正体明かしてフラッシュバック
「ヘタレにしては、よく持ちこたえたな。国島」
白羅の前で、盾になるようにして立っていたのは、紛れも無く、雪村弥生本人だった。
絹糸のようになめらかな金髪を月光に反射させ、二つの赤褐色の瞳をうっすらと輝かせながら、通り魔少年と弥生「だった」霊を見据えていた。
「……おっせぇんだよ、この野郎」
幼馴染みの登場に思わず口元を綻ばせながら、白羅はいつもと同じように毒づいた。
「ヒーローってのは遅れてやって来るもんだって言うだろ?」
つられて弥生もフンと笑って見せる。
「な、んで……!?」
数メートル離れたところで二人のやりとりを見ていた弥生「だった」霊は、突然現れた同じ顔をした幽霊の参戦に信じられないという顔をしたまま硬直する。
「だった」というより、偽・弥生と言ったほうが正しいだろう。
端正であった顔が驚愕と疑念に歪曲し、弥生とは似ても似つかない容貌になっている。
「お前、一体……!!」
驚きを隠せない偽・弥生は拳が白くなるほど握り固めながら喉を震わせる。
白羅はその偽・弥生と自分の横で仁王立ちしている弥生を交互に見て、腰をあげながら呟いた。
「やっぱり、雪村じゃねぇよなァ。テメェ」
「……ッ!」
唇を噛んで言葉を詰まらせる偽・弥生。
しかし、白羅は焦りを見せる偽・弥生には目もくれず、自分の前に立っている弥生に鋭い視線を向けた。
「ってかよォ……お前はどこで何してたんだ、ゆーきーむーらーくーーん?」
間延びした低い声で問い質す。
急に怒りの矛先を向けられた弥生は、いかにも彼らしく、眉ひとつ動かさず淡白に答える。
「何と言われましても、化学室で足止めくらってましたとしかいいようがない」
「化学室……ってこたァ、あん時から……!」
「ああ。あのよくわかんない人に騙されてたみたいだな」
冷静な口調で言葉を並べつつ、弥生は自分とよく似た顔をした霊を顎で指し示す。
「いやー、誰だろうなぁ、アレ」
アハハ、と乾いた笑いを溢す。
自分と瓜二つの人物が目の前に立っているというのに動揺するどころかケタケタと笑っている弥生に、偽・弥生は更に奥歯を噛み締めた。
「お前……どうやってあの罠を!」
「ん? ああ、あの姑息な罠のことか。残念だが、あの程度のものは気力で何とでもなる」
「んな……!?」
顎に手を添え、弥生はニッコリと笑う。
「なるほど。俺があの罠にもたついている間に俺とすり変わったというわけか。俺に化けて国島を追っ払おうとは、なかなかいい作戦だったが……まさか他人に化ける能力を持つ幽霊がいたとはな。新しい発見だよ」
「………ッ!」
完全に人を小馬鹿にした発言だ。
ここまで巧みに人を苛つかせることができるのは、この幽霊のこの言動と嘲笑くらいだろう。現に白羅は何度もこの人を馬鹿にした笑顔に苛つかされた。
偽・弥生も弥生の挑発にのせられたのか、口許をぐにゃりと歪めた。
そして、恐ろしく低い、掠れた声で呻くようにして言った。
「あまり、調子にのるなよ……死に損ないの、浮遊霊ごときが……」
ゆらりゆらりと偽・弥生は弥生と白羅に近づく。
「俺は……誰が、何と言おうと、雪村弥生、だ……。俺、は……雪村、ヤヨい……ユギ、むら……!」
偽・弥生の言葉がだんだんと片言になっていく。それと同時に、偽・弥生の顔がどろりと崩れた。
「な……っ!?」
「………」
まるで泥のように溶ける偽・弥生に、白羅は息をのみ、弥生は無言で眉根を寄せた。
どろどろと偽・弥生の皮膚が剥がれおちていく。
やがて全ての皮膚を脱いだソレは、弥生どころか人間の形ですらなくなり、力なく地面に這いつくばった。
白羅と弥生の前に伏したのは、真っ黒な塊のようなモノだった。ヌタリヌタリと地面を這いずり回る。
軽自動車ほどの大きさのソレは、泥状の身体に黒く短い毛を所々に生やしており、ギョロリと剥いた目玉が上下ちぐはぐについていた。
『ヴァ、ぁあァ』
臼のような歯が不規則に並ぶ口からは呻き声とも地鳴りとも言えない声が漏れる。
まさに「怨霊」と呼ぶのにふさわしい姿だ。
「っおいおい……なんだありゃあ……」
あまりにも浮世離れした展開に、白羅は笑いながら冷や汗を流す。
今まで弥生がおこす心霊現象を見てきたが、流石にこの現状にはついていけない。
しかし、その浮世離れした側の弥生はと言えば、ホラー映画にでもでてきそうな怨霊の容姿を目にしても動揺することなく感心の声をあげる。
「へぇ、すごいなぁ。これはまた随分たくさんの怨念を溜め込んだもんだ。今まで色んな霊に会ってきたが、ここまで『怨霊です』って自己主張している奴を見るのは初めてだ。なあ? 国島」
「おい、今俺に話ふるんじゃねェよ。完全に場違いだろ、俺」
たたでさえ得体の知れないモノが苦手なのに、そのなかでも飛び抜けて正体不明の怨霊とのご対面で白羅の顔は真っ青だ。弥生の茶々に付き合っている余裕などない。
『グォ、ォアぁあ』
二人が取り留めもないやりとりをしている間にも、怨霊らしき黒い塊がずるずると近付いてくる。
『コロ……ス……! コロジデ……ヤル…!!』
「……は…?」
低い嗄れた声でそういうと、怨霊は白羅に向かって飛び付いてきた。
「ッ!」
「国島っ!」
思いがけない怨霊の素早さに、白羅は行動が一歩遅れる。
その白羅に、弥生が叫びながら怨霊以上の素早さでタックルをかました。
「ぐぼォッ」
思い切り腹にタックルされた白羅は妙な呻き声と共に床にはっ倒された。
腹になかなかのダメージをくらったが、おかげで怨霊に食い殺されることは避けられた。
しかし予想以上に痛い。
「てっ、てめぇ……もっとやりかたってもんが……!」
凄まじいタックルをかましておいて平然と立っている弥生を睨み上げるが、弥生はすでに白羅を見ていなかった。
弥生は、蠢く怨霊とその側に立っている通り魔少年を見つめていた。
今すぐにでも二人を食い殺しそうな目で。
「………テメェ……」
弥生が怨霊に向けて声を発する。
その瞬間、弥生を取り巻く空気が急に変化した。
先程までニヤニヤ笑っていた弥生の顔が無表情に塗り替えられている。
直感的に、白羅はヤバいと感知する。無表情の弥生の鋭い目つきに、寒気すら感じる。
怨霊も周囲の空気がはりつめたことに気が付いたのか、泥状の身体をぐねぐねと縮ませた。
しかし、気づいたからと言って、今更弥生の顔に笑顔が戻るわけがない。
「テメェ……今、何をしようとした……?」
弥生が、一歩怨霊に近付く。
その両の目は、深紅に燃え上がっていた。
「殺そうとしたよな……? んな無礼千万なことを、誰に向かってしくさってやがるこのド三流野郎がァア!!」
怒りの咆哮とともに、激しい突風が怨霊を襲う。
「――っ!?」
予想していなかった力の働きに、隣にいた白羅は思わず両腕で顔を覆う。
『ヴォおぉ……ッ! コロ、ス……コロ、シタイ……シネ、シネ!』
怨霊は台風のような風に身動ぎしながらも尚、呻き続ける。
しかし、その言葉はより一層強くなった突風に遮られる。
怒りをあらわにした弥生は、その抑えきれない感情を乗せたような風を吹き荒らしながら呟いた。
「怨霊風情が、俺の許可なしに喋るな」
今時の不良さえ軽く引く、強烈なその台詞を。
「大体なぁ、あんな陳腐な罠でこの俺を抑え込もうって魂胆がいただけねぇんだよ」
段々と口汚くなる弥生の足下に、何やら光る霧らしきものが浮遊し始める。その光は次第に大きくなり、ベールのように弥生を取り囲む。
よくアニメなんかで見るオーラ的な何かを身に纏う弥生を見て、白羅は自分が白昼夢でも見ているのかと思う。
あまりにも非現実的すぎて軽く頭が混乱する。
だが、弥生の怒りはこれに止まらなかった。
「一万歩譲って、俺を罠にかけて辱しめたことは赦してやらないこともない」
言葉を連ねる途中にも、光の波は激しく燃え盛り、弥生の身を包む。
そして、弥生は白い額に青筋を立てて、大声で叫んだ。
「けどなァ……こんな卑劣な手段で国島を騙し、その上殺そうとしたことは、何があっても、天地がひっくり返ろうが一生赦さねぇから覚悟しろ!!」
「――!」
その心の叫びに、白羅はハッと目を見開いた。
心臓が大きく脈打ったのが、わかった。
しかし、弥生は白羅に振り返ることもなく、次の瞬間には怨霊に向かって跳んでいた。
その跳躍とほぼ同時に、今の今まで人形のように突っ立っていた通り魔少年が白羅に突撃してきた。
「っぬあ!?」
少年が喉元めがけて突き出してきたアイスピックを白羅は紙一重でかわす。
「っの野郎ォ……殺る気満々じゃねェかッ!」
紛れもない殺意を真っ直ぐ向けられ、白羅も自身を守るために身構える。
アイスピックを振りかざす少年に向かって、お返しだと言わんばかりに素早く身体を捻って右足を叩き込もうとする。
だが、怨霊に旋風のようなドロップキックをかましていた弥生に言葉で制される。
「国島! そいつはこの怨霊に憑かれているだけだ! 手荒いことすんな!!」
「はあ!? んなこと言われても……ッ!」
弥生の警告に、今にも少年を蹴り飛ばそうとしていた右足を何とか引っ込める。
そのままその場にしゃがみこみ、少年の足下に入り込むと、少年の筋肉の薄い腹に肘鉄を打ち込んだ。
「っ――」
息を小さく飲むと、通り魔少年はあっけなく卒倒した。
ぐらりと倒れ込む少年の身体を、白羅は片腕で楽々と受け止めた。
「ったく……これでいいのか、似非秀才……」
無理な注文しやがって、と弥生のいる方へ振り返った。
そうして、振り返るんじゃなかったと後悔した。
白羅の背後には、弥生ではなく、二つの目玉をぎらつかせる黒い塊がそびえ立っていた。
「国島! 逃げろ!!」
弥生の高い叫び声が怨霊の後ろから聞こえる。
しかし、白羅には逃げることはできなかった。
相手が殴るどころか触ることさえできないあの世のモノで、しかも自分は脇に男子一人担いでいる状態では、素早く身をかわすなんてことは不可能だった。
故に、白羅は怨霊が自分の身体を通り魔少年ごと投げ飛ばすのを黙ってみていることしかできなかった。
身体が、宙に浮く。
「――っ!!」
白羅は咄嗟に脇に抱えていた少年を床に叩きつけないために抱き込んだ。
だが、それは無意味だった。
なぜなら、白羅と少年の落下地点に、“床などなかった”からだ。
「っ……うそだろ……!!」
頭が真っ白になる。
爪先からゾクリと恐怖が這い上がってくる。
――このままじゃ、二人とも死ぬ……!
そう理解した途端、白羅はほぼ反射的に少年を屋上に向かって投げ飛ばした。
少年は屋上に投げ込まれ、白羅は落ちていく。
「――国島ぁぁあっ!!」
幼馴染みが落ちていく姿を見て、弥生は自分でも聞いたことのないほどの悲鳴をあげた。
白羅にしか届かない声で、その名を叫んだ。
そして、己の身体の全力を行使し、走った。
弥生はこの時、何故かデジャヴのような感覚に陥っていた。
いや、デジャヴではなく、「フラッシュバック」だった。この光景を見るのは、初めてではない。一度見たことがある、と。
白羅の落ちていく姿が、歯を食いしばり落ちていく白羅が――
――自分と重なって見えていた。
そして、屋上には、もう一人、“落ちていく弥生を見下ろす誰か”が立っていた――……




