エルノー
立ち去ろうとする少女を追って人と電気自動車の入り混じる無秩序な通りの流れを越えると俺は少女の華奢な肩に手をかけた。
「太原奈緒美だな?」
そう声を掛けながらも振り向いた彼女の顔に自分がなぜそんな言葉を口にしたのか分からなくなっていた。
確かに写真の少女に似ている。いや目鼻立ちはそっくりだと言っても良いはずだったが、年相応の朗らかな笑顔を浮かべる写真の奈緒美とはまるで対照的にカラス玉のような眼に白い肌は陶器で出来ているかのような作り物めいた少女だった。
「いえ……私は、違うわ。……私は、エルノー」
奇妙な返事だったが、それが期待通りの返事のような気さえする。
「そうか……。俺は砂文字一摑・探し人だ」
いやこの少女がただの他人の空似で無関係という筈が無い。探し人としての直感がそう告げていたが同時に何かとんでもない事に関わろうとしているのではないかと警告もしていた。
「この写真に見覚えはないか?」
太原奈緒美の写真を見せる。写真を見せられると普通は映っている人物の顔に視線が向かうが、エルノーの視線は写真の枠をなぞるように動いているかのようであった。
「……わからない……知らないわ」
よく考えてから答えたというよりは、何を聞かれ何を見せられたのかがよく分からなかったという感じの間の取り方が人形のような印象を強め白い頬に触れ陶器の冷たさを確かめたい気持ちに揺さぶられていた。
「君は何者だ? どこへ行こうとしていた?」
「どこへ? そう、私は何処へいけばいいの?」
何ともよく分からない答え方だった。思わず口にした曖昧な質問で意味が分からなかったのか?
「君が行こうとしていた場所だ」
「私は……何処へも行けはしない。どこへ行っても決められた運命からは逃れられないのだから、どこにも自由何てない」
参ったな、まるで会話にならなかったが目の前のエルノーと名乗る少女がMPでトリップ中の太原奈緒美である可能性もある。それにこの少女に何かあるのは周囲から向けられた視線の中にえらく物騒なものが混ざっている事からも明白だった。
半ば強引に彼女の手を掴んで歩き出すとエルノーは抗いもせず大人しくついて来たが、視線の持ち主たちは静かに人ごみを掻き分け距離を詰めて取り囲むかのように動き出す。典型的な狩猟スタイル、明らかにプロの動きであったが太陽の届かないこの街では目立ちすぎる。この街の住人ならもっと静かに影のように動く。
気が付いていない振りをしながらも歩くペースを上げて距離を詰めさせないようにして入り組んだ路地へと一気に走り込んだ。表通りから一歩踏み込めばそこは迷路のようであったがどこをどう通ればいいかは心得ている。いくつか路地を曲がって配管の上に跳び上がり後はこの上を渡れば隣りの通りに抜ける事が出来るが、一人では配管の上に登れず両手を上げているエルノーを引き上げようとして、とてもこの少女が配管をつたって先に進めるとは思えなかった。
「悪かった、向こうから行くぞ、ついて来い」
仕方なく配管から飛び降りると折れ曲がった路地を走り出したが、背後から複数の足音が近づいてくる。相手も枝分かれした路地を手分けして捜索し始めたようであった。
天上や床に反響した足音が周囲から響く。
「こっちはあまり使いたくなかったがな、仕方がない」
気は乗らなかったが背に腹は代えられない。エルノーの体を肩に担ぎあげ路地にぽっかりと開いた入り口から使われていないプラットホームへと降りる長い階段の手すりを滑り降りた。
弱い電灯の灯るホームから線路へと降りレールの上を走り出すと辺りは真っ暗になるがやがて路線の壁から明かりがも漏れ始める。そこが地下都市の中でもさらに日の当たらぬ場所、地獄への通り道・黄泉横丁の入り口であった。