引き寄せられる依頼
信頼できる仲間たちが集い地面の底から絶えず闇が湧き出しているこの街の中で唯一気を休められる場所である筈の砂文字の事務所だったが、今は互いを猜疑心の込められた眼が油断なく舐めまわし、指先のわずかな動きから顔のしわの震えさえ見落とすまいと監視し合っている。
なぁ、俺たちどうしちまったんだ……、分かち合えた思いも、迷いなく向けられた笑顔も、何処に行っちまったんだ……。だがよ、そんな闇の中でさえ手を伸ばせば掴めるのが、希望ってもんだろ?
「こっちだっ!」
その瞬間、彼女の口元に浮かんだほほえみは手のひらの上から抜け出せずのも分からずに走り回る相手に向けられた慈愛に満ちた嘲笑であるかのようであった。
「いっかくが、またババ引いた」
「くそう、なんでこう的確に俺の引く方にババがあるんだ」
「何回目ですか? 砂文字所長ってババ抜き弱かったんすね。ところで……」
助手と言ってもバイトだが、助手の水上零士が頭を寄せて声を潜ませる。
「あの子いつまでここに置いとく気ですか?」
「他に行く当てもないらしいし……」
「どう見ても未成年でしょ? まずいっすよ……」
「いっかくが『ついて来い』と言った」
聞こえないように声を潜ませていたにもかかわらずエルノーは自分の手札を見つめながら平然と会話に入って来る。
「いや、それはあの場合、逃げる途中の話の流れで」
「いっかくが、『ここに住め』と言った」
「えっ、やっぱ砂文字所長が言ったんですか?……。それに、こんな若い女の子に名前で呼ばせてるってのも……」
水上が上半身を引いて目を細める。特殊な性癖を披露した人物を蔑むような目だ。
「そんな事、言ったか?……」
慌てて誤魔化そうとするが手札から上げられたエルノーの視線も痛い。確かにそう受け取られても仕方がないセリフを言った気がする。しかも思い返すと恥ずかしいほどのポーズ付きでだ。
「あれは、その……、何だ、一人で暮らせる様になったらこの街に住んで見るのも悪くはないというか……」
「所長ー。いますかー」
ノックもせずにドアが開けられて吊るしてある呼び鈴がけたたましく鳴った。普段なら腹立たしくも思うが言い訳の思いつかない今は助けに船とドアに向かうと、そこから入って来たのは若い娘とは思えない布巾を頭に巻いた、いつも出前を頼む飯森食堂の娘・若菜だった。
「どうした? 今日はまだ出前は頼んでいないが」
「もう、私がいつも出前だけ運んで来るわけじゃないですよー。今日は私の友達の相談に乗ってほしくて来たんですよ」
「探し人は子供の遊び相手じゃないんだ、帰りな」
「聞いてくれてもいいじゃないですかー。どうせ、遊んでたんでしょ?」
奥を覗き込もうとする若菜の視線を思わず体で遮ったが、朝からカードゲームに興じていたなどいい大人の答えれる話ではなく、彼女の連れてきた友人・奏多紗栄子の依頼を聞く事になった。
「所長ー、今日は依頼人なんだから、コーヒーは出ないんですか?」
「子供が飲むもんじゃねぇよ。それにお前は付き添いだろ?」
ソファーに腰を掛けた若菜の軽口を受け流し、依頼者の友人の方へと視線を向ける。
「奏多紗栄子です……」
控え目を通り越して人見知りな小声で名を名乗る少女が若菜の友達とはにわかに信じられなかったが、内気な性格と人目を引く容姿のアンバランスさは同類と言えたのかもしれなかった。
「……って感じで、酷いと思うでしょ? こんなに可愛い彼女がいるのに、何を考えているんだか、あったまきちゃう」
ふわふわした髪にひらひらした格好という、いかにも可愛らしさを体現したような大人しい紗栄子が挨拶をした後は、割り込んだ若菜が自分の感情を交えながら依頼の内容を話していた。簡単に言えば、奏多紗栄子の恋人の態度が変わったという何処にでもある痴話げんかであったが、恋人・沢渡洋平の態度が変わったきっかけとなったのが、最近、裏と表の両方で話題に上るようになった大地教に出入りするようになってからだというのが気になった。
「それで、あんたはどうしたいんだ?」
「あの、彼がこの数日、自分の部屋にも帰ってなくて……」
やっと本題に入る事が出来る。こっちも暇じゃないというのに手間をかけさせてくれる。
「なるほど、それで探し人の俺の所へやって来たと言う訳か。そういう事なら任せて置け」