MP(マスタード・プルー)
複雑に入り組んだ路地が交差し古い配管がそのまま残された上下へと続く狭い階段があちこちへと繋がっている、旧地下鉄の構内が表に出さない非合法な品物を取引する売人のテリトリーになっている。警官も犯罪者をあちこちに拡散させるよりはと小遣い稼ぎ程度の小さな取引にはここでは目をつぶっていた。
目的の相手は最近この辺りで子供相手にあこぎな商売をやっている売人・上杉だった。
「よぉ、近頃派手に稼いでいるそうだな」
「砂文字の旦那ですか、脅かさないで下さいよ。餓鬼相手の小遣い稼ぎでさぁ、旦那もどうです?」
上杉がコートの内側から取り出したのは電子煙草カプセル――マスタードプルー、通称MPと呼ばれる麻薬だった。
空調の管理された地下都市では煙草はもちろん火の扱いも厳重に管理されているため大麻などの麻薬は撲滅されたかに見えたが、そう言うものは柔軟に形を変えて生き残っている。通常は煙草の葉の入ったカプセルに乾燥大麻や樹脂その他の怪しい成分が含まれたものを詰められ、その材質や形状は通常の物と変わらないがご丁寧に吸い口のフィルターだけは派手なピンク色をして一目でわかるようになっていた。
「作りも既製品と変わらんな」
「でしょ? 物は確かですぜ」
小遣い稼ぎのために片手間で作った物なら中身を入れ替えるためにこじ開けた傷やへこみがあるものだが、それが全くないとなると大掛かりな工場で生産された物、つまりはかなり大きな組織から流れてきた代物という訳だ。
「小遣い稼ぎで売りさばくには、ちと物が良すぎるんじゃないか?」
「いえ、最近は加工技術も上がってこんなもんですよ……」
「そういや最近、ある組織の物を横流しした奴がいるって話があったよな……何でもかなりやばい組織で見つかったらただでは済まないとか」
そんな話は聞いたことも無かったがどこにでもある噂でもあった。かまをかけただけだが効果はてきめんだったようで、上杉は急に鼠のように落ち着かないそぶりを見せて一刻も早くこの場から立ち去りたいと言った様子だった。
「あっしは、そろそろ……」
「いや待てよ。何もMPをかっぱらったやつを探している訳じゃないんだ。こっちの探し物が見つからなければ、俺もその情報で小遣いを稼いでもいいんだけどな」
立ち去ろうとする上杉を無理やり捕まえて太原奈緒美の写真を見せる。
「この子を見なかったか? そうだな、この一週間くらいで」
「餓鬼なんぞどれも同じで……うっ」
写真を一目見た途端に目を反らす。いい反応だ、こいつで間違いなさそうだな。この驚きようだと何処にいるかも知ってそうだし思ったよりも早く片付きそうだ。
「この子は何処にいる?」
「……悪い事は言わねぇ、その子に係わるのはよすんだ! それこそ薬どころの話じゃない……」
「なんだと?」
上杉の怯えようは猫を前にした鼠どころじゃないとても言い逃れするための芝居とは思えないが、ただの家出少女の居場所を離すのにそれほど怯える必要があるのかと、写真に視線を移した隙に上杉が手を振り払って走り出した。
「待ちやがれ!」
一瞬おくれて追いかけるが相手はいざという時逃げ出すルートをいくつも体に叩き込んでいる売人だ。奴らのテリトリーで本気で逃げだされては捕まえられるものではない。狭い通路や階段を散々駆けずり回った後、息を切らして逃した手掛かりを後悔するだけだった。
「あの野郎……今度会ったら……」
苦し紛れのセリフを吐いた時電話が鳴った。助手の水上からの電話だ。
「もしもし、砂文字所長、写真の女の子は太原奈緒美ですよね? 見たことあるって子がいたんですが写真に写っているのは相良律子じゃないかって言うんですよ、その相良律子も最近姿が見えないらしいのですが……」
どういう事だ?
家出少女が偽名を使っていた可能性もあるが上杉の慌てようは尋常ではなかった。麻薬をかっぱらって組織に追われるよりも怯えなければならない事などそうあるはずがない。今確かなのは姿を消した少女を探されると困る連中がいるというこ事ぐらいで、疑えば依頼人の父親だって本物であるか分からない。
(弱ったな)
手がかりになりそうな上杉を逃がしたことを後悔したが一度警戒して姿をくらませた売人をそう簡単に見つけ出せるものではない。八方を塞がれては出直すべきかと事務所に戻ろうとしていたが、どんなに先の見えない闇でも出口はそこにあるってものだ、手がかりは向こうからやって来る。そう言うものだ。
人工の光に照らし出された明るくも暗い通りを歩く人ごみの向こうに、写真の少女が立っていた。