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君の隣に  作者: 素元 珪
22/30

留学生の欠席

 翌朝、彼女は自分一人で起きて、食事の席に着いた。

 そこで父に向かって『留学の終了』を告げた。母は心配そうに『彰と何があったのか』と尋ねたが、彼女はやはり『総合的判断』を繰り返すだけだった。

 父は彼女と彰の顔を見比べるようにして、それから憮然とした顔で頷いた。その間、彰はひと言も発しなかった。

 彰はいつものように徒歩で学校へ向かった。ジュニは来なかった。留学をやめるのなら、それも当然だろう。学校に着くと彼はみんなの視線にさらされた。当然彼女がおらず、彼一人だったためだろう。何人か話を聞きに来たようだが、彼の顔を見てあきらめた。

 そんな中、それでも泰司と唯花は来た。

「おい、一体どうしたんだ? マトアカルは来ないのか?」

「ああ」

「どうして?」

「留学をやめるんだそうだ」

 泰司はそれで口を閉じ、もう一度何か言いかけたようだが、結局言い出さなかった。代わって唯花が前に出る。

「でもどうして? やっぱりテロが怖かったから?」

「いや。総合的判断だって言ってた」

「じゃあ、私が行って頼んでも駄目かな?」

「すまないけど、放っておいてくれないか?」

 彰はそう言うと、後は何も答えなかった。二人はあきらめたように席に戻った。

 そのまま時間は空虚に過ぎていった。彰は授業を受けてはいたが、座っているだけだった。授業内容は勝手に耳から流れ込んできてそのままどこかへ零れていった。その間ずっと唯花が心配そうに見ているのも全く気づかなかった。

 そして二限目が終了したとき、彰はすぐ前に人の気配を感じ、ようやく目を上げた。そこにいたのは唯花だった。彼女は、普段と違うひどく生真面目な顔をしていた。

「あっくん、こっちへ来て。ちゃんとお話しよう」

「頼むから、ほっといてくれよ」

「駄目っ!」

 それは普段の彼女からは想像できないような、ひどく激した声だった。

「唯花……?」

「こっちへ来て。ちゃんとお話しよう」

 その言葉にはもう怒気はなかったものの、強い気持ちがこもっていた。だから彼は気圧されたように頷いていた。

 それを見て唯花は彰の腕を掴んで引き立て、そのまま引っ張り始めた。教室の出口で彼女は美鈴に向かって手を振った。

「次の時間、抜けるからお願い」

「わかった。まかせて」

 彰も振り返った。そこで泰司もにやっと笑って手を振っていた。

 唯花は彰を引っ張って階段を登っていった。着いたところは屋上に抜ける直前の踊り場。屋上に出るのは禁止されているから、ここに来るものはほとんどいない。他人の目につきにくくて内緒の相談事には向いた場所だ。

 そこで彼女はぺたんと腰を下ろし、彰を引っ張って座らせた。

「さあ、どんな話なのか、最初から全部話して」

 仕方なく彰は話した。テロリストの襲撃、彰もがんばり、最後は彼女が助けてくれたこと。怪我をして看病を受けたこと。向こうの星の家族から帰還の指示が来たこと。集団生物の話は言わなかった。大事な要素ではあるが、彼女が隠してきた秘密だ。勝手に口にするのははばかられた。

 唯花は真剣な顔で、最初から最後まで聞いていた。納得が出来ないという顔だった。

「そんなのおかしいわ。だって、彼女楽しそうだったじゃない。ずっとここにいたそうだったもの。だったら、いさせてあげればいいんじゃないのかしら?」

「でも、家族の判断なら仕方ないじゃないか」

「そんなこと無いわよ。本人の気持ちが一番大事よ」

「そう言ったんだ。自分自身で決めるべきだって」

 彼はようやく絞り出すように言った。それはつらい記憶だ。今でも思い出すと心臓が痛い。

「そしたら?」

「僕だって親に言われて世話役になったんだろうって。同じじゃないかって」

 それだけ言うと、彼は口を閉じた。頭が勝手に下がってしまう。

 その横で唯花が盛大にため息をついた。

「あっくんって、やっぱり馬鹿よね」

 彼女は唐突に彰の背中を平手で叩いた。それは意外なくらいに派手な音を立て、同時に鋭い痛みを伝えてくる。彰が驚いて顔を上げると、そこにはひどく厳しい唯花の顔があった。

「あっくんの馬鹿。そんなの、誰だって当然じゃない。でも、実際にやったのはあっくんでしょ? ずっと頑張ったのもあっくんでしょ? 大変だったけど、だんだん楽しくなったんでしょ?」

 彰はその言葉に頬を叩かれたような気になった。彼女の言葉の中にひどく大事なものがあったように思ったのだ。

 唯花は続ける。

「マトアカルだってそうよ。初めは笑顔硬かったけど、それがどんどんほぐれて、最近は本当に楽しそうだったもの。あっくんと同じ気持ちのはずよ」

「本当か?」

 思わず聞き返した彰に、力づけるように唯花は頷く。

「間違いないわ。私、ずっと見てたもの」

 それから彼女は天井を見上げるようにして、話し始めた。

「あっくんは覚えてるよね。中三の時、私があっくんのお家に行ったときのこと」

 もちろんよく覚えていた。それは実は二人がつきあい始めてすぐのことだった。同時にそれは、彰がどうやら高校受験でも明星高校が無理らしいと明らかになり、公立進学を選ばざるを得ないとの判断が固まりかけた頃でもあった。

 多分、母はそれで気が立ってもいたのだろう。彰が紹介した唯花を質問責めにし、やはり公立に進学すると聞くと、それはねちねちといたぶったのだ。曰く、うちの子供はもっといいところの学校でがんばれるはずだ、なのにこの子が明星に届かないのはおかしい、周りの友達が悪いのかも知れない、それともつきあってる子のためか、そんな風に足をひっぱるような子は困る、等々。

 母はそれを晴れやかな笑顔に明るい声色のままでやってのけた。唯花は顔を引きつらせてそれを聞き、彰は始終うつむいていた。

 そして母の息が切れたところで、二人は逃げ出すように家を後にした。そのあと公園のベンチに座って、ずっと何にも言えなかった。それから二人の仲はうまくいかなくて、すぐに別れた。

「あの時も、あっくん言ってたんだよね。『仕方ない』って」

「そうだったかな?」

 唯花は頷いた。

「私、ひどい人だって思った。ひどい家族だって思った」

 唯花は言葉を切り、また語り始めた。

「でも、その次あっくんを見たとき、あっくんは公園で金髪の女の子の世話してたの」

 彼女は彰をちらっと見て、くすくす笑った。

「あの時、本当はもっと前から、あっくんがあの子を叱ったあたりから見てたの。そしたら、何だかわかっちゃった。あっくんのすごいところ」

 唯花は彰の顔をまっすぐに見て、それからまた視線を天井に戻した。

「あっくんはあの家で、なかなか幸せになれないってわかってた。いつも引け目を感じて、我慢して生きてるって。それで厄介事を引き受けては、『仕方ない』って言うの。でも、いつだって真剣に取り組んで、絶対に投げ出さないのよ。それってすごいことなんだって気づいたの」

 彼女はうつむき、それからちらっと彰を見た。

「その時、私決めたの。これからもずっとあっくんの味方でいようって」

 唯花は気付いたのだ。彰は本当は家族に認めて欲しかった。ちゃんと成し遂げてあの家族の中で認められたかったんだと。彰は肩身の狭い思いをしながらも決して諦めはいなかったのだ。『仕方ない』という口癖も、諦めではなく、それを受け入れ、努力に向かうために自分を力づける掛け声だったのだ。そして、だったらそれを手伝いたい、唯花はそう思ったのだ。

 唯花はもう一度彰を見た。自分でもわからないままその顔に笑みがこぼれる。

「だからね、マトアカルの世話係にあっくんがなったって聞いて、私、嬉しかったのよ。常識は通じないし、いつどこへ飛び出して行くかもわからない、そんな宇宙人のお世話をして、その上でお友達になるなんて、あっくんにしか出来ないもの。他の誰にも出来ない、とても大事な仕事を、あっくんは任されたの。それはうまくいってたはずなのよ」

 そう、賢くて優しくて、生真面目で世話好きで、そして我慢強くて決してあきらめない、そんな素敵なあっくんでなくて、どうして彼女の相手が出来るだろう。

 唯花は腰を上げ、彰の前に回った。そのまま両肩に手をかけて揺さぶった。

「だから、マトアカルだって帰りたくないはずよ。あっくんはもっと自分の気持ちを出していいと思うの。思い切ってぶつかってみてよ!」

 彰は唯花の言葉がその両手から染み入ってくるようで、同時に自分の体温がじんわりと高くなった気がした。そうだ、まだ終わっていない。彼女が帰るまではまだチャンスがある。それに唯花の言葉から彰は幾つかのヒントを貰ったように思った。彼女の判断を変えさせるのに役立ちそうな言葉のヒントを。

「わかった。ありがとう唯花。行ってくる」

 すぐに腰を上げる彰を唯花が呼び止めた。

「待ってあっくん。今日も歩きだったんでしょ?」

 彼が頷くと唯花は階段の下を覗き込んだ。

「たあくんいるんでしょ? 自転車貸してあげて」

 すると階段下の廊下に泰司が姿を見せたのだ。彼はポケットから手を出し、自転車の鍵を見せた。

 彰は困惑しながら彼と唯花を交互に見た。

「唯花、おまえら……?」

「くふふ、その話はまた今度ね」

 唯花はどこか恥ずかしそうに笑った。それでどうやら理解できた。胸に広がるのはちょっとした痛みを伴う、暖かい感触。

「わかった。今は行ってくるよ」

 唯花は彰に向かって手を伸ばし、親指を立ててみせる。

「マトアカル、戻るといいね」

「ジュニだよ」

「え?」

 目を丸くした唯花をちらっと見て、階段を駆け下りた。

「あの子の名前は、ジュニなんだ」

 廊下で泰司が鍵を投げてよこした。

「しっかり行ってこいよ!」

 彰はすれ違いざま、上に出した彼の掌を叩いた。

「その話、今度聞かせてねー」

 追いかけるような唯花の声は、もう遙かに遠かった。

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