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君の隣に  作者: 素元 珪
20/30

留学生の名前

 彰が目を覚ましたとき、ベッドにマトアカルが頭を乗せて眠っていた。すぐに看護師が気づいて医者と両親を呼んでくれた。彼は一昼夜眠っていたそうだ。

 診察の後、特に問題なしとして家に帰れることになった。病院の玄関にはいつものように黒塗りの車があり、その中で彰は父から事件のあらましを聞かせて貰った。

 あの襲撃はとある日本のテロ集団の犯行で、その目的は彼女を誘拐して身代金を要求することだった。手口としては、まず二階にガス弾を打ち込み、彼女を一階に避難させる。同時に玄関に多数で突入するように見せかけて警備の手をすべてそちらに引きつける。

 そして裏口から警備側に扮した小グループが入って誘導し連れ去るつもりだった。結果的にはここで彰達が粘ったために計画は失敗し犯人は全員逮捕されたそうだ。

 それに世界各地での宇宙人排斥運動も下火になりつつあること。日本では過激な活動はこの一件だけ、それ以外の活動も落ち着きを見せていることなども聞かされた。

 彰は父の説明に幾つかの欠落があるのに気づいたが、それは頭の奥にしまい込んだ。

 家の方はすっかり元通りになっていた。と言っても壊されたのは窓ガラスくらいだったからさほど難しい話ではなかったはずだ。もっとも玄関周りの鉢植えや花はひどく踏み荒らされていた。

 彼は自室のベッドに戻り、そこでようやく安心できた気がした。それにベッドの脇には一二がいて、以前と変わらぬ笑顔を見せてくれる。

 その時、ふと思いついたことがあった。

「ねえ、君を数字で呼ぶのは落ち着かないんだけど」

 彼女はきょとんとした顔になっていた。それはそれでひどく可愛い。だから何、ということはないんだが。

「だから、君だけを呼ぶ呼び名が欲しいんだ。あの名前でなくて、一二でもなくて」

 すると彼女はなぜか顔中を真っ赤にした。彼女のそんな顔を見るのは、本当に初めてだった。でも、なぜ赤い?

 彼女はどぎまぎして、何とか言葉を続けようと努力しているようだった。もちろん翻訳機からの声は淡々としたものだが。

「マトアカルの一二に、名前を、与えるということ、ですか?」

 何だかずいぶん重たい話になった気がした。もともとの彼のつもりはそんなものではない。

「いや、そんな大層な話じゃないんだ。僕の名前を唯花はあっくんと言うだろ? それと同じで、呼びやすい名前があればいい、それだけなんだけど」

「ああ、はい、わかります」

 彼女は胸を押さえるようにしている。それは落ち着こうと努力している、という風に見える。

「マトアカルはこの体が勝手に改変するのは許されないと考えます。ですが、一二はこの体に固有のものなので、改変は許されると考えます」

 それを聞いて、彼はちょっと考えた。でもすぐに候補が浮かんだ。

「じゃあ、ジュニというのはどうかな?」

 彼女はひどく恥ずかしげにうつむき、椅子の上で身体をもじもじさせている。どうもよくわからない反応だ。

 その時ドアをノックする音が響いた。彼女が弾けるように顔を上げると、そこに父と母が入ってきた。母はマトアカルの様子に何かを感じたようで、おや、と言うような顔で彼女を見たが、父の方はそんなことには頓着せず、彰のベッドのそばに来た。

「どうだ、落ち着いたか?」

「うん、まあ」

 それで納得したのか、父はマトアカルに目を向けた。

「すまんが席を外してくれるか?」

 彼女はすぐに立ち上がった。

「すんだら呼んでください。怪我人の世話をするのです」

 そう言って部屋を出て行った。

 父は彼女を見送り、ドアが閉まると再び彰の方を向いた。しかしなかなか話を始めようとしなかった。それどころか目を合わせようとしない。彰はしばらく待って、自分から切り出すことにした。多分、当たっているはずだ。

「兄さんはどうしたの?」

 父ははっとしたように顔を上げ、彰の顔を見て、それからがっくりとうなだれた。うつむいた父の、歯ぎしりするような声が聞こえた。

「あいつは、智は手引きをしてたんだ。テロリストに情報を流してたんだ!」

 今回の襲撃はテロリスト集団の手になるが、彼らは特に宇宙人に敵対するグループではなかった。それとは別個の宇宙人排斥グループが宇宙人側の声明から思いついて、手っ取り早い金稼ぎの手段としてテロリスト集団に持ちかけたものだった。その排斥グループの末端が智の学校にいたのだ。

 兄は宇宙人への鬱憤を見透かされ、初めは単に情報を流すだけだと口説かれ、襲撃の際も誘拐はするが怪我をさせることもないと言われ、ずるずると協力したのだそうだ。

 警察の取り調べで、彼は彰への嫉妬を口にしたという。

 彰は意識していなかったことだが、最近になってマトアカルが、サプツル留学生の中でも特に地球への順応がうまくいっているケースとして注目を受けていたのだそうだ。留学生は将来の星間交流の先頭に立つことが期待されている。そうなると彼女との信頼関係をしっかり結んだ彰も、やはり重要な役どころを担うことになる。そんな観測が一部に流れていたというのだ。

 兄は一家のみそっかす、嫌われ仕事の引き受け役でしかなかった弟が、自分より注目されるのに納得がいかなかった。しかも、今回のそれは、自分が嫌がって押しつけたようなものだ。それによって弟がそんな評価を受けるのは、どうしても許せなかったのだ。

「そんなわけだ。あの馬鹿、どうしてここまで愚かなことを……」

 悔しげにうめき声を漏らす父を見ながら、彰は呆然としていた。何より兄が自分に対してそんな感情を持っていたことが予想外だったのだ。自分が家族の中で一段劣った存在だという認識は抜きがたい重しとして彰にのしかかったままだというのに。

 父はそんな彰の当惑には気づかないようで、兄がもうしばらく戻ってこないこと、彰達については身辺に危険がないことは確認されたから、明日からでも登校できることなどを告げるとそのまま出て行った。

 すぐにマトアカルが戻ってきた。

 彼女は椅子に腰を下ろすなり、身を乗り出すように言い出した。

「あきら、先ほどの呼称の問題です」

 彰はそれを言われるまで忘れかけていた。何しろ父の話が重かったのだ。でもそれは確かにさっき手をかけたばかりの仕事だ。

「ああ、それなんだけど、考えたのが」

 そこで彼女は慌てたように口を挟んだ。

「ちょっと待つのです。直接に聞く必要があります」

 彼女は耳に取り付けたヘッドセットを取り外した。彼女はそれを膝に置いて、それから彰に顔を向けた。さっきのように、妙に赤らんだ顔で、彼女は……

「…………」

 全然聞き取れなかった。確かに彼女の口から音が発せられたのだが、それが言葉であるようには聞こえなかったのだ。言葉であれば当然存在するはずの音節や母音や子音などの要素が全く感じられなかったのだ。それはむしろ小鳥のさえずりのように音程や音色が変化し、時に細かなシラブルを含む複雑な音の連続だった。なるほど、これが彼らの言葉なら翻訳機抜きでのやりとりなど想像も出来ない。

 彼女はその発音を一度切って、もう一度発音した。それが三回繰り返されたとき、それらが同じものであることに、彰はようやく気がついた。

 そこで考えた。翻訳機は一つの言葉の発音を別の言葉の発音に置き換えるものだ。つまり新しい名前の音も別の音に変わってしまうかもしれない。正しい音を聞くには翻訳機を介さないで『直接に聞く』必要がある。つまり彼女は彰の提案する名前をそのままの音で聞こうとしているのだ。だとすると今の発音の意味も明らかだ。

 彼女はこう言っているのだ。『名前を呼んで』

 その発音が四度目に繰り返されたとき、彰は口を開いた。彼女の目が期待に輝く。

「ジュニ」

 そう声に出した。それからもう一度繰り返した。

「ジュニ」

 すると彼女はまた発音した。それはさっきのものではなく、ずっと短い音だった。もちろん聞き取れはしなかったが、何となく『ふゅえに』と聞こえた。ウグイスの声がホーホケキョと聞こえる、と言うレベルでだが。

「ジュニ、ジュニ、ジュニ」

 彰が繰り返してその名を口にすると彼女も繰り返し発音して、それが二十回を超えたところでようやくその音が『ジュニ』と聞こえた。

 彼が大きく頷くと彼女はほっとしたように息をついて、ヘッドセットを取り付けた。

「それでは『ジュニ』をこの部分の呼称として理解します」

「そうか。よかった」

 二人はそのまま黙って互いを見ていた。それが恥ずかしくなってどちらからともなく目線を外す。

 ひどく落ち着かない気分だった。別にそんなおかしなことをしているわけではないはずだ。なのにそんな気まずいような恥ずかしいような雰囲気が、はっきりと彼女の方から流れてくるのだ。彰はそれに耐えられなくなった。それに、やはり身体の疲労が大きい。

「それじゃ、僕はもう寝るよ。お休み、ジュニ」

「はい。また明日です、あきら」

 彼女は頬を染め、甘くとろけるように微笑んだ。

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