第二話 備えて、事に当たるはどこも一緒
職業訓練を終えて、就職活動を始めましたが、いまだ無職です。
都内某所。「人妖共生管理局日本本部」の表札が掲げられた高層ビル。
妖魔と呼ばれる人外である種族の総称。その種族と人間との間で発生するトラブルの対処や、妖魔が移住する際の諸手続きを受け付ける場所でもある。こちらでいう空港などの入国審査や、入国管理などを担当している。
そのビルの地下。警察や消防、いや、一国の軍隊にも匹敵するような規模のトレーニングルームがある。
さきほど、トラブルの対処と書いたが、その中には人妖による犯罪行為への対処も含まれる。その対処を専門とする部署、「調査実働部」に所属する者達は人であろうが、妖魔であろうが、いかなる種族が来ても遅れを取る事がないよう、体を鍛える事に余念がない。
今日も今日とてトレーニングルームは屈強な隊員達の汗と熱気に満ちている。
その中には栄次の姿もあった。ハーフパンツに厚手のTシャツ、底の薄いシューズという軽装。さらに、腰には厚目の革ベルト、膝と手首にはゴム布製のバンドを巻いている。
栄次の前には自分の体重の倍はあろうかという重りをつけたバーベルが、バーベル用のスタンドに乗せられている。そのスタンドも鉄骨で組み上げられて、頑丈だと見て分かる。
栄次はそのバーベルを睨みつけながら、ゆっくりと肩幅より広く握る。そして、深呼吸を繰り返しながら、バーベルの下に潜り込んで首根っこの下に担いで姿勢を作る。
ゆっくりとした深呼吸を三回ほど繰り返し、一気に短い息を吐き出した瞬間、勢いよく立ち上がるようにバーベルを担ぎ上げる。
一歩だけ後ろに下がってから、肩幅に足を開いた仁王立ちに立つ。大きく息を吸い込み、腹に力を入れて、ゆっくりとお尻を後ろに押し出すようにして腰を落としていく。
そして、膝とお尻の高さが揃った所で、両脚にさらに力を入れて立ち上がる。それを10回くらい繰り返してはスタンドに戻して、一息ついては、同じ事を10回繰り返す。
それを5週くらい行って、やっと栄次は腰のベルト、膝と手首に巻いたバンドを緩めた。
バーベルに着けた重りを片付け、備え付けのタオルでバーベルの汗を、モップで床の汗を拭いてから、近くのベンチに腰を下ろして、水筒の水に一口、口をつける。
「今日もトレーニングですか?」
横から声をかけられて振り向く。その先には少年といって差し障りのない年頃であろう男の子がいた。
線は細いが、年齢相応にトレーニングを積んでいるようで、見えている膝下や前腕はうっすらと線が見える程度に引き締まっている。背は同年代の子供と同じくらいだろうか。
顔立ちは整っている方で、パッと見で女の子と勘違いされてしまった事が何度かあるらしい。
「おう、ユウキ君。まぁ、鍛えといて損はないからねぇ」
栄次は声をかけてきた少年、ユウキに笑顔を向けて答える。親子ほど年は離れているだろうが、並んで見比べると、親子と思われても仕方ないかもしれない。
「いつも思ってるんですけど、栄次さんって、ウチでは最強クラスじゃないですか。どうしてそんなに鍛えてるんです?」
ユウキの質問に、栄次は一旦視線を空に向けて、何かを考えるような間を置いてから口を開いた。
「ユウキ君は俺達人間が、圧倒的に叶わないはずの巨人やら悪魔やらに立ち向かえる理由は知ってるよね?」
「はい。妖魔達が生まれながら持ってる特殊な能力については『法術』で対処可能なんですよね。そして、体力とかの差を埋めているのは法術の一つである【倍加】によるものだって教わりました。」
ユウキの答えに栄次は笑顔で頷きながら、使っていたベルトやバンドを片付け始める。
「そう。俺達が任務時に来ている服、『鎧衣』には繊維の一本一本に倍加の術式を組み込んでいて、着た人の体力やら骨の丈夫さやらを上げてくれる効果がある。詳しい仕組は俺もよく知らんが、ソルが言うには『自然界にある魔力みたいなものを吸収して動力源にしてる』ってらしいけどねぇ。」
そのまま、栄次とユウキは汗を流すため、シャワールームへ向かう。
「ただ、ソルが言うには鎧衣に縫い込んだ術式はあくまでも「着たヤツの力を上げる」だけで、無いものを有る事にはできないんだと。だが、着たヤツの素の力が上がれば倍加された力も上がる。つまり、鍛えれば鍛えるだけ、より強くなるってわけさ」
シャワーを浴びながらの栄次の説明に、ユウキは無言で頷きながら聞いていた。
シャワーの後は備え付けの大風呂に入ってリラックス。二人揃って、湯船に浸かって声を上げる。
風呂から上がった後はコーヒー牛乳を腰に片手を当てて一気に飲むのが定番と言わんばかりの流れを決める。
コーヒー牛乳を飲んでから、ユウキはふと何かに思い至ったようで栄次に顔を向けた。
「人って際限なく強くなれるものなんでしょうか。それにそんなに強くなる事に意味があるんですか?」
その問いに栄次は、ふむと一息ついてから天井を仰いで答えた。
「強さの限界なんて考えた事はないなぁ・・・・・・・・・ただ、俺としちゃあ、今は強くなる事が必要だと思うから、やれるだけやってるだけさ」
「やれるだけやる」そう答える前の栄次の顔にわずかだが影が差したように、ユウキには見えた。
トレーニングが終わった後は定時まで、いつでも出動できるよう待機しなければならないため、鎧衣のズボンとシャツに着替える。その間、栄次はこれまでの出動における報告書の作成や、回覧されてきた改正法の内容の確認を片付ける。
ユウキは「法術基礎理論1」と書かれた本を開き、ノートに要点を書きこむといった自習に精を出している。
出動が必要な案件が起こらない時は平穏なものだ。こんな時間は少しでも長く続いて欲しいなとユウキが思った時、赤いパトランプが点灯し、アラームが室内に響き渡った。
『品川区にて人虎による暴行事件発生!繰り返す!品川区にて人虎による暴行事件発生!出動中、待機中の執行員は速やかに現場へ出動せよ!』
出動を促す放送が室内に響き渡る。
見れば、栄次はこれから食事だったようで、デスクの上にはこれから開けようとしていた弁当がある。栄次本人はその弁当を前に俯いて、体を震わせている。
「あ、あのー・・・栄次さん・・・出場しないと・・・さ、先に行ってますね」
今の栄次を無理に動かしたら危ない。ユウキはこれまでの経験から先に出ると言って、部屋から出ていった。
その数秒後、栄次は勢いよく立ち上がると、手つかずの弁当を冷蔵庫に入れてから部屋を出ていった。
その足音の重さに、事務員達は「人虎は酷い目に会うだろうな」と確信めいた言葉を交わした。
獣の体力と、人の知能を併せ持つ獣人は数ある妖魔の中で評価が分かれやすい種族だろう。
人並みの知能を持つが、本能についてはその姿に似る獣に近いものがある。つまり、大人しい動物なら大人しく、猛獣ならば荒々しい。
そして、人虎の特徴としては、その社会的地位は体力の優劣に基づくと言われる。つまり、強い雄が子孫を残すべきであり、弱い雄は一生独身である可能性がある。
だが、ここは人間の世界であり、人虎の常識は通用しない。
「なんでだよ・・・?そんな細くて弱いヤツより、俺の方がお前を幸せにできるに決まってるだろがぁ・・・」
人虎としての本性を表した男は涙を流し、喉の奥から唸り声を上げていた。
人虎が睨みつける視線の先には、顔面蒼白で恐怖に震えている女性が、男性を抱きかかえて、座り込んでいる。
男性は意識がないのかグッタリとしていて、背中はどす黒い赤に染まっている。
「お前がどうしてもその人間を選ぶっていうなら、無理矢理にでも!」
空気を震わせる咆哮を上げ、人虎は牙を剝いて襲い掛かる。女は抱えている男を庇うように体を丸めた。
人虎の耳に届いた風切り音。その音を聞いて踏み止まった人虎の足元に三本の矢が、その場を分けるように撃ち込まれた。
いきなりの矢に驚いて、人虎は矢が飛んできた先に顔を向ける。
周囲に並び立つビルの中で四階建てのビルの屋上。そこに弓に矢を番えて狙いをつけているユウキの姿があった。
「そこの人虎!正当な理由のない獣化は人妖共生条約第五条によって禁止されています。速やかに獣化を解き、手を頭の上に乗せて、膝をつきなさい!」
矢の狙いを人虎につけて、ユウキは定められた勧告を告げる。
だが、人虎はそんな勧告を鼻で笑い、再び、女に向かって牙を剝く。
人虎が止まらない事を見たユウキは番えていた矢を放つと、背負った矢筒から新しい矢を番え、矢継ぎ早に五本の矢を放つ。
飛んでくる矢は人虎に全て払い飛ばされた。しかし、その一瞬の間にユウキはビルの屋上から飛び降りて、人虎と男女の間に割って入る。
人虎が気が付いた時にはユウキは持っている弓を野球のバットのように持ち替えて、思い切り体を捻じっていた。
見るからに小さい子供。そして、そんな子供が引ける程度の弓だと思い、人虎は大した事はなかろうと高をくくったが、直後に自分の頭を襲った激しい痛みに何が起こったか、混乱を起こした。
『て、鉄!?』
金属のような冷たさと硬さがもたらす痛みに人虎は戸惑うが、すぐに体勢を立て直す。その時にはユウキはすでに新しい矢を弓に番え、人虎の眉間に狙いをつけて、弓を弾き切っていた。
「もう一度、言います。今すぐに獣化を解いてください。このままでは実力による制圧を行わなくてはなりません」
ユウキは弓を引いたまま、もう一度、告げる。しかし、『実力による制圧』と聞いた時、人虎の顔色が変わった。
「人間ごときが・・・制圧するだと・・・」
そして、ユウキは背後で庇っていた男の様子を確認しようと、人虎から視線を外してしまう。
「人間ごときが舐めるんじゃねぇぇぇぇぇ!!」
人虎が怒号を上げた時、ユウキはハッとして視線を戻したが、反応が遅れ、人虎の強烈な薙ぎ払いの一撃をくらってしまった。
耳の奥で骨や肉が軋む音が聞こえ、一瞬遅れてビルの壁に叩きつけられた衝撃が全身を襲った。
その衝撃の強さはユウキから四肢の自由を奪う。自分がやられた事は理解して、反撃しようとするが、全身に力が入らない。
視界には人虎がこちらを睨みつけ、ゆっくりと迫ってくる様子が見えた。
自分の体に「動け!」と何度も命令する。しかし、身体は指一本ですらピクリとも動かない。
そして、人虎がすぐ側まで迫り、ゆっくりと足を上げる。その時に
「おらっしゃああああああああっ!」
さっきの人虎が上げた咆哮にも劣らない雄叫びを上げて、栄次が走り、飛び込んできた。
硬く握り締めた拳を人虎の横っ面に叩き込む。飛び込んできた勢いを乗せた一撃は、今度は人虎をビルの壁まで吹っ飛ばした。
栄次はそのまま人虎とユウキの間に立って、襲われた男女に目を向けて、背後でうずくまるユウキに目を向ける。
「・・・まったく・・・現場の詳細な情報を送るだけでいいと言ったろうに。おおかた、あのカップルが危なかったから、手を出してしまった。そんな所だろう?」
栄次の視線や声はユウキの蛮勇と咎めるように聞こえ、ユウキはうなだれてしまう。
そのため、栄次の口元に浮かんだ笑みには気がつかなかった。
「命令違反については、後でしっかりお仕置きするとして、人命救助を優先したその気持ちは大したもんだ」
小さいかもしれないが、栄次からの賞賛にユウキは驚いて、顔を上げる。
目の前には真っ黒な鋼鉄の壁の如き背中がそびえ立っていた。
「後は俺に任せろ」
栄次はそう言うと人虎に向かって、一歩を踏み出した。
今回、出てきた「ユウキ」のベースイメージは「未熟なホークアイ(MARVEL)」といった所でしょうかね。
簡単に言えば「ショタ」枠です(笑)