桃
僕は桃になっていた。
隣にはもう一つの桃がある。きっと、パパだと思う。
どうしてこんなことになったのか? 心当たりならある。
今日はママの誕生日。ママに内緒でパパと二人でママが大好きな桃を買って、寝息を立てるママに気がつかれないように夜のうちにテーブルに置いた。朝起きたママが喜ぶ姿を楽しみにしていた。
けれどパパが、美味しそうな桃だなと言いながら、その一つを手に取った。
一個千円もする桃で、二個しか買えなかった。その匂いだけでも五百円の価値があるとパパは言っていた。
匂いを嗅ぐだけだと思っていたら、なんとパパは、そのままその桃をかじった。たっぷりの果汁が滴っていた。その匂いが何十倍も香り高くて、部屋中に充満していく。
僕は思わず、もう一つの桃を手に取り、かじりついた。
口中だけでなく、身体全体に桃の香りが充満していくのを感じた。
美味しいねと言う余裕もなく二口三口とかじり、あっという間に丸ごと一つを食べきってしまった。
隣のパパも桃一つを平らげて満足そうにしていた。
パパの笑顔と、それを見て浮かべた僕の笑顔が、昨夜の最後の記憶だった。その後のことは覚えていない。
そして目を覚ました僕は、身動きが出来なくなっていることと、隣のパパの姿を見てから、窓ガラスに映る二つの桃の姿を見つけて確信した。
あら! とってもいい匂いがするわねと、ママの声が、二階から降りてくる足音と共に聞こえてきた。
ママが来た! どうしよう! 必死に叫んでみたけれど、その声はパパにもママにも届いていないようだった。パパは不動の桃だし、ママは僕を見つけて、ジッと見つめながら近づいて来るけれど、その口からヨダレが垂れている。
二人はどこに隠れてるのかな?
ママは、部屋にいなかった僕とパパがリビングのどこかで隠れていると思っている。それは毎回のことだった。誕生日の前の夜にプレゼントを用意して、当日は当人よりも朝早く起きて、どこかに隠れて様子をうかがう。喜んでいる姿を確認してから飛び出してきて驚かす。僕も毎年そんな誕生日を楽しんでいた。
けれど今日は、ママを驚かせられない。真実を知ればきっと驚くだろうけれど、ママがその真実に気づくことはない。
どうしようか? このままママにかじられるのを待つしかないのかな? そう考えていると、ママが驚きの行動をとった。というか、それはいつも通りの行動なんだけれど、この状況では、ありえないと僕は思った。それはきっと、隣で佇んでいるパパも一緒だと思う。
普段の僕なら、パパも、桃を丸かじりなんてしない。けれどこの桃はそうせざる得ない魅力に満ちていた。その香りと姿形が、僕たちを誘う。
ママにはその魅力が、通じない。お皿と包丁を用意している。僕たちを切って食べるつもりなんだ。
テーブルの上で、ママが僕を手に取った。必死に叫んでも、ママは表情を変えない。鼻歌混じりで、僕の身を真っ二つ。
あれ? 痛みは感じない。隣では、ストンッと、パパを真っ二つにしている音が聞こえてくる。
パカッと、目の前が拓けていく。不思議な感覚だった。いつの間にかに僕は桃本体からの意識を失い、桃の内部に意識が写っていた。
あらいやだ! 二人とも可愛らしくなっちゃって!
両手でパチンッと音を立ててママがそう言った。
僕は割れた桃の中に立っていた。隣に顔を向けると、僕と同じように素っ裸で小さくなったパパが立っていた。