始まる悪意
「っはよー! 寝坊助白羅君!!」
白羅が学校に着き、教室に入ると、真っ先に一人の男子生徒が元気な挨拶をしてきた。
「………」
しかし、白羅はそれに嫌そうな視線を向けただけで、何事もなかったかのように素通りする。
「ちょっ!? 白羅、今目ェ合ったよな!? つか、白羅って呼んだはずなんだけど!」
「誰だお前は」
「狩脇君ですけど!? 中学生の頃から君の友人のはずの狩脇トオル君ですけれども!?」
冷たい言葉を向けられ、狩脇トオルは涙目で喚く。
先程からの調子の通り、とてもひょうきんな性格の青年だ。クラスでは所謂ムードメーカーというやつで、かなりのお調子者である。
「あー、傷付いた。もー傷付いた。狩脇トオルは傷付くと死んじゃうんですよ、知ってた?」
そしてかなりのかまってちゃんである。
「うっせェよ馬鹿。今俺はイライラしてんだよ」
弥生と口論したばかりの白羅は特に機嫌が悪い。
苛立たしげにに狩脇を睨む。
「朝からイライラするとか、イライラすんの日課なの?」
睨まれることなど慣れっこな狩脇は笑いを含んだ言葉を返す。
随分と荒い扱いを受けている狩脇だが、彼はこれでも白羅の一番の親友で、白羅のことなら大体理解している。
だから白羅の機嫌が悪いのは、大抵弥生と口論した後だということも知っていた。しかし、弥生はもう帰らぬ人となっている。まさか霊感ゼロのはずの白羅が、幽霊になるというある意味転生を果たした弥生と再会しているとは流石の狩脇も夢にも思わない。
故に、特に何も無いのに白羅はイライラしていると彼は思っているのだろう。
「……チッ」
白羅はと言えば、自分以外に弥生の姿が見える人間がいないことを十分理解しているので、たとえ狩脇に茶化されようが勘違いされようが、怒りを爆発させるような真似はしない。短気な白羅が怒りを抑えるのはなかなかのストレスになるが、これだけは仕方がないと割り切っている。しかし、流石に苛立ちが募り、小さく舌打ちをする。
――あー、畜生。こいつさえ成仏していれば……
白羅は狩脇に怪しまれないようにそっと後ろを見た。
白羅の後ろには、茶化されても舌打ちをすることしか出来ない白羅を見て笑いを堪えている弥生がいた。
「ふっ……ぶふっ!」
「……っんの野郎…!」
自分のせいで白羅が苦労していると言うのに全く心を痛めていない弥生に、白羅はついつい怒りを口に出してしまう。
それを見て、余計吹き出す弥生。
「あはははは!! かわいそー!」
誰にも聞こえないことを良いことに、弥生は腹を抱えてゲラゲラ笑う。白羅の堪忍袋の緒がどんどん細くなって今にもぷっつりいってしまいそうになる。
「っ後で覚えてろよ……!」
「エッ? 何を?」
堪えきれずに漏らした声に狩脇が首を傾げる。
「あぁッ!? 何でもねーよ、馬鹿!」
「何!? その理不尽な怒り!」
「おやおや、何やってんのお二人さん」
白羅の根元の解らない怒りを向けられ、狩脇が半泣き状態になっていると、白羅の背後から明らかに弥生のものではない声が響いた。
「朝から何騒いでんですか。うるさいっすよ」
「あっ! 清満ぅ!! 待ってたぁああ!」
ひょこりと現れたその声の主に狩脇は泣きつく。
「聞いてくれ! 白羅が俺をいじめるんだァァア!!」
「何それ、いつものことじゃん」
「ひでぇッ!」
泣きつかれたにも関わらず、声の主、阿志田清満は華麗に友人を切り捨てた。
彼はこの2年A組の学級委員長を務める、比較的真面目な男子高校生だ。少し鬼畜ではあるが。
「俺まじで味方いない!! 学級委員長にまで見放された!!」
「うっさいなぁ。学級委員長様にも嫌なことくらいあるさ。とっとと離れなさい。邪魔ですよ」
愛想のいい笑顔を浮かべた阿志田は必死にしがみついてくる狩脇をひっぺがし、自分の机に鞄をおく。
少し色褪せた鞄のジッパーを開け、何かを取り出す。
取り出されたのは白い花だった。
彼岸花に似た、白い花弁に桃色の線が入った美しい花だ。
阿志田はその花を教室の一番後ろの隅にある机の上においてあった花瓶に差した。
「! 清満、それ……」
数秒前まで騒いでいた狩脇が遠慮がちに尋ねる。
「……毎日同じ花だったらさ、飽きるだろ、弥生も」
薄く苦笑しながら、阿志田は静かに答えた。
阿志田が花を飾ったのは弥生の机だった。彼が持ってきたのは献花のための花だった。
弥生が死んでからこれまで、毎日かかさず花を取り替えてきたらしい。おかげで、弥生の机に置いてある花が萎びたり枯れたりする様子を見せたことはなかった。
「綺麗な花だな」
柄にもなく、狩脇がしんみりと呟く。
今まで弥生の死に沈むクラスメイトを元気付ける為に明るく振る舞ってきた狩脇だったが、友人が死んで平気な人間などいるはずがない。
心の底ではいつでも弥生を悼んで嘆いていた。
阿志田もまた、弥生の死から立ち直れていない一人だ。
「弥生が好きかな、ってさ」
「何て花?」
「ネリネっていうやつ。花言葉が気に入ったんだ」
しみじみと話す二人の後ろで、白羅は深い溜め息をつく。
「あーあ…あいつらにもお前が見えてたらな。俺の苦労も少しは減るのによ」
隣で二人の様子を見つめている弥生にぼそりと呟いた。
しかし、何も返ってこない。
珍しく反撃してこない弥生を不思議に思い、そろっと顔を覗いた。
弥生は、
ただ、自分がいないことに心を痛める友人達を見つめていた。
その目は、もう手の届かない愛しいものを見つめる、遠い目だった。
「………!」
白羅は少しだけ目を見開いた。
弥生のそんな表情を見るのは久しぶりだった。幼馴染みとして長い時を共に過ごしてきたが、このようにあからさまな顔をするのは小学生の時以来だ。
小学生の時の弥生は、頭が冴える少年なのは現在と変わらなかったのだが、今のようにひねくれた性格ではなかった。素直で活発な、今の姿からは想像も出来ないようなやんちゃ坊主だった。中学生の頃に何かやらかして今のような冷血毒舌王子になったようだが、白羅は中学だけ弥生とは違ったので彼の中学校生活には詳しくない。
だから、彼がどうしてあんな性格になったかはよく知らないのだが、取り敢えず言えるのは、弥生の“そういう”表情が豊かなのは非常に珍しいことだということだ。
弥生が見せるのは怒った顔か嘲笑った顔くらいである。
そんなこんなで、白羅は焦った。
何か声をかけた方がいいのか…
それとも無視したらいいのか…
っていうか、こんな人の多いところで幽霊に声かけていいのか!?
などとあれこれ面倒なことに思考を廻らせていると、突然後ろから声をかけられた。
「白羅!」
「!」
聞き覚えのある、鈴のような高い声に、白羅はパッと後ろに振り向く。
「おう、濱谷か」
「おはよー。こんなとこに立って何やってるの?」
白羅に元気に挨拶する少女、濱谷梓は可愛らしく小首を傾げた。
「何って……別に何も」
「ドアの前に立ってると邪魔になっちゃうよ?」
耳より高く結われた黒髪のツインテールを尻尾のように振って小さく笑うと、梓は白羅の横を通り抜けた。
「あっ」
が、いきなり何かを思い出したように小さく叫び、踵を返して白羅に向き直った。
「そういえばさぁ」
「あ? 何だよ」
「白羅って知ってんのかなぁ」
「何を」
「いや、でもすっごい噂になってるから知ってるかな」
「だから何をだよ」
妙に勿体つける梓に白羅は隣の弥生を気にかけながらも眉根を寄せる。
梓は女の子らしい見た目のわりにかなりサッパリした性格で、このように話を勿体つかせるのは珍しい。
何か嫌な予感を察する白羅に、梓は人差し指を立てて言い放った。
「名付けて、真夜中の学校通り魔事件!」
「……は? 通り魔?」
物騒な単語に白羅は首を傾げる。
「ウッソ。本当に知らない?」
信じらんない、と梓は口元をおさえる。
「今、学校中で噂になってるの。夜の校内に通り魔が出るって」
「……へぇ」
うわぁ、興味ねェ…と白羅は内心で顔をしかめる。
「アッ! いま、興味ねぇ~、とか思ったでしょ!」
何、コイツ超能力者? と再び眉間に皺をつくる。
「いや、今そんな話聞いてる場合じゃ……」
「聞いてる場合だよ! これ、ただの噂だと思われてるけど、本当に起きてんだから! 多分!」
根拠のない梓の言葉に「信憑性ねェな、おい」とツッこみつつ、白羅はそろっと弥生がいるはずの背後を見た。
しかし、そこに弥生の姿はなかった。
「ッあれ?」
えっ、消えた!? まさか今の一瞬で成仏した!?
そんなはずがない。あんな顔をしたまま成仏されてはこっちの目覚めが悪くなる、と、白羅はキョロキョロと周りを見渡す。
梓の前ということも忘れて。
「……白羅、何やってんの…」
「!!」
梓の少し引いた声に白羅はハッと我に帰る。また他人に白い目で見られるような行動をとってしまった。もういい加減この世とあの世の区切りをつけたい。順応しきれない自分に溜め息をつく。
その重苦しい溜め息に梓が「むっ」と反応する。
「え、何で溜め息? 私がウザいってか?」
「違ェよ。お前面倒臭い。ウザい」
「あーっ!? 今ウザいってー!」
「うっせェ! ウザいって言わすな! ウザいって何? ってなるから! つか、噂って何だよ!」
噂、という単語に、梓は「あ、そうそう」と話を戻す。
「その噂なんだけどね、初めは二年の男子生徒が夜中に忘れ物取りに学校に忍び込んだ時に起きたらしいの」
「……なんつーか、在り来たりな話だな…」
「ちょっと、話のコシおらないでよね。ここからなんだから。…それで、その人は教室に携帯を忘れてたから、教室に行ったんだけど…教室に入ったらね、“何か”がいたらしいの」
「はあ……」
白羅はいよいよ、この話す度に胡散臭さを増す陳腐な話に耳を傾けるのが億劫になってきた。
元々、白羅はそういう“噂”が嫌いだった。
“噂”の定義とは「明確でない」ことだ。白黒はっきりしないことが大嫌いな白羅にとって、噂は毎日のように毒を吐くあの宿敵よりも毛嫌いするものだ。
よって、このように無理矢理噂話に付き合わされるのは、白羅には長ッたらしいお経を正座をして永遠と聞くのと同じくらい酷であった。
白羅のもとからキツい顔つきが余計に険しくなるのにも気が付かず、梓は夢中になって語り続ける。
「で、何だったと思う?」
「何が」
「だから、教室にいた“何か”だよ」
「……巨大Gとか…?」
「ちっがあーう!! 通り魔!! アイスピック持った、黒づくめの通り魔!!」
「アイスピック? あの氷砕くやつか?」
「そう! そんでね、その人通り魔と目が合っちゃったらしいんだけど、そしたらね……何もないのに体が石みたいに動かなくなったんだって!!」
「メデューサか」
「もう!! いちいちつっこまないで! 白羅ってそういうトコ駄目だと思う! だからイケメンでもモテないんだよ。モテないイケメンなんか聞いたことないよ!」
「そうですか。で、メデューサがどうしたんだ」
早く話を終わらせたくて、白羅はぎゃあぎゃあ騒ぐ梓に先を促す。
「メデューサじゃないから。その人男らしいし」
まだ不服そうな顔をしつつも、梓は気を取り直して話を続ける。
「それで、そのメデュー…ッ……と、通り魔に、アイスピックで腕を刺されちゃったんだって!」
「へぇ」
「……」
「……」
「えーッ!? 反応ウッス!」
白羅のあまりの反応の薄さに梓は愕然とする。
「これ以上どう反応しろってんだよ」
「だって、刺されちゃったんだよ!? 右腕をグサッと!!」
左腕を振り上げて右腕を刺すアクションをしてみせる梓。
しかし白羅は全く動じない。
「そこが余計臭ェんだよ。そんな大事になってたら流石に俺も知ってるし、学校側だって黙ってねェだろ」
「学校には夜中の校内で遊んでいるうちに怪我したんだろって取り合ってもらえなかったんだよ! 学校がそんなんじゃ警察だって動いてくれないだろうし」
何が警察だよ。あー、帰りてェ…という言葉は呑み込み、白羅は仕方なく尋ねる。
「刺された奴は?」
「刺されたのがショックで学校休んでるって。D組の沖野君って子」
「……そいつの作り話じゃねぇの」
「作り話なんかじゃないよ! 私、沖野君の友達から聞いたんだもん。沖野君の友達も落ち込んでたし」
「どうせそいつもグルだろ。それか人が言ったこと全部鵜呑みにする馬鹿だな」
自分で質問しておきながら、白羅はくだらないと吐き捨てる。
「そのダチの話に本当なんて証拠はねェだろ」
白羅の一刀両断する言葉に、梓はウッと声をつめる。白羅の意見が尤もすぎて返す言葉が見つからないのだろう。
しかし、ここで黙ってしまえば負けだと巻き返しを図る。
「で…でも、ウソだっていう確証もないでしょ…?」
「……」
白羅の顔が更にしかめられる。
そうして、白羅は尋ねた。
「……お前、何でそんなに必死になってんだよ」
「……っ」
再び梓が口を噤む。痛いところをつかれた、という顔だ。
いつでも明るく、くよくよしない梓が顔を俯かせてしまう。相当言いたくない理由なのだろう。
しまった、地雷踏んだか…と、白羅は心配になって梓の顔を覗き込む。
「おい」
「……」
「………」
「……白羅には」
「あ?」
「白羅には、内緒にしておきたかったんだけど……」
梓が顔をあげた。何とも言い表せない、複雑な表情を浮かべている。
「何を?」
なるべく落ち着いた声音を意識して聞くと、梓は白羅を見上げて薄く笑った。
「相変わらず、白羅は優しいね」
「は? 何だそれ」
意味深な言葉にもう一度聞き返したが、梓はその発言を掘り下げず、話を本題に戻す。
「最近さ、校内荒れてるよね」
「え? あぁ、そういやそうだな」
「ひどい喧嘩が多くなったし、授業サボる人も増えたし……」
そこまで言ったところで、梓は息を吐き出す。
そして、もう一度深く吸い込み、口を動かした。
「……それって、全部……弥生君が死んじゃってから起こってるの……」
「――っ」
思わず、息を呑む。
ここで弥生の名前がでるとは思わなかった。何故だか心臓がいつもより早く鼓動を打つ。
「弥生君、風紀委員だったでしょ? しかも、かなりの権力もってて、信頼されてた」
「……信頼されてたかどうかは知らねェけどな」
「されてたよ。と言うか、され過ぎてたんだと思う。だから、弥生君がいなくなってからこんなに校内が乱れてるんだよ」
白羅が動揺を押し隠すために拳を握り固めていることにも気が付かず、梓は淡々と話し続ける。
「何かね、風紀が乱れていく度に弥生君の痕跡が消えていく気がするの……」
梓の鳶色の瞳に涙が滲む。
「弥生君が生きてた証が、消えていっちゃうみたいで……っ」
「やめろ」
「っ――」
涙声で話す梓の台詞を、白羅の冷たい声が掻き消した。
梓がヒュッと言葉を飲み下す。
白羅の表情は、梓に“噂話”を聞かされている時とは比べ物にならないほど歪められていた。
「白羅……」
「んな言い方すんじゃねェ。馬鹿共がくだらねぇ喧嘩しようがしまいが、雪村が生きてたことには変わりねぇだろうが」
「そうだけど……っ」
「何がどうなろうが、アイツは生きてた。生きてたろうが」
「………」
白羅の絞り出すような言葉で、梓は再び口を閉ざした。
普段飄々としている白羅が拳を握り固めていることに気付いたのだろう。
梓は小さく息をついた。
「……そうだよね。弥生君、生きてたよね」
本当はまだ言いたい事あるけど、と言いたそうな顔をしつつ、梓は話題を少しずらした。
「とにかく、私は弥生君が築いたものをぶち壊したくないの!」
いつの間にか涙が乾いた瞳にいつもの元気を取り戻させた梓に、白羅は眉間に皺を作った。
「それとさっきの噂話が何の関係があるんだよ」
「その噂話のせいで夜に学校に侵入しようとしたり、護身用とか言って刃物を持って来たりする生徒が増えてるの」
風紀乱れまくり、と梓は肩を落とす。何だかわざとらしい。
「だから、噂を広めて少しでも情報集めて一刻も早く通り魔を捕まえたいってわけ」
「……事情は解った。……で、何で俺に話したんだ?」
話の流れが急に変わったのに嫌な予感を感じながらも、白羅は一応、万が一の時のため、さりげなく尋ねてみた。
尋ねた途端、待ってました! とでも言うように梓の顔が綻んだ。
「実はね、白羅にも犯人確保に協力してほしいの!」
「ッはぁああ!?」
あーーッ!! 聞かなきゃよかった俺の馬鹿! 脳ミソ筋肉!
嫌な予感は見事に的中した。
頭の中で自分を罵倒する。
白羅は昔から嫌な予感だけは的中させてしまうのだ。テストのヤマは一度も当てたことがないのに。
中学の頃に彼女に別れを切り出された時も、自動販売機に小銭を入れても商品が出てこなかった時も、弥生が自分とは別の中学校に行くと告げてきた時も、その直前に何かしら嫌な予感を感じ取っていた。
――何で逃げなかったんだよ、俺! 今までに何回こういうことあったと思ってんだ!!
白羅が己の運の悪さと学習能力のなさを呪っている間にも、梓は懸命に勧誘する。
「白羅っていつも弥生君といたから、ちょっとくらいなら弥生君の頭の良さ引き継いでるかもしんないし!」
自分で言ったことにうんうん、と頷きながら梓はさらに続ける。
「それに、白羅ってば“超人”並みに運動神経いいでしょ? だから、いざってときに……」
「断る!!」
梓の演説(?)の途中にも関わらず、白羅は胸の前で両腕をクロスさせてバツ印を作って見せた。
「えーっ! そんなこと言わないで、白羅の優しいトコ見せてよーっ」
勿論、梓も簡単には引き下がらない。手を合わせながら白羅ににじりよる。
「手伝ってくれる人いなくて流石のあずにゃんも困ってるのー! 困ってる子を見捨てるなんて優しい白羅らしくないゾ!」
「何があずにゃんだ、気持ちわりぃ! あと優しい言うな、キモい」
あっちいけキモい、など言い、梓にシッシッと手で払う真似をする。
梓は
「ぜぇったい手伝ってもらうからねーっ」
と豪語しながら意外とあっさり去っていった。
やっと一難去り、白羅は深いため息をついて自分の机にスクールバッグをかけた。
白羅の席は一番後ろの端から二番目、つまり弥生の隣の席だ。日当たりがよく、春には昼寝のベストスポットだが、夏はじりじりと太陽が照りついて暑いばかりだ。
寝る気にもなれない暑い日差しが射し込む席に座り、白羅は隣の机に置いてある花を見つめた。
白い花弁が、朝日に照らされて眩しく光っている。まるで、どっかの誰かの金髪が輝いているようだ。
美しくきらめく花を眺めながら、白羅は一人静かに思考を巡らせる。
――通り魔か……
――興味ねェな…
――つか、さっきのアレはまずかったな
先程、梓に言ったことを思い出し、げんなりする。
――急だったとは言え、動揺しすぎだろ、俺……
――んな言い方すんじゃねェ、とか、あれじゃ似非秀才が死んだこと、俺が一番気にしてるみたいじゃねぇか……
白羅は頭をかかえる。
最近、どこぞの幽霊が現れたせいで頭を悩ませることが倍くらい増えた気がする。
――全く、死んでも迷惑な野郎だ。
「国島」
――大体、俺がこんなに悩んでやってんのに、あの野郎はどこほっつき歩いてんだ。
「おい、国島」
――昔っからそうだ。散々心配させといて、いつもケロッとしてやがる。
「ゴルァ、そこの馬鹿」
――たまには面喰らった顔してみろってんだ。能面みてぇな無表情決め込みやがって。あー、ウゼー
「聞いてんのか、脳味噌筋肉馬鹿」
「ッ誰が脳味噌筋肉馬鹿だ!! ブラジルまで飛ばすぞ、脳無し!!」
先程から思考を害してくる声に、白羅はやっと返事をする。
額に血管を浮かべつつ顔をあげる。すると、目の前に二つの赤褐色の瞳が現れた。
赤褐色の瞳をもつ人間なんて、この学校に一人しかいない。
「ッなん☆〓×◇##@~~!!!?」
自分の思考の9割を占めていた人物の急な登場に、白羅は声にならない奇声をあげる。声にならなかったおかげで周囲から白い目で見られることはなかったが。
「っテメッ! どこ行ってやがった!」
あくまでも小声で白羅は怒声をもらす。
「どこへ行こうと俺の勝手だろう」
一方、幽霊らしく突然現れた弥生は腕を組みながらフン、と鼻息を鳴らした。
相変わらず態度のデカい弥生に、白羅は奥歯を噛み締める。
「お前ほど自分勝手な奴、なかなかいねェぞ」
「それは光栄だ」
「誉めてねぇよ!」
「うるさいなぁ。そんなに怒鳴ってると変な目で見られるぞ」
「っ……!」
弥生の指摘で白羅はハッと口を手で覆う。慌てて周囲に視線を送るが、生徒達は世間話や課題写しに夢中で、白羅に注目してはいなかった。
ひとまず息をつく。
「お前と話してたら神経すり減るぜ……」
「そうか。結構なことだ」
「っテメェなぁ……!」
「そんなことより、話したいことがあるんだけど」
「ああ? 話?」
さっき「お前と此処で話したくないアピール」したんだけど、と顔を歪める白羅のことは気にもかけず、弥生は勝手に話を進める。
「さっきお前と濱谷が話してたことなんだけど」
「え……」
弥生の言葉を聞いた途端、白羅の苛立ちが一気に引いた。その代わりに、妙な不安が襲ってきた。
――聞いてたのか
――それなら俺のあの言葉も……
――うわ、それはマズい
恥ずかしいやら気まずいやらで白羅は一人で軽いパニックに陥る。
「あ、あれは……」
「そう。通り魔が出るってやつ」
「は?」
――え?
「いや、何て?」
「だからメデューサだよ、メデューサ。お前さっき散々話してただろ」
「あ……そっちか」
拍子抜けした。すっかり通り魔の話の後の話題のことを聞かれたのかと思っていた。危うく早とちりして自分から暴露してしまうところだった。
安堵して腑抜けた顔を晒す白羅を見て、弥生は訝しげな表情になる。
「……他に何か話してたのか?」
「いや、何も。つか、メデューサがどうかしたのか」
これ以上掘り下げられたらボロを出すに違いないと、白羅は話を戻す。
弥生もそれほど興味がなかったのか、すぐに戻ってきた話に便乗する。
「ああ、そのことだけど……」
弥生はにやり、と端整な顔を歪ませて笑った。
「国島、あれは本物だぜ」
「はあ?」
「通り魔の噂は暇人が流したデマなんかじゃないって言ってんだ」
「はぁあっ?」
思ってもいなかった弥生の発言に白羅は口をあんぐりさせた。
弥生も自分と同じで噂話が嫌いだった(というか興味がない)ので、余計信じられなかった。
「何を根拠にんなこと言ってんだよ」
いかにも疑ってますという顔で問い質すと、弥生は自分の鼻を指差した。
「匂うんだよ。幽霊になればそのくらいわかる」
「は!? マジで!!」
「マジで」
「なんつーか……幽霊って便利だな」
「そうでもないぞ。それより、あの通り魔事件、お前は放っておくつもりか?」
「は?」
すっかり幽霊の能力に感心していた白羅は間抜けな声をもらす。
「放っておくつもりかって……」
その言い方ではまるで放っておいてはいけないみたいではないか。
白羅だって危険人物を野放しにすることは良くないと思う。しかし、だからと言ってわざわざ事件解決に加担する義理もないはずだ。
関係ないことには首を突っ込まないがモットーの白羅にとって、知りもしない人間のために危険地帯に乗り込むなど論外だった。
しかし、目の前に立つ風紀委員はどうだろうか。弥生は昔から困っている人を放っておかない質だ。放っておいてくれと言われても助けようとする性格なのだ。
再び白羅を「嫌な予感」が襲う。
「えーと……お前は何が言いたい」
そう聞いた直後に、何でもう一度尋ねたんだろう…やっぱり俺は馬鹿のヘタレ野郎なんだろうか、と己を責めた。
なぜなら、尋ねた途端、あの冷血青年がとても嬉しそうに微笑んだから。
弥生は、微笑みを携えたままその白い手を白羅に差し出した。
「俺達が手を組めば、メデューサなんて木っ端微塵だぜ!」
――ああ、神様
――何でこいつを幽霊にしてまで俺に寄越したんだ……
遠ざかる意識のなかで、白羅はひそかに神様とやらを恨んだという。