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君の隣に  作者: 素元 珪
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留学生の変心

 だがその翌日、彼女は表情を失っていた。

 彰を起こしに来てくれた彼女に、彼はいつものように、だが呼び名だけを変えて挨拶を送った。

「おはよう、ジュニ」

「朝が早いです、あきら」

 その返事はいつもの言葉ではあるが、彼女の顔は凍り付いたように生気がなかった。彰は異様な不安を感じた。

「ジュニ、どうした? 何かあった?」

「それは、時間を変えて話します」

 彼女はそう言ったきり何も言わなかった。仕方がないので朝食に向かった。

 食事の席では彼女は一応は笑顔を浮かべていた。しかし口数は少なく、普段通りとはとても言えない。

「マトアカル、どうしたの、彰が何かした?」

「あきらには関係ないのです」

 母の声にも彼女の返事は素っ気なかった。

 それからの一日も淡々と進んだ。もちろん久しぶりに登校した二人をクラスの面々は歓迎し、さらにおちょくる気満々だったようだが、彼女のあまりに素っ気ない対応に誰しも違和感を覚えたようだ。次第にみんな遠巻きに見守る対応となった。

 唯花だけはそれでも何かと絡んでいたが、彼女も午前中で力尽きた。

 彰としては何とかしたい気はあった。だが何よりその原因を彼女が抱え込んで出さないのだ。だから彼は待つしかなかった。

 それが明らかになったのは、夕食後だった。

 マトアカルが彼の部屋に来たのだ。

「話をしたいと考えます」

 彰は今日一日この時を待っていたようなものだ。すぐに招き入れ、椅子に腰を下ろすつもりで彼女にはベッドを勧める。しかし彼女は腰を下ろそうとはしなかったので、やむなく立ったまま向き合うことになった。

 彼女はひどく緊張した様子で視線を下に向けている。が、話し出そうとしない。

 しばらく待って、彰は誘い水を送る。

「それで……?」

 それでようやく彼女は顔を上げた。その顔は仮面のように無表情でそれに平坦な翻訳機の声が被さる。

「留学を終了させます」

 彰は一瞬、その言葉の意味を掴みかね、それから自分の耳を疑った。どう考えてもそんな言葉が出てくるとは思えなかったからだ。いや、客観的に考えれば排斥運動やらテロやら、止めたくなる理由は幾つも思い当たる。しかしそれらは二人で乗り越えたのではなかったか。第一、夕べの彼女にはそんなそぶりのかけらも見えなかったではないか。

「理由……理由は何だ?」

「総合的判断です」

 彼女の返事はあまりに簡素だった。

「それじゃあわからないよ。今後も危険が予想されるからか?」

「マトアカルの十二に損害があるのはさほどの意味はありません。それより、地球人側にこんな反応が出ることは、両星の交流にとってよい効果を与えないと考えます」

 その説明もまた簡素なものだが、それ以上に聞いていて納得できなかった。理屈はわかる。だが何というか、高所から見下ろすような、とにかく当事者の言葉には思えない。だとすると、これはサプツルの方針転換なのか? しかしそうであれば、まず父からその話が出るはずだ。だとすれば?

「つまり、マトアカルの判断なのか?」

 彼女は頷いた。

「君は、母星と連絡が取れるんだな?」

「はい。ただし、いつも可能ではないのです」

 母星と連絡するためにはまず宇宙船と連絡を取り、さらに地球から離れた宇宙船で特殊な中継のゲートを開いて、というような手順が必要なのだそうだ。それにこれも留学生への指示として、連絡を取るところを地球人には見せない、という約束があったという。だから彼女の場合、数日に一度、彼女の私室で深夜に、という形で連絡を取り合っていた。そして昨夜の連絡で留学中止の指示が来たのだという。

 とはいえ、それでこんな風になるものか?

 彰には納得が出来ない。昨夜初めて名前のことを話し、そして曲がりなりにも翻訳機無しでやりとりしたのだ。彼女の反応にはよくわからないところもあったが、少なくともそれを喜んではいなかったか?

「でも、ジュニは昨夜までは留学を続けるつもりだったんじゃないのか?」

「その時点ではこの判断を知らなかったからです」

「留学を続けるかどうかの判断は、留学生の意志によるんじゃなかったのか?」

「マトアカルが留学生です」

 彰にもようやくそれがわかってきた。目の前にいるのはサプツルで言う個人、地球人からすれば集団だが、あくまでその一部なのだ。留学生になったのはそんな集団としての個人であって、実際にはその一部分だけが派遣された、そんな把握なのだ。

 そう理解した上で、それでもやはり彰には目の前の彼女が個人としか思えなかった。あの好奇心、未知への情熱がこの一人の少女のものでなくて、一体何に属するというのか?

「じゃあ、君は母星にいる家族の命令を受けたから、留学を中止するというのか?」

「家族ではありません。個人なのです」

 彼女の顔は何かを押し殺したような無表情で、その声の方はやはり翻訳機のせいで平坦だ。

 彰は次第に苛立ちを抑えられなくなっていた。どう考えてもおかしい。個人を無視しすぎている。思わず声が荒くなった。

「君は、どう見ても一人の人間だ! だったら、その意思が尊重されるべきだ!」

「違います! この体は部分です!」

 彼女も声を荒げたが、すぐに無表情に戻った。

「あきらにはわからないことです。この体が経験したことはすべてマトアカルの他の部分と共有されます。より大きい部分は他の人間とやりとりしたり、情報を収集することで、よりよい判断を下すことが出来ます。そのような情報はこの体に共有できないものもあるのですが、この判断は十分に納得できるのです」

 彼女は、彼ら集団生物の意志決定の有りようを説明してくれているのだろう。それは確かに優れたもののようだ。それでも彰には納得が出来ない。いくら部分とはいえ、やはり独自の意志はあるのではないのか? それに彼女が納得できたのなら、どうしてこんな表情が固まっているんだ?

「なあジュニ、君は本当に納得しているのか? 俺にはそうは見えないんだ。君自身は、違う気持ちを持ってるんじゃないのか?」

 彼女ははっとしたように目を見張り、それから唇を噛んだ。しばらく何かを押し殺すように黙って、それから――

「あきらがそれを言いますか?」

 彼女は急に声を高めたのだ。彰は驚いて黙るしかなかった。気がつくと彼女の目には大粒の涙が溢れていた。

「ジュニ……」

 彼女はそれまで抑えていた感情を叩き付けるように叫んでいた。

「あきらはどうしてこの体の世話係になりましたか? あなたの言う家族の命令ではなかったですか? そのこととこのことと、何が違いますか?」

 彼は全身の血が一気に氷水になったような気がした。怒気も覇気も、すべて一瞬で縮み上がってしまった。彼女にはわかっていたのだ。彰こそ、彼女以上に家族の言いなりで、嫌々ながらに引き受けてきたことを、彼女は知っていたのだ。だとすると、彼にはもう彼女に言える言葉はなかった。

「明日、申し出るのです」

 彼女はそれだけ言って、部屋を出て行った。彰は黙ってその姿を見送るしかなかった。

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