通り魔
ドォオンッ
静寂だった夜の学校に、物騒な爆発音が轟いた。
「っ!?」
滅多に耳にしない音響に、白羅は竹刀を振り回していた手を停止させた。
――何だ、今の音。
素直な疑問が脳を巡る。
音が聞こえてきた頭上を見上げる。
――真上から聞こえたのか……?
――何かが爆発した音?
――「奴等」の仕業なのか……。
一気に脳味噌がフル回転する。
そして、その思考の巡りは、「彼」に到達する。
――あいつは……雪村はどこへ……
最後の疑問が頭に浮かんだ瞬間、白羅は再び「嫌な予感」に直面した。
「っ雪村……!」
考える間もなく、白羅は駆け出した。
明かりなどほとんどない暗黒の中を走り抜ける。闇を裂くような速さで階段をかけ上がる。
三階への階段を上りきると、現在使用禁止のはずの化学室から光が漏れていた。
迷うことなく化学室に向かう。
すると、中から弥生がよろよろと出てきた。
「雪村! 大丈夫か!」
廊下に倒れ込む弥生に駆け寄る。弥生が激しく咳き込む。
「おい、何があった!」
白羅の問い掛けに、弥生は咳き込みつつ、独り言のように呟く。
「っぶねぇ……成仏させられるかと思った……」
「成仏!?」
「部屋の中に、変な仕掛けがあったんだ。ありゃー手がこんでたな」
「仕掛けだって?」
首を捻る白羅に、弥生は息を溢すように言った。
「大量の護符があったんだよ。どうやらあちらさんは、お前が幽霊を連れてること、知ってるみたいだぞ」
「! ……マジかよ」
「ああ。まあ、知られててもそう心配することはないだろうけどな。あちらさんにも俺が見えてるってだけの話だ」
そう言い捨て、弥生は立ち上がる。
「そうか……」
とりあえず平気そうな弥生を見て、白羅は小さく息をつく。
それと同時に、弥生の勝手な振舞いに対しての怒りが込み上げてきた。
「ってか、勝手に一人で行動すっからこういう目に遭うんだよ。反省しろよ、ボケッ!」
弥生に向かって頭をはたくフリをして見せる。
弥生も顔を両腕で覆って守る真似をする。
「悪かったって。心配させて」
珍しく弥生は素直に謝る。普段なら「俺のことを心配する前に自分の心配をしろ」だの、「俺の勝手だろ」だの「うるさい」「黙れ」だの言ってくるはずなのだが、さっきの仕掛けにまだ混乱しているのか、いつもと様子が違う。
白羅も「うっ」と息をつめてしまう。
「な、何だよ。素直で気味悪ィ……! それに、別にテメェを心配して怒ってんじゃねぇよ」
ササッと白羅は弥生から三歩ほど距離をおく。
距離をおかれた弥生は気にするでもなく、埃などつくはずのない服をはたく。
「あっそ。ま、どっちでもいーけど」
あっさりとそう吐き捨てながら、弥生は天井を見上げた。
「……?」
弥生の妙な行動に、白羅は眉を曇らせた。
「どうかしたのか」
然り気無く、声をひそめて問う。弥生が奇妙な行動をとるのは、いつも何かに気が付いて集中している時だからだ。
「また何か『匂う』のか?」
いつも弥生が使っている言い回しを使って尋ねる。
しかし、弥生は「はあ……?」と疑問の声を漏らした。
「匂う? 何の話だ。そんなことより、屋上が気になるんだ」
「は……? お、屋上?」
予想外の弥生の反応に戸惑ったが、白羅は更に聞き捨てならない言葉に反応した。
「屋上」という言葉に。
「屋上」は弥生にとってタブーであるはずだった。もちろん、そこが彼の死に場所であるからだ。
白羅も、そこの話をするのは避けていたし、行くことも拒んでいた。
だから、弥生が「屋上」という単語をこうも気軽に言ってしまうことに違和感を感じた。
「屋上に何かある気がする。何がと聞かれたら答えられないけど……」
しかし、弥生は眉根をよせることもなく、自分の死に場所を繰り返し口にする。
――俺の思い過ごしだったのか……
――こいつのこと、少しは分かってたつもりだったが……
まだまだ知らないことばかりだ。四つん這いでしか歩けない歳からの仲なのに、知らないことだらけで、胸がつまる。
白羅が自身を不甲斐なく思っていることにも気付いていない弥生は、白羅に断ることもなく一人で屋上へ向かおうとする。
「っおい! 本当に行く気かよ!」
思わず、先を急ぐ幼馴染みを止めてしまう。
止められた弥生は遠慮なしに歪めた顔を白羅に向ける。
「何だよ。屋上が怖いのか?」
「っちげェよ!」
「だったらさっさと行くぞ。もしかしたらいるかもしれない犯人に逃げられるぞ」
フン、と鼻息を荒く吐き出し、相変わらずデカイ態度で弥生はズンズンと歩を進める。
白羅は憂鬱そうに大息しながらも、先んずる幽霊の背中を追いかけていった。
あまり掃除の行き届いていない埃っぽい階段を上がり、少し古びた鉄製の扉を開けると、涼しい夜風のふく屋上に出た。
屋上から見える夏の夜空には、宝石を散りばめたような沢山の星が輝き、心洗われる美しさだった。
しかし、白羅と弥生には、その溜め息が出るような美しさに心を奪われている余裕はなかった。
星が煌めく夜空の下に、黒いフードを被った男が立っていた。
「っあいつ……!!」
その男が例の事件の通り魔であると一目で確信した白羅は、今にも飛びかかろうと構えた。だが、弥生によって制止される。
「迂闊に動くな。相手は凶器を持ってるんだぞ」
「……ッ」
弥生が言う通り、黒フードの男の手の中でアイスピックが光っていた。
沖野の話通りの容姿の通り魔に、白羅は耳の奥でギリ、と音が鳴るほど歯を食いしばった。
胸に秘めていた憎しみが再び燃え上がる。腹の中で黒々とした炎がとぐろを巻く。
今すぐにこの憎悪を吐き出したい衝動にかられる。
確かに、相手は凶器を持っているが、白羅も竹刀を手にしている。それに加え、白羅は超人的な運動神経の持ち主だ。例え相手がアイスピックを突き付けてこようが、捩じ伏せるのは簡単だ。
しかし、白羅は弥生の言葉を無視する気にはなれなかった。
弥生の忠告を聞き入れずにいい結果になったことがほとんどないからというのもあったが、このときは、何となく聞き入れたほうがいいと思った。
白羅は奥歯を噛み締めつつも、己を押し止めた。
「おい、そこのお前」
一人夜空を見上げる黒フード男に白羅は冷静に、静かに声をかけた。
黒フード男が、ゆっくりと振り向く。
月明かりのおかげで、闇夜の中でも男の顔ははっきりと見えた。
月光に照らし出されたその顔は、まだ少年と呼べるほどの幼さを残した風貌だった。
とても通り魔とは思えない目の前の少年に、白羅は無理矢理落ち着かせた、低い声で尋ねた。
「お前が、例の通り魔か」
「………」
通り魔は黒い虚ろな目で白羅を見つめるばかりで、質問に答えようとしない。
「……何で俺達がここに来たか、わかってんだろ」
「………」
白羅の刺すような視線に貫かれても、通り魔は、答えない。
何を言われても答えないと決めているのか、少年は口を閉ざし続ける。
「チッ……能面みてェな顔決め込みやがって。人をナメてんのかテメェは」
流石に苛立ちに顔を歪めた白羅だったが、ここで自棄を起こしては負けだと己に言い聞かせて、何とか問いを続ける。
弥生も、黙って二人のやりとりとはいえないやりとりを見守る。
「大人しく捕まるってんなら、十発ブン殴るだけで許してやる」
「……」
「どんな理由でアホやってるか知らねぇけどな、俺達のダチに手ェ出したツケは高ェぞ」
「………」
「……どうして、こんなことしやがった」
「――……っ」
最後の質問に、通り魔が僅かに目の色を変えた。
冷たい表情に、初めて人間味が垣間見えた。
通り魔の少年が初めて浮かべて見せた表情は「驚き」だった。
「……どう、して……?」
か細く高い声が小さく響く。
小さな声だったはずなのに、不気味なくらいよく響いた。
その不気味な声で、少年は続け様に言った。
「わから、ない……」
「………は?」
白羅は己の耳を疑った。
――こいつ、何を言った?
その疑問が口から出る前に、通り魔が同じ言葉を繰り返した。
「わからない……どうして、理由がないと人を傷つけてはダメなの……?」
「――っ……」
その瞬間、白羅は確かに聞いた。
自分の中で、何かがぶちんと切れた音を。
次いで、全身の血が一気に身体中を巡る。
「今、何て言いやがった」
感情の高ぶりにふるえる足で、前へ進み出る。
「理由がねェと他人を傷つけちゃあ駄目かって……? それじゃあまるでよォ、俺達のダチは何の理由もなくあんな目に遭ったみてェじゃねぇか……」
地鳴りの如く声を揺らし、一歩、また一歩と黒い少年に近付く。
灰色の瞳をぎらつかせて歩んでくる白羅を見て、通り魔は頭を右側に傾げた。
そして、いかにもわからないと言う表情をして見せた。
「そういうことに、なるのかな?」
その一言で、白羅はついに自身を抑えることをやめた。
右手に持していた竹刀が握りしめた拳の圧力で割れる。
「テメェ……ふざけんのも大概にしろ!!」
抑えきれない怒りに声を大にして、床を強く蹴る。
そのまま、憎むべき相手に向かって、大きく跳躍しようとしたのだが――
床から足を離しきる前に、後ろから何かに羽交い締めにされた。
「――ッ!?」
自分を制する何かに勢いよく振り返る。
白羅の脇に腕を差し込み、動きを封じていたのは、先程まで事の進みを見守っていた弥生だった。
白羅の背中に顔をうずめるようにして押さえ込んでいる。
「っ雪村……? 何やってんだ、離せよっ」
一刻も早く通り魔を捕まえて思い知らせてやりたい白羅は弥生の腕を振り切ろうと身体を捩る。
しかし、弥生は黙り込んだまま離そうとしない。鉄の棒のように固い腕が白羅の動きを完全にとどめる。弥生の細い腕からは想像もできない力だ。
もとから、弥生は細身な見た目のわりに筋力が優れていたが、腕力にものを言わせて怒りを露にした白羅を止められたことはなかったはずだった。
自分を止める弥生の考えが理解できず、白羅は叱咤する。
「お前何のつもりだ! 何で止めんだよ!」
白羅の訴えに、弥生は俯かせていた顔をあげる。月が雲隠れしてしまい、薄暗くなって弥生の表情ははっきりとは窺えない。
窺えない表情の代わりに、弥生は高いとも低いとも判断しがたい声で溢した。
「……なぁ、赦してくれる……?」
「は?」
唐突な発言に白羅は聞き返す。
その時、ちょうど雲のカーテンに身を隠していた月がゆっくりと姿を現した。
「……ごめんね……」
月の光が、弥生の白い顔を照らす。
現れた顔の、形の整った唇が、にぃー、と弧を描いた。
そして、つり上がった口は、信じられない事実を白羅に告げた。
「俺なんだ。“もう一人”は」
信じたくない、事実を――。