自称
小さな複合住宅が集まる閑静な住宅地で三層に降りる通路も近いが治安もいい場所であった。安土羽天の住む教会にも近く彼女の名が出たこともうなずけた。
「あそこっすね」
学生が多く住んでいる地域だけあって、水上はこの辺りの地理に詳しく目的の建物へ真直ぐに向かっていく。狭い入口の一人暮らしの学生のために造られたような集合住宅でセキュリティーも甘い。部屋の鍵も探し人の前ではあって無きようなもの。音を立てないようにドアをそっと押し開けると、いよいよ偽物の沢渡とご対面という訳だ。
忍び足で部屋の中に入ったのがため息をつきたくなるほど虚しく感じる。それくらい無警戒に女の子が床の上に大の字になって寝ているだけだったからだ。ゲーム内の攻撃の影響で痺れたというよりは目をまわして気絶したのだろう。ゴーグルを外しても力無く倒れたままで、短めの髪には大きなカールがかかり、大きなリボンがいくつもついた服装は奏多紗栄子よりも華奢なこの子をさらに幼く見せて、何度か揺すってようやく小さく唸って目をこする仕草も子供のようにしか見えなかった。
「うっうーん、おはようございます……?……砂文字さん……何を?……えっ? どうして砂文字さんがここに?」
自分の顔をまさぐってゴーグルを探したり部屋の中を見回して状況を確認しようとしているのだろうか、ただ狼狽えるだけで何が起こったのか理解できずにもう一度目をまわして倒れそうになっていた。
「君はどうして沢渡のアカウントでゲームに接続していたんだ? 口論していた女の子の事は知っていたのか?」
「僕が沢渡洋平なんです! 紗栄子にお願いがあって何とか連絡を取ろうとこのゲームを使ったんですが、信じてもらえなくて……」
横から間髪入れず水上が詰め寄る。
「嘘をつけ、本当の目的はなんだ」
「……やへてくだしゃい」
水上が自称沢渡の頬をつねっているが、ゲーム内ならともかく今の見た目に対して無理に問い詰めるのは罪悪感を感じないのだろうか。
「紗栄子君に頼もうとした事とは、どういう内容だ?」
「入院している僕の体に会わせてもらえれば、元に戻れるかもしれない思って」
なるほど、奏多紗栄子の事も沢渡洋平が意識不明で入院している事も知っているのか。しかし同じ学生ならばその程度の情報は知っててもおかしくはない。
「それに紗栄子は砂文字さんの事務所にも出入りしていたから、探し人に頼んでもらえれば、僕が元に戻る方法を探してもらえるかと思って……」
何かおかしい……。
「君の意識が沢渡洋平なら、その体は誰のものだ?」
「はい、この子は神子上ミミコ・十八歳、学生証があります」
早口言葉みたいな名前だが引き出しから迷いなく取り出したIDは間違いなく本物だった。
「君はいつからその姿でいるんだ?」
「はい、ひと月ほど前からです。気が付いたらこの部屋に居て、初めはそりゃもう驚きましたが」
一ヶ月前というと沢渡は入院どころか失踪もしていなかった筈だ。待てよ、奏多紗栄子は失踪する前に沢渡の様子がおかしくなったと言っていたが、その時すでにほかの誰かと入れ替わっていたとでもいうのか?
「それじゃ、本当に意識だけは沢渡洋平なんだな?」
何か気付いたのか、水上も今日はやけに尋問に気合が入っている。
「そうなんです、分かってもらえましたか?」
「じゃーなにか、お前は紗栄子ちゃんという可愛い彼女が居ながら、その女の子の体を好き放題使っているというのか!」
水上は自称沢渡の首を絞め始めた。
「やっ……やめて、ください……」
「やめんか」
水上を軽くぶん殴る。
「そうだな、一度沢渡に会わせてみるか」
どんな意図があるのか分からないが彼女もしくは彼を連れて、沢渡の入院している病院へ向かう事にした。