地上の空気
頬から硬く冷たい感触が伝わって来るが観覧車の籠に磔にされたまま回されているような上も下もなく世界がゆっくりと回っているような最悪な気分だった。
周りに気が付かれないように体の各部位にゆっくりと力を入れる。縛られてもいなければ骨が折れている個所も無い。周りで下品に騒ぎ立ててはいるが余程無能な奴らか勝ち誇った優越感に浸るおめでたい奴らという事だろう。相手は六人だが一番手強そうな大道寺のボディーガードを倒せば後はチンピラと的だ。
――軽いものだ。
俺になぜこんな事が出来るのか分からなかったが俺は何もない空間に手を伸ばせばそこにある銃を掴むことが出来るただそれだけの能力だったが、どんな相手でも素手の相手に油断していれば突然その手に握られた現れた銃には対処できない。
目を見開いて目の前の現実を信じられないまま死んでいく。戦闘訓練を積んだ殺し屋でも政財界の陰の実力者でも同じ事、それが薄汚い野良犬でも引き鉄にかけた指を動かせば相手が死ぬ、ただそれだけだ。
初めの一発目でボディーガードを撃ち、次に近くにいる二人を撃った。そして狼狽えるだけの二人を撃つと流れ弾に当たったのか黒幕の大道寺も胸から血を流して死んでいた。
――三秒と言った所か。
「……やめろ、……やめてくれ、誰かたすけて……誰か……」
声がする方へ眼を向けると四つん這いになった小山がのろのろと地面を這っていた。先ほどまでの威勢は何処へ行ったのか。権力をかさに着る者ほど自分のみじめさには鈍感なのかと思わなくもないが、ケツに向かって銃口を向けて引き鉄を引くだけだ。
倉庫の中に銃声が響き渡ったが無用心に開け放たれている入り口から覗き込もうとする人影も無い所を見ると、周囲は少なくとも大道寺の手したくらいしかいないという事だ。多少派手に暴れても問題はないが助けも期待は出来ない。しかし緊張よりも入り口から吹き込んでくる風が胸を満たした。
久しぶりの地上の空気だ。潮の香、油の匂い……。
胸のポケットから電子タバコを取り出すと一服つける。金持ちの住む地上より空調を管理された地下都市の方が空気が澄んでいるのはどう言うものなのかな。
「それともこれが自然を満喫するって奴なのかもな」
誰もいない埠頭から海に向かって呟くと一隻の大きな船が少し離れた場所に停泊している。港に見張りがいない事からも捕まった娘はあの中にいるに違いない。
先に黒幕を倒してしまって調子抜けだったが、このまま海の向こうへ運ばれでもしたら面倒になる。小さなボートを一隻と倉庫からロープを持ち出し夜の海へと乗り出した。
海上に停泊中のためか周囲の警戒もおろそかで甲板に人影もない。出来るだけ者音をたてないように手すりにロープを引っ掻けると静かに登り切る。床や天井の配管をよじ登って遊んで育つ地下都市の人間ならこれくらいは軽いものだ。
音もなく移動して中に入るがかなりの大きさの船には長い通路と無数の扉が並んでいる。ここから探し出さねばならないとなると相当な手間だが閉じ込められていそうな部屋を一つづつ調べていくしかあるまい、予想を付けて奥へと進んだがほとんどが内側に人の気配のない漂流する幽霊船に迷い込んだ気分だった。だが通路を進むうちに硬い靴を踏み鳴らす足音が聞こえて来る。
(……見られたか?)
手近な扉の一つに滑り込んで息を潜めたが足音はゆっくりと近づいてくる。部屋の奥に身を隠すかドアを開けた瞬間に襲い掛かるべきか、迷う時間もなく部屋のドアが開けられた。
「誰だ? 見ない顔だな?……」
扉を開けた男より先に問いかけた。組織の全貌を知らない下っ端ならばこれで十分、別の反応を見せれば人質にして情報を引き出すにも十分な相手という事だ。
「あっ、俺はいきなり船に配属されたばかりで……」
(下っ端か……)
「積み荷の警戒のための増員か、話は聞いている」
相手の態度に合わせて少し強目に出た。言い訳を考えさせておけば警戒もされにくい。
「積み荷? 婿の船室の娘たち以外に何か積んでいるんですか? そう言えば誰かを待ってるとか言ってましたが……」
「そうか、お前たちには教えていなかったな。そっちのテーブルの上に……」
男がテーブルに視線を移した瞬間、空中から取り出した銃で頭を殴りつけた。
「銃はこういう使い方も出来る」
下っ端にしては役に立った。男の体を部屋の隅に転がすと誰もいないことを確かめてから男の示した娘たちがとらわれている船室に向かった。
海の上で油断していたのか見張りもおらず部屋のドアに鍵もかかっていなかったが、部屋の中の娘は大人しく座っている。ドアを開けると驚いて振り返るが唇に指をあてるジェスチャーをすると事態を飲み込んだのか三人の少女は黙ったまま小さくうなずいた。
一目でわかる白い肌のエルノーに写真の家出娘太原奈緒美、もう一人は相良律子だろう。三人とも背格好や髪型はよく似ていたがこうやって並べて見比べてみれば誰がどれだか分からないほど似ているという訳でもなかった。古い写真だと言われて渡されれば誰の物でもそうかと納得しそうではあるが。
「ここから逃げ出すぞ、ついて来い!」
そう言って入ってきた扉へと視線を戻した。