転生トラック・下
「そちらの用事は終わったのならついて来てもらいたい」
朝からドタバタしたため溜まった疲労を回復させようと友人からの誘いを断り、大学から帰ってきた俺は最も見たくない顔をアパートの前で見ることになった。
「……」
顔を合わせてはいけない。会話などもっての他だ。
俺は顔を伏せて無言のままアパートの門をくぐった。
「……昨日は申し訳なかった。早急に解決したい思いから無茶をしてしまった」
「え、いや。うん、分かってるならいいんだけど」
だから、何で答えるんだよ。5秒もかからずに決意に反する意志の弱さに泣きたくなる。
ただ言い訳をさせてもらうと、その表情は卑怯だ。若い女の子に涙ぐまれるとそれだけで悪いことをした気になってしまう。
「今日はそれを言いおうと思って来た」
「そうか」
頭を下げた姿勢を維持する紫の姿に罪悪感が湧き上がってくる。これはひどいことをしたかもしれない。謝りに来た(見た目)年下の女の子を無視するのは流石にやりすぎか。
よくよく考えると、初めに投げかけられた言葉と矛盾しているのだが、残念な事に俺は気づく事が出来なかった。
「いや、分かってくれたならいいんだ。ただ、もうあの車には乗らないから。うん、それを確約してくれるならもう何も言わないから」
「そうだちょっとこれをみてほしい」
何気なく、ポンと手を打った紫は何かを俺の目の前に突き出して来た。
「ん?」
と、罪悪感に駆られていた俺は紫の言葉に半ば自動で従ってしまった。目のピントを紫が言葉で示した何かに合わせる。
糸にぶら下げられた五円……だ、ま?
そして俺の意識は闇に閉ざされた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
気がつくと俺はアルベールに乗っていた。もちろん運転席にだ。そして助手席には紫の姿があった。やっぱりこいつはクソだ。ゲロ以下の存在だ。
「嫌なんだ、もう……本当に嫌なんだけど」
無駄だと諦めそうになる心に叱咤激励をして、何とか下ろしてもらおうと説得を開始する。
「安心してくれ。今日は昨日の様な事をするつもりはない」
「本当に?」
「ああ、本当だ法定速度を厳守することを約束する」
結果からいうとアルベールのその言葉には嘘はなかった。しかし、だから問題がないかというと全くそんな事はなかった。
20分後、怒りが一周回ってむしろ冷静になってきた俺は静かに口を開く。
「何で俺は車道の真ん中に突っ立っているんでしょうか?」
「もうすぐ転生トラックが来るからだな」
アルベールの返答に、ならばと質問を追加する。
「気のせいか、体が動かないんですけど?」
「ただの人間の体の自由を奪うことなんてとても簡単」
紫がえへんと無い胸を張った。
そうか、やったのお前か。
「残念なことにやつは私よりも速い。故に今日は別の手を用意した」
「俺のいないところでその手とやらをやってほしいところですね」
「それは出来ない。やつは人間しか標的としないからだ」
聞きたくない情報が耳に入ってくる。俺は必死に体を動かそうとするが、指一本動かない。無駄だと思いながらも助けを求めようと紫に視線を送ると、鏡の少女は白いピンポン玉のようなものを器用に指の上でくるくると回していた。
「それは?」
「知人からもらったもの」
だからそれは一体何なんだ。再び質問をしようと口路開いた時。
「来た」
紫の真剣な声が俺の質問をシャットアウトした。
見ると、確かに昨日みたトラックがこちらに向かって走って来ていた。路上に突っ立っている時点で予測はしていたが、それが今現実のものになろうとしている。
「いや、ちょっと」
「問題ない」
動かない体を何とかして動かそうともがく俺に紫が変わらない表情のままで言う。
「これは蜘蛛の糸だから」
「だからお前達の言うことはいつも、何でそうなのかが全くわからないんだよ!」
俺の魂からの叫びは、隣の少女には全く届いていないようでその視線は迫り来る転生トラックに固定されていた。
トラックの姿が徐々に大きくなってくる。
これは死んだんじゃないか。何故か、自分でも不思議になる程冷静にそう思った。
隣で諸行無常の精神に到達しようとしている俺を全く意に介す事なく、紫は手にしていた玉をトラックへ向けて放った。
放たれたボールは放物線を描き、転生トラックへ向かう。そしてその車体に当たると、一瞬にして放射状に広がり、車体を包み込んだ。
「糸? ……あ、蜘蛛ってそう言う」
広がったボールは網の様に転生トラックを捉え、一部路面と接地した糸は強固に張り付いた様で、転生トラックは糸を振り切ることができずにタイヤを空回りさせている。
もっとも糸には弾性があるようで、転生トラックのもつ速度を完全に殺すまでに少しの距離を要した。
迫り来る巨大な質量、動かない体。俺の脳裏に今までの人生がフラッシュバックした。確実に死ぬ流れだ。
その時、紫が俺に並んで片手を前に突き出した。細く白い手が目前にまで近づいたトラックに触れる。
この折れそうな手にどれだけの力があったのかは不明だが、結果として俺の鼻先でトラックの車体が止まった。今、漏らしていないことを八百万の神に感謝しよう。
へなへなと尻餅をついた俺の耳に聞きなれない声が届いた。あれ、そう言えば体が動く。
「くそ、放せ! 俺はやらねばならんのだ!」
捕らえられた転生トラックがなんとか網から抜け出そうと、アクセルをふかしている。しかし、紫が張った網はその細さの割りに頑丈なようで、突破する事は出来ない様だ。
この声が転生トラックのものであることは明白だった。トラックが喋っていることに関しては、今更何も言うことはない。
「この過酷極まりない現実から可能な限り多くの人間を救い出すのだ!」
転生トラックのそれは魂のこもった叫びだった。しかし。
「何言ってんだこいつ?」
「よく分からない」
差し出された紫の手に掴まって体を起こした俺は困惑する。救い出す人を昏睡状態にしてどうするのか。
錯乱して意味不明な言葉を叫んでいる転生トラックに、同じ車系として思うことがあるのかアルベールが語りかけた。
「貴様が撥ねた人間達だが、今のままでは衰弱死してしまう。それを見過ごすにはいささか数が多い」
「え? 何それ怖い」
突然、転生トラックが素に戻った。タイヤも止まったことを見ると本当に知らなかった様だ。
「いや、衰弱死、するの? マジで? なんで?」
「精気を吸われ続けていれば衰弱死もするだろう」
「精気……吸ってたのか。そう言えば最近調子いいなぁ、って思ってたけど。そうかぁ、精気吸ってたのか」
たまげたなぁ、と転生トラックは呟いた。
「だが、そのおかげで俺が轢いた人間は望んだ夢を見ることができる」
「どれだけ望んだものが見れたとしても夢は夢だ。いずれは冷める」
「そ、それはそうだけど、つっても本当に異世界に転生させるのは無理だしなぁ」
少し会話がずれている気がした。
俺は紫に問うてみる。
「なんで異世界に転生させる必要があるんだろう?」
「分からない。こちらとしては、人を襲うのをやめるならどうでもいい」
動物園で洗わずにものを食べるアライグマと遭遇した時くらいにどうでもいいという風な紫。言葉通り全く関心がないのであろう。
「このままのペースで人間を襲い続けると言うのならば、君にとって残念な結末になるが、良いか?」
それは間違いなく、脅しの言葉だった。転生トラックも気がついたようで慌てて返事を返す。
「待て、わかった、とりあえず撥ねた人間は解放する! これからは撥ねる回数も減らす!」
出来れば減らすのでは無くてやめてほしいのだが。
「そして、ういた時間で本当に異世界に転生させられるように修行する!」
俺は紫と顔を合わせた。何を言っているんだこいつは。
「まず異世界を見つけないとな。やっぱり中世ヨーロッパ的な感じだろう。いや、あまりリアルを追求するのは良くないな。ド○クエみたいな感じがいいはずだ。あと亜人はいるだろ、絶対必要だ。奴隷制度もいるだろうし。あとは……転生の際の神様役は俺がやるとして踏み台役はどうするか……く、最悪カットすることも、いやしかし……ああ、しまった!」
転生トラックは手があれば頭を抱えていただろうと思える声で叫んだ。
「そもそも今のままだと物理的な破壊力がない! しっかりと殺せるように鍛えないと」
「いや、そこ鍛えるなよ。殺すな」
より危険になってどうする。もっと安全に人の迷惑をかけずに生きていけるように修行しろよ。
「え? だって転生、したいでしょ?」
「したいわけないだろ。なんで死なないといけないんだよ」
「……意味が分からない」
この世の不思議に遭遇した、と言わんばかりの声色にも、もしかして自分が間違っているのではないかと不安になるが、すぐに考え直す。俺は間違ってない。
「というかあんたらも何か言ってくれよ」
物騒にも人を殺す発言をしている妖怪に対して何のツッコミも入れない二人に話をふってみたのだが。
「別に不必要に人を襲わないのであればそれでいい」
「生きていく上で必要ならば、そこまで介入するつもりはないよ」
二人は至極どうでも良さそうにそう言った。
そういえば、自分の取り分が侵されなければそれでいいというスタンスだったか。
それでも何とか話し合いの結果、撥ねていいのは元気な人で月に二人まで、という約束を結ばせる事ができた。正直なところやめてほしいのだが、俺にその言葉を強制させる力はない。ただ、俺は襲うなということは約束させた。
こうして転生トラック事件は解決された。……解決したのだろうか、という頭から離れない疑問は無視することにしよう。
◆◆◆◆◆◆
その後、アパートの前でアルベールから降りた俺は、そういえばと紫に問いかけた。
「ちなみにお姉さんってやっぱり妖怪なの?」
「? 姉などいない」
「え? ……………え?」




