19
月日は流れ、この前6歳になったばかりと思っていたけど、もうそれからも半年近い。
日本の基準で言うと、小学校一年生に当たる。
まぁ、ずっと家で過ごしているので、友達100人どころか一人すらできそうにない。この世界では学校は、学園に5年通えばいいだけである。小学校5年生から中学3年生までの5年間だ。
ガロン兄は9歳、弟のカシオは2歳。カシオはもうすぐ3歳になるので、どんな一芸を選ぶのかな~とちょっと楽しみ。当の本人はそんなことまだ何も知らないと思うけど。
「あらあら、ガロちゃんは偉いのね~」
靴を履くガロン兄に、お母さんは言った。
外はざあざあと雨が降っている。
「……毎日やらないと」
ガロン兄はそう言って、玄関を開けた。
雨の日も、風の日も、ガロン兄は毎日槍の練習をする。すごい努力家なのだ。もう一年以上前になるけど、槍の大会で優勝したのは紛れもなく実力だ。
「……それに、雨だと涼しい」
そう言ってガロン兄は、雨に入っていった。
今は夏、確かに雨だとそういう点はいいかもしれないが、結構な雨だよ?
小雨なら分かるんだけど、ガロン兄の感覚は既に常人とはかけ離れてしまっているのか。
「あらあら、ガロちゃん、頼もしいことだわ~」
「ママ! ルーもお外行く!」
「ルーちゃん、濡れて風邪をひくかもしれないわ」
「大丈夫! 傘をさすから!」
「そうねぇ、それなら安心だわ~」
玄関で話していると、弟のカシオがとてとてとやって来て、俺に抱き着いてきた。
俺の方か……
と思いつつ、カシオの頭をなでる。
カシオは家族みんなに懐いていて、俺にもよく抱き着いてくるのだ。
「にぃに、一緒にいこ?」
「うん」
ルーチェの誘いに、迷いなく頷く。
「僕も一緒がいい!」
カシオが言った。
「うん、カシオも一緒なの!」
「ママも一緒に行くわ~」
ということで、4人で雨の中へ。
傘をさしているが、お母さんが簡単な魔法をかけてくれたので、軽い水しぶきで濡れることはない。
ちなみに俺とルーチェは相合傘である。兄妹なら当然だよね!
「ママの魔法は弱いから、水たまりには入らないでね~、濡れちゃうから」
「うん!」
4人で雨の中を歩く。
水たまりを踏まないように、ルーチェはぴょんぴょん跳ねながら「うんしょ!」と謎の掛け声を出している。
館の前にある庭も、雨の中では華やかさに欠ける。
中央の噴水からは、雨が降っているのにかかわらず、絶えず水が出ていた。
雨の中に、初老の男が傘もささずにいた。
「む」
ぼんやりと歩くその男は、立ち止まり振り返る。
「お若いのに高尚な趣味をお持ちで」
「こんにちは、お義父さん」
「こんにちは! じぃじ!」
「こんにちは~」
「こんにちは、おとー!」
その男、この街の領主であり、俺たちの祖父にあたる人だ。
お母さんから見れば、義理の父親である。カシオが“おとー”と呼んでいるのは、お母さんの呼び方を真似しているだけである。カシオは末っ子の宿命か、いろいろあまあまで育っているので、カシオの“おとー”呼びを訂正する者はいない。
「こんにちは、奥方に、我が愛しの孫、ルーチェ、ルクス、カシオ。みんなで散歩か?」
「ええ、ルーちゃんがお外に出たいというもので~」
「ふむ、流石は我が孫、ルーチェだ。若くして雨の中にいる趣を知るとは……儂が子供の頃は、雨は嫌いだったなぁ、手が濡れて槍が持ちにくくなるのが嫌だった」
お爺ちゃんはよく見ると、雨に濡れていない。雨をかわしているのだ! 槍の達人なので、多分、雨をかわし続けること程度、造作もないのだろう。
スキル《解析》【特】を使ってみると……ふむふむ、スキル《覇道》っていう奴っぽいね。このスキルは結構多くの武術スキルに含まれているスキルで、スキル《槍術》【特】の派生スキルでもある。
「だが今は雨は好きだなぁ……庭も、雨の時の方が良い。この庭は儂には少々派手すぎて……こう雨が降ることで、庭は完成する気がする。ほら、あそこに咲く花の名は分かるか? あの花は派手すぎると思うが、雨の中だといい塩梅と思わんか?」
「ルー、知ってる! ヒヒイロカネの花だよ! ヒヒイロカネの花って言うんだよ!」
「おお、ルーチェ、よく知ってるな。偉い偉い。孫が優秀で、儂も鼻が高いぞ」
「それでねヒヒイロカネの花はね、成長速度がすごく遅い代わりに、いろいろな場所で生育できるんだよ! でもやっぱり成長速度が遅すぎるから、とっても珍しい花なんだよ!」
「すごいわぁ、ルーちゃん。物知りなのねぇ~」
「儂も驚いた……ルーチェはまだ5歳だったか? それなのにこれほどの知識とは」
「ルーは6歳だよ!」
「そうか、もう6歳か……じゃが、6歳でもすごいな。本当によく知っておる。よく勉強しておるんだな」
「ううん、違うの……にぃにに教えて貰ったから」
ルーチェがそう言うと、お母さんとお爺ちゃんは『まさか』という表情でこっちを見る。
いや、その表情は失礼じゃない?
二人の中では、俺はどんだけダメダメな子の扱いなのか……
「確かに教えたこともあるような……?」
演技をする。本当は鮮明に覚えてるんだけどね。
俺のモブキャラ的には、こういう反応になってしまうのだ。
「にぃにはすごいんだよ! ルーの知らないこといっぱい知ってるんだから! それにドラゴンだって倒せるもん!」
「……ドラゴンは夢の話でしょ?」
お母さんはツッコむ。
「む~、でも、いろいろ教えてくれたのは本当だよ!」
そういうルーチェに、お母さんは誰にも聞こえないくらいの小声で「それも夢なのかしら……?」と呟いた。
いや~、実は全部現実なんだけどね。俺はモブで通っているからね……
俺はふと上を見る。
そして、傘に隠れた向こう側の魔力を目で追う。
その正体に気付く。
ドラゴンのブリーだ。
一年ほど前に会ってからというのも音信不通だったが、ついに帰ってきたようだ。
……しかし、タイミングが悪い。前みたいに夜来てくれれば良かったのに、今は昼だ。
どうしよう?
このままだと十中八九、俺の下にやって来るだろう。ブリーが下手なこと言えば、俺のモブライフが詰んでしまう可能性がある。
「にぃに、上見てどうしたの?」
「ト、トイレ……」
俺はトイレ作戦を採用した。
そして館へ猛スピードで向かう。
猛スピードと言っても、6歳児が出せる速度ギリギリくらいだ。
走りながら、千里眼と世界一の聴力を駆使し、ルーチェたちの様子を見守る。
お爺ちゃんが上を見上げる。
「ルクス……まさか……いや、偶然か」
お爺ちゃんは、ブリーの存在に気付いたようだ。
びゅうう。
暗い空を飛ぶドラゴンの音が聞こえる。
雨に濡れるのにも構わず、ルーチェとカシオは空を見上げる。
「ドラゴン?」
「え! ルーちゃんあれ、ホントにドラゴン!?」
ルーチェの呟きに、カシオは興奮する。
「あらあら本物かしら……」
お母さんも濡れることをいとわずに暗い空を見る。
一方、俺はモブに出しうる最高の速度で移動し、なんとか館に着いた。
着くと同時に、空を悠然と飛ぶドラゴンは突然動きを変え、こちら――領主館へ突っ込んでくる。
あー、やっぱり来るか……
本当にどうしよう。
てかブリーはどうするつもりなんだろう? このままだと館に突っ込むことになるぞ。