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方向音痴な青い恋

作者: 猫藤涼水

 突然、長くて深いキスをされた──。




 「お前さ、俺のこと好きじゃねえだろ」

 夏のうだるような暑さの中、蝉の声を遠巻きに私の彼氏は私の唇を解放するとそんなことを言い出した。

 8月に入ったばかり、夏休みの真っ最中というこの日、私達の住む街は最高気温37度の猛暑日。私こと村瀬志乃(ムラセシノ)とその恋人、黒田健太郎(クロダケンタロウ)は何をトチ狂ったかデートと称してこのクソ暑い中、電車で自然公園へと足を運んでいた。もっと涼しい場所が良かったが甲斐性の無い彼は金欠であるようなので、たまには暑さを我慢してお金のかからないデートだ。そもそも私も彼も単なる高校生なので仕事をしている大人の男と同じだけの甲斐性など求めるだけ無駄なのだが。

 それはそうとこの森林公園デート(笑)の感想だが、暑い、ダルい、死ぬ、何とかしろケン──健太郎のあだ名だ。実質私しか使ってない──といったところか。

 アテも無く歩き、自販機でジュースを買って木陰のベンチで小休止しているところ、突然ディープキスで唇を塞がれ、先程の質問を投げかけられた。

 「お前俺のこと好きじゃねえだろ」

 何の気無しに、といった様子だった。ほんの数秒前キスしたという事実を微塵も感じさせず、目線も合わせず、声のトーンも普段のまま、無機質で。

 既に気付き、その事実を受け入れているといった反応だ。誤魔化しようもない。

 「いつ気付いたの?」

 私も同じように落ち着いた声で返す。

 「1ヶ月くらい前」

 「なんか先月様子変だったのはそういうこと」

 「やっぱ変だったか」

 「かなり」

 「そうか」

 ここでフられても別にかまわない。男なんて掃いて捨てる程いる。あんな連中、ちょっと色目使ってやれば簡単に落ちるのだから。

 「いつから好きじゃなくなった?」

 「最初から」

 さすがに私がそんな答えを瞬時に出したことに、彼は目を見開いた。私達の交際は1年前……高校1年生の夏に始まった。本当にちょうど1年くらい前だ。記念日は来週の月曜日。きっかけは黒田健太郎から村瀬志乃への愛の告白。

 『幼なじみとか何とか関係ねーわ。俺はお前のこと好きになった。付き合ってくれ』

 そんな告白だった。正直なんだかイラッときたが、まあケンは悪い男ではない。ちょうど良いアクセサリだと思い身につけることにしたのだ。彼は私のアクセサリで、ついでに言えば代用品だ。

 「最悪だな」

 残りほんの少しであろう缶コーラをケンは一気に飲み干して、空き缶を乱暴にゴミ箱へ投げつけた。

 「そうだね。それで私をフるの?」

 「…………」

 少しの間を置いて、私の幼なじみであり彼氏でもあるこの男は答えた。

 「いや、別に」

 木々に日射しを遮られたベンチに気怠そうに座り、この話題を出した時と同じように、何の気無しに答えた。

 長めの前髪で目が少し隠れて、表情はよく見えなかった。

 「ねえ、今のキス何?」

 そんな問いを投げかけてみたけれど、答えは返ってこなかった。



 ◇ ◇ ◇



 「よーい」

 ピッ! と。笛が鳴って、直後に水しぶき。誰かがプールに飛び込んだ。マネージャーがストップウォッチを持っているからタイムを計っているのだろう。おお、速い速い。

 ケンと炎天下公園デートをしてから数日、照りつける日射しの下、私が学校のプールにいるのは、私が水泳部員だからだ。夏休みでも容赦なく練習はあるし、休みはほぼ無いに等しい。まあ、夏はシーズン真っ最中なのだから当然だが。練習内容は各自で考え、用紙に記入し、顧問に提出。オーケーが出ればそのメニューをこなす。人数が少ないからできることだ。大人数であれば限られたコース──今はレーンと呼ぶことに変わった──内で各々がバラバラのメニューをこなすことは不可能だ。

 そんな水泳事情はさておき、私の視線は第4レーンへと吸い込まれる。スポーツ飲料を飲みながら、まじまじと見つめる。凶器として使用できそうな程強い日射しに晒されてもなお白さを保つ肌に、水を弾く質の良い筋肉。あの細さであの筋肉は反則だ。特に……僧帽筋がやべえ!

 いや、興奮しすぎた。とにかくかっこいい彼がバタフライを泳いでいる。まるで本当の蝶が舞うように、力強く、そして自由に飛ぶように。

 水泳部部長、綾波真司(アヤナミシンジ)。私のひとつ上の先輩。私の、本当に欲しかったアクセサリ。

 「誰のこと見てんのか、バレバレっすよ、志乃先輩」

 不機嫌そうな声。左後方……の、やや斜め下から。

 「私の彼氏のこと、やらしい目で見ないでもらえるっすかね」

 「いや私も彼氏いるし」

 「でも真司のこと好きじゃないっすか」

 「いや好きじゃないし」

 「ならなんでジロジロ──」

 「泳ぎを見て参考にしようかと」

 絡まれると面倒だ。1年生のクセに真司先輩のこと呼び捨てにして、しかも彼にタメ口だ。仲良いアピールもいい加減にしろっての──彼らは付き合っているのだからむしろそれが自然なのだが──。

 原田鈴音(ハラダスズネ)。水泳部員で私の後輩で、真司先輩の彼女。私が今いちばん、殺したい女。

 「ふーっ、8バタ(※)つれえわ」


※800m連続でバタフライを泳ぐという意味。普通こんなアホなことはしない。


 休憩に入ったのか真司先輩がプールから上がってくる。それを横目でちらりと見ると、やはり素晴らしい筋肉だ。私が何かアクションを起こす前にロリチビ鈴音が走り出し、真司先輩に飛びついた。あーあーやらしい。お互い水着なんだからいろいろ当たってお幸せですね先輩。ロリ巨乳って、男は皆好きですもんね。この無駄メロンが。

 「真司ーっ!」

 「おおっ!? どうした鈴音!」

 「やっぱり速いねーっ! かっこいいねーっ!」

 「鈴音の前だからかっこつけたいんだよ! はっはっはっ!」

 リア充爆発しろ、なんて冗談めかして言えない。見て、心が苦しくなる。

 しかしあの女のキャラの変貌ぶりは凄まじい。やっていることがあざといあざとい。

 「おいテメェら部活中に何してやがるコラァ! リア充爆発しろゴルァアアア!!」

 プールサイドに設置されたパラソルの下で優雅にアイスコーヒーを飲んでいた顧問が叫ぶ。教師なら他に言うことあるだろ。部内恋愛禁止にしろ売れ残り女。

 「……ふぅ」

 ひとつため息をついて、空を仰ぐ。冷たい水の中で泳いだ後だ。身体の芯は熱いが、表面は冷たい。身体を濡らす水が太陽光で温められる。心地良い。あの突き刺すような日射しが和らげられている。

 雲ひとつない晴天で、今は日射しも優しく感じるが、清々しい気分にはなれない。日光ではないが、私の心には何かが突き刺さって抜けてくれないのだから。

 「お疲れ」

 「あっ……お疲れ様です」

 真司先輩だ。飲み物を求めてやってきたのだろう。私の立つその足下に部員の飲み物を纏めて保管しているクーラーボックスがある。その中から先輩はコーラを取り出してゴクゴクと一気に半分程喉に流し込む。

 「んだー、うめえっ! やべーわマジコーラ神だわ」

 「練習中に炭酸って、いいんですか?」

 「ダメ。俺以外は」

 なぜ私はこのバカを好きになったのだろうか。しかし筋肉は相変わらず反則だ。なんだこの大胸筋は。

 「彼女さん、ほったらかしていいんですか?」

 わざと不機嫌そうに問う。本人にその真意は伝わらないが。というか不機嫌であることすら気付いてないかもしれない。

 「あいつ練習戻ったし」

 「先輩は戻らないんですか?」

 「いや休憩さしてくれや。8バタ5本レースペース(※)は容赦なくハンパねーわ」

 「死ぬ気ですか自殺志願者ですか化け物ですかアホですか」


※800mのバタフライを5本、本番と同じくらい速の速さ(RP:Race Pace)で泳ぐということ。普通はこんなアホなことはしない。


「ひでえ言いぐさだなおいっ! つーか、お前は練習戻んないのかよ」

 「あ、私終わりましたよ」

 「マジか、何したん?」

 「マジです。いろいろです」

 「マジか、いろいろか」

 先輩との会話では、一度こうなるとずっとこうだ。会話が、進まない。先輩、会話テキトーだし。

 「まだ時間あるし、追加で練習したらどーよ?」

 珍しく話題提供してくれた。まだまだ先輩と話したい私はそれに飛びつく。

 「やろうかなとは思うんですけど、考えるのめんどくさくて。何か考えてくださいよ」

 「8バタ」

 「私はまだ人間の限界を超えてはいない」

 いやできないことはないが、激しく嫌だ。

 そんな冗談で珍しく先輩と盛り上がっている中、私の目は校舎の3階の窓に、幼なじみの姿を捉えた。

 彼はこちらを見ていた、と思う。

 たぶん、冷たい目で。



 ◇ ◇ ◇



 蝉の鳴き声が暑さを余計に感じさせる。湿気もひどく、足下が黒いアスファルトなものだから、体感温度は熱地獄とでも形容すべき域に達している。そんな帰り道を歩く私とケン。今日は夏休みにしては珍しく部活終わりの時間が被ったため肩を並べての帰宅だ。

 「コンビニ寄ってアイスとか買って行かね? 暑すぎて体溶けるわ」

 「エイトトゥエルヴに美味しそうなの売ってたよ」

 「じゃそこで」

 お互いに、何でもない風を装うが、何でもないわけがない。この会話だって長い沈黙を無理矢理破って発生したものだ。

 この後はまた沈黙が続き、コンビニに着いて初めて彼から「うまそうなのってどれ?」と言葉が発せられ、ほんの少し話してまた黙り込む。

 シャーベット系の、やたらと美味しそうなパッケージのアイスは思った程美味しくなくて、私は半分も食べずに残してしまった。

 ケンはアイスを完食していたようだが、美味しいと思って食べていたかはわからない。

 「あれっ、ケン?」

 後ろから女の声。ケンをケンと呼んだことに私は驚いた。昔から、彼をそう呼ぶのは私だけだったから。

 「お、優奈」

 2人で振り返ると、そこには私と同じ制服を着た、私の知らない女が立っていた。

 「彼女さん?」

 「んー……そうだよ」

 なんですか、その間は。

 ケンに優奈と呼ばれた女は私達に──というかケンに──駆け寄る。近い。

 「そうなんだ。ねえ、ケン家この辺なの?」

 女はケンの左腕にゆるりと自らの腕を絡めて甘ったるい声を出す。気持ち悪い。

 ていうか、それ、私の彼氏。

 「うん。あそこの公園曲がったらすぐ」

 平然と、ケンは受け答える。

 ねえ、どうしてふりほどかないの?

 ちらり、と女が私を一瞥した。哀れむような目を向けられた。

 「今度ケンの家行ってもいい?」

 「え、まあいいけど。でも俺の家、両親が共働きだから2人きりになるかもだぞ」

 「むしろ好都合かな!」

 「何言ってんだよ」

 ホント何言ってんのあんたら。何この会話。まるで恋人同士。

 絶句する私をよそに……いや、まるで私がそこにいないかのように2人の会話は盛り上がる。

 胸が、ざわつく。もやもやする。苦しい。息ができない。

 「今度の試合観に来てよ。来週の土曜日だから」

 「まあ行けたら行くわ。19日な?」

 「そ。来るならラインして?」

 「おう。つーかお前ラインの名前変えすぎ──」

 見ていられない。これ以上はもう。

 私はケンの空いた腕を力いっぱい掴んで自分の方にぐいっと引き寄せた。

 「なにすんだよ!」

 「それはこっちの台詞でしょ!?」

 そのまま引っ張って歩く。1秒でも早くこの場を離れたかった。あの女は意外にもケンの腕をあっさりと解放した。ケンも、抵抗しようと思えばできたはずだが、そうはしなかった。ただ、私を睨んではいた。無言で鋭い眼光を向けられるのは、少しだけ怖かった。

 ケンの家はさっきの女に絡まれた場所から本当にすぐ近くで、私の家はその隣。蝉の鳴き声に包まれながら歩いてほんの1分。

 「おい、離せ」

 ここまできて、ケンは私の腕をふりほどいた。

 「…………」

 「何なのお前?」

 「…………」

 「何がしてえの?」

 「…………」

 「おい!」

 「……あんたの……」

 「あ?」

 「あんたの彼女は私でしょ!? 何なのあの女!?」

 もやもや解消法。好きなだけ叫ぶ。イライラを声にして、ぶつける。

 「彼女の目の前で何してんの!? 腕に絡みつかれて放置ってどういうこと!?」

 「んだよお前、俺のこと好きじゃねえんだろ?」

 その冷たい言葉に、心臓が一瞬凍り付く。だけど、私は止まらない。更にケンに詰め寄って、また、叫ぶ。

 「だったら何!? 好きとか嫌いとかじゃなく、あんたの彼女は私でしょ!?」

 「好きじゃなければ彼女でも嫉妬する意味ねーだろ」

 「嫉妬じゃない! 私のアクセサリに勝手に触られんのが嫌なの!」

 「アクセサリって何? 俺のこと? アクセ扱いかよ」

 「うるさい!!」

 私がどれだけ必死に叫んでも、ケンは冷ややかな目を私に向け、冷たい言葉を私に投げかけるだけだった。

 通行人がちらちらとこちらを伺いながら通り過ぎていく。その視線に私は我に返る。閑散とした住宅街だとしても、往来でこれは恥ずべきことだ。

 「もう知らない。どうでもいい。最っ低!!」

 捨て台詞を残して、私は家の玄関へ飛び込んだ。これだけ叫んだのに、スッキリするどころか、余計に嫌な気分になった。

 違う、叫んだというより、私はただ喚いていただけ……。

 「お前だって、水泳部の先輩とイチャついてたろうが………」

 玄関のドアが閉まり切る直前、ケンが何かを呟いたが、私はそれをはっきりと聞き取ることはできなかった。



 ◇ ◇ ◇



 相変わらず暑い、蝉がうるさい。熱地獄の中、私は家から電車で3駅のところにあるスポーツ用品店を訪れた。来週の大会に向けて新しい競泳水着を買いに来たのだ。

 真夏であるためかレジャー用水着特設コーナーが入り口付近にあったが、私の求めているものはそこには並んでいない。通い慣れているため勝手知ったる店内を進み、お目当ての競泳コーナーへとたどり着く。

 ショーケースの中には最新式の高速水着が展示されていて、そうでない水着群はその辺の洋服と変わらずラックに所狭しと吊されている。

 高速水着には憧れるが、アレは相当身体を作り込まなくては効果を得られないうえに、それなりの値段であるため手が出ない。私はお気に入りのメーカーの水着の並ぶ一角でめぼしいものが無いかと探索を開始した。

 そういえば、去年はケンを水着選びに付き合わせた。彼は水着になんて詳しくなかったが、真面目に選んでくれた。選考基準は見た目だったが。

 ラックの競泳水着の海をかき分ける。今年発売の新しいものがちらほらと見て取れる。どれもこれも似ているが、明確な別物。競泳水着は意外と種類豊富なのだ。これは股付近が撥水素材でできているモデルで、割と昔からある人気シリーズだ。こっちは鮫肌を参考に作られた水着で、水の流れ、抵抗を味方につけて泳げるという代物だ。こっちは……。

 ぴたり、と競泳水着の海をかき分ける手が止まる。目に入った水着を持つ。

 これは、去年ケンが私に選んでくれた水着だ。青一色でデザイン性の低いシンプルな水着。彼は「飾り気の無い水着の方が速そうだ」といって私にこれをプレゼントしてくれた。バイトはしていても高校生からすれば、そうそう簡単に手が出せる値段ではないのに。彼曰く、誕生日プレゼントも兼ねていたそうだ。その年の私の誕生日は、大会の2日後だった。そういえば、今年は誕生日と大会の日が被っている。

 「…………」

 私は無言でその水着をラックに戻した。どうしてさっきからケンのことばかり思い出すのか。

 ここ数日、ケンとは本格的に関わりが薄くなってきた。部活の帰り時間が被ってもケンが私を避けているようで、一緒に帰ることはしない。携帯を使えば連絡くらいは取れるのだろうが、気が進まない。こういう時は、男の方から連絡をよこしてほしいものだが……望み薄だろうと思う。彼が私に連絡する気があるのであれば、そもそも私を避けはしないだろうから。

 しかし、構うものか。どうせ私はケンのことが好きなワケではない。だからケンが私を避けても問題ない。仮にあの優奈とかいう女とイチャついてたとして、それは私には無関係だ。

何故なら、私が本当に好きなのは──、

 「ん? ……志乃か?」

 「えっ? 真司先輩……?」

 噂をすれば影。いや噂はしていないのだが。

 しかしなんだろう。様子がおかしい。

 「……………」

 なんか暗いよこの先輩。

 どんよりした空気を纏い、心なしか目元にクマもあるように見える。

 「あの、どうしたんですか先輩……?」

 「どうって……水着買いにきた」

 「いやそうじゃなくて。なんか、暗いというか、なんというか……大丈夫ですか?」

 「ああ……まあ……少しな……」

 恐ろしく落ちてる。エネルギーの塊であるはずの真司先輩が。

 「えっと、何かあったんですか?」

 訊いていいものかと不安ではあったが、さすがに心配だったので、思い切って質問。

 「鈴音と……」

 ロリチビの名前が出てきた。訊かなきゃよかったかもしれない。

 「鈴音と喧嘩した……」

 愚痴に見せかけた惚気だろうか。と思ったがどうもそんな様子ではない。

 「先輩がロリチ……鈴音ちゃんと喧嘩ですか?」

 「ああ……浮気を疑われた……」

 「したんですか?」

 「してない」

 即答だった。確かに先輩が浮気なんてできるとは思えないが。

 「もう別れるとか言われてさ……」

 こんなに落ち込んだ先輩は見たことがなかった。本来ならば心配するのだろう。それが普通なのだろう。しかし、私はこの状況をチャンスとしか思えない。

 「先輩、店内だとアレですし、1回外出ましょう?」

 うつむく先輩の手を取って歩き出す。

 「えっ……志乃?」

 素っ頓狂な声を無視してつかつかと先輩を外へ引っ張り出した。初めて触れた先輩の手は、ケンのより大きくてごつごつしていた。



 ◇ ◇ ◇



 「あ、ここ……」

 2人きりで話のできる場所を探し歩いていたら、森林公園を発見した。入ってから気付いたが、ここはケンと最後にデートした場所でもある。

 「ケン……」

 「んぁ?」

 こぼれ落ちた彼の名を先輩に拾われて、心臓が跳ね上がる。

 「なっ、なんでもないです!」

 「えっ!? あっ、おう! つーか、それより……その……手……」

 「手? あっ……」

 私の左手は、未だ先輩のごつごつした右手を握っていた。私はその手を離すことはせず、逆に力を込めてぎゅっと握る。

 「嫌です。離しません」

 「えっ」

 これは、チャンスなのだから。“ケンに仕返しする”絶好のチャンスなのだから。

 戸惑う先輩。私のこと、意識してくれてるんだ。でもまだ足りない。

 「先輩、鈴音ちゃんじゃなきゃダメなんですか?」

 ゆるりと、彼の右腕に私の両腕を絡める。あの時、あの女がそうしたように。

 森林公園の木々に日射しを遮られた日陰とはいえ、ジリジリとしたしつこい暑さは和らぎはしない。それでも構わず絡みつかせる。

 「しっ、志乃!? お前、何して……!?」

 「ねぇ……せんぱい?」

 努めて甘い猫なで声を出す。

 先輩の顔は真っ赤だ。悟られぬようにちらりと下に視線を向けると、そちらの先輩も元気になっている。男なんてそんなものだ。

 「お、おまっ……お互い恋人がいるんだぞ!?」

 「関係ないです。それに先輩は、その恋人に別れるって言われてるんですよね?」

 「それは……」

 じっくり見ていたからわかる。先輩の目に動揺が走った。

 「せんぱい? 私じゃダメですか?」

 「し、しの……っ」

 ごくり、と生唾を飲み込む音がはっきりと聞いて取れた。でもまだ足りない。

 絡める腕を更に強く絡め、すりすりと先輩の肩の辺りに頬ずりをした。

 「鈴音ちゃんじゃなく、私と付き合いませんか?」

 先輩の心臓の鼓動が伝わってくる。どんどん強く、早くなる。

 あと一押し……。

 そう、あとはほんの少しの色仕掛け。

 ブラウスのボタンを2つ程外して、艶やかに、

 ──私を好きにしていいんですよ?

 そんな適当なことを言うだけ。

 ことは単純だ。たったこれだけの作業で、先輩は完全に私のものになる。

 なのに、私はそれを実行できない。まずボタンを外すという段階で躊躇ってしまっている。

 胸元を見せつけて、カラダを許す宣言をするだけ。

 なのに、できない。ボタンに指をかけた瞬間、脳裏を“あいつ”の顔がよぎって──、

 「……あ、あの、志乃?」

 「…………」

 「冗談なんだよな?」

 押し黙る私に、先輩は言葉をかける。

 「俺のこと励まそうとして、なんか変な冗談言っちまったんだろ?」

 違う。彼はこんなこと思ってない。でも、“そういうことにしたい”んだ。今までの流れを全部冗談ということにして、無かったことにしたいんだ。

 「な? だから、手を離せ。俺はもう元気だからよ」

 「…………はい」

 するりと離れる。今度は私がうつむく番だった。

 「…………」

 「…………」

 遠巻きに蝉の声が虚しい。

 一度行動を躊躇ったら、もう何もできなくなってしまった。

 「あ、その……」

 先に口を開いたのは真司先輩だった。私は彼の顔を見ることができず、うつむいたままでいる。

 「俺、帰るわ。なんか、いろいろ、ごめんな?」

 何がごめんなのか、わからない。曖昧に笑って先輩は踵を返した。

 ねえ、悪足掻きくらいしてもいいよね。

 「先輩……」

 去っていこうとする先輩の手を捕まえる。びくりとする先輩を振り向かせて、今度はうつむかず、彼の目を見る。焦りが映っていた。彼は私が何をしようとしているのか、恐らく理解していたのだろう。それでもなお一瞬だけフリーズして、その隙に私は彼の頬を両手で包んだ。

 逃がさない。

 爪先立ちになって、目をぎゅっとつぶる。そして、先輩の唇に私の唇を重ね──、

 「…………」

 「志乃……?」

──ようとして、できなかった。

 どうしても、あと1センチの距離が詰められなくて。やっぱり“あいつ”の……ケンの顔が浮かんできて。

 今度こそ諦めきって、私はすっと手を離した。

 「……悪い……」

 先輩はまた謝って、去っていった。

 ひとり残された私はしばらくその場を動くことができなかった。心の中で黒い感情がうごめいていた。澄んだ水に真っ黒なインクを垂らしたように、その感情は私の心を犯していった。

 蝉の鳴き声が、やけに大きく聞こえる……。

 その日は何か夢を見た。内容は思い出せない。でも、すごく、怖い夢だった気がする。翌日の目覚めは最悪だった。

 「……サイアク」

 昨日から消えない心の黒いもやを少しでも吐き出そうと呟いたが、特に効果は無かった。



 ◇ ◇ ◇



 ケンだけじゃない。今度は先輩にも避けられるようになった。当たり前か。ロリチビは目聡くそれに気付いてはいたが、特に何かアクションを起こすことはなかった。

 「おっし、ミーティング始めんぞ!」

 先輩の声ではっと我に返る。そうだ、今は部活中だった。プールではなく空き教室で、ミーティング中なのだ。

 「明日からの大会に向けて連絡すんぞ。メモ取れよお前ら!」

 「はーい!」

 いちばん元気よく返事をしたのはロリチビ鈴音だ。ここ何日かでもう仲直りしたようだ。

 「7時20分に現地集合、30分には会場入りして8時から朝アップ。マネージャーは今日の部活終わった段階で部室から持ってくモン纏めておいてくれ」

 曲がりなりにも真司先輩はこの水泳部の部長だ。普段はバカでもこういう時は真面目だし、仕事もきっちりこなす。だからかっこいい……と思っていたが、何故だろう今は何も感じない。もしかしら最初から何も感じていなかったのかも知れない。

 「1フリ(100m自由形のこと)出るヤツは気をつけろよ。最初の朝アップ終わったらすぐだからな。招集所には招集20分前には並んどけ」

 真司先輩は部員全員に向かって話しているが、私とだけは目が合わない。明確に避けられている。やはり何も感じない。好きな人に避けられるというのは、つらいのではないのだろうか。ケンに避けられるのは、こんなにつらいのに……。

 「リレー選手はこの後最後の引き継ぎ練習な。他は各自で調整。3年はこの大会がほぼ最後みたいなもんだから、気を引き締めていくぞ!」

 3年生はほぼ最後。真司先輩はこの大会を突破するだろうが、次の大会で引退だろう。会う機会が減る。激減する。やはり、何も感じなかった。

 ミーティングは滞り無く終わり、私達はプールに移動した。自分の練習メニューを自分で考えるのはこの部の常だが、今日は顧問にメニュー表を提出する必要はない。完全に自由に調整メニューをこなすのだ。早めにプールを上がってストレッチなどをしてもいい。気合いを入れるためにダッシュ──といってももちろん泳ぎでだが──をしてもいい。フォームチェックをしてもいい。とにかく自分の肉体の気になる箇所を徹底的にケアして明日へ繋げるのだ。

 私も軽めのメニューで自分の身体の調子をみて調整をかけている。

 泳いでいて思った。

 ケンに避けられ、真司先輩にも避けられ。真司先輩と話さなくなったことで鈴音とも絡みがなくなった。他の水泳部員達とは、不仲ではないが懇意にしているメンバーもいない。

 私、ひとりだ。さみしいな。

 青い世界の中。私のいちばん落ち着く世界で、私は私の孤独を実感した。ため息をつくと、青い世界に白が混ざり、雑音と共に浮上していった。

 明日の大会、ケンは観に来てくれるだろうか。付き合い始めたのは去年だが、ただの幼なじみだった中学の頃から、ケンは私の大会を観に来てくれていた。でも今年はきっと来てくれない。関係が壊れすぎてしまった。ケンのいない大会は、経験したことがない。彼の応援が無いことで、何か変わるだろうか。

 たぶん、味気ないものになる。やる気も出ないかも知れない。つまらない大会になると思う。

 私の中で、ケンの存在がどんどん大きくなる。いや、最初から大きかったのだ。ただ気付かなかっただけで。ケンはいつもそばにいてくれると思っていた。小さい頃からそれが当たり前だったから。

 ケンなら何でも許してくれると思いこんでいた。高校1年の頃、ケンに初めての彼女ができた。その時、私はケンがその子のことばかり気にかけているものだからイライラして、いろんないたずらをした。……真司先輩のことを好きだと言い始めたのもこの頃だった。始まりはこれだった。私はケンに振り向いてほしくて……私が恋をしたと言い出せば意識してくれるかと思った。だから真司先輩を好きになろうと思ったのだ。

 結局ケンはその彼女とはうまくいかなかったようで1ヶ月もしないうちに別れたが、私はその後も真司先輩に恋をしているフリをしていた。自分で自分を騙して、真司先輩のことが好きだと錯覚していた。本当はケンのことが好きで好きでたまらないのに。

 どうして気付かなかったんだろう。こんな大切な気持ちに。

 私は水面から上がり、思い切り息を吸い込んだ。酸素に肺が満たされる。時計を確認すると、まだケンの部活が終わってない時間だった。校内を探せば見つかるはず。

 勢い良くプールから上がり、更衣室に飛び込む。水着を脱いで急いで身体を拭く。髪は、少しくらい濡れていてもかまわない。すぐに着替えて、そのまま私は走り出す。

 校舎内に入った。上靴に履き替える時間が惜しかったが、その後走ることを考えて履き替える。

 3階を目指して階段を駆け上がる。ケンの部室はこの3階のいちばん端だ。

 走る。走る。走る。

 息も絶え絶えになりながら部室を覗くがケンの姿は見えない。まさか帰ったということもないだろうと校舎内を探して回る私。陸に上がると私は運動音痴だ。走るのさえも嫌だが、今はケンだ。ケンに会いたい。会って、謝って、気持ちを伝えて、明日の大会観に来てもらうんだから!

 こんな、クズみたいな女、もう嫌かも知れないけど、せめて気持ちだけは伝えたい。

 探して、探して、探して。1階の空き教室にケンを見つけた。息を整えて扉を開けようとして、手が止まった。

 空き教室にはケンともうひとり。あのロリチビが……原田鈴音がいたのだ。そういえば、プールで彼女の姿を見かけなかった。ここにいたのか。

 ドアを開けることをやめて様子を伺う。

 「お話は以上です。急に呼び出してごめんなさい」

 ちょうど鈴音が教室を出ようとこちらに向かってくる。私は慌ててその場を離れた。

 ……意味がわからない。

 ケンは鈴音とどういう関係なの? 何の話をしてたの? どうしてこんな空き教室で2人きりでいたの?

 せっかくケンへの気持ちを理解できたのに……。どうして……。



 ◇ ◇ ◇



 翌日。8月19日、大会初日。

 結局私は昨日、ケンと会うことも連絡を取ることも諦めた。

 「おし、じゃあ朝のウォーミングアップ行くぞ。マネージャーは荷物の管理しっかり頼むわ」

 真面目な時は本当に真面目な先輩の指示でウォーミングアップへ向かう。更衣室で着替えて準備していると、ゴーグルが見当たらない。しまった、朝からぼーっとしてて、忘れ物か。

 「……サイアク」

 そんな独り言と共に溜め息をひとつつくと、すっと目の前にゴーグルを差し出された。忘れ物ではなく落とし物か。拾ってくれた人に感謝をと思って顔を上げると、仏頂面の原田鈴音がそこにいた。

 「とうぞっす」

 「……えっ」

 差し出されたゴーグルは見てみるとそもそも私のものではなく、しかも新品。

 「渡すように言われたっす。今年は水着買う程の余裕が無かったとも言ってました」

 「誰が……!?」

 「言う必要あるっすか?」

 ケンが私に? ケンは来てるの? どうして直接渡さないの? どうして鈴音に……。

 「先に行くっす。早くしないと、泳ぐスペース無くなるっすよ」

 「う、うん……」

 ケンは、たぶん来てはいないのだろう。今日は19日の土曜日。あの、優奈とかいう女も今日試合があるとか言っていた。彼はそれを観に行っているに違いない。だから人を通してゴーグルを私に届けたのだと思う。ゴーグルを買ってくれた意味はわからないけど、きっと、そうなんだろう。

 でも、何にしても、嬉しい。

 渡されたゴーグルは飾り気の無い青いもので、またもデザイン性の低いものだった。ホント、青好きなんだから。

 「……よしっ!」

 俄然やる気に満ちてきた。

 出遅れたが、ウォームアップに臨み、念入りにアップする。朝の水は冷たいが、身体はどんどん温まっていく。





 ──準備は、できた。





 『……第8レーン、誠央高校ティーム。山内君』

 アナウンスの響く会場。現在の種目は、男子200mバタフライ予選。真司先輩の出る種目だ。

 「最近、志乃先輩暗すぎっしたよ」

 「鈴音ちゃん」

 湿気と、2つの意味での熱気に包まれる応援席で、まだ先輩の番ではないからだろう、鈴音が話しかけてきた。

 「あのゴーグル、そんなに嬉しかったっすか?」

 「うん」

 力強く頷く。

 「そうっすか」

 鈴音はにこっと笑う。

 「最近ずっと辛気臭い顔してて、すんごいうざかったんすよ、先輩」

 応援の声が耳に響く。私達はそれに邪魔されないようにかなり近い位置で対話する。

 「言うね」

 「でも今は違うっす。良い顔してるっす」

 「ケンからゴーグルもらったからね」

 会場内の様々な場所からラストー! っと叫び声が聞こえる。そろそろフィニッシュか。

 「健太郎先輩のことは好きじゃなかったように見えてたっすけどね」

 「ううん、好きだよ。誰よりも」

 応援の声が収まって、労いの言葉が場内から上がる。

 「次、真司の番っす」

 「そうだね」

 「応援するっす」

 「うん」

 『最終組。第1レーン、青山高校ティーム、伊藤君』

 場内アナウンスで選手が紹介されていく。

 『第4レーン、夏葉高校ティーム、綾波君』

 「「真司ぃぃいいいっ!!!」」

 応援席にいる私達が、全力で先輩の名を叫んだ。

 水泳部式の応援を紹介しよう。自分達のチームの選手が紹介された時は、名前を叫ぶ。

 ピッピッピッピピー、と笛が鳴る。これが位置についての合図。

 『Take your marks...』

 よーい。



 ピッ!!!



 「「えーいっ!!!」」

 スタートと同時にかけ声をかけて、その後はストロークのタイミングにあわせて同じようにかけ声をかけ続ける。

 さすが先輩、恐ろしい程に速い。あんなに自由にあんなに速く泳げるなんて、羨ましい限りだ。

 「「そーれいっ!!」」

 ターンのタイミングでまた違ったかけ声をかけて、また同じようにリズミカルにかけ声をかける。

 正直応援は泳いでいる間はほぼ聞こえない。しかし、この応援で観客席のチームメイトと泳いでいる選手が一体化するのだ。

 「「ラストー!」」

 最後のターンが終わったらこれだ。

 真司先輩は、2位に大差を付けて独走ならぬ独泳状態だ。

 他を寄せ付けぬ圧倒的な泳ぎで余裕のタッチ。

 「「お疲れ様でしたああああっ!!!」」

 部員全員が叫ぶ。

 「決勝でも1位っすよ、真司は」

 「そうだね、絶対に」

 「そろそろ行くっすよ。私達の種目、もうすぐっす」

 「うん。私に勝てると思わないでね」

 「こっちの台詞っす」

 偶然選んだ種目が同じだった。女子200m個人メドレー。鈴音は高校で大会に出るのは初めてだが、練習を見る限り、かなり速い。こんな、選手自身にメニューを考えさせる公立高の選手とは思えない泳ぎをする。

 中学の頃は独立したスイミングチームの選手だったのだろう。真司先輩や、私と同じように。

 真司先輩、私、鈴音はそれぞれの学年のエース。種目は男女で完全に分けられているため、真司先輩と張り合う意味はないが、相手が鈴音となれば話は別だ。同じ種目にエースは2人もいらない。

 私は、鈴音には絶対に負けない。



 ◇ ◇ ◇



 『女子200m個人メドレー予選、最終組。選手を紹介します』

 場内アナウンス。

 私はケンから贈られたゴーグルを締め直し、その場で軽く屈伸運動をする。私のレース前の儀式だ。

 『第4レーン、夏葉高校ティーム、原田さん』

 「「鈴音ーっ!!!」」

 隣で鈴音がプールに一礼、チームメイトに手を振る。

 『第5レーン、夏葉高校ティーム、村瀬さん』

 「「志乃ーっ!!!」」

 同じく私もプールに一礼し、チームメイトに手を振り返す。

 「志乃ーっ!!!!」

 チームメイト達のいる方向とは違う方から、私の名前が叫ばれた。

 「──えっ」

 熱気に包まれ、湿度も温度も高い、蒸し暑い場内の西側観客席。最前列の柵に手をかけて、ケンが……黒田健太郎が立っていた。

 目が合って、彼は私にサムズアップしてくれた。

 ピッピッピピー……。

 私は笑顔を返して、スタート台へ上がる。

 『Take your marks...』




 負ける気がしない。




 ピッ!!!





 夕方になっても蝉は鳴くことをやめない。空は茜色に染まって、影が長い。

 「おし、皆お疲れ! 明日は8時集合だから、間違えんなよ!」

 会場を出たすぐそこで真司先輩が軽く言葉をかけて、今日は解散。

 「明日の決勝は負けないから」

 「返り討ちっす」

 結果として、私は鈴音に負けた。百分の一秒の差だった。鈴音は予選を1位で突破した。大会新記録だそうだ。予選から何てことをしでかすのか。

 「志乃」

 「ケン……」

 他の部員達と別れてすぐ、ケンに声をかけられた。私を待っていたらしい。

 最初、何を話せばいいのかわからなかった。ケンも同じだったようで、顔を向き合わせて、案の定私達は無言だった。そしてやはり先に口を開いたのは──、

 「……誕生日、おめでとう」

 「うん。……あっ、ゴーグルありがと。今日ゴーグル忘れてピンチだった」

 「そうか」

 また無言だ。最近ケンとは沈黙の時間を共にすることが多い気がする。

 「今日、あの優奈って人の試合だんじゃないの?」

 「優奈? ああ、らしいな」

「行かなかったの?」

 「ああ。そりゃ元カノに呼ばれたって行かないだろ」

 「えっ?」

 思わず聞き返した。元カノ? 元彼女?

 1年前記憶を掘り起こしてみる。私がケンと付き合う前、ケンが誰と一緒にいた?

 その時私は努めてケンから視線を外そうとしていたからよく覚えていない。ケンの彼女は誰だった? 名前は何だった?

 「……あっ」

 そうだ。名前は小塚優奈。間違いなくあの女だった。

 「お前もしかして優奈のこと覚えてなかったのか?」

 「……忘れてた」

 「記憶力無さすぎだろ」

 「うっさい! てか、それならなんであの時あんな馴れ馴れしくしてたわけ!?」

 「お前に嫉妬させてやろうと思ったんだよ」

 「うっわ性格悪っ!?」

 「お前が言えたことかよ」

 彼の言う通り。私の性格は悪すぎる。ケンにひどいこと言って、真司先輩に変なことして、自分が被害者面して……。ホント、最悪な女……。

 「ごめんなさい」

 「なんだよ突然」

 「好きじゃないなんて嘘」

 「そうか。……よかった」

 彼が安堵を表に出すのは珍しい。なんだかいつもは気怠げというか、冷めているというか、感情の起伏が見て取れないのだ。

 「水泳部の先輩のこと、好きなんだと思ってた」

 真司先輩のことだろう。

 「私もそう思ってた」

 「……あっ?」

 「ずっと先輩のこと好きだと思い込んでたの」

 「えっと、なんだそれ?」

 私は私が真司先輩を好きになろうと思った理由や、ケンを好きではないと思い込もうとしていた理由を彼に話した。怒られるだろうと思ったが、ケンはそうしなかった。

 「呆れてモノも言えねえわ。アホかよ」

 茶化してきた。

 「ごめん……」

 「もういいよ」

 「もうひとつ、ごめん」

 「ん?」

 「ゴーグルもらって、応援もしてくれたのに、いちばんになれなかった」

 「決勝で勝てばいいだろ」

 彼の言葉は私の力になる。

 「うん。勝つよ」

 「それでいい」

 私が唯一勝てなかった、原田鈴音。明日こそ……!

 鈴音で思い出したが、そういえば──、

 「昨日空き教室で鈴音ちゃんと何してたの?」

 「えっ?」

 「あんたまさか浮気……」

 「いや違えわ」

 ジトッと睨みつける。ケンもジト目だ。気の合う2人である。

 「原田ちゃんに呼び出されてさ。志乃が辛気臭いし、人の彼氏に色目使ってうざいからなんとかしろって」

 なるほど確かにあの女ならやりかねない。「まさか見られてるとは思ってなかったんだけど」とバツの悪そうな顔をしているケンはなんだか可愛い。

 「それならなんでゴーグル直接渡してくれなかったの?」

 「俺に女子更衣室入れってか?」

 「あっ、なるほど」

 割と単純な理由だった。変に勘ぐって妙な勘違いをした私が恥ずかしい。

 気がついたら、ケンと普通に話せている。気まずさはない。

 「つーか、帰ろうぜ」

 「うん、いい加減暗くなってきたしね」

 「ん」

 「ん?」

 手を差し出されて、何かと思えば、彼は私の荷物を持ってくれるらしい。悪いと思ったが奪われたので任せる。

 彼のもう片方の空いた手には私の手が握られる。

 久々の彼の手は、あったかい。




 「つーかさ」

 「んー?」

 「お前男をアクセ扱いは無いわ」

 「う……」

 「何悪女ぶっちゃってんの」

 「言わないで恥ずかしい!」

 「黒歴史ざまあ」

 「んぅ~っ! 死ね!」





~fin~


 初めまして、猫藤涼水(ネコフジリョウスイ)です。

今さっき考えた名前なので一瞬「あれ俺の名前何だっけ」と焦りました。

 なろうに小説を投稿するのは初めてですが、この作品自体は随分と前から書いていたものになります。内容は……いかがでしたでしょうか、高校生のクソガキが一丁前に大人ぶって悪女ぶる姿は。滑稽ですねぇ~(笑)

 あ、あまり詳しい内容や設定なんかに触れるのは良くないと思うのでやめておきましょう。

 もしかしたら続編というか志乃達の今後についてのお話は書くかも知れないのでその時は是非この愛すべきクソガキにまた会いに来てください。

 それではこの辺で!

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― 新着の感想 ―
[一言]  恋は思い込みなのかもしれません。  いろいろなものを排除していくと、本当に必要なものだけが残っていくのかなと思います。
2018/01/14 10:12 退会済み
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