留学生の挨拶
「ずいぶん浮かない顔だな。また何か厄介事なのか?」
昼食を取る手を止めてため息をついた榎原彰にそう声をかけたのは、友人の鈴木泰司だ。やや小柄だが逞しい男で、サッカーをやっている。顔は四角いが、小さい目に愛嬌がある。
「まあな」
彰の方は中肉中背、背はやや標準より高いが、目立つところのない見かけの持ち主だ。
ここ桜ヶ丘第一高校はちょっとした高台にあり、窓からは校庭の葉桜越しに町の家並みが遠く見下ろせる。開いた窓からは五月の心地よい風が入ってくる。
「おまえのところは相変わらず面倒だな。また犬でも来るか?」
彼と彰とは中学以来のつきあいだ。親友と言っていい。だから彼の家庭事情もよく心得ている。
彰の父、榎原俊樹は政府の外交関係の役人なのだが、そんな人脈から妙な依頼を引き受けてくることが多いのだ。母が零した話によると、父は国の役人としては学歴にに少々齟齬があり、そのままでは昇進がままならなくて、それで他の人が引き受けないような役目を引き受けることで挽回しようとしているのだとか。
泰司の言っているのは先月の話だ。何でもどこかの国の外交官が旅行に出て、その間飼い犬を預かってほしいとか。その世話を彰が任されたのだ。ところがやって来たのがとんでもない大型犬。性格は穏やかだったが、無闇に力が強かった。散歩について行く(連れて行く、という印象はみじんも感じなかった)時も、引きずられないように踏ん張るのが大変で、町内一回りして帰るだけでグロッキー状態になった。
「いや、今回何が来るのか、それは聞いてないんだが。とにかく話があるから早く帰れって言われていてな」
「あれ、何の話? あっくんとこ、また何か来るの?」
そう言いながらやって来たのは坂上唯花。小柄で癖のある髪をふわっふわにしている。いつもふんわりした笑顔の女の子で、性格もふんわり、少々天然が入っている。彼女も中学からの連れで、実は中三の時、彰は彼女と交際していたこともある。すぐに別れたが、それからも何となく友達のままだ。
「ああ。そうらしいけど、何かはわからないんだってさ」
泰司が彼女にそう答えて、そばの椅子を引いてやった。彼女はよくこんな風に寄って来るし、ときおりは三人で弁当を食べることもある。
「またあの犬みたいなのだといいよね。あれ、すごく可愛かったもの」
二人は彰が何か引き受けて困っているといつも助けてくれた。この犬の時も、二人は交互に、あるいは二人一緒に手伝ってくれたのだ。ただし大型犬の世話を女子でも小柄で非力な唯花にまかせるわけにはいかず、引き綱は彼と泰司が持った。彼女はそばにいただけで、だから苦労の記憶がなくて、楽しい思い出だけなわけだ。
もっともこれは彼女の特技でもあり、唯花にかかると大抵のことは楽しい思い出になってしまう。
「まあ何があっても手伝ってやるさ」
「くふふ。私もいるのよ」
そんなことを気さくに言う泰司と、それに合わせて笑みを浮かべて頷く唯花。彰は苦笑を浮かべながらも思わず胸が熱くなる。友情などと言うと嘘くさいが、やはり友達はありがたい。
そのとき不意に唯花が何かを思いついたように目を輝かせた。
「ねえ、あっくん、もしかして、宇宙人だったりしないかな?」
「「え?」」
男二人、期せずして声を合わせて、それから彰がくだらないと鼻を鳴らす。
「そんな馬鹿なことあるものか」
だがその声に泰司はにやにや笑いを浮かべた。
「いやあ、わからないぞ。おまえところの父親、関係部署ではあるんだろう?」
しかし彰は強く首を振った。
「でもあいつら、あそこから全然降りてこないじゃないか」
彼の指さす方、町の向こうの遙か上空に豆粒ほどの銀色の物体が浮かんでいた。世界中どこでもちょいちょい見られるもので、今では誰も驚くこともない。
でも泰司はそれを見もせずに彰にいたずらっぽい目を向けた。
「だが、交流を望んでるって言うじゃないか。もしかしたら、急にやってくるかもだぞ。宇宙人美少女がホームステイとか、どうよ?」
彰は一瞬だけラノベ的な想像力を膨らませ、素早くそれを叩き潰した。父親が持ってくるのは厄介ごとだけだ。
「無理無理、もしそんなのが来ても、あの金髪のちび以上に嫌なやつに決まってるさ」
「あら、あの娘もとっても可愛かったじゃない?」
それは去年の秋の案件だ。一日だけ外国の役人の娘を預かることになったのだ。それは小学校低学年くらいの子で、一見はとても愛くるしい、まさにお人形のような可愛さだった。しかし来て三〇分ほどでとんでもない我が儘娘であることが判明。同時に世話係は彰に決まった。彼には一つ上の兄と二つ下の妹がいるが、案件が厄介なものであれば、それはほとんど彰の担当になる。
やむなくその娘を連れて町を散歩して、児童公園で遊ばせて、その間彼はずっと娘の言う通りにしていた。しかし彼女がブランコを独り占めしようとしたので、とうとう彼女に教育的指導を入れ、その結果大泣きさせてしまったのだ。そのとき現れたのがなんと唯花だった。彼女は娘をあっという間にあやして泣き止ませ、すぐに仲良しになって、それからはその娘はとても上機嫌に過ごしてくれた。
「まあ、何を言っても仕方がないんだけどな」
彰はため息と一緒にその口癖を吐き出した。泰司と唯花がわずかに眉をひそめ、それでも心配そうな表情を浮かべたのには気づかなかった。
そして泰司の冗談が冗談ですまないことを知ったのはその二〇分後だった。
急いで帰宅した彼は居間に呼ばれた。そこに並んだ家族の前で、父の紹介に続いて、彼女はこう切り出したのだ。
「ただいま紹介されましたところの私が、あなた方がサプツルと知っている星から来ました。私はそれです。マトアカルの十二で、地球に来ることを許されて、ここに住むことを認められました。私たちは多量の情報を知り合う必要があるとの判断があります。感謝を差し上げます」