地下に住む人々
瞼の向こうから電灯の弱い光がちらつく。
頬に張り付いた冷たい床から数人の足音が規則正しい振動で伝わって来る。
意識が戻って来るに従って殴りつけられた頭が痛む――最悪の気分だ。
「いつまで寝てやがる、とっとと起きやがれ!」
背中に痛みが走った。
隣にいる男に蹴りつけられたのか、まぁそんな所だ。頭を殴られて意識を失ったまま此処へ運び込まれたようだが、幸い武器を持っていなかったとみて手足を縛られてはいない。腕っぷしには自信のありそうな連中の事だ、素手ならば抵抗されても問題ないと考えているのだろう。
「早く起こして、こいつにこれからどんな目に合うか教えてやるんだな」
周囲の男達から一歩下がった場所に立っている男が、見下すような笑いを浮かべて大袈裟にわめきたてている。どこかで見て事がある顔だと思ったら、大した政策もなく一般論と知名度だけで選挙に通った芸能人上がりの国会議員・小山だ。運良く手に入れた権力を振りかざすのが嬉しくて仕方がないようにB級映画の悪役のような笑い声を上げるのに忙しいようだった。
「地下の住人が大人しく地面の下にすっこんでいればいいものを、余計な事に首を突っ込みやがって」
この街の地下街に住む人々は侮蔑を込めてそう呼ばれている。
大規模なインフラ工事で広がり続けた地下街は管理のしやすい安価な居住スペースとして拡大し続けたその結果、一部の富裕層以外を街の地下へ押し込める形になった。地下と地上、それは物理的な格差として表れこの街で暮らす人々を縛る檻となった。そして太陽の当たらぬ地下街で生活する人々をいつの頃からか、メトロノームと呼ぶようになっていた。
「石の下から這い出た虫はどうなるか知っているか?」
「踏みつぶされて死ぬだけよ!」
男たちの下卑た笑い声が反響している。少し頭がはっきりしてきた。ここはかなりの大きさの倉庫のような建物の中だろう。それに、潮の香、海に近いあたりか。……なるほどね。
「こいつ、どうするんです? 沈めて魚のえさにしますか?」
「そりゃもう、ミンチでしょ、どこの誰だか分からなくなるまで切り刻んでしまえば」
勝手な事をぬかしてやがる。全部で四人、手の届く距離にいるのが二人か、……いや誰か来る、二人? 足音に混ざって硬いものが地面に当たる音が聞こえる、これは杖の音か?
「会長、いらっしゃったのですか? わざわざこんな所まで……」
ふんぞり返っていた小山が急に体を折り曲げて何度もお辞儀をしている。権力を振りかざす奴ほど、相手によってわかりやすいほど態度を変えるものだ。
「おぅ、まだ始末していなかったか」
「へい、直ぐ片付け増すんで」
必要とも思えないような杖に両手を乗せた初老の男は世の中に面白い事などもはやないかのような視線を一度向けただけで、何の興味も無いような態度を示す。この街の裏社会の大物の一人、大道寺だ。見ての通り国会議員でさえ顎で使いフィクサーなどと呼ばれているがやっている事は前世紀の総会屋と同じだ。
(こいつが、今回の黒幕って事か……)
麻薬に人身売買となるとそれなりの相手が出て来るとは思っていたが。しかし、悠長に考えている場合じゃないな。のこのこと姿を見せたという事は、俺を始末するのも時間の問題、いや、もうその時間さえ残されてないってことだろう。
相手は六人になったが何とかなるはずだ。どんな暗闇にも光は届く、手を伸ばせばそこに希望があるってものだ。なぁそう思うだろう?
「おい、どうした? 手を上げて命乞いか?」
「こいつは傑作だ! 何か言ってみろよ!」
俺が手を伸ばしたのは何もない空間。希望も光もない空間。だが、俺はそこではっきりと冷たく硬い感触に触れた。
俺は何もない空間から銃をつかみ取れる。そう、俺がつかみ取った希望は銃だった。
「こいつどこから……」
「いつの間に……」
間の抜けた最後の言葉を銃声が掻き消す。
引き金にかかった指を動かすたびに人が死ぬ。こいつはただそれだけの道具だ。街のチンピラにも、フィクサーと呼ばれる老人にも、這って逃げ出そうとするタレント議員にもケツの穴を余分にこさえるだけの事だった。
「順番が逆になったが、まぁいいか」
手を離せば夢のように消えてしまう希望のように跡形もなく消えてしまう銃から手を離し倉庫の出口へと歩き出した。
後は売り飛ばされそうになっている少女たちを助け出すだけ、それで依頼も片付く。