行きます」

 立ち上がる彰に泰司の声は冷やかし気味だ。

「姫のお目覚めか?」

「らしい」

「がんばってね」

 二人の声に手で返事して、彰は教室をあとにした。


 保健室に行くと沢本はベッドのそばに立っていた。彼女は彰を見ると、静かにと手で示し、手招きして呼び入れた。ベッドの上にはマトアカルが仰向けに寝ていて、胸元までタオルケットをかぶっていた。まだ完全に眠っているようだ。沢本はその手に携帯端末を持ち、彼女の身体にかざしたり指先で操作したりしている。

「そろそろらしいわ」

 彼女が小声でそう言った直後、マトアカルのまぶたが動き始め、何度か瞬きをすると、ほわっと目を開けた。しばらくぼんやりとあちこちに目をやって、それからようやく彰の顔を認めたようだ。途端にその顔にはっきりと笑みが浮かんだ。

「あきら」

 彼女はそう言いながら身体を起こそうとして、そこでめまいでも起こしたのかぐらりとよろめいた。すぐに沢本がその背中を支え、もう一度寝かせた。

「急いで起きなくていいのよ。もう少し寝ていてもいいわ。それとも起きる?」

「はい、起きます」

 彼女はそう答えて、今度はゆっくりと上体を起こした。それから部屋を見回し、沢本に目をとめた。

「初めて見ます。あなたは医者の人なのでしょうか? この部分は」

 彼女は自分の胸を手のひらで押さえた。

「病気で病院にある、ということでしょうか?」

 沢本はクスリと笑った。

「私の方は、昨日から会ってるんだけど、あなたはわからなくて当然ね。私は沢本茜というの。ここは病院じゃなくて保健室。学校にある、まあ病院の代わりね。私はあなたの担当になったから、これから何度も会うことになると思うの。よろしくね」

「さわもとあかねです。覚えます」

 彼女はそう言って口を閉じ、でもすぐにまた口を開いた。

「この部分はどうしてここにいますか? 植物について質問していたのは記憶しますが。その後がわからないです」

 彼女の目は彰に向けられていた。

「昨日と同じ。質問中に気絶したんだ。もうお昼だけど、お腹はすかない?」

「空腹を感じるかとの質問です。はい、空腹は多量に感じます」

 彰は対応を考える。居間は昼休み時間のほとんど終わり頃、学食の食べ物は売り切れているだろう。

「外へ買いに出るしかないかなあ」

 すると沢本が携帯を手に割って入った。

「そういうのはまかせて。何を買ってくればいいかしら?」

 そう言いながら黒服に目を向けると、男はメモでも取る様子だ。警備の人間に買い出しをさせるつもりらしい。それは確かにありがたい。

「マトアカルは、何が食べたい?」

「何を食べるとは、何かわからないです」

 ああそうか。省略しすぎたか。

「昼ご飯を買ってきて貰うんだ。どんなものを買ってきて貰えばいい?」

 マトアカルは首をかしげた。

「食品の名前がわからないです。それに、何を買ってくるが可能なのか、わからないです」

 言われてみれば当然だ。彼女に地球の店で食べ物を買った経験などあるはずがない。

「彰君。あなたが決めなさいな」


 買い物が届くのには数分しかかからなかった。沢本は黒服から買い物袋を受け取り、机に置いた。

「さあ、降りていらっしゃい」

 マトアカルは今も腰までタオルケットをかぶっていたが、沢本の声に、まずそれを外した。スカートはいつの間にか大きく捲れ上がって、太腿の半ばまで露出していた。

 彼女はそのまま膝を立て、ひょいとベッドから床に飛び降りた。その過程でスカートは更に捲れて、太腿の付け根とその奥の青い布地が一瞬だけ露出した。沢本は目を見開き、彰は慌てて顔を背けた。

「それで、食事はここでとる? それとも教室に戻る?」

 彰がどっちにしようかと彰が悩みかけたとき、昼休み終了のチャイムが響いた。教室に戻るとすぐに授業が始まってしまう。

「次の時間まで、ここにいてもいいですか?」

 彰の言葉に沢木は柔らかな笑顔で応えた。


 マトアカルはサンドイッチも知っていた。宇宙船内の研修会で学んだそうだ。箱入りの牛乳は蓋の開け方、ストローの入れ方に悩んだが、さほどの説明なしに自分で何とかした。

 彰は彼女の向かいに座ってサンドイッチを食べていた。彼の分まで買ってきてくれたのだ。昼食は食べ終わったとはいえ、そこは食べ盛り。あれば腹に入れるに困らない。ちなみに沢本は保健の先生用の机にいて、二人からは少し距離をとっている。

 そうしてサンドイッチを数口食べ、牛乳(これはサプツルと共通だそうだ)を一口飲んだところで人心地着いたらしく、食材などの質問を飛ばし始めた。

 その時、午後の授業開始を知らせるチャイムが鳴った。

(ああ、五限が始まったな。確か数学だったか)

 彰はあとで泰司にノートを借りようなどと考えをめぐらせていた。すると急にマトアカルが不思議そうな顔をした。

「何度かこの音が鳴ります。警報のようですが、誰も驚く状態がありません。あれは何ですか?」

 そうか。彼女も気がついてはいたんだ。そんなことに感心しながら、彰は説明を始めた。いずれしなければならなかったことだし、ちょうどいい機会だ。

「あれはチャイムって言うんだ。学校の授業時間の始まりや終わりを知らせるもので、俺たちはあれに合わせて動くんだ。今のチャイムは五限目の始まりを伝えるものなんだ」

 マトアカルは怪訝そうな顔をしている。

「学校は若い体が集まって、一緒に学習するための場所と聞きます。そのことと、チャイムというのはどんな関係を持っていますか?」

 彼女の言葉は、今の彰の説明が全く役に立っていないことを意味するらしかった。だがどうしてだろう? 何か根本的なところで食い違っているような感じがある。仕方なく質問に質問で返すことにした。

「マトアカルのところでは学校はどんな風になってるんだい?」

 その答えは驚くべきものだった。

「学校はありません。高度な学問研究のための大学はあります」

 そんな馬鹿な。高度な学問研究の場が特別にあるのはいい。しかし一般向けの教育の場がないなんて。彼女たちは明らかに地球人より高い文化を築いているのだ。そんなことがあり得るのだろうか?

「それじゃ、子供の勉強はどうするんだ?」

 彼の声は緊張していたかも知れない。対する彼女の方はごく平静な声だ。それは翻訳機のせいでもあるが。

「子供の勉強はどうするは何をするかわからないです」

 どうしてこれが通じないのかが不思議だが、ともかく言い方を変えてみる。彼は一つ息をして言い直した。

「たとえば君が、最初に言葉や文字を覚えるのはどこでどうやってなのか?」

 それで通じたらしい。

「最初に言葉や文字を覚えるは自己の中でするのです。大きい部分が小さい部分の学習を支えます。一番の責任は要です」

 いよいよわからない言葉になってしまった。ただしどうやら自学自習で勉強するのだ、と理解できる気がする。自信はないが、今はそう考えておくしかない。

 ふと鋭い視線を感た。そちらに目をやると、それは沢本だった。彼女はいつの間にか身を乗り出し、二人の会話をひと言も聞き漏らすまいと言うように注視していたのだ。彼女は彰の目に気づくと、表情を緩め、手元に視線を落とした。

 彼女も、それに黒服達もその目的はマトアカルの保護と警備のはずだ。しかし同時に情報収集がその任務に含まれているのだろう。

 彰はそんな国際的、いや星際的な情報戦の最前線に自分がいることにひどく違和感を覚えた。沢本も渡辺も意外に親しみを感じさせてくれただけに、ちょっと残念にも思った。だが今はマトアカルの相手が優先だ。まずは学校の基本的なあり方から知って貰わなければならない。

「俺たちのところでは、同じ年齢の人間が集まって学校で勉強するんだ。決まった人数のクラスに分かれて、全体に決まった時間の区切りで、一つのクラスごとに決まった科目を勉強するんだ」

「クラスとは、さっき入っていた部屋を意味すると考えます。それが正しいですか?」

「ああ、その通りだよ」

 案外すんなりと理解してくれそうな様子に彰は安心し始めた。

「では、今は、彰はあの部屋にいるのが正しいのですか?」

「うん、それはそうだけど」

 彼は時計を確認した。

「授業の途中で入るのも変だから、次の時間からにしよう」

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