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囚われの吸血姫

作者: 月城うさぎ

1万文字を超えています。長いので、暇つぶしにでもどうぞ。

 どこまでも続く天鵞絨ビロードに、色とりどりの宝石が散りばめられた夜空。決して欠けることのない満月。太陽の光とは無縁のこの地は、俗に魔界と呼ばれる世界である。

 東のはずれの森の奥、幻獣達が生息する地より遥かに深く木々が生い茂る場所には、朽ちかけた城があった。

 貴族の城と呼ぶには少々こぢんまりとしているが、荘厳さは失われていない。だが、ヴィクトリアンな外観の城に、人が住み着いている気配は一見感じられなかった。

 それもそのはず、この城に容易に出入りできる者はいない。厳重な結界が施された敷地に足を踏み入れられる者は限りなく少なく、たった一人を除いてこの城は無人も同然なのだ。

 ここには正面玄関を通過し、とある隠し扉からしか到達できない塔がある。螺旋階段を上りきった最上階には、幾重にも重なる複雑な結界が行く手を阻むように張り巡らされていた。

 見るからに重厚な扉を開けたその先には、一人の少女が豪奢なソファに腰掛けている。

 薄暗い闇の中でも少しの光を浴びて反射させる、眩い金髪。瞳は地上の海を匂わせる、サファイア色。外見は、人間年齢で八歳ほどか。薔薇色の唇は少女の機嫌を表すように軽くとがっており、ぷっくり膨れた丸い頬は子供らしく愛らしい。キレイに巻かれた胸元までの髪を指先でいじりながら、少女は窓から眺められる光景にため息をつく。


 「退屈じゃのお……」


 肘掛に肘をつき、頬杖するその姿は、まるで精巧な等身大のアンティークドールだ。

 少女は黒いレースで縁取られた黒のリボンを頭頂部につけ、膝丈までの黒いゴシック調のドレスを纏っている。ふんだんに使われたレースやフリルに少女らしい趣味の部屋の内装は、朽ちかけている城に住んでいるとは思えないほど豪華で、塵一つ落ちていない。

 召使の姿を確認できないが、少女は別段不自由な暮らしをしているわけではなかった。いや、この場所から出れないことこそが、唯一の不自由な点だが。


 「外の風景は真に退屈じゃ。半径数㎞にわたるこの結界に近寄る者すら現れないとなると、空を見るしか退屈しのぎができぬ。その空も、時折ドラゴンやらの有翼種が好き放題我が物顔で飛び回りおって、面白くないわ。自由に動き回れる奴らを見ると、ちいっとばかし腹が立つの」

 

 ――そうは思わんかえ?


 目線は窓を向いたまま、彼女は背後に忽然と現れた人物へ質問を投げた。

 音もなく空間の歪みから人が現れた。この場は転移魔法さえ弾いてしまう閉じられた場だが、例外はある。ここに来る事を許可された者だ。その許可証を与えられるのは、実質少女を閉じ込めている張本人。召使の派遣以外に誰かがやって来る場合、十中八九それは彼女に直接用がある者。……少女の方に用はないが。


 別段驚くわけでもなく、ゆっくりと少女は振り返る。転移魔法で空間を繋げ自分の前に姿を現した男は、栗色の髪に鳶色とびいろの瞳と、あまりこれといった特徴が見あたらない男だった。

 丈の長い黒のコートに、汚れの見えない磨かれた革靴。平凡な容姿ながらどことなく人目を惹く男を一瞥し、少女は軽く嘆息した。


 「義母上ははうえ様も懲りないお方じゃ。よほどわらわが目障りだと思える。それともこれは彼女なりのわらわへの褒美か」


 鈴の音のように愛らしい声から放たれた台詞は、幼い外見とは似つかわしくない皮肉と呆れが窺える。その表情一つを取っても子供が浮かべる物ではなく、少女の聡明さと成熟した思考が垣間見えた。

 うんざりした顔になった少女は、その小さな身体を座っている一人掛けのソファの背に押し付けて、目の前の男を真っ直ぐ見据える。


 「そなたもわらわを殺しにきた刺客か、それとも自らわらわの餌になろうという変わり者か。答えよ」

 「幽閉の身ながら怯えも恐怖も見せないか。なるほど、随分と肝が据わっているお嬢さんだ。ヴァンパイアらしく矜持が高そうだな」

 「そう言うお主も、見たところ種族は悪魔というところか。ふん、悪魔らしく偏屈な思考を持っていそうじゃな。己の美学とやらに忠実で、実に不可解で相容れない感性を持ついけ好かない種族だと把握しておるぞ」

 「美を見出してこそ契約を結ぶ価値がある。子供にはわかるまい」


 冷やかに笑う男を眺め、少女も小さく冷笑した。流れる空気は異様なほど穏やかだ。不法侵入を果たされたはずなのに、少女から驚いた様子は見えない。日常的に訪れる歓迎していない訪問者に、いちいち驚いてなどいられないのだ。


 少女は軽やかにソファから降りて、慣れた手つきで一人分の紅茶を淹れる。お気に入りのティーカップには、香り豊かなダージリンに、ミルクと蜂蜜をたっぷりと。味の嗜好は外見通り子供らしい。

 その様子を壁に背を預けながら黙って眺めていた悪魔は、おもむろに口を開いた。

 

 「この塔に幽閉されて何年経つ?」


 小さな白い手で持ち上げたティーカップに口を付けた少女は、こくりと甘い紅茶を一口飲む。満足のいく甘さを堪能した後、ソーサーの上にカップを戻した。


 「さて、何年になるのやら。わらわも初めからここに閉じ込められているわけではないからの。わらわを産んだ母が亡くなってから間もなく、父上が元老院から定められた縁談相手の義母上を正妻として娶り、義弟が生まれて数年が経過した頃か。わらわにも数度、縁談の話が舞い込みここから追い出されそうにもなったがな、何せこの身体。幼女を妻に添えることは難しかろう。相手は我が家ほどではなくとも、高位の同族なら尚のこと。子が成せぬ幼女に利用価値はない」


 悲観するでもなく、少女はくすりと笑う。その微笑はどこか蠱惑的で、妖艶な色気が漂った。口調と相まって、彼女の容姿はひどくちぐはぐ感を与えた。男はすっと目を細める。


 「魔界の頂点に立つヴァンパイアの四大貴族で、由緒正しい血筋のブラッドロード家の姫が、幽閉される理由は一体何だ?」

 「強いて言うなら、少しの脅威と厄介払いか。わらわを産んだ母は、元は人じゃ。父上が見初め、半ば無理やり自分の眷族にさせた。その後生まれたのがわらわ一人。だが、父上はブラッドロードの当主として、減少傾向にある純血の血を守らねばならぬ。貴族の義務を果たす為に同じ純血種の義母上を娶り、弟が生まれた。義母上からしてみれば、わらわは目障りな存在。大して父上を愛しているわけでもないが、あの方は矜持プライドが高い。まあ、ヴァンパイアというのは総じて矜持の高い生き物じゃが」


 そこで少女は一旦口を閉ざし、カップに手を伸ばす。軽く喉を湿らせては黙っている男へ視線を向けた。


 「こうやって会話をするのも久しいゆえ、つい喋りすぎてしまう。やかましいだろうが、許せ」


 男は器用に片眉を上げた。


 「矜持の高いヴァンパイアの姫が、いけ好かない悪魔に謝罪するのか」

 「何事にも例外は存在するものであろう? おぬしこそ、享楽に明け暮れ己が定めし美を追求する悪魔とも思えぬ冷静さじゃ。悪魔は常識を語る者じゃないはずだが」


 お互いをじっと見つめあい、あざ笑うかのように唇が弧を描く。

 近くの椅子に腰をかけるよう少女が促せば、男は何のためらいもなく椅子に座った。長々と話をしに来たわけではあるまいに、と少女は内心苦笑するが、退屈しのぎには丁度いいと好きにさせる。


 「このままずっとここで過ごす気か」

 「わらわを殺しに来た刺客が何をぬかす。いい加減邪魔と判断したからこそ、こうやって義母上が悪魔に頼んでまでわらわを殺そうと躍起になっておるのじゃろう? 毎回不発に終わっているのに、懲りぬお方じゃ……。こちらはとんと当主の座には興味もない。次期当主になるのも、魔界の王に就くのも、ご自慢の息子じゃと何故悠長に構えなんだ」

 「そう楽観視できぬほど、お前が脅威なんだろう。自分でも言ったな、少しの脅威と厄介払いだと」


 少女は軽く目を伏せ、嘆息する。意外と言っては悪いが、記憶力はいいらしい。都合の悪いことはすぐ忘れる悪魔らしくない。


 「この姿じゃ答えにならぬか」


 八歳ほどの外見。魔界に住む魔族で外見が幼いままの者は、二通りある。精神が見た目どおりの年齢の者と、魔力が弱く成長できない者。一向に成長の兆しが見えぬ少女は、後者だと元老院からも認識されている。母親が元人間であるなら、たとえ半分純血種の血を引いていても、魔力が弱い事もあるだろう。だが、悪魔の男はそうとは思わなかった。


 「”脳ある鷹は爪を隠す”という言葉を知っているか」


 ぴくりと少女の華奢な肩が僅かに動いた。


 「鷹を見たことはないが、それは人間界の生き物か」

 「ああ、猛禽類の仲間だ。賢い鷹ほど油断を誘い、いざと言う時に鋭い爪を見せる」


 面白そうに少女は「ほお?」と呟く。


 「お主のようにか」

 「お前のようにな」


 気安くお茶でも飲みながらの軽い口調。だが、交わる視線は一瞬のうちに鋭さを帯びた。緊張の糸が室内に張り巡らされる。

 先に動いたのは男の方だった。


 「その姿、単に力がなくて成長できぬわけではないだろう。意図的に幼女の姿を取っているのは何故だ」

 「そなたは質問が多いの。先に質問をしたのはわらわの方じゃ。そろそろ初めの質問に答えてもらおうぞ。お主もわらわを殺しに来た刺客じゃろう。大人しくわらわの餌になるか、このまま立ち去るか……。退屈しのぎ程度のお喋りはできたからな、命まではとらぬ。今宵わらわに会った事の記憶はきっちり隠蔽させてもらうがの」

 「ほう、あくまを倒す気か」

 「見た目通りの力しか持たぬわけではないと言うたのは、どこの誰じゃ? わらわも獰猛で狡猾なヴァンパイア。血を提供するなら、少しは処遇を考えてやってもよいぞ。わらわは今、飢えておる」


 男は苦笑を零す。するといとも簡単に、己にかけていた術を解いた。

 男の本来の容姿は、目が焼けるほど強烈で鮮やかな赤が印象的だ。炎のように真っ赤な髪に、同じく真紅の瞳。燃え盛る炎の癖のある髪は、肩まで届くか届かぬ位か。先ほどの平凡な容姿とは似ても似つかぬ姿は、実に悪魔と呼ぶにふさわしい。そして数倍美しく、数十倍性質が悪く見えた。酷薄そうな笑みが良く似合う。

 明らかに性格に癖があると思わせる美貌の男を眺め、少女は「ふう」とため息を吐いた。


 「下等悪魔に見られるよう、まあよく騙せたものじゃな。綺麗に魔力も抑えていたが、あの方を侮ることなかれ。義母上様はお主の正体に気づいておったはずよ。純血種のヴァンパイアなら当然な」


 見た目と魔力を偽り、少女は義母の目的に利用される道を選んだ男を見やる。巧妙に姿を隠された事に気づいていながら、純血種の彼女は咎める事なく見過ごした。その理由を考える。

 下位の悪魔ならともかく、高位の悪魔を使ってまで、確実に自分を屠りたかったということか。少女は改めて自嘲めいた笑みを浮かべた。小さく「愚かな」と呟いた声は、悪魔にも聞こえたようだが、男はそのまま聞き流した。


  幽閉された当初、少女は外界との接触を断たれた。外に繋がる扉は自分で開くことはできず、ヴァンパイアが使用する移動用の姿見は基本外からしか使えない。必要な衣服や食料はその鏡から定期的に運びこまれる。また召使が週に一度はやってくる。完全に傀儡化された人形同然の召使達は、主に命じられた任務を全うすることしか能はない。

 一人で暮らすには不自由のない生活。衣食住を整えられ、娯楽に飢えると言えば本が与えられた。退屈な監禁生活ではあるが、これも恐らく弟が家督を譲り受け独り立ちするまでの辛抱だと、少女は甘んじて理不尽な仕打ちを受け入れていた。

 だが、ヴァンパイアが一番必要とする命の糧を、義母は与えなかった。実質的に、彼女を殺そうとしたのも同然の行い。何も聞かされず突然離れ離れになった姉を捜していた彼女の義弟は、母親の意図に気づき、何とか単身でこの場へ乗り込んだ。そして幼かった少女の義弟は定期的に彼女の元へ訪れては、自らの血を差し出す事にした。当然、血に飢えていた少女は、その申し出を断ることはできなかった。

 たとえ半分だけ血が繋がった弟だとしても、純血のヴァンパイアの血を飲んだことを、矜持の高い義母は許さない。純血種の血を流させるのは、同族で血縁者だとしても大罪だ。希少な彼らの血は、毒にも薬にもなり得るほど貴重な代物。利用価値ならいくらでもある。たった一滴で病に侵される人を救う事すら可能だ。

 それからか、義母が少女に刺客を送り込むようになったのは。

 幼い少女に本気の殺意を抱かせて殺そうとする異形の者達を、少女は顔色一つ変えず屠って来た。そして遠慮なくその血を貪った。殺さないと殺される。文字通り、生きるか死ぬかの二択しかないのだから。


 「――知っておるか? 純血のヴァンパイアがたとえ大罪を犯しても、罪に問われる事はない。たとえ血の繋がりがない娘を己の手で殺したとしても、元老院は眉ひとつ動かさぬ。義母上の命令で誰かがわらわを殺したとしてもな、彼女ならこう言うじゃろう。『愛しい娘に餌を提供するのは母親として当然の義務。でも困った事に、少々活きが良すぎて相手も抵抗したのでしょうね。ブラッドロードの娘が他種族に負けるなど……残念だわ』とな」

 

 扇子で口許を隠しながら俯く美しい義母の姿が容易に想像できる。声音は悲しそうに呟いても、口は確実に弧を描いているだろう。

 

 「お前の弟はどうした。当主こそ動かないのか?」

 「わらわの弟は実に賢く心優しく、見目麗しい美青年に成長したぞ。何度か本気で義母上に殺意を抱いておったな。宥めるのに苦労したわい。純血種同士の死闘は流石に禁じられておるからの」


 減少傾向にある種族が殺し合いなど、許されない。そして巻き込まれた場合の被害が大きすぎる為、純血種同士の争いは禁じられている。


 「父上はごくたまにじゃが、顔を見せに来るな。あの方は義母上にまるで興味はないが、わらわの事はそれなりに良くしてくれる。この場から出せば義母上の逆鱗に触れると、わらわが懇願して何とか中立の姿勢を留めておいている状態じゃ」


 少女はカップを再び持ち上げて――ふと中身がない事に気付く。残念そうにそっとソーサーに戻した。陶器がこすれ合う音が響き、男は軽く嘆息する。


 「なるほど、大体把握した。ブラッドロードの姫が秘匿された存在で、貴族の社交界にすら出ない訳を」

 「お主こそ、いくら高位悪魔といえど純血種のヴァンパイアに好奇心から近づくとは、命知らずにも程がある。契約の対価は一体何じゃ」

 

 くすり、と男は微笑を零す。激しく燃えるようにうねる赤い髪を片手でかき上げて、すっと鋭さが宿る情熱的な瞳を細めた。左右対称の美を持つ美しい悪魔は、薄らと冷笑を浮かべるだけでどこか野性味が増した。途端に室内に悪魔の色香が充満した気分になり、少女は居心地が悪そうに顔を顰める。


 「エライザ・ケンドラ……俺の契約者のブラッドロード公爵夫人から命じられた内容は、お前を”始末”する事。方法は問わない。成功報酬として俺が受け取るのは、矜持の高い純血種が一番価値を見出す、己の血……。対価は純血種の血だ」

 「ほう?」


 少女はしばし唖然とした後、感嘆したように細く息を吐いた。

 あのプライドの塊である彼女が、自分の血を差し出すとは……。悪魔を謀る事が不可能なのは、当然ながら彼女も承知しているはず。高位悪魔と契約を結ぶリスクを負ってまで、彼女は何を焦っているのか。わかる事は、一刻も早く目障りな自分が消えてほしいという事だけ。己の手は決して汚さずに。


 (まこと、愚かな女じゃ……。流石、性悪女ばかりが集まるケンドラ家。だが、こやつの本名まで聞きださなかったのじゃろう)


 高位の悪魔だとわかっても、正体までは見破れなかったに違いない。踊るように燃え盛る真っ赤な髪に、ガーネットの瞳。歳の頃は外見年齢二十代前半か。背は高く、皮肉な笑みが似合い、端整な顔立ちをしている美貌の男。ここまで見事な赤い髪を受け継ぐ悪魔は、彼女が知る限り一家しか存在しない。

 ――ゼーレテュヒア公爵。ヴァンパイアの四大貴族と並ぶほど、悪魔の中でも最高位の名門公爵家。そこの当主は、確か変わり者で有名だった。


 (まあ、常識なんぞを考える事自体が間違っておるが。悪魔にもヴァンパイアにも、そんな物はこの魔界にいる限りないに等しいのじゃから。)


 「さて、若きゼーレテュヒア公爵閣下。わらわの始末方法は決まったかえ?」

 

 不敵に微笑んだ悪魔を見て、今まで命を狙われているというのに余裕に構えていた少女の身体に、僅かながら震えが走る。それは何故か。疑問に思う間もなく悪魔は告げた。


 「ああ。お前をここから連れ出し、俺の花嫁にする」

 

 予想外すぎる答えに、少女は沈黙する。数秒後、胡乱な眼差しで男を睨みつけた。

 

 「何を寝ぼけた事を言うておる。契約者の望みを叶えるのが、悪魔の美学じゃろうが」

 「生憎と始末方法までは言われてないのでね。始末しろとは言われたが、”殺せ”とは言われてない。エライザ・ケンドラがお前の姿、気配を確認できなくなれば、それは死んだも同然だろう。公爵家うちに嫁げば、他種族の貴族なんぞは容易に干渉できなくなるからな」

 「お主……、幼児愛者ペドフィリアか」


 心底イヤそうな顔で、少女はぞっとする一言を紡ぐ。内心ドン引いている事がありありとわかった。

 くつくつと喉の奥で笑いながら、悪魔はよりじっと少女の姿を上から下まで見つめる。


 「別にその姿も嫌いではないが、成熟した身体の方がもちろん好みだ。抱き心地がいいに越したことはないからな。

 さて、俺は言われた通り姿を戻したぞ。ならば、次はお前の番だ」

 「何がじゃ?」


 とぼける少女に、悪魔は追い打ちをかけるように要求した。


 「観念してさっさと姿を戻せ」

 「これがわらわの本来の姿じゃ」

 「悪魔に堂々と嘘を言う度胸は買ってやる」

 「ヴァンパイアが狡猾で獰猛な種族だというのを、忘れたか?」


 椅子から立ち上がった少女は、男を惑わすような挑発的な笑みを向けた。一気に緊張感が高まり、室内を襲う。

 ビリビリと肌を差すような魔力を放出し、少女は口角を上げて男を見上げた。


 「大人しくわらわの餌となれ」

 「大人しく俺の花嫁になれ」

 「ヴァンパイアが悪魔に嫁ぐなんぞ前代未聞じゃぞ。変わり者で有名だとレッテルを貼られるお主は、ますます孤立した存在になってもよいのか」

 「構わないぜ、そんな物は。他者にどう思われようが、関係ない」


 両者は見つめあったまま一歩も退く気はない。瞬時に思考を巡らせた少女は、「ならば、」と提案を申し出た。


 「賭けをしようではないか。勝った方の命令を聞くというのはどうじゃ」


 その提案に悪魔は面白そうにニヤリと笑う。即座に乗る事を決め、少女はどこからともなくショットグラスを25個用意した。真っ赤に染まった液体が並々入ったグラスを見て、悪魔は訝しがった。


 「何だそれは」

 「無難に飲み比べをしようかと思うてな。お主の髪は真っ赤じゃから、ブラッディ・マリーのカクテルを用意してみたのじゃ。最近人間界で流行っていると小耳に挟んでの」


 テーブルの上に次々と並べられていくグラスを眺め、悪魔はポーカーフェイスを崩す事なくじっと見つめる。


 「幼女が酒を飲む気か?」

 「愚問じゃな。わらわの実年齢をいくつだと。それに、やはりお主は変わり者か。悪魔が人間界の常識なぞ語るとは」

 「その身体じゃすぐに酔いが回るぞ」

 

 さっさと元に戻せ、と促す悪魔に少女はツンとそっぽを向いた。

 

 「問題ない。それより、一つ伝えねばならぬ事があるか。これらは度数が高いアルコールと、トマトジュースで作られておるが、ジュースは人間界の物じゃがアルコールは魔界の物を使用している。そしてこの25個のグラスのうち、5個には聖水入りじゃ」

 

 ピクリと悪魔の眉が器用に反応を示す。魔界のアルコールは人間が飲む以上に強く、即効性で酔いが回る。魔力の強い魔族が酔うには、人間界の物では物足りない。それは納得できる。 

 だが、何故魔界で聖水が手に入る? と、疑問が顔に出ていたのだろう。少女は何でもないようにさらりと告げた。


 「何人目になるか覚えていない刺客がな、聖水を持っていたのじゃ。えげつないにもほどがあるわ。当然、魔族には猛毒だが、まあ、わらわには弟君が厳重にかけてくれた結界が作動しておるのでな。さして問題はなかった。その時に手に入れた聖水は、まだ手元にあるのじゃよ」


 ことん、と小瓶をテーブルの上に置いた。半分以上減ったそれを、悪魔がすっと目を細めて見つめる。


 「……本物か」

 「嘘は言わぬ」


 一滴でも飲めば、身体に痺れが回る。続けて飲めば、猛毒に侵されたようにのたうち回るだろう。

 悪魔は愉快そうに笑うと、一言「いいだろう」と受けて立った。


 「公平にするために、お主が好きに並べ替えてよいぞ。わらわはあっちを向いておるからな」


 妙に律儀なヴァンパイアの少女を見て、悪魔は零れる笑いをかみ殺した。全てがシャッフルできた頃、少女は振り向く。


 「まずはわらわから頂くぞ」

 

 一番手前のショットグラスを持ち上げ、一気に飲み干した。トン、とテーブルに置いた少女は、「うまい」と感想を漏らす。

 注意深く悪魔は少女を観察したが、どうやらはずれを引いたらしい。悪魔も一つ、手前に置いてあるグラスを呷った。

 トマトジュースという飲み物を初めて飲んだが、あまりおいしさを感じない。青臭く、塩分も感じる。人間に近い味覚を持つ高位悪魔の男は、軽く眉をひそめた。


 「まずい」

 「ははは、お子様な味覚をお持ちのようじゃな、公爵閣下は」


 子供に子供と笑われては、意地でも飲みたくないとは言えなくなった。悪魔もヴァンパイアほどではないが、矜持が高い。

 余裕綽々の顔でグラスを空けていく少女にならい、男もカクテルの味を堪能する前に嚥下した。身体の異変に気付いたのは2杯目を空けた頃からだったが、悪魔はポーカーフェイスを崩さず飲み干す。

 

 「――さて、残り5つ……。どうじゃ? 身体の調子は」

 

 残った5つのグラスに視線を投げた男は、一目で異性を虜にするような艶めく微笑を少女に向けた。


 「お前こそ、どうなんだ」

 「わらわはいたって健康じゃ。トマトジュースは身体に良いそうじゃぞ」

 「そうか。聖水を5つどころか全てのグラスに混ぜて、あまつさえ己の血を薄めた物も加えたな。そうまでして、俺の思考を操ろうとでも思ったのか?」

 「おや、バレておったか。分かり辛いようにブラッディ・マリーを選んだというに……。無粋な男じゃのぉ。乙女のおもてなしを最後まで受けぬとは」

 

 ――じゃが、お互い様であろう?


 小さな掌で弄んだグラスを、少女はテーブルに置いて、指で軽く触れた。直後、表面に傷が入りグラスは粉々に砕ける。


 「己の魔力を混ぜて飲ませた奴がよう言うわ。じゃが、わらわの勝ちじゃな? 座っているのも苦しかろう」


 平然を装っているが、悪魔の額にはじわりと汗が浮かんでいる。聖水とヴァンパイアの血を飲ませたのだ。気づかれないように少量だが、それもグラスを10も空けたとなれば不調は起きる。


 「……記憶を奪うというのか」

 「さて、な。記憶だけで済めばよいのじゃが……。まあ、義母上様も契約を交わした悪魔が、まさかゼーレテュヒア公爵とは考えなんだ。契約を破棄しても、命を狙われる事はないじゃろう」

 

 すっと立ち上がった少女は、向かい側に座っている悪魔に近づく。至近距離で見れば見るほど、男は美の権化のように思えた。情熱的な髪と瞳に反して、浮かべているのは冷笑。野性的な鋭さを秘めた眼差しと、悪魔らしい怠惰が垣間見え、どこか退廃的な空気を纏っている。見る者を惹きつけてやまない、他者を魅了する男。存在だけで、罪作りだ。

 少女は興味本位からか、そっと悪魔の頬を両手で包む。陶器のように滑らかで、自分の体温よりもやや高い。悪魔にも血が通っていると思うと、苦笑が零れた。


 「視界が霞んできたか……。礼を言うぞ、ゼーレテュヒア公爵。少しの間の退屈しのぎにはなったわ。命を狙う相手に感謝するのもおかしな話じゃが、記憶を奪う前に見せてやろう。わらわの本来の姿を、の」


 気まぐれが発動した。男が驚く顔が見たいと思った。血を奪う前に、記憶を消す前に。ここで会話を交わし、毒を呷った悪魔の願いを叶えてやるのもまた一興。

 久方ぶりに自身にかけていた術を解く。身体の成長と共に衣服も大きさを変え、現れたのは絶世の美女だ。筆舌しがたいほど、圧倒的な美を誇る。

 絹糸のように細く、僅かな光を浴びて煌めく金髪。人間界の海を匂わせる青い瞳。少女の愛らしさは面影を残し、大人びた微笑が良く似合う。長い睫毛に薔薇色の唇、まろやかな肢体。外見年齢は悪魔よりもいくつか下のようだ。人間の年齢で言えば、恐らく十八歳頃だろう。

 艶めく色気を放ち、妖艶に微笑んだ少女は、そっと唇を悪魔の耳に寄せる。


 「どうじゃ? 美しかろう」

 「ああ。エライザが嫉妬するほどな」


 少女は首を傾げた。彼女は自分の成長した姿を知らないはずだ。見せた事があるのは、彼女の弟のみ。今まで魔力が足りず、四大貴族のブラッドロード令嬢でありながら成長が止まっていると思わせていた。彼女なりに義母に害があると匂わせない為の配慮だったのだが、それが仇になったのだろうか。

 否、成長したこの姿を見せれば、やはり意に沿わぬ婚姻を強いられていた。利用されるだけされて、屈辱を味わわされる羽目になる。それに、義母自身も衰えぬ事のない絶世の美女である。嫉妬などするはずがない。


 「すぐに忘れるのがお主の為じゃ。さて、悪魔の味を堪能させてもらおうぞ」


 躊躇いもなく、少女は毒に侵され身動きが取れない男の首筋に、牙を穿った。

 痛覚は正常に機能している悪魔の顔に、渋面が浮かぶ。

 じゅるり、と血を啜る音が室内に響いた。零れる血を舌で丹念に舐めとり、舌で湿らせた唇を悪魔の首に押し当てる。ごくり、ごくりと悪魔の意識がかすれない程度の血を飲み干した少女は、再び舌で丹念に傷口を舐めて牙の痕を癒した。


 元々薔薇色に色づいていた少女の唇が、妖しいほど真っ赤に染まる。 

 舌なめずりをして唇に付着していた悪魔の血を舐めとると、少女は満足げに呟いた。


 「悪魔の血も悪くない」


 間もなく悪魔の意識が落ちるだろう。目覚めたら、この場に来た事すら覚えてはいない。

 動かない悪魔から一歩離れたその直後。手首を圧倒的な力で掴まれ、ギョッと目を瞠る。


 「そうか、それは良かった」


 猛毒を飲み意識を操られ、血まで啜られたはずの悪魔は、平然とした様子で言った。狼狽した一瞬のうちに、悪魔は少女を抱き寄せ、隣室の寝台の上に転がせた。

 天蓋付きのベッドに放り投げられた少女は抗議の声を上げる。


 「なにをっ、」

 「諦めろ。お前はもう、俺の獲物だ」

 「っ!?」


 組み敷かれて驚く少女の唇を、悪魔は己の唇でふさいだ。貪るように口づけ、彼女の口内にまだ残る己の血の味を感じ、僅かながらに柳眉を寄せる。だが、誘うように甘く薫る少女の唇を蹂躙し続けた。


 「契約を守るのが悪魔の美学だ。お前は大人しく、俺に攫われるんだな」

 「おのれ……、何が美学じゃ。乙女の唇を奪う悪魔なんぞに嫁ぐなどっ」

 「人間の生娘みたいな事を言う。奪ってこそが正義で愛だ。それが魔族だろ」

 「悪魔が正義を語るでない!」


 少女は身体をよじるが、無駄な抵抗に終わった。悪魔は涼やかな顔で少女を見つめる。先ほどまで浮かべていた汗は既に消えていた。


 「聖水は確かにきついが、俺の意識を操るにはまだまだだ。なあ、ヴェロニカ・ブラッドロード」

 「っ!? な、何故わらわの名をっ……!」

 

 目に見えて動揺する少女、ヴェロニカを愛しげに見つめた悪魔は、先ほど告げた台詞をもう一度繰り返す。


 「大人しく俺の花嫁になれ」

 「拒否権は、」

 「与えない」


 傲慢な言葉に呆れたため息しかもはや出てこない。


 「ヴァンパイアが悪魔の花嫁なんて前代未聞じゃ……」


 そう呟いた彼女の言葉は、再び降って来た悪魔の唇に飲み込まれた。


 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 


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[一言] 続編読みたい
[一言] とても面白かったです。ぜひ続編も書いて欲しいです。
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