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(後)月下に勝利を刻み、朝日とともに死す。

 水平線上に見えた明滅と遠雷のような轟きに、ガダルカナル島ルンガ泊地に停泊する米輸送船の将兵らは不安げに顔を見合わせた。

 雷雨スコールか、それとも戦闘か――もし後者ならば、恐ろしいことである。

 いま輸送船団は夜を徹しての揚陸作業中であり、兵員と小火器をはじめとする個人用装備はほとんど降ろし終わったものの、未だに重火器や車両、車両用燃料、レーダー機材といった物資は船上にあった。

 仮に連合国軍護衛艦隊の阻止線を日本海軍が突破してくるようなことがあれば、輸送船団は大量の物資とともに沈むほかないだろう。

 それに揚陸作業とは、ただ物資を港湾や浜辺に荷揚げすれば終わりというものでもない。

 輸送船に降ろしたきり海岸線に並べたままの大量の物資は、敵にとって好餌に過ぎない。

 いくら厳重に警備をしていても、一瞬の隙を衝いた航空攻撃や浮上した潜水艦による砲撃に晒されれば、その物資は容易に失われてしまうため、砲爆撃から逃れるためにいち早く分散したり、内陸へ運びこんだりすることもまた重要だ。


(頼むから、いま来てくれるなよ)


 それは米将兵の誰しもが思うところだった。

 闇夜の中、彼らは徹夜で懸命の揚陸作業にあたっているが、未だ船上にも海岸線にも大量の軍需物資が残っている。

 兵卒たちが作業の手を止めては、ちらと暗い海面へと視線をやるのを見て、下士官らは「心配するな」と声をかけた。


「連中は来ないさ。何度か日本軍機ミートボールの空襲警報はあったが、結局――」


 そのとき米将兵約2万は、天地揺るがす鋼鉄の咆哮を聞いた。

 虚空引き裂く風切かざきり音が響き渡り、遅れて密林へ砲弾の雨が降り注ぐ。

 ぶち上がる木々の欠片と土砂の柱が、茫然自失の米将兵たちを見下ろした。


「揚陸作業は中止! 何言ってる馬鹿野郎、荷から早く離れろ!」

「身を隠せ、走れ走れ走れ走れ!」

「奴らの狙いはここしかねえ! いまのはジャングルに落ちたが、次の弾着修正で海岸線が襲われる!」

「敵艦見ゆ!? 敵艦見ゆ! 砲兵連隊は対水上戦用意!」


 照明弾と探照灯に照らし出された泊地と海岸部は、恐慌状態に陥った。

 輸送船団は揚陸作業を中止し、すぐ傍に迫る破局から逃れようとうごめき始め、海岸線の海兵たちは散り散りになって逃げ惑う。

 だがしかし、米海兵隊員たちは全くの無力でも、臆病者だったわけでもない。

 第1海兵師団の砲兵連隊は、荷揚げが終わったばかりの榴弾砲で洋上の敵艦に砲撃を加えようと、反撃態勢を整え始めた。

 そんな中、洋上に姿を現した鋼鉄の怪獣――帝国海軍第8艦隊はルンガ泊地に対して、艦砲射撃の乱打を繰り出していく。


「緊急消火要請! 全部灰になっちまう!」


 12㎝高角砲弾が荷揚げされたままの車両用燃料に直撃し、10m近い火柱を噴き上げた。

 爆発とともに空中に舞い上がった火焔を曳く鉄片が、地球の重力に囚われて米海兵たちの頭上に降り注ぐ。

 糧秣と逃げ遅れた米兵が劫火に呑みこまれ、瞬く間に焼き尽くされていった。


「右舷に魚雷――」


 泊地内に殺到した魚雷が身動きのとれない輸送船の船腹を食い破り、一撃の下で海底へ引き摺りこんだかと思えば、目標を外れた魚雷が海岸線にまで届いて炸裂し、積み上がった弾薬箱を爆風で吹き飛ばした。

 鋼鉄と火焔に蹂躙される海岸線。

 哀れな海兵らに、逃げ場はない。

 引火した小銃弾や機関銃弾が音を立てて弾け、火薬類が誘爆して朦朦と黒煙を上げる。


「母さん、母さん……」

「もうそいつは死んでる、捨てていけッ」

「衛生兵――!」


 最期の言葉と怒号が渦巻く泊地に、さらなる混乱がもたらされる。

 第1海兵師団の75mm榴弾砲が火を噴き、身動きがとれない味方輸送船の頭上に降り注いだのだ。

 複数の直撃弾と無数の破片を浴びた輸送船が悲鳴を上げ、船上の乗組員たちは口々に悪態をついた。


「何が修正射撃の実施だッ! 砲兵連隊の馬鹿どもに砲撃を止めさせろ!」

「撃ち方止め、撃ち方止め! 友軍を誤射している!」


 内陸に展開していた第1海兵師団の砲兵連隊からは、艦影の敵味方の区別が付きづらい。

 そのため反撃を試みた彼らは、友軍誤射を引き起こした。

 破片を浴びて船上を血染めにした輸送船が、コントロールを失ったままに他の輸送船と激突し、船体と船体を擦り合う甲高い金属音を上げる。

 そして次の瞬間には20㎝砲弾の直撃を受け、輸送船自体の燃料に引火したか大爆発を起こした。

 ルンガ泊地は今や、米海兵に責め苦を強いる煉獄と化していた。


(恨みはないが、ひとりでも多く道連れにさせてもらう)


 火焔渦巻くルンガ泊地を前にしても、帝国海軍第8艦隊の先頭に立つ重巡鳥海の早川艦長は攻撃命令を止めなかった。

 第8艦隊の砲雷撃は、苛烈極まる。

 重巡鳥海、青葉、衣笠、加古、古鷹――憤怒の咆哮とともに弾き出される20㎝主砲弾と12㎝高角砲弾が、次々と輸送船を直撃し、彼女たちを絶命させていく。


(朝が来れば、我々はただではすまないだろう。敵航空攻撃を前に鳥葬ちょうそうがごとくなぶり殺しにされる)


 早川艦長とてルンガ泊地へ攻撃を仕掛けることが、第8艦隊を危険に晒すことだということは理解していた。

 十中八九、朝が来れば第8艦隊は敵航空機に捕捉され、仮借ない報復を受けるだろう。

 そしてみなことごとく、この南海で討ち死にするに違いなかった。


(故に――)


 第8艦隊の大小艦艇はいま今宵だけは雄々しく吼えて、月下に勝利を刻む。


(――後世に犬死にと笑われぬよう、貴軍をみなことごとく平らげる!)


 これはミッドウェー海戦で散った友軍の復讐戦であり、同時に明日死にゆく第8艦隊自身を弔う合戦でもあった。

 ルンガ泊地に沈む米輸送船は、第8艦隊の墓標。

 ルンガ泊地に上がる爆炎は、第8艦隊の送り火。

 ルンガ泊地に転がる骸は、第8艦隊将兵のための渡し賃。

 第8艦隊が全滅の憂き目に遭おうとも、この米輸送船団を撃滅すれば戦局は好転する――後を全て友軍に託し、彼らはいま死兵と化していた。


「左舷に艦影を認む!」


 ルンガ泊地への砲雷撃を続ける第8艦隊の左舷方向に、新手が出現した。


豪海軍われらにも意地があるッ、砲雷撃戦!」


 第8艦隊の単縦陣目掛けて吶喊したのは、友軍の危機に際して再集結したケント級重巡洋艦『オーストラリア』、パース級軽巡洋艦『ホバート』――豪海軍艦艇と数隻の駆逐艦であった。

 連合国軍残存艦隊と、帝国海軍第8艦隊。

 単縦陣を組んだ両艦隊はルンガ泊地を離れつつ、砲弾と魚雷による激しい鍔迫り合いを始めた。

 最初に相手へ命中弾を与えたのは、重巡オーストラリアであった。

 20㎝砲弾が重巡鳥海の煙突を直撃し、砲弾と煙突の破片を艦上に撒き散らす。


「日本艦隊は手負い、残弾数も少ないはず! 一気に畳みかけろ!」


「敵は重巡1、軽巡1――輸送船だけでは冥土の土産が寂しいと思っていたところだ!」


 両艦隊で檄が飛び、重巡鳥海の舷側装甲が悲鳴を上げ、軽巡ホバートの1番砲塔が猛火とともに天高く噴き上がり、古鷹の魚雷発射管が吹き飛ばされ、米駆逐艦の艦体前部が雷撃を受けて切断される。


「艦載機格納庫にて火災発生!」


 敵弾が貫通した鳥海の艦載機格納庫が、火を噴いた。

 それを目標にして、次々と敵駆逐艦の12.7㎝砲弾が降り注ぐ。

 負けじと鳥海が反撃に放った12㎝高角砲弾が敵駆逐艦の機関を貫き、ダメージを負った敵艦は瞬く間に船足を鈍らせて落伍する。

 だが次の瞬間には、重巡オーストラリアの20㎝主砲弾が鳥海の前部舷側をぶち破り、内部で炸裂した。


(これまでか)


 朦朦と立ち昇る煤煙が艦橋にまで及ぶのを見て、早川艦長はいよいよ覚悟を固めた。

 すでに鳥海は、満身創痍。

 艦上構造物は駆逐艦の12㎝砲弾を無数に浴び、敵重巡の20㎝主砲弾は鳥海の艦内に壊滅的な打撃を与えていた。

 艦中央部の火災は拡大こそしないが、即時の消火は望めない。

 この砲雷撃戦の最中、艦上で活動するのはあまりにも危険であり、実際に艦上に配置されている乗組員はみな大なり小なり傷を負っていた。

 遅かれ早かれ、この鳥海は沈む――だが戦略的勝利は収めた。

 そう早川艦長が心中で独りごちた次の瞬間、先の命中弾のせいで半ば吹き曝しになっている鳥海の艦橋内に、激しい風雨が吹きこんだ。


「なんだ、これは!?」

「艦長、スコールです!」


 鳥海以下第8艦隊の艦艇は無数の雨水を叩きつけられ、横殴りの凄まじい暴風に襲われた。

 南方地域特有の局地的な暴風雨。

 灯火の光さえ滝のような豪雨のカーテンが掻き消し、巨大な艦影を闇に溶かしてしまう。

 艦上の小火ぼやは瞬く間に消え、探照灯の光は瀑布に反射するばかりで使い物にならない。

 両艦隊は、お互いを見失った。


◇◆◇


(朝日の美しさは、どこでもそう変わらんな)


 水平線上が白く輝き、大空が漆黒から濃紺のそれに変わる。

 スコールを脱した第8艦隊は、やがて朝日――つまり死の訪れを迎える。

 彼らはただ従容と西進し、いずれ来るであろう敵航空攻撃を待ち構えながらも友軍泊地へ向かう。

 だが第8艦隊は勝ったのだ。

 寄せ集めの艦隊で敵艦隊を撃ち破り、見事に戦局好転の糸口を作った。


 故にこれは勝利の凱旋である。


 早川艦長は朝の空気が充満する艦橋内で、思い切り伸びをした。




『第一次ソロモン海戦――重巡鳥海、敵輸送船団へ突入す!――』完


【歴史的補講】


「闇夜に豪米艦隊、一挙に屠る 第8艦隊の大戦果」


 後日の新聞一面を占拠したのは、第8艦隊の戦果を報じる記事であった。

 結局のところ第8艦隊が米航空機の攻撃に晒されることはなかった。

 米機動艦隊の指揮を執るフレッチャー中将は、第8艦隊を囮だと考えた。


(これは我が機動部隊の所在を炙り出すための罠に違いない。こちらが制空権を握っている状態で、何の策もなく水上艦隊を捨て駒のように殴りこませるはずがない。どこかに帝国海軍の機動艦隊は隠れている。こちらが艦上機を出撃させたが最後、それを追跡して、我が機動艦隊の位置を掴むつもりなのだ……)


 戦域を離脱していたフレッチャー中将の米機動艦隊は、動かなかった。

 彼は慎重になりすぎていた。

 が、無理もない。先の珊瑚海海戦とミッドウェー海戦でフレッチャー中将は2隻の航空母艦を喪失しており、それが彼に攻撃を自制させたのだった。


 こうして帝国海軍第8艦隊は、過去の友軍の奮戦に救われる形で味方泊地へ帰還。


 一方、ガダルカナル島に残された米第1海兵師団は物資窮乏に苦しみ、米軍は駆逐艦を用いた高速輸送による補給で急場を凌ぐことになる。


 時は1942年――日米戦争の結末は、未だ見えない。

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