表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蛇の目、という男。  作者: 雅タスク
1/7

とある殺し屋の話

「いつも……本当に、ありがとうございます。私たちに、こんなにも身に余る援助を頂いて」


孤児院『スノードロップ』の園長ベロニカは、そう言って目の前の青年に深々と頭を下げた。

彼女の胸に抱えられた封筒には、数束の紙幣が入れられている。

ここで暮らす子どもたちのみならず、住み込みで働く職員の当面の生活さえも十分に賄えるだけの額のそれは、ある時からこうして青年がふらりと立ち寄っては彼女に預けていくようになったものだった。


『その金は自由にしてくれて構わない。ただし、こちらの素性は詮索しないで欲しい』


それが、青年から提示されたたった一つの条件だった。

ベロニカはそれを守り続け、今や孤児院は建物自体を大幅に改築して見た目にも明るくなり、子どもたちも一般的な中流家庭と変わらない水準で暮らすことができている。

パトロンとしてはあまりにも若すぎる青年の素性が、気にならないと言えば嘘だった。

孤児院を訪れる時の彼は細部に至るまで隙のない、仕立ての良さをうかがわせる衣服を身にまとっており、どこかの資産家の子息と考えるのが自然に思える。

ただ、生粋の貴族のそれではない……どこかほの暗い影のようなものを、ベロニカは青年から感じていた。


「頭を上げてください、ミス・ベロニカ。前にも申し上げましたが、これは正式な援助などではない。気まぐれに慈善活動まがいのことをして感謝されたい、暇な金持ちの道楽のようなものです」


ベロニカが礼を言うたびに、青年は決まってこう返す。


「ですが……」


「あまり余計なことを仰るなら、もう来るのはこれが最後になるかもしれませんよ?……というのは、冗談ですが」


そして彼はベロニカが食い下がろうとすると、悪戯っぽく微笑んで全てを煙に巻いてしまうのだ。

ハットを目深に被ってはいるが、それでも端整な顔立ちであることは十分に分かる彼の微笑は、いつもベロニカを年甲斐もなくどきりとさせた。

あと二十年も若ければ、今頃は骨抜きにされてしまっていたかもしれない。

現に今でさえ、すっかり振り回されて毒気を抜かれている。


「では、いずれまたお会いしましょう」


丁寧にお辞儀をすると、青年は踵を返した。

背が高く、すらりと手足の長いシルエットが少しずつ遠ざかっていくのを、ベロニカはいつも見えなくなるまで目で追っていた。

ところが今日に限って青年は、門を出た数歩先で立ち止まると、ベロニカを再び仰ぎ見た。


「ところで、ミス・ベロニカ。“蛇の目”という殺し屋をご存知ですか?」


「殺し屋?」


思いも寄らない問いかけに、ベロニカは目を丸くする。

何故、そんなことを尋ねるのだろう。

戸惑いはあったが、とりあえず正直に答えることにした。


「いいえ、存じませんが。それが何か……?」


ベロニカの返答を受け、青年は短く息をついた。


「いえ、大したことではありません。巷で少し話題になっておりましたので……この辺も最近は物騒ですから、くれぐれもお気をつけください。特に夜の外出などは、ね」


物騒な話題を口にしているとは思えない穏やかな口調でそう告げると、彼は意味深な微笑を残して今度こそ孤児院を後にした。

ベロニカはその少しの違和感を覚えながらも、呼び止めることは出来ずに見送った。

そして彼の姿が完全に消えてから、また名前を聞き出せなかったことを思い出し、深く溜め息をついた。



一方の青年もまた、完全に孤児院の建物が見えなくなったことを確認すると同時に長い溜め息を吐いていた。


「あーくそ、固っ苦しい服は肩が凝って仕方ねえ……」


しゅるり、と綺麗に結ばれていたネクタイを乱雑に緩めて解き、最後まで留められていたシャツのボタンもいくつか外す。

首周りの圧迫感が消えて風通しが良くなると、ようやく解放された気分になる。

“仕事”で必要な場合と孤児院に赴く時以外は、極力楽な格好で過ごすのが彼の理想だった。

昔から、いわゆる正装というものは苦手だ。

そんなものが必要な育ち方をしていない者にとっては、いつまでも慣れない上に息苦しいだけだと彼は思う。


「……ったく、ロイヤルに成り済ますのも楽じゃねえな」


煩わしさを込めて呟き、ハットを外すと中に入れていた髪が落ちてきた。

後頭部から編み込んで垂らした長い黒髪、その結び目に括られた純銀のロザリオ。

裏の世界では名の知れた、とある殺し屋の特徴である。

蛇のような長い三つ編みを翻し、ほとんど一撃で標的を仕留める、決して獲物を逃がさない狡猾な暗殺者……彼はいつしか、“蛇の目”と呼ばれるようになっていった。

皮肉にもその通り名は、彼の本当の名前と非常によく似ていた。

ジャノメ・エリカ。

それが彼の、“蛇の目”の正体である。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ