メトロノーム
廊下を走り出すと体重の軽い少女たちと言っても三人も居れば足音が響く。しかし後は逃げ出すだけだ強行突破するのも悪くはない。
「急げ! 甲板に出たら右に走るんだ!」
少女たちに声を掛けて先に進ませ後ろに続こうとすると駆け寄ってくる足音が聞こえる。振り返ると銃を構えている見張りの姿があった。
「やめろ、人質に当たるだろう!」
銃を構えた男をもう一人が制していた。大事な商品という訳か。
「それなら、こちは遠慮なしに撃たしてもらうぜ!」
船内に銃声が響き渡る。さらに追手が増える前に少女たちを追って甲板に走り出たがブリッジの先の広くなった場所で彼女たちは呑気に甲板で立ち止まっていた。背を押してでも先に進まそうと彼女たちの背後に迫ると彼女たちの前を塞ぐように男の姿があった。
真っ白なスーツにつばの広いカウボーイハットという場違いな格好で警備兵ではないとすぐに分かる。
「何処へ行こうというのです? 予定を早めて到着してよかったです、……」
白スーツの男の言葉を銃声で遮った。スーツに二つ穴を開け弾丸が男の胸にめり込んだ。
「まったく、せっかちな人ですね。人の話は最後まで聞くものですよ」
(防弾?……)
胸の穴からは一滴の血も流れていないどころかこの距離で撃たれたというのに痛みも感じないのか涼しい顔をして話を続けている。
「お前らのボス・大道寺は死んだ。大人しくそこを通してもらおうか」
「ボス? ああ、あの連中の事ですか。それは良かった私の手間も省けると言うものですが、その娘は置いて行って貰いますよ」
スーツの男の態度からしてセリフを全て聞き終わるまでもなく見逃すつもりはないとみて直ぐに次の引き鉄を引いた。どんな防弾対策をしていても仕留められるように銃口を額に向けて。
「ふっふっふ……」
だが男は銃弾を右手ではじいた。いやそれは人間の手ではない。男の右手は甲殻類の爪のように硬い殻を纏っている。それは見る間に突き出た突起がスーツの袖を突き破り始め、全身を刺々しい甲羅に包まれた怪人に変わった。
「嘘だろ……こんな化け物が……」
目の前にしても信じられない怪物に思わず後ずさった。今すぐに背を向けて海へ飛び込みたい恐怖に駆られていたが踏みとどまっていたのは足が言う事を聞かなかったからだ。だが逃げなければ殺されるだけ絶望に力が抜けた下がりそうになった腕を支えるようにすがりついて来たのはエルノーだった。
「何を……?」
「……撃って」
彼女の声に、押し戻された手に握られた引き鉄を訳も分からずに引いた。
唐突に爆音が響き渡った。
怪物の硬い甲羅にはたき落とされるだけの銃弾が手榴弾のように爆煙を上げて爆発した。まるで仕掛けられた爆弾が爆発したように。戦闘機から撃ちこまれたミサイルのように。
爆発の熱い風に頬を撫でられて呆けていた意識が戻って来る。何が起こったのかどうなったのか、考えている場合じゃないと頭の中を揺さぶるように叫んでいた。
「走れ、向こうから海へ飛び込むんだ! ボートに向かって泳げ!」
少女たちを先導して海に飛び込み先に泳ぎ切って順番にボートへと引き上げる。後は煙を上げる船を後にして港へと帰るだけだった。
港たどり着くと少女たちを下ろして静かにその場を離れた。
あれだけ大きく煙を上げている船を見れば警察も直ぐに駆け付けて来る、彼女たちも保護してもらえるだろう。それに大道寺たちの死体も見つかればその場にいるのは少々厄介な事になりかねない。依頼人の家出娘の父親に事の顛末を報告して残りの料金を貰えば解決だと地下の街へ一人戻ろうとしていると、置いてきたはずの少女が一人後について来ていた。
「あんたも警察に保護してもらいな。そうすれば自由に暮らせる」
これ以上厄介事は御免だと言わんばかりにそう言ったが、ガラス玉の目を持つエルノーは表情一つ変えずに静かに答えた。
「自由?……それは誰の自由?……何処へ行っても私には自由なんてない……生きる道は選べない……」
不思議な輝きを持つ彼女の瞳が何を写しているのかが気になった、見通せない透明な輝きの先に。
だからだろうか俺があんな事を言ってしまったのも。
「あんたも、この街に住んでみるといい。この街に住む者たちは自分の刻んだペースで生きている、それが俺たちメトロノームの生き方だ」
そして俺は背を向けたまま拳を突き出し親指を立てた。