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1.Preface

【警告】

 当小説は読まれる方によって不快に感じる場合がございます。

 動物園で隣人の様な動物を見ながら、私はある日の夢を思い出していた。

 あれは随分前に見た夢であったが、未だにふと思い出すことがある。私は今日まで数えきれないほど眠って来たし、その度にではないとはいえ、数えきれないほどの夢を見てきた。そのほとんどは忘却の彼方にあるし、そもそも覚醒の時まですらもたなかった夢も数知れない。誰しもがきっとそうであるように。しかし、その中でもあれは、片手の指の数ほどに絞ったとしても必ず残るであろうほどにとても印象的な夢であった。

 他人が見た夢の話ほどつまらないものはないと何度か聞いたことがあるのだが、とは言うものの、面白い夢を見た日にはそれを誰かに話したくなるものである。これからしようというのはまさに貴方にとっては他人の見た夢の話に他ならないのであるが、あれは夢にしてはなんとも筋の通った論理的な夢であった。

 普通、夢というものはどこかしらおかしなところがあるものだ。中々にリアルな夢だと思っても、どこかしらアンリアルな部分と言うのが大抵はあるものだと思う。とは言え、夢を見た者にとってはぼんやりとしたものであっても体験した記憶を伴うものであるから、不思議と現実感を生ずるきらいがある。

 体験した感覚を伴うからこそ、目覚めてすぐの感情は夢の影響を多分に受ける時もあるもので、しばらく経てば何ともないというのに、目覚めた直後は酷く心を乱される時もある。起きた直後はとんでもなく面白い夢だった、これならば人に話してもつまらなくはないだろうと胸を躍らせたのに、しばらく経つと自分でもそうでもなかったとがっかりさせられしまうこともしばしばだ。夢の余韻とはおうおう急速に冷めてしまうものである。それでも、やはり体感というものは、少なくとも人間にとって非常に大きな価値を持つものなのではないだろうか。そう考えれば、他人の夢には無関心な者であっても、自分の夢については語りたくなってしまうというのもいくらか頷ける。

 それはそれとして。考えてもみれば、極論ではあるがフィクションというものはある意味では夢と似たようなものであるとも言えるだろうし、評価されている物語だからと言って必ずしもロジカルであるとは限らないのだから、だとすれば話の良し悪しに重要なのは虚構か現実かでもロジカルかシュールかでもなく単に面白いかどうかなのだろうと思うのだ。

 つまり、他人の見た夢の話が特別つまらないものだというのは違うのではないかと私は思うのだ。先入観が感覚を鈍らせることもまたあるだろうが、ここでそれについて論じるのはよそう。

 前置きが長くなってしまったが、これだけは言っておこう。これからする私の見た夢の話は、夢だからというだけの理由で倦厭してしまうにはもったいない、それだけが理由でつまらないと断じるのは早計な話であるということを。この話がもしもつまらなかったのならば、それは貴方の好みの問題か、もしくは私の問題であろう。

 それでは本題だ。さあ、真っ赤な夢の話をしよう――。

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