(中)中将の言葉、艦長の覚悟、かくて第8艦隊はガダルカナル泊地へ向かう。
重巡鳥海に対して一矢報いた米重巡クインシーであったが、その身はすでに満身創痍であった。
帝国海軍第8艦隊の猛烈な艦砲射撃で火災が発生していることは先に述べた通りだが、さらに天龍と夕張の軽巡組が放った魚雷が左舷側に突き刺さり、浸水が始まっていた。
船足は重くなり、もはや戦場離脱もままならない。
あと数十分もすれば、浸水が酷い左舷側から転覆して沈没することは、誰の目から見ても明らかであった。
米重巡ビンセンスも辛うじて浮いているに過ぎない。
第8艦隊の艦砲による乱打と、やはり鳥海ら重巡組の雷撃をその身を受けたため、損害著しく身動きがとれなくなった。
それでもなおビンセンスは降伏することなく、第8艦隊に対して射弾を送り続けた。
彼女の反撃は決して無為ではなく、これによって衣笠の操舵装置の一部を損傷させている。
「深刻な火災と浸水により、航行不能です。ダメージコントロールによる回復の見込みはありません」
「最悪の場合、この艦はあと1時間もせずに転覆します」
「もはやこれまでか」
ビンセンス艦橋でそんな会話が交わされたわずか数秒後、彼ら艦橋要員はみな絶命していた。
これは重巡青葉の放った一弾がビンセンスの艦橋を貫き、一撃の下でそこに居合わせた艦長以下の乗組員を消し飛ばしてしまったからであった。
こうして米重巡クインシーとビンセンスは戦闘不能に追い込まれ、闇夜の中で転覆し、海底へ沈んでいった。
残るアストリヤも火災の拡大が留まらず、同時に操舵装置が故障。
半ば漂流状態となりつつあり、北へ抜ける第8艦隊に追いすがることも出来ず、継戦能力は失われていた(結局、アストリヤは翌日の昼頃に沈没している)。
こうして大日本帝国海軍第8艦隊は1隻も失うことなく、複数隻の米重巡洋艦を葬り去ることに成功した。
さて。
その第8艦隊の現在の針路は、北西の方角であった。
そもそも重巡5隻、軽巡2隻、駆逐1隻から成る帝国海軍第8艦隊が、なぜこの南海で連合国軍艦隊と激戦を繰り広げているかと言えば、帝国陸海軍の拠点があるガダルカナル島近辺に、連合国軍艦隊が来襲したからに他ならなかった。
敵艦隊は輸送船を多数擁していることが分かっていたので、これを見過ごせばソロモン諸島は敵の手を陥ちることになる。
出撃前に第8艦隊司令部作戦参謀の神重徳海軍大佐は、上層部へ作戦計画を提出しているが、そこでは敵輸送船団の撃破を優先するという説明がなされていた。
しかしいま、第8艦隊の針路は北西――敵輸送船が存在するツラギ泊地、ガダルカナル泊地とは逆方向に向かっている。
「お怪我は大丈夫ですか」
「ああ、ありがとう。なんともない」
艦橋内に8インチ砲弾が飛びこんだにも関わらず、鳥海艦長の早川幹夫海軍大佐は奇跡的にもかすり傷程度で済んでいた。
そしてその立ち振る舞いは、未だに闘志に満ちあふれている。
第8艦隊の先鋒を務め、北方艦隊、南方艦隊という敵2グループを撃破することに成功した早川艦長だが、彼は未だに満足していなかった。
事前に第25航空戦隊からは、輸送船を10隻撃沈した旨の戦果報告を受けていたが、おそらく輸送船はそれ以上の数がいるであろう、と彼は踏んでいた。
無防備な輸送船団を叩くのは、いましかない。
(この機会を逃してなるものか。元より海上戦力はこちらが寡兵。明日以降になれば、優勢なる敵は艦隊を再編し終え、輸送船団の守りがより固くなる。それが現在ならば、輸送船団は丸裸のままそこにいる)
相手の隙を衝き、戦果を最大限拡大する。
彼の思考は、駆逐艦乗組員、水雷長からキャリアを出発させ、水雷学校教官や駆逐隊司令を務めてきた所謂水雷屋らしいそれであった。
戦闘が一段落したタイミングで、早川艦長は艦橋を降りた。
向かう先は艦内の病室である。
「ああ、か、かんち……」
血と薬品の臭いが充満する空間で、ベッドで横になっていたのは三川軍一司令長官であった。
彼は早川艦長ほど、幸運ではなかったらしい。
丸坊主の頭に巻かれた包帯には、血がにじんでいる。
「ご容態は」
「脳震とうを起こされているようです」
早川艦長と衛生士の会話を聞いた三川中将は、申し訳なさそうに「な、なけない」とだけ言った。
その隣では大西新蔵参謀長が眠っている。
神作戦参謀はどうした、と早川艦長が聞くと、衛生士は応急手術を受けていると答えた。
どうやら破片を肩や、ふくらはぎの後ろに貰ったらしい。
(司令部要員は全滅か。青葉の五藤少将か、天龍の松山少将に指揮を変わっていただかなければ)
実際のところは優秀な少佐級の司令部要員たちの中には、無事な者が多い。
だがしかし階級から考えて、彼らに第8艦隊の指揮を任せるわけにはいかなかった。
「は、早川艦長」
一旦、艦隊を整えてから第8艦隊隷下の第6戦隊、第18戦隊司令官と話し合いの場をもたなければならない、そう早川艦長が考えを巡らせていると、三川中将が呻きながらも声を上げた。
「はっ」
司令長官の言葉を聞き洩らすことのないよう、とっさにしゃがんだ早川艦長に対して、三川中将をうんうんと唸りながらも言った。
「早川艦長、この艦隊を頼む」
「はっ」
「この艦隊、この艦隊を、頼んだ」
「はっ」
脳震とうによる激しい目まいに襲われる中、三川中将は早川艦長に確かにそう言ったし、それを周囲の衛生士たちも確かに耳にしていた。
この言葉を聞いた早川艦長は、覚悟を固めた。
(この艦隊を頼む、というお言葉は決して指揮権を委譲するということではないだろう。司令長官閣下は、そんな型紙破りなお方ではない。おそらく艦隊の目的を達するよう、この後は輸送船団撃破のために奮励努力せよ、ということであろう)
早川艦長の闘志は五体に漲り、そして泊地への再突入の意志はより強固なものになった。
明るくなる前に戦域を離脱できなければ、確かに敵航空機による攻撃を受ける危険性がある。
だが輸送船団撃破が、敵弾に斃れられた司令長官の御意志であるならば、万難を排してこれを成し遂げるほかはない!
……実際のところ、仮にこのとき三川中将が健康であれば、彼は退却を選んでいたであろう。
事前に軍令部総長からは艦艇の被害を最小限に留めるように、と釘を刺されていたこともある。
彼は翌朝を迎える前に引き上げ、敵航空攻撃をかわすことを優先したのではないか。
こう書くと三川中将の本来の姿勢は、消極的なものに感じられるかもしれないが、事前の航空攻撃の戦果(軽巡2隻沈没、駆逐2隻沈没)を合わせれば、敵護衛艦の多くを海底に沈めたことになる。
連合国軍が丸裸になった輸送船団をそのままに、物資の揚陸を続けるとは考えづらい。
つまり連合国軍の輸送作戦を妨害する、という戦略的目的はすでに達しているのだ。
だがこのとき、三川中将は言葉を選ぶことができず、早川艦長に中途半端な励ましの言葉をかけてしまった。
そして、早川艦長は第8艦隊による泊地突入の決断を下すに至る。
その後、第8艦隊は再び単縦陣を組み直すと、サボ島の周りをぐるりと回って南東の方角に変針する、サボ島南方水道に進入。
そのまままず、ガダルカナル泊地に向けて進撃を開始した。
この単縦陣の先鋒を務めているのは、やはり重巡鳥海であった。
これには理由がある。
サボ島南方水道へ進入する直前に、第8艦隊内では退却するか進撃するかの話し合いの場がもたれたが、その際に早川艦長は「三川中将は泊地突入の御意志を示されている」と強硬に主張。
もちろん第6戦隊、第18戦隊司令官は、特別に泊地突入へ反対というわけではなかったが、両者があくまで選択肢として退却案を示した。
そのとき早川艦長は、「三川中将に艦を任されている以上、鳥海は単艦でも中将の手足となり、泊地へ突入する覚悟である」と凄まじい剣幕で迫ったのであった。
この早川艦長の勢いと三川中将の御意志という言葉に、第6・第18戦隊司令官は第8艦隊司令部が未だ健在である、と勘違いをした。
当然ながら両戦隊は、第8艦隊司令部が置かれている鳥海に続く。
つまりこのとき、猪突猛進の重巡鳥海に第8艦隊は率いられているような恰好になっていた。
そしてここからガダルカナル沖の煉獄、と称される戦いが始まった。