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NEVER  作者: 管野緑茶
15/20

絶望 と 希望



「殺されたんだ」


白羅は、弥生の言ったことをすぐには理解できなかった。

いや、きっと理解はしていた。しかし、心がついてこなかった。

普通、こういう時はどんな反応をするのだろう、などと考えた。

驚くのだろうか。哀しむのだろうか。

――誰が殺した?

――何のためにコイツを?

――何で殺しやがった。

白羅の心は、ただ黒く、疑問が混合するのみだった。

「白羅……」

「っ!」

名前を呼ばれ、白羅は飛びかけていた意識を取り戻した。

目の前では、目尻を赤くした弥生が、心配そうにこちらを見ていた。弱々しく、頼りない顔だった。

その、いつもは凛々しい幼なじみの顔が、白羅の心に色を戻させた。先程自分が言ったことを思い出させた。

――そうだ……

――俺は決めたはずだ。コイツが何言っても、受け止めてやるって。

どれほどショックであろうと、どれほど聞き入れたくなくとも、弥生が受け止めてほしいと思うなら、その全てを背負ってやる。

白羅は、自分自身を抑え込み、それでもまだ震える拳を握りしめ、問いかけた。

「誰が―お前を――……」

殺した?

口に出すのが煩わしくて、言わなかったが、何が言いたいかなど明らかだ。

弥生は自分の小刻みにゆれる身体を抱きしめ、答えた。

「お前は、もしかしたら知らない名前かも知れない……」


「樺嶋ヒサシ。俺を屋上から突き落としたのは、そいつだ」


目の前が真っ白になる、とはよく使われる表現だが、白羅は自分が今まさにその状況にあるのだと思った。

運命なんて不確かな言葉を信じる気はなかったが、現時点では己のそう言った理念さえ曖昧になってしまった。

――樺嶋ヒサシ――

こんなことが現実にあろうか。

ついさっき知ったばかりの人間が、自分の幼なじみを殺した相手だった。

いや、それよりも、自分の唯一の存在を殺した相手を、ついさっき知ったということのほうが信じられなかった。

信じられないのと同時に、身体中から焼けつくような、真っ黒なものが込み上げてきた。

それは、純然たる憎しみだった。

先程までは、あまりにも漠然とした弥生の告白に、ただただ困惑して、憎しみなど生まれる余裕がなかったが、具体的な、それも聞いたことのある名前が出てきた途端、熱いと錯覚するほどの憎しみが沸き上がってきた。

「どうして樺嶋と屋上にいたのかは、分からない。突き落とされたところしか、思い出せないんだ……」

白羅が返事もせず、何か遠いものを見ている間にも、弥生は少しずつ話した。

「俺は、彼に何かしてしまったんだろうか……。殺されるほど憎まれる、何か……」

そう言って、深く俯いてしまう。肩が小さく震えていた。

その姿を見つつ、白羅は思考を巡らせる。

――何で、コイツが…あんな奴に、殺されなきゃならねェんだ……

――コイツが、殺されなきゃならねェようなこと、するわけねぇだろ。

――あぁ、もう泣くなよ。あんな奴に泣かされんなよ。

――何でだよ。何で、何で…どうして……


――あの野郎、殺し返してやりてぇ


そう思った瞬間、腹の奥から何かが逆流してくるのがわかった。

「――っう……ッ」

喉を酸っぱいものがせり上がってくる。

幼い頃、何度か経験したその感覚に、白羅は肩にかけていた鞄を放り出して流し台に走った。

「白羅……っ」

弥生の緊張した声が聞こえたが、返事をする余裕もなく、白羅は胃から遡ってきたものを流し台に吐き出した。

「っう……ぇ……ッ」

渇ききった流し台の中に、胃液と食物だったものがぼたぼたと落ちる。

嘔吐はすぐにはとまらず、胃の中の全てのものが濁流のように流れ出た。

ひどい臭いが周りに広がる。

臭いのせいで余計吐きそうになった白羅は、すぐに蛇口をひねり、水で吐瀉物を流した。

「白羅、平気か?」

いつの間にか、弥生が隣まで来て背中をさすっていた。背中に僅かに触れられた感覚があった。

 その手は、暖かくも冷たくもなかった。ただ、何かが触れているだけの感覚に、白羅は唇を噛みしめて項垂れた。

「白羅……」

 弥生が柔らかな声で囁く。そして、そっと白羅の肩を抱いた。白く細く、実体のない腕で、ぎゅっと抱き寄せた。

 白羅を優しく抱きしめたまま、弥生は言った。

「白羅。間違えても、樺嶋を殺そうだなんて考えないでくれ……」

「――っ…」

肩を抱く手は、やはり震えていた。

弥生は、白羅が何を考えているかわかっていたのだ。

「どうあっても、憎しみに支配されることだけはあっては駄目だ。お前は、お前でいろ」

「………っ!」

ひどく震えた声だった。しかし、それはもう、泣いているのではなかった。

苦しみと、悔しさに耐えかねているのだった。

弥生は、悔しい思いをしたら、必ず相手に十倍にして返すという負けず嫌いな人間だった。

その弥生が何も出来ず、ただ泣かされているのだと思うと、悔しくて堪らなかった。

「くそ……っ……ふざけんな……ッ、ふざけんなよ……!」

水道から水が流れていく音が、白羅の怒りと憎悪を膨らませる。

胃の中身の逆流は治まっても、吐き出したいほどの憎しみは増え続けるばかりだった。

なぜ、他人によって人の命がこうも簡単に奪われるのか。奪われなければならないのか。

どんなに高飛車で、見た目より性格が悪質で、似非秀才であっても、弥生という人は正義執行のために生きているような男だった。目の前で苦しんでいる人がいたら、どんなリスクを負ってでも助けてみせる人間だった。

そんな彼が、どういう理由でその命を失わなければならなかったのか。いや、どんな理由があろうと奪われてはならなかった。

死ぬ直前、弥生は何をしていたのだろう。何を話していたのだろう。

それを自分が知らないことが、とんでもなく不幸なことに感じた。

白羅は、力なくその場にずり落ちた。

受け止めると決めたものは、あまりにも重かった。

「白羅」

それでも、目の前の、目尻を赤く泣き腫らした幽霊の顔を見ると、受け止めてやろうという気持ちになれる。自分のことながら不思議だった。

「平気だ。大丈夫」

天井を仰いで、掠れた声でそう呟いた。

すると、横に立っていた弥生は、白羅の正面にしゃがみこんだ。

窓から降り注ぐ月明かりが弥生を照らす。光に包まれた彼は、とても綺麗だった。金の髪がキラキラと光り、まるで星のようだった。

そんな彼の瞳には、苦しみの色はまだ浮かんでいたが、涙は零れていなかった。

強いとまでは言えないが、弱々しい瞳ではなかった。

「白羅。俺、もうひとつ思い出したことがあるんだ」

赤褐色の瞳を静かに光らせ、弥生は言った。

「俺には、生き返るチャンスがある」

この世の誰一人として、信じはしないであろう言葉を。

「……はい?」

案の定、白羅もその一人だった。

あまりに衝撃的な発言に、一瞬だが憎しみとかその他もろもろがボンと飛んでいってしまった。

「え、は? 何言ってんだ、お前」

「だから、生き返ることができるらしいんだ」

「………」

黙るしかなかった。

にわかには信じられなかった。そんなことが現実に有り得るのか。

しかし、「嘘だろ」と言うことも出来なかった。

弥生の目が、真っ直ぐ自分を見つめていたから。

別に、弥生に嘘をつくときに目をそらすというようなクセがあるわけではなかったが、こちらを見つめる目に、嘘をつくときの罪悪感や迷いが見られなかったのだ。

 それに、この状況でこんなふざけた嘘をつく理由が見つからない。

「本当、なのか。それ」

白羅が半信半疑に問うと、弥生は目で頷いた。

弥生が言うには、弥生は死んでからすぐにあの世行きの電車らしきものに乗せられ、あの世へ向かっていたらしい(ここの時点で白羅は頭が少しクラッとした)。その時、乗り合わせた背中に白い翼をはやし、頭上にわっかを浮かべている天使的青年(ここは流石に弥生も首をひねっていた)に、「ご当選おめでとうございます! 雪村弥生様、あなた様は見事抽選で『生き返りチャンスの旅』の挑戦者に選ばれました! あー、めでたい!」と宣言されたらしい。

死んだのにめでたいも何もあるか、と思っていると、突然ニコニコ笑顔をはりつけた天使的青年に首根っこをつかまれ、「どうぞ、思う存分足掻いてきてくださーい」と言われながら電車の外に放り出された。その時、死因と「生き返りのチャンス」についての記憶を全て失ったらしい。

そして、目をさますと自分の死体を見つめて呆然とする白羅の隣に、幽霊となって立ち尽くしていた。

「何か、随分とブッ飛んだ話だな……」

夢物語のような話しに、白羅は低く息をついた。

「ああ。ブッ飛んだ天使だった。もしかしたら悪魔だったのかもしれない」

「いや、そっちじゃねェよ」

思わずツッコみながら、白羅は頭を掻いた。

「じゃあよ、それが本当の話だとして」

「本当の話だ」

「だとして! チャンスとか、挑戦者とか、やっぱ何か条件あんのか」

白羅の質問に、弥生はふっと息を吐いた。一瞬、笑ったのかと思ったが、目が苦しみに沈んだままだった。

「もちろん。ただで生き返れるわけじゃない。生き返りへの挑戦が始まってから三週間後までに、俺を殺した樺嶋に『仕返し』が出来れば、俺はもう一度生きることができるらしい」

「三週間後って……明日じゃねェか!」

「そうだ。全く、自分に失望したよ」

まさかこんなにギリギリになって思い出すとはな、と弥生は笑った。

なぜだかもう諦めているように見える弥生の態度に、白羅は「いやいやいや」と首を振った。

「何でそんな冷めてんだよお前! 明日までになら生き返れんだろ!?」

弥生はまた笑いながら肩をすぼめた。

「どうだろうな。俺が『仕返し』するとなったら、何をしなければならないのかは、大体予想がつくだろ」

「――!」

白羅はくっと言葉をとめた。

弥生は笑みを消し、窓の外に輝く月を見つめて言った。

「殺し返さなければならない。きっと」

そう言う弥生の横顔は、また感情の読めない表情を浮かべていた。

赤い瞳の中に三日月が写りこんで、とても綺麗だった。きらきら輝くのは、まだ目にはりついている涙の膜のせいだろう。

白羅は、その感情の読めない横顔を見て、確信した。

弥生は、絶対に殺し返さない。例え、自分の命がかかっているとしても。

人の命を奪うくらいなら、彼は自分を殺してしまうだろう。

そういう、人間なのだ。彼という人は。

――何で、世界はこんなに残酷なんだ。

白羅は苦いものを呑み込んだ。

しかし、どんなに残酷な世界であっても、可能性がゼロではないのに諦めることほど残酷なことはないと、白羅は思う。

「絶対じゃ、ねェんだろ」

「え?」

白羅の呟きで、弥生は白羅に視線を戻す。

いつの間にか、世迷い言のような話を受け入れた白羅は、流し台にもたれかけていた身体を起こして、力強く言った。

「『仕返し』ってのが、絶対『殺し返すこと』ってわけじゃねぇんだろ? なら、諦めんなよ。ぶん殴るなり、得意の説教するなり、やってみろよ。諦めるなんて勿体ねェだろ」

「………」

もう、これはほとんど白羅の意思だった。そうと分かっていて、言った。

弥生に、諦めることだけはしてほしくなかった。何もせず、後悔することだけはさせたくなかった。

ほとんど懇願に近い言葉を告げられ、弥生は暫くの間黙った。自分を見つめる灰色の瞳の中に、何かを探すように、じっと見つめ返していた。

そうして、片方の口の端を吊り上げて、ニッと笑った。

「白羅。お前なら、そう言うと思ったよ」

その笑顔と言葉が、全ての答えだった。

もし、この決意が間違いだったとしても、彼は後悔しないだろう。

迷いを捨てて、目の前の幼なじみを無償で信じている。

そんな笑顔だった。

「……ヘマすんなよ、似非秀才」

白羅も、ニヤリと笑って言った。

「するかよ。ヘタレ野郎」

この先、どんな苦しみや絶望があるか分からない。

それでも、前に進むしかない。それが、白羅と弥生に残された絶望の中の希望だった。



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