Sweet Ladies
「この世でノブレス・オブリージュという言葉が一番嫌いなんです」
そう言って目の前の美女は泣き出した。
迷いに迷ってたどり着いた女の選んだワインバルはこの上なくセンスが良いと言える。
暖色系の照明で明るい店内は居心地が良く、私たちはいつも通りにスパークリングワインで乾杯し、それからアヒージョを頼んだ。ペースが速い。
そして酔いにまかせて私は私の家系を、先祖代々某藩の漢学指南役の家系で、曽祖父も祖父も国語教員、母まで国語教員の免許を持っていると自慢したあたりから彼女が喋りはじめた。
「私の父も大学教授なんです」
最初はぽつりぽつりと話しはじめて、何が言いたいのか判りかねた私は、甘いワインを一口飲んで、女が続けるのを待った。
女は、私の高校時代のメル友の妻である。
メル友とは形は変わりはしたが十年くらいネット上での付き合いが続いていた。
そんなメル友が結婚すると聞いて、私はいの一番に行きたいと挙手した。一方新婦は初めこそ私に嫉妬して、私のマイクロブログをフォローしたらしい。
結婚式の二次会の受付に並んでいる間に神戸の方言が聞こえて、私は振り返った。
「神戸高校の方ですか?私、新郎の友人なんですが、連れがいなくて」
男二人は驚いて、話が弾んだ。
新郎が張り切ったのがよく分かるパーティーだった。
新郎から新婦へのプレゼントは、五十年分のプレゼント。宝箱に入れたそれを、毎年紐解くらしい。ロマンチストなのだ。
男二人は快活で、あいつは漫画に金を惜しまないから心配だと笑い飛ばし、奥さんに管理してもらわないととか、奥さんの金銭感覚に期待していた。
だらしがないと評価された新郎だが、私は新郎が如何に真面目か知っている。
時間つぶしには困ることはなかった。
自慢ではないが、私はそういう積極的フレンドリーさを持っている。
勿論それが裏目に出ることもある。たまに面倒なことに巻き込まれるが、プラマイプラスだと思って私は生きている。
女の繰り言は続く。
「私は親の言うとおりに勉強し、父親からの愛情を受けず育ち、反発して法学部を受けました」
それもそのはず、彼女と夫の出会いは宇宙法がどうこうという小難しいサークルだ。
その女は優秀な私立大学の法学部時代にサークルを通して夫に出会い、今はとある企業で金持ちから金を巻き上げることを生業にしている。といっても温情派だ。個人営業を自ら志願し、つまりは人と人とのやりとりが上手い女である。そして成績は優秀、全国ランキングは上から数えた方が早い。そしてたっぷり貰ったと思ったはずのボーナスの額が、夫の方が多くてしょんぼりしていた。そこは彼女のいいところだ。
お互いの実力を認め、負けを認め、夫には敵わないと尊敬することが夫婦円満の秘訣である。
話が逸れたが、その優秀な女が、今、無職の私の前で、親への恨みつらみを述べている。
私は、同情もせずに女を見上げた。
私は、「ノブレス・オブリージュ」という言葉に興味も関心もない。マリー・アントワネットに情けを期待する方が間違っている。嫌いだというのだから、彼女自身はアッパークラスの誇りはないわけねと判断した。
甘えだと突っぱねることはしない。
私は愚痴を聞くことに慣れている。
私は甘いワインをもう一口静かに飲んだ。
その後のこと、ワインバルで泣いて泣いてすっきりした女は、親との関係が良くなったそうだ。
愚痴を吐き出して涙を流したことで浄化されたらしい。
私も、最初は嫉妬されていたはずが、いつの間にか悩みを聞いてやる立場になるとは思わなかったが、そういうことも時には、いや私にはしばしばある。
さて、それから約一年後。今度は雪が積もった夜に、彼女と私は会う約束をした。彼女が彼女の夫に
「今度はもう一人呼ぼうと思うのだけど」
と相談すると、彼女の夫が
「なさでしょ」
と即答したらしい。なさという名前だから彼女のお父様も宇宙が好きなのだろう。
なさは私を見てすぐに
「美人ですねー!」
と快活に言った。しかしこれは女社会で生き抜く術。その一言があるだけで相手は気分が良くなり話が弾む。そんな、女社会で生き抜くHow toをなさと語り合った。私は満足したし、例の主催者は、私が人付き合いに於ける本音を晒したことで、信頼してくれたようだ。
女王なさは、その後オランダに留学したが、今年の二月に帰ってくるらしい。また雪の降りそうな季節だ。
寒い季節に、カラオケでアイドルの歌を歌って盛り上がろう。
学生と子供のいない主婦と同じく子供のいないキャリアウーマン、ほんの小さなきっかけで、息の長い友情を築き上げた。