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転生トラック・上

「普通自動車運転免許を持っていますか?」


 この時の俺は知る由もないが、その問いかけが非日常へのトリガーだった。

 振り向くと、そこには古い、小さな車の横に立つ一人の少女の姿があった。

 整った顔立ちをした美人さんだ。ただ、残念なことにどう見ても俺の守備範囲的には年齢が足りていない。10代半ば、おそらく中学生だろう。肩口で切りそろえられた黒髪は陽の光で少し赤く染まって見える。


「え?」

「持っているのなら運転席に座ってほしい」


 困惑する俺に少女は車の右前の席を指差しながら言った。

 これは逆ナンというやつだろうか。そうだとすると昨今の若者の性の乱れは社会問題とすべきだろう。そう嘆きながら俺は少女に返答する。


「5年、いや3年後にもう一回言いに来てくれるかな」

「3年後では意味がない。今答えてほしい」


 年不相応な鋭い目つき。情けなくも気圧された俺は、言われるがまま頷いていた。


「一応持ってるけど」


 とはいえ、先月取得したばかりだ。しかも、一人暮らしの大学生なので車など持っているはずがなく、教習所以外で運転したことはない。


「でも完全にペーパードライバーだし、とても運転できないって」


 というかしたくない。それに他人の車は保険とか色々あって乗らない方がいいって言われた気がする。


「え? ……分かった」


 突然、少女が何事か、うなずき始めた。なんだろう、まるで誰かに声をかけられたかのようだ。


「もし、付き合ってもらえるなら、姉を紹介してもいい」

「行きます。あ、ちなみにお姉さんはいくつ年上でしょうか」


 思わず脊椎反射で回答してしまったが、慌てて付け加えることには成功した。これが双子の姉とかだと話は変わって来る。俺は慎重な男だ。そのあたりは抜かりない。


「5つ上」


 つまり10代後半から20歳といったところか。問題ない、むしろばっちこいだ。

 少女の容姿から推測するとすごい美人なのだろう。とりあえず一緒に食事にでも行きたい。そのあとについてはおいおい話し合っていけばいい。


「じゃあ早速行こうか。ちなみにどこに行くのかな?」

「この先にある国道。そこから10分くらい走ったら戻ってもらって構わない」

「国道か」


 その辺りの道ならば知っている。知らない場所を運転することはなさそうだ、と安堵はしたがそれでも今日は試験官が助手席に座っていないのだ、緊張に体が硬くなる。

 落ち着け、とりあえず頭の中で復習しておこう。車庫入れは3番目のポールがサイドミラーに入って来た時にハンドルを切り始めればよかった、はずだ。

 イメージトレーニングを重ねながら運転席のドアを開けてシートに体を預ける。

 そして、ドアを閉めようとしたら、勝手に閉じた。


「?」


 そういう車なのかと気を取り直したところ、右肩の上あたりからシートベルトが射出されて左腰にあるホルダーにカチリと固定された。

 さらにドアのロックが閉まり、キーがぐるりと回って、エンジンが脈動し始める。


「……最近の車ってすごいな。教習所にあったやつとは全然違う」


 見た目は古臭い気がしたが、おそらく最新技術が詰まっているのだろう。全自動とかそういうやつだ。

 気を取り直してハンドルを握ると何故か、グルグルと回って手を弾かれた。

 ハンドルから10センチほど手を浮かせたまま固まる俺の目の前で、シフトレバーがグリグリと動きドライブの位置で止まった。そして、車は動き出した。言うまでもないが俺はアクセルを踏んでいない。


「自動運転?」


 目の前で勝手に動くハンドルを見て、呆然としながら声を漏らす。自動運転システムはCMで見たことがあるが、ここまですごいものだとは思っていなかった。これならば俺の運転技術が拙くても問題なさそうだ。


「さて、この辺りまでくればいいだろう」


 突然、聞きなれない男の声が車内に響いた。落ち着いた、老練さを思わせる声だ。


「人払いの結界はすでに張ってある。あとは見つけるだけ」

「ああ、早めに済ませたいところだ」


 男の声に少女が答える。

 続けて、男は対象が変化したことを知らせるように、声の質を変えた。


「初めまして、私はアルベール。ああ、彼女の説明もまだだったな。こちらの少女は紫という」

「あ、はい。月原幸兎です」


 思わず応えてしまった後、考える。

 隣に座る少女の名前が紫という事は分かった。しかしこの男の声は何だ? 車内には俺と少女の二人以外誰もいない。とすると、携帯か無線機などがあるはずだ。

 声の出所を探して視線を行き来させる俺の耳に、再び男の声が届く。


「何を探している。私は目の前にいるだろう」

「目の前って、ハンドルなんですが」

「それも私の一部だな」


 どうもおかしな人に捕まってしまったらしい。下手に否定すると突然怒りだしかねないので「そうなんですか」と理解した風を装って流す事にした。

 さて、どうするか。と、何気なく視線を窓の外へ向けた俺は、奇妙な事に気付いた。


「あれ? 車の通りが……」


 この道は何度も通ったことがあるが、今の時間全く車がないというのはおかしい。


「ねぇ、ここ通行どめとかになってない?」

「問題ない、人払いの結界の中だから当たり前の事」

「いや、さも知ってて当然みたいに言われても分からないんだけど」


 その言葉に対する返答はない。紫という名の少女はじっと前を見つめている。

 10秒ほど待って、返答は帰ってこないという事を理解した俺は、次の質問に切り替えることにした。


「ところで10分くらい走るって聞いたけど、目的地とかあるの?」

「目的地はない。ただ目的はある」

「どんな?」

「妖怪を捕まえる」


 ん? 今何かおかしな単語を聞いたような気がする。


「何を捕まえるって?」

「妖怪」

「そ、そう妖怪ね。へぇ、ところで何で妖怪を捕まえないといけないのかな?」

「同じ妖怪として迷惑しているから」


 うん?


「同じ?」

「そう」

「誰が?」

「私、いや私たちが」


 こういう時どういう顔をすればいいのか分からない。子供との交流に慣れている人なら自然に会話をつなげることができるのだろうか。


「すでにキミは体験しているだろう。今もこうして、運転手ではなく私の意思で走っている」

「いや、凄く高性能な車という事はわかるけど」

「……技術が進歩するとこういう時に説明が面倒だな」


 昔ならばすぐに信じてもらえたのだが、とアルベールがぼやいた。

 そうは言われても、「そうなんだ」と即座に納得することなどできない。それよりも、高性能な車に通信機をつけたものと、”年相応”に少しアレな女子中学生の方が信憑性が高い。


「中で騒がれるのは避けたいが時間もない、少し荒療治でいくか」


 その言葉が耳に届くと同時にぞくり、と背筋に冷たいものが走った。冷房が聞き過ぎているのか? と何気なく視線を横へ滑らせた俺は、窓の外の景色をみて目を見開く。


「ひっ!?」


 思わず悲鳴が漏れた。外が、くらい。

 つい先ほどまで見慣れた午後の街並みが広がっていたはずなのだが、今は暗い荒野に変わっている。さらに悲鳴の直接的な原因となっているのは窓に張り付いてうごめいている無数の手だ。


「……」


 確かに突然変化した景色も怖い。しかし、それ以上にもっと生き物として根源的な部分を恐怖によって握りつぶされた様な感覚だった。

 声も出ない。ただその光景に圧倒され、瞬きを忘れた。


「少し刺激が強かったか」


 硬直していた体が、その言葉で解放された。さらに景色が元に戻っている。


「は……ぁ」


 呼吸が再開し、そのことで今まで息をしていなかったことに気付いた。


「信じる気になったかな?」

「いや、今の……俺寝てたり……」

「仕方がないもう一度か」

「いやいやいや、ごめんなさい! わかりました、あなた達は妖怪です。世の中不思議なことってあるものなんですね!」


 少なくとも俺の知る常識では説明できないことが起こっている。俺を騙してどうなるわけでもないのだから、とりあえず彼らが言っていることは真実ということにしておこう。

 とすると、このアルベールと名乗っている方は車の妖怪ということは一目瞭然だ。では、もう一方の見た目女子中学生にしか見えない少女の正体は一体?


「ちなみにキミは何の妖怪なの?」

「……鏡」

「鏡?」

「その様子からの推測だが、詳しいことは知らない方がいい。あと、調べないことをお勧めする」

「……調べたら?」

「最悪死ぬ」


 詳しい話は聞かないことにしよう。だって、死にたくないし。

 そこまで聞いた後、俺はまだ聞いないことがあることに気づいた。むしろこっちを先に聞くべきだったかもしれない。


「その、いま追いかけてる妖怪って何?」

「転生トラック」

「てんせ……え?」

「転生トラック。轢いた人間を夢の世界に連れ込み、その間精気を吸収し続ける」


 聞いた限りでは物騒な妖怪だ。しかし、トラックに轢かれたら夢を見るどころか永眠しそうなんだが。


「幸いなことに、物理的な破壊力は持っていないらしい。なので、今の所轢かれて死んだ者はいない」

「そうか、じゃあそれほど危ないわけじゃないのか」


 ひとまず安堵する。これが、人を襲って食べますとか言うやつだったら何をおいても逃げる。絶対にだ。


「そうとも言えん。精気を吸われ続ければいずれ死に至る。何より、この妖怪は人を襲う頻度が異常と思えるほど高い」

「そういえば、倒れる人が出たっていうニュースを何度か聞いた気がする」

「私たちは人の感情を糧としている。故に、人を襲う妖怪にも恐怖といった感情を得るため、と言う言い分はあるのだがな」


 アルベールに言わんとすることは何となくわかる。しかし、人間としては納得できるかは別の話だ。


「ただ、奴は明らかに自身の糧以上の人を襲っている」


 それはいけない。とアルベールは言った。


「今まで襲った数の人間が死ぬとなるとさすがに放置できない。私たちの取り分が減ってしまう」

「あ、そういう問題なんだ」

「それ以外に何か?」


 紫は首を傾げて見せた。どうやら人助けとかそういうつもりは毛頭ないらしい。


「ちなみに二人も人を襲ったり……?」

「いや、私の場合はその必要がない。車に対する感謝、憧れと言った感情を糧としているからな」

「ん? 糧になる感情って言うのは決まっているわけじゃないのか」

「妖怪ごとに異なるな。基本的に生まれに直結したものになることがほとんどだが」

「生まれ?」


 そう言えば妖怪ってどうやって生まれるのだろうか。普通に雄しべと雌しべがゴッツンコするのだろうか。


「基本的に、妖怪は恐れられたりそうであってほしいという願望が具現化したもの」


 俺の頭に浮かんだ疑問はアルベールから言葉を継いだ紫が答えた。


「へぇ、じゃあ転生トラックってのは恐れられてるんだな」


 俺は聞いたことがないが、人を轢く位だら恐れられて生まれたのだろう。


「違う、転生トラックは望まれて生み出された妖怪」

「え? はねられて、昏睡状態にされるんだろ? なんで望まれるんだよ」

「……そこまでは分からない。ただ、望まれて生み出された妖怪であることは確か」


 自殺願望者か何かかな? 俺は首をひねったが、幸いな事に自殺したいと思ったことがないので、考えても分からなかった。


「いたな」


 世の中には色々な人がいる、と結論づける事にした俺の耳にアルベールの声が響く。見ると前方に一台のトラックの姿があった。


「あれが、転生トラック?」

「霊体だから間違いない」

「こちらに気づいたな、追うぞ!」


 アルベールの声とともに加速に伴うGによって俺の体は座席へと埋まった。


「うお!? 速、速い! スピード、ちょ……速いって!」


 恐ろしいことにスピードのメーターが180キロを振り切っている。俺は車では体感したことんがない速度に恐れおののいた。


「速いな。霊体故に物理的な制限を受けていないか……面白い」


 全く面白くない。止まってくれ。


「嫌だ! 降ろせ、降ろして!」

「無理だ、私は免許を持ったものが運転席にいないと動くことができない」

「それ無理な理由になってない! 俺降りるの可能だよね!?」


 動かなくていいんだ、ただ止まってくれ、ただそれだけでいい。


 10分後、転生トラックの姿を見失ったことでカーチェイスは終わった。ガリガリ削られていった俺の精神力はすでにレッドゾーンだ。あと少し遅かったら俺は人としての尊厳を失っていただろう。

 その後は、記憶が曖昧だが家に帰ることはできたらしい。気が付いた時、時計は朝の8時を指しており、俺は朝食を取る暇もなく大学への道を走ることになった。


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