(前)重巡鳥海、被弾。
天地を塗り潰す夜闇を、光芒が引き裂いた。
次の瞬間、黒々とした鋼鉄の山々、その巨影が浮かび上がった。
全長約180m、排水量約1万トン強。アストリヤ級重巡洋艦3隻を主力とする連合国軍第62任務部隊北方艦隊が、月光よりも数倍眩しい白光により、その姿を曝け出していた。
「何をしているかッ!? どこの艦が探照灯を使った!」
アストリヤ級重巡7番艦『ビンセンス』では、艦長が怒号を上げていた。
このときビンセンスの艦長は同じ北方艦隊の味方艦が、闇の中に敵艦を誤認して探照灯を使ったと考えていたのだ。
馬鹿が、と彼は吐き捨てる。
周囲の乗組員たちは、表情を青くしていた。
この夜闇の中で探照灯の照射を受ければ、否が応でも目立つ。
いま北方艦隊は、日本軍と交戦中と思われる南方艦隊を応援に向かう途上――これはあってはならない重大なミスであった。
「南方艦隊を攻撃中の日本軍が、どこにいるかも分からんというのに」
「後方から照射を受けています。どの艦が探照灯を使用しているかは不明ですが……すぐに艦隊全体へ探照灯の使用を停止するよう命令いたします」
「頼む。我々の姿を敵艦が目撃していなければいいが」
探照灯の使用を停止せよ、と重巡ビンセンスは命令を無線通信で発した。
それでも照射を続ける後方の艦艇――彼女から返ってきた回答は、炸薬約30㎏を抱えた鋼鉄の塊であった。
天地揺るがし、海面ぶち破る轟音。
衝撃波が艦隊全体を襲い、それで初めて彼らは気づいた。
「後方の艦はて」
重巡ビンセンスの艦長の言葉は、途中で砲弾の炸裂音に掻き消されてしまった。
ビンセンスのそばに盛り上がった水柱が、ざあっと音を立てながら崩壊すると、激しい雨となって艦体を叩いた。
至近弾!
怒りと焦りで赤くなっていた彼の顔面から、さっと血の気が引く。
「くそっ、至近弾だ! 反撃しろッ!」
「アイサーッ!」
北方艦隊の後方を追跡してきているのは、彼らの味方艦ではなかった。
大日本帝国海軍第8艦隊。そして探照灯を使い、米艦隊を照らし出したのは第8艦隊旗艦にして、高雄型重巡洋艦4番艦の『鳥海』であった。
さらに鳥海の後には、重巡『加古』『青葉』『衣笠』が続いている。
実は彼らはこの直前に、連合国軍第62任務部隊南方艦隊と交戦しており、豪重巡『キャンベラ』に魚雷数発と命中弾多数を浴びせて致命傷を負わせ、米重巡『シカゴ』にも砲雷撃を浴びせて撃破。米駆逐艦『パターソン』からは艦橋に直撃弾を出し、艦長を戦死せしめている。
第8艦隊からすれば、続いて北方艦隊と不意の連戦に臨む形になる。
(『古鷹』や第18戦隊、駆逐隊とははぐれたか)
このとき第8艦隊司令長官の三川軍一中将は、攻撃命令を下しながらも、鳥海に続く艦艇が少ないことに気づいていた。
実際、先の南方艦隊との戦いの混乱の最中で、本隊から重巡『古鷹』と軽巡『天龍』『夕張』、駆逐艦『夕凪』がはぐれてしまっていた。
夜戦ということもあって敵艦隊の全貌が分からないため、これでは数的に不安が残る。
(だがこれは殴りこみ、元より覚悟の上)
一方で第8艦隊所属艦の被害は、一戦交えて敵グループ1個を撃破したにしては、極めて小さかった。
被害と言えば、幾ばくかの命中弾を天龍と夕張が浴びた程度。
幸運にもいま鳥海が率いている加古、青葉、衣笠はほぼ無傷に等しかった。
つまり個々の艦艇が持つ攻撃力は、まったく落ちていなかった。
(敵艦は戦艦か、重巡か――否、どちらであっても相手に不足はない)
旗艦鳥海の艦長、早川幹夫海軍大佐の攻撃指示に、迷いは一切なかった。
襲いかかった鳥海、加古、青葉、衣笠の艦砲射撃は正確かつ猛烈であった。
まず米重巡アストリヤに、20cm砲の猛射が集中した。
その艦上は、瞬く間に惨たらしい状態になった。
衝撃波に吹き飛ばされた乗組員が装甲板に叩きつけられて絶命し、砲弾と装甲板の破片の嵐に切り刻まれた乗組員が絶命し、あるいは砲弾の炸裂に巻き込まれた乗組員が、四肢をバラバラにされて絶命していく。
地獄絵図。
血肉に装飾された廃艦となるのに、そう時間はかからない。
続いて死神が差し向けられたのは、米重巡クインシーと、重巡ビンセンスに対してであった。
次々と命中弾を浴び、両艦の艦上にパッと灯火が燈る。
立て続けの射弾を浴び、火災が発生したのだ。
消火にあたる水兵たちの顔は、恐怖に歪んだ。
逃げ隠れできない洋上で、闇夜の中で明確な目標となる火焔を背負うなど、最悪中の最悪であった。
「消火急げ!」
艦体中央に砲弾を浴び、火災を起こしたクインシー。
任務に忠実な水兵たちは、恐怖と戦いながら消火にあたる。
が、そんな健気な彼らを、赤橙の悪魔は嗤った。
搭載されている水上機の燃料に引火したのか、凶悪な衝撃波と爆炎が周囲を呑みこんだ。
「あっ」
遭遇戦、増大する被害、火災――次々と最悪の連続に見舞われる連合国軍艦隊。
しかしながら士官たちに不運を嘆く暇はなく、泣き面に蜂とばかりに更なる試練が待ち受けていた。
「新手ですッ、日本軍の新手だ!」
雨霰と降り注ぐ砲弾の数が、倍になった。
北方艦隊からしてみれば、青天の霹靂。
北方艦隊の東側を並走する重巡鳥海らとは反対側、艦隊西側に日本軍の新手が現れたのだった。
本隊からはぐれていた古鷹、天龍、夕張の合流である。
重巡4と、重巡1・軽巡2による2グループの挟み撃ち――これではもう北方艦隊に勝ち目などなかった。
「畜生ォ、あの艦をやれ!」
それでもなお彼らは足掻いた。
火災に見舞われながらも、ビンセンス、クインシー、アストリヤは反撃を続けた。
その反撃の矛先は自然、探照灯を使って連合国軍艦隊を照らし出した旗艦の鳥海に集中する。
敵艦の8インチ砲弾が押し寄せたかと思うと、次の瞬間には轟ッと衝撃が鳥海の艦体を襲った。
「被害状況報せ!」
米重巡の照準は、彼我の超接近戦に対応できていなかった。
その証拠に反撃弾は、鳥海を飛び越えてその遥か後方に着弾するか、マストや煙突などに命中するものが多かった。
が、照準が高いと米砲術士たちもすぐに気づき、鳥海を討ち取るべく照準に修正を加え始めている。
「鳥海を殺れ! 海底に引き摺りこんでやれえ!」
火焔を背負いながら鳥海目掛け、執念の突撃を見せるクインシー。
そして同時にアストリヤが照準の修正を終え、鳥海目掛けて射弾を送ろうとしていた。
鳥海が、再び揺らいだ。
敵弾が1番砲塔の装甲板を貫徹し、砲塔内へ飛び込んだのだ。
砲塔操作にあたる乗組員十数名がこの一弾でまとめて死傷し、1番砲塔は完全に機能を停止した。
「1番砲塔に被弾」
「被害状況を確――」
早川艦長が1番砲塔の現状を確認しようと指示を出そうとしたとき、先程の直撃弾とは比較できないほどの衝撃が、艦橋と早川艦長らを襲った。
何かを思う暇もない。
次の瞬間、早川艦長は爆風に薙ぎ倒されて床を転がっていた。
「がっ……誰か、何があった!」
膝をついて身体を起こした早川艦長は、変貌した周囲の光景にすぐさま事態を把握した。
吹き込んでくる外気。
めくれ上がって滅茶苦茶に破壊された内装。
破片か何かを浴びたか、床に倒れこんだまま血だまりを生み出す艦橋要員。
「……被弾したか」
莫大な運動エネルギーを乗せたクインシーの複数弾は、鳥海の上部艦橋甲板および羅針甲板に飛び込んだ。
不運の一言で片づけるのは容易いが、鳥海が被弾連続の憂き目にあったのには当然ながら理由がある。
闇夜に探照灯を使う艦艇が目立ち、凄まじい反撃に晒されることは必定。
そして米艦艇の反撃は、みな鳥海の上部構造物に集中していた。
鳥海の艦橋が被弾したのは、まったくの偶然ではない。
だが第8艦隊にとっての問題は、鳥海の艦橋が直撃弾を浴びたことでも、ましてやその原因でもなかった。
三川軍一海軍中将以下、艦隊司令部の参謀たちの多くがこの被弾時に負傷したことであった。