当たって砕けてまた明日
「で、メデューサ討伐っつっても何するんだよ」
その日の夜、白羅の家である天宿荘で二人は作戦会議をしていた。
あまり広くない部屋で折り畳み式の机を挟み、二人で向かい合って座り、頭を付き合わせる。
「まさかここまですんなりと協力するとはな。お前らしくなくて背筋がゾッとする」
お気に入りのマグカップに注がれたアイスココアを啜りながら、弥生が信じられないという表情をする。
一方、麦茶と氷の入ったガラスコップを回す白羅は遠慮なしに舌打ちをかます。
「断ってもぜってぇ協力させようとするだろ、テメェは」
「もちろん。断らせるつもりなんて毛頭ない」
白羅は弥生に「協力しろこのやろう」と言われたそのすぐ後に、yesと答えたのだ。決してその時の弥生の笑顔が怖かったからではない。決して違う。断った方が面倒なことになると分かっていたからだ。
そんなこんなで、「メデューサを討伐し隊」の一員となった白羅は、隊長である弥生とともに作戦を練っているのだ。
「もしあの時お前が断っていたら全身の毛を余すところなく剃り上げてやるつもりだった」
弥生は何故か自慢気に鼻を鳴らす。
「……断らなくてよかった」
「だろ? そんなことより、これからどう行動していくかだけど」
最高の脅し文句に縮み上がる白羅のことはあまり気にせず、弥生はサクサクと作戦会議を進行する。
「やっぱり沖野君とやらに詳しい話を聞きたいところだな」
「あー、わざわざ聞きに行くんっすか……」
額に手を当て、白羅は小さく溜め息をつく。
その抗議に、弥生の細い金色の眉がひくりと痙攣した。
「……なに、何か不満?」
マグカップを静かに机に置き、白羅を蛇のように鋭い目付きで見つめる。
弥生の視線に、白羅は、うっと息を詰まらせた。赤い瞳の迫力に少し気圧される。
「いや、そこまですることかって……」
睨まれながらも白羅はぼそぼそと呟く。
弥生は「どうしようもねぇ野郎だな、コイツ」と言いたそうな顔で小さく溜め息をついた。
「あのな、お前と俺の正義への価値観というか、物の見方が違うのは分かってる。けどさ、お前協力するって言ったよな?」
「あー……まあ、そうだけどよ。よく考えたら……すっげぇめんどくせぇ」
白羅が投げやり感満載にそういった途端、弥生の両手が思い切り机を叩きのめした。
マグカップとガラスコップが僅かに揺れる。
「お前……もういっぺん言ってみろ! ヘタレ馬鹿ちん!! お前は巨悪を葬るためなら何でもすると誓ったんじゃないのか! この根腐れヘタレ野郎が!!」
「ね、根腐れヘタレ野郎!? テメェこんにゃろう!! 人が大人しくしてりゃあ調子にのりやがって!!」
弥生のあんまりな言い様に、恐怖も忘れて言い返す。
「大体、何でもするなんて言ってねぇよ! 分かってねぇかもしんねぇけどな、その沖野って野郎に会いに行くのも、話聞くのも全部俺なんだぞ!?」
「そんなこと分かってる! 口を割らせる方法なら教えるし、沖野の住所だって……」
弥生も言葉を返す。
「お前はいいよな! そうやって裏方だけやってりゃあいいんだからよ!」
「はあ!? 好きでやってるんじゃない! 知ってるだろ!?」
弥生の顔にどんどん感情がこもっていく。
白羅はどこか遠くで考える。
――ああ、まずいな
――ヤバい方向行ってる
頭の隅では冷静に考えているのに、口は止まろうとしなかった。
「いいご身分だよなぁ? 手足みてぇに俺のこと使えて! いざというときは全部俺に責任擦り付けれるもんな!」
「違う……!」
――馬鹿、やめろ。
――コイツはそんなことする奴じゃねぇだろ。
「姿見えねぇの、便利だろ? いいよな、幽霊って」
――ああ、なに言ってんだ、俺
「お前だって、そう思ってんだろ!?」
「――ッ!!」
その瞬間、世界がぐるりと廻ったのと同時に、頬に鈍痛が走った。
「っ……」
数滴の血が床で弾けるのが見え、頭がくらりとした。
どうやら、弥生に殴られたらしい。
当たり前だ。最低なことを言ってしまった。
白羅の左頬を殴った弥生の拳がわなわなと震えていた。
「……人の気も知らないで……よくそんなことが言えたな……」
掠れた声が白羅の心に突き刺さる。後悔に余計負荷がかかる。
「俺だって、好きで“こうなった”んじゃない……」
赤褐色の瞳が白羅を射抜く。
「……自殺なんか、するはずがない」
「―――!」
ずっと床を見つめていた白羅はハッと顔をあげた。
弥生は顔を伏せていて、表情を伺うことは出来なかったが、白羅を殴った拳が静かに震えていた。
「ゆき……」
「とにかく、何と言われようとお前には協力してもらう」
弥生はくるりと背中を向ける。
「俺はお前がいなきゃ何も出来ない、死に損ないだからな」
そう言うと、弥生は玄関に向かって歩いていってしまう。
このまま行かせてはいけない。何故かそう感じた白羅は手を伸ばした。
「待て、雪村!」
弥生の腕をつかむ。しかし、白羅の手は弥生の手を通り抜け、空気だけ掴んで空ぶった。
「――!」
息をのむ。
そうしている間に、弥生は玄関の扉を通り抜けて出ていってしまった。
騒がしかった室内が、急にしんとする。
一人になった白羅は、自分の掌をみつめた。
忘れていた。
弥生が自分を触ることが出来ても、自分は弥生を触ることが出来ないことを。
今までに何度も殴ってやろうと試みたことがあったが、一度たりとも当たったことはなかった。かすったと感じたことさえない。
弥生が幽霊になって現れてからすぐ、そのことに気付いたはずだった。
気が付いていたはずなのに、何度も繰り返した。
目の前にいられると、いつか触れれるような気がして。
生きている、気がして。
「はは……」
乾いた笑いを漏らす。そして、また弥生に触ることが出来なかった手で顔を覆った。
「ばっかみてぇ」
ガラスコップの中の氷が、カランと音を立てて滑り落ちた。
翌日の朝、白羅は弥生の殺人モーニングコールなしでいつも通りの時間に目を覚ました。
いつも通り身仕度をして、いつも通り部屋を出る。そして、いつもより少し遅れて学校についた。
「白羅おはよーさん!」
いつも通り、教室に入って一番に狩脇が挨拶してくる。
「おう」
「あれっ? なんか今日は元気ねーなぁ? どうかしたのか」
意外と気配りの出来る狩脇が心配そうに尋ねてきたが、話せるはずもなく、「別に」と言ってはぐらかした。
横目で一番後ろの窓側の席を見る。そこに席の主はおらず、代わりに阿志田が花瓶の花を変えていた。昨日と同じ花だった。
「……」
一瞬、席に座って阿志田に微笑みかける弥生が見えた気がした。
その日は一日中ぼーっとしていた。弥生を探しに行こうかとも考えたが、今会ってもどんな声をかければよいか分からなかった。行くべきだと分かっていながらも、行けなかった。
そもそも、弥生が自ら姿を消してしまえば、白羅にはどうしようとも見つけられないのだ。弥生が自分から姿を表さなければ、白羅は弥生を認識できない。とても、不公平で不安定な関係なのだ。
放課後、白羅は鬱々とした気持ちで昇降口に向かった。
放課後の昇降口は人気がなく、静けさに満ちていた。
その静けさの中、誰かが立っていた。
「――ぁ」
声をもらす。
静寂に溶け込むようにして立っていたのは、弥生だった。
白羅の声に、弥生が振り向く。
いつもより、力のない目をしていた。赤褐色の瞳が暗く光る。
白羅と弥生が向き合う。だが、二人の間に言葉は交わされない。
暫く沈黙の時が流れる。
「雪村」
重苦しい沈黙に耐えれず、先に白羅から声をかける。
「……えーっと……」
声をかけたはいいが、やはり何を言ったらいいのかわからない。
謝りたいのは謝りたい。しかし、自分から謝った経験が少ないので、上手く謝れない気がしてなかなか口を動かせない。下手を言って、余計弥生との溝を深めるかも知れない。
とは言え、何も言わない訳にもいかないのが今の状況である。
たった一言、「ごめん」を言えばいいだけの話だ。
こんなところでへたれていては男が廃ると、白羅は意を決して口を開いた。
「その、つまりだな――」
「国島」
「っえ?」
覚悟を決めて言おうとした言葉を遮られて、白羅は情けない声を上げる。
遮った弥生は、透き通った声で言い放った。
「俺は、謝らないから」
「はっ?」
またもや間の抜けた声をもらす。
――何が言いてェんだ、コイツ
思わず首を傾げる白羅。
弥生は白羅の行動など気にせずに続ける。
「俺は謝らない。だから、お前も謝らなくていい」
「!」
ハッと目を見開く。
やっと弥生の言わんとすることが分かった。
「雪村……お前……」
素直じゃねェなぁ、と言いそうになった口を塞いだ。
自分を棚に上げるのは好きじゃない。
「何だ?」
白羅の中途半端な言葉に、弥生は頭上にクエスチョンマークを浮かべる。
「いや、何でもねぇ」
白羅は首を左右に振った。しかし、弥生は顔をしかめて再度問う。
「何だよ。気になるだろう」
「何でもねぇって」
「嘘つき。その顔は何か隠してる」
「うるせぇな! 浮気隠された女みてェな反応すんな!」
「俺はれっきとした男だ!」
「ツッこみどころそこかよ!?」
「ツッこんでないし! もういい! 帰る!!」
何度聞いても答えないどころかミニコントを始める白羅に嫌気が差したのか、弥生は背中を向けてズンズン大股で歩き出す。
その背中を見て、白羅は「あっ」と声をもらす。
「待てよ、雪村!」
「もうっ! なに!?」
不機嫌MAXという文字を貼り付けたような顔で弥生は勢いよく振り向く。
微かに般若が見えたように思えたが、白羅は呼吸を整えて言った。
「沖野って野郎の家、行くんだろ」
「!」
白羅のその言葉を聞いた途端、弥生の顔から般若が一瞬にして消えた。代わりに、ツチノコでも見たように目を丸くさせた。
「……行ってくれるのか?」
口をぽかんと開ける弥生は、いつもより子供じみていて何だか笑えた。
「何と言われようと協力させるっつったの誰だよ」
込み上げてきた笑いを抑えつつ、白羅はわざと聞き返す。
そして後ろ頭をボリボリ掻きながら言った。
「めんどくせぇっつったけど、約束したしな。仕方ねェから、今回もお前の我儘に付き合ってやるよ」
「――……っ」
弥生は、すでに見開かれている目を余計見開いた。昨夜まで「行きたくない」と断言していた白羅が急に「行く」と自分から言ったのだから驚くのも無理はない。僅かに赤褐色の瞳が揺れる。
そうして暫く驚きに硬直していた弥生だったが、やがてニコリと口元を緩ませた。
嘲笑や苦笑ではなく、少しだけ嬉しそうに笑った。
「住所なら、もう調べてある」