事件解決! そして勃発
――通り魔事件解決から三日後――
「ねーね! やっぱり白羅がやっつけてくれたんでしょ、例の通り魔!」
通り魔事件解決から三日目の朝、白羅の席には濱谷梓、狩脇トオル、阿志田清満の面々が押し寄せていた。
「だから、知らねーって言ってんだろ」
三人に囲まれた白羅はカフェオレを飲みながら適当にあしらう。
しかし、三人、特に狩脇は緩んだ顔を引き締めようとはしない。
「またまたぁ~、しらばっくれても無駄ですよ、国島さ~ん。その腕の包帯が頑張った証拠じゃなーい!」
狩脇は白羅の手から肘まで巻かれた包帯を指差してニヤニヤと笑う。
「もうほとんどの生徒が知ってることだよ。隠す必要ないだろ? いいことしたんだし」
阿志田も微笑しながら本人の口から真実を引き出そうとする。
阿志田が言うとおり、通り魔事件解決の噂は白羅と弥生が怨霊を退治した次の日からすでに広まっていた。何でも、あの日の夜、白羅が通り魔少年を抱えて校舎から出ていくのを誰かが偶然見ていたらしい。
その目撃者があちこちに言いふらしたらしく、白羅は一躍「ヒーロー」とされ、持て囃されているわけだ。白羅にとってはいい迷惑でしかないが。
「つーかさ、その通り魔どうしたんだよ? 警察とかに連れてったワケ?」
「知らねェよ」
「やっぱりうちの学校の生徒だったの?」
「知らねーって」
「白羅ってば見た目によらずマジ優しいんだからっ! ほれちゃうー!」
「っいい加減にしろよテメェら!! ブッ飛ばすぞ!!」
しつこい三人にしびれを切らし、白羅は狩脇の襟首を掴みあげた。
「うぉわぁあ!? 何で俺だけ!?」
「一番近くにいたからに決まってんだろ」
「ヒドいっ!! 一番の親友だから一番近くにいるのにッ!!」
「うぜぇッ!!」
そんな漫才のようなテンポで言葉を交わす二人の間に阿志田が割ってはいる。
「まあまあ、落ち着けって。国島が通り魔を捕まえていようがなかろうがいいことには変わりないんだから」
「……チッ」
阿志田の説得に白羅は舌を打ちつつもキーキー喚く狩脇を離す。解放された狩脇はわざとらしく咳き込む。
「くそーっ。優しいなんて言わなけりゃよかったぜ! まあ、物騒な事件はめでたく終わったわけだし、天国の弥生ちゃんもやっと静かに眠れるわけだ」
「!」
狩脇のその言葉に、白羅は一瞬だけ息をつめた。心臓がずくりと痛む。
息を飲んだ白羅の横で、阿志田はけらりと笑う。
「あー、確かに。弥生のことだから、あっちで安らかに眠っててもこっちで何かあったら『寝てる場合じゃねぇっ』って飛び起きてそうだもんなー」
つられて梓も包帯でぐるぐる巻きの腕を振りながら肩を揺らす。
「あははっ。そうかもねー。幽霊とかになって出てきちゃったりして!」
梓の冗談まじりの言葉に、白羅は苦々しい表情になるしかなかった。
ここ数日、白羅は違和感を覚えていた。
幼馴染みの幽霊に対して。
通り魔事件解決の翌日から、弥生の様子が急におかしくなった。
何かとぼうっとしていたり、話していたかと思うと突然途方に暮れたような顔をしたりするようになった。口数も少なくなり、白羅の「余計な一言」への反応も鈍くなっていた。
何度かどうかしたのかと声をかけてはみたが、「何でもない」の一点張りで何も話そうとはしなかった。白羅も弥生が頑固な性格であることは知っているのでしつこくは聞かなかった。
とはいえ、ほぼ一日中一緒にいる相手にいつまでも鬱々とされては流石に気にしないではいられない。
日に日に見ていられなくなった白羅は、今日こそは弥生の口を割らせてやろうと腹を決めていた。
「おーい、白羅ぁ。どうしたの?」
「!」
我に返ると、目の前で梓が訝しげな表情で手を振っていた。
狩脇と阿志田も白羅の顔を覗き込んでいた。
「どーかしたのか? 難しい顔して」
「あー……いや。何でもねぇ」
決まり悪く、白羅は後ろ頭を掻いた。
「難しいっつーか、おっかないんだけど。たたでさえ強面なんだからやめろよな~」
「うっせぇ。また吊し上げられてェのか」
「ギャッ、ごめんなさい!!」
軽口を叩く狩脇を再び捻りあげる。
そのまま絞め技でもかけてやろうと思ったその時、背後からくぐもった暗い声が響いた。
「狩脇くん」
「!」
自分が取っ捕まえている友人の名を呼ばれ、白羅は自分が呼ばれたわけでもないのに振り返る。
振り返ったその先には、白羅より頭二つぶんほど背の低い、見たことのない男子生徒が立っていた。不健康そうな白い肌に癖っ毛の黒い髪。丸眼鏡からは気力のない二つの黒い瞳が覗いていた。
「おー、樺嶋。何か用かー?」
根暗そうな男子生徒とは対照的に、狩脇は白羅に襟首を掴まれたまま陽気に答える。
男子生徒は低い鼻にのっかった眼鏡を中指で押し上げながら手に持っていたプリントを狩脇に差し出した。
「これ、この間の課題のプリント……再提出しろって漆島先生が……」
「げーっ! 清満の丸写ししたのバレたんかな?」
白羅の手から逃れ、狩脇は努力のあとが見られないプリントを受け取る。
「ま、取り敢えずサンキューな、樺嶋!」
「いいよ……たまたま頼まれただけだし……」
狩脇の人懐っこい笑顔に愛想笑いも返さず、樺嶋は去ろうとする。
その時、その感情の抜け落ちたような樺嶋と、白羅は目があった。
目があった途端、樺嶋の顔が急に歪んだ。歪んだというより、明らかに白羅を睨んでいた。生気のなかった目をつり上げ、白羅を敵意のこもった目でみていた。
「あ? 何だ。何か用か」
話したこともない相手から睨まれ、不快感を覚えた白羅は豹が威嚇するように凄んだ。すると、樺嶋はさっと目をそらして逃げるように教室を出ていった。
樺嶋が出ていった方向を見つめたまま、白羅は独り言のように呟いた。
「誰だ、あいつ……」
「えっ? ちょっ、嘘でしょ白羅くん」
その独り言に値する呟きに、シワが入るのも気にせずにプリントをスラックスのポケットに突っ込んだ狩脇が目を丸くした。阿志田も目を細めた。
「まさか、知らないとか言うんじゃ……」
「何を?」
「うわぁ、マジでかよ!」
あちゃー、と狩脇は額に手をあてる。
「樺嶋ヒサシくんだよ。うちのクラスのね」
大袈裟なリアクションをする狩脇を押し退けて前に出てきた梓が呆れながら言った。
「は? うちのクラスなのか、あいつ」
「そーだよ! いくら他人に興味ないからってそりゃあねーだろ!」
「まあ、あいつの影が薄いのは事実だけどね。クラス行事にもほとんど不参加だし、知られていなくても当然でしょ」
狩脇のフォローを揉み消すように阿志田は皮肉を込めて口の端を吊り上げる。
「清満~、相変わらずクールっつーか、冷血っつーか……なんかいつもに増して冷たくね?」
狩脇が言う通り、普段から阿志田はキツい性格(俗世間でいう「ドS」)ではあったが、仲が良くもない相手に対してここまであからさまに冷たくしてみせることは珍しかった(ドSという生き物は仲の良い相手にほど厳しく接したがるのである)。
「仕方ないじゃん。あいつなんか怪しいんだよ。前から気にくわない奴ではあったけどさ」
「怪しいって何が?」
苛ついた阿志田の意味深な言葉に梓が首を傾げる。
阿志田は三人の顔を順に見ると、落ち着き払った低い声で言った。
「みんな、あまり覚えてないかもしれないけど……あいつ、弥生の自殺現場の第一発見者なんだよ」
「……え?」
阿志田の言葉を聞いた全員が、一斉に息を飲んだ。
「まあ、第一発見者ってだけなら怪しくないけどさ、樺嶋だぞ? あいつ、休み時間はずっと図書室に籠ってるし、自分から外に出るような奴じゃない」
いつもは丸みを帯びた阿志田の目が鋭く細められる。
学級委員長の阿志田は、クラスメイトのことは出来る限り知っておこうと努めているので、樺嶋が休み時間に何をしているか、どのような性格かくらいは手に取るようにわかっていた。
「弥生が見つかったのは校舎の裏庭。あんな人気のないところに、外に出ることなんて滅多にない樺嶋がいたっておかしくないか?」
「確かに……」
梓はツインテールを揺らして頷く。
「もしかしたら……弥生くんが死んだ理由、知ってるかも……」
「――……!」
その一言に、白羅の心臓が痛いと錯覚するほど脈打った。
包帯で巻かれた手にじわりと汗が滲む。
最初は、白羅も知りたいと思っていた。あの弥生が、あの心臓の周りに鉄壁でも纏っているのではないのかと思うほど強かな弥生が屋上から飛び降りてしまった理由は一体何だったのか。鉄壁を溶かし、彼の心臓にナイフを突き立てたものは何だったのか。
しかし、今は知りたいのか知りたくないのか分からなくなっていた。弥生と過ごすうちに、少しずつ感じ取っていた。
「自分がそれを知ったところで何も出来ないのではないか」と。
知ってどうするのかと。
慰めるのか? 馬鹿なことしやがってと怒るのか?
死んだこともない人間が、死んだ人間に何が言える? 何が出来る?
――何も出来ないってワケじゃねェ。ただ、アイツがどう思うか……
出口のない問答ばかりが頭を巡り、白羅は唇を噛んだ。
「樺嶋が何か知ってんじゃないかって、俺も思ったけどさぁ」
鋭い目付きをしていた阿志田が気の抜けるような溜め息をついた。
その溜め息で白羅の意識は現実世界に引き戻される。
「思ったけど、何だ?」
「うーん……何かさ、俺が変なのかもしれないけど……」
腕を組み、阿志田は言いにくそうに呟いた。
「あいつと……弥生のこと話したくないんだよ」
ひどく苦しそうな顔で、阿志田は言った。
白羅は、自分の隣で狩脇と梓が僅かに狼狽えたのに気が付いた。
この二人もそうなのだと、わかった。
「何かさ、本当に何となくなんだけど……あいつのこと苦手だからなのか、弥生が死んじゃったこと受け入れられてないからなのかはわかんないけど……嫌なんだよ」
そう言う阿志田の目からは先程までの鋭い光は完全に消え失せていた。
潰されてしまいそうな愁嘆に眉を曇らせていた。
狩脇と梓も同様だった。
彼らには、見えていない。雪村弥生の姿が。死んでもなお傍にいる弥生の姿が。
だから、彼らは今こんなにも悲しんでいる。
白羅は、弥生に関して悩むことはあっても、はっきりとした「悲しみ」を感じたことはなかった。
弥生の姿が見えているから。彼が死んでいることを一番実感できていないから。
だから、彼らと悲しみを共有することは出来なかった。
白羅には、彼らと同じフリをすることしか出来なかった。
「でもやっぱり……聞いた方がいいかな……」
深く、阿志田は深く息をついた。とても高校生がするとは思えないような、疲弊した兵士のような溜め息だった。
もう、苦しんでも仕方がないのに。
「いいんじゃねぇか、聞かなくても」
そのいつまでも終わりそうにない溜め息に、白羅は思わず言ってしまった。
三人が同時に此方を見てくる。
「聞きたくなけりゃ聞かなくてもいいだろ。あの樺嶋とかいう奴が気に入らねぇのも分かるしな」
無責任な発言かもしれない、とは思った。聞きたくないというのは、白羅自身の気持ちだった。
しかし、聞かなくてもいいと言われた阿志田は大きな目を細めて笑った。
「ははっ。……そうだな。そうだそうだ。国島ならそう言ってくれると思った」
人に気を遣うような偽りの笑顔ではなく、本当に笑ってそう言った。
眉尻を下げていた狩脇も、
「なんかそのテキトーな感じ、白羅っぽいわ」
と言って笑った。梓も、いつものようにニコニコと顔を緩ませていた。
白羅は心が少しだけ落ち着くのを感じた。
「つーかさ、白羅は何で知ったばっかで樺嶋のこと気に入らないのさ」
若干笑ったままで狩脇が尋ねてきた。
「あー? 何か知らねェけどよ、さっきあいつに睨まれた。うぜェ」
「ああー。それはだって、樺嶋くん、白羅のこと恨んでるもん」
「はぁ?」
こっちを見もせずに腕の包帯のねじれを直していた梓の発言に、白羅は眉間にシワを寄せた。
「何それ。そんな話あったっけ?」
「あったあった。もう一ヶ月くらい前の話?」
「うん。白羅覚えてないとか罪深いよね~」
三人は井戸端会議をしているおばちゃんのように勝手に話を進める。
「おい、何の話だよ」
眉根をより寄せて聞くと、梓が「あぁ、そうだった」と白羅に向き直った。
「白羅さ、一ヶ月前くらいに女の子に告白されてフッたでしょ」
「……はい?」
あまりにも突拍子な質問だった。思わず聞き返してしまった。
梓は「もう」と言いたげな顔でもう一度言った。
「いや、だからね。一ヶ月前に小野沙也香って子をフッたでしょ?」
「小野……?」
聞いたことがあるようなないような名前を小さく繰り返す。それと同時に己の記憶を辿ってみる。
「……ああ。そういえばそんな奴いたかもな」
「一ヶ月前」「小野」というキーワードから記憶を絞りこんでみると、確かにあった。そんなことが。
白羅には一ヶ月よりもずっと昔のことのように感じられたが、一ヶ月ほど前、白羅は確かに小野沙也香という女子に告白された。
昼休みに突然呼び出され、校舎の裏庭――後に弥生の死に場所となった場所――で「ずっと好きでした。付き合ってください!」とシンプルに愛を告げられた。
白羅は驚きはしなかった。
呼び出された時点で「そういう」雰囲気であったことは分かっていたし、告白されるのは今年に入ってからもう十三回目だった。
そんなことよりも、白羅には気になることがあった。
聞いておいたほうがよいだろうと思い、ついつい口走ってしまった。
『お前……誰だ?』
フッたともとれるその言葉を。
「あのフり方はないよ~。一生トラウマになって告白できなくなっちゃうよ。罪な男だね~、白羅はぁ~」
妙に間延びした嫌味ったらしい喋り方で梓は言う。
「仕方ねェだろ。知らねェ奴は知らねェ。それより、何で俺が小野って奴をフッたからってあの陰気メガネに睨まれなきゃなんねーんだよ」
眉間のシワをより深くして言うと、梓は分かってないなぁ~とツインテールを左右に振った。
「そんなの、樺嶋くんが小野さんのこと好きだからに決まってんじゃ~ん。ホンット恋心ってもんを分かってないなぁ~」
梓の言葉を聞いて、白羅はああそういうことか、と理解した。
つまり、白羅はかなり理不尽な怒りと恨みを向けられていると言うわけだ。
全く馬鹿馬鹿しすぎて溜め息も出ない。
「ははは。国島いつか刺されっかもよ」
「んなことあってたまっかよ」
「いやー、白羅もいい加減に断り方考えるなり何なりしないとマズいと思うぜー?」
冗談じゃない。今は出来るだけ考え事を増やしたくないのだ。
心を計り知れない幼なじみのことを考えるので手一杯だ。
――あぁ、全く。
――何で俺がこんなに悩まなきゃならねェんだ。
本当は、なぜ自分がこんなにも悩むのか分かっている。
それは、死んだのが「雪村弥生」だったから。
彼を死んだ人間だと割り切れていないから。
雪村弥生が、国島白羅にとってどんな存在であるか、分かっているから。
もし彼が、遺言状なんてものを残していて、そこに自分への言葉があったら、こんなにも苦しまなかっただろうか。死んだ理由が書き綴ってあったら、割り切れただろうか。彼自身も、自分が死んだ理由が分からなくて苦しんだりしなかっただろうか。
考えても仕方がない。今、ここにあるモノが現実だから。
そうと分かっていても、考えずにはいられない。
いつまで続けるつもりなのだろうか。
この、出口のない迷路を。
――きっと、アイツが成仏とかするまで、続くんだろうな。
自分で思って、ぞっとした。
一瞬だけ、目の前が真っ暗になった。
その闇はすぐに消え失せたが、背中に嫌な悪寒が感じられてならなかった。
「そりゃあ、白羅にとってはどうでもいいことだったのかも知れないけど、樺嶋くんにとっては好きな子が告白して、しかもひどいフラれ方したってただごとじゃあないんだから。少しは気にしなよ」
現実の目の前では、梓がまだ樺嶋について話していた。
今の白羅にとっては本当にどうでもいいことなのだが、阿志田もウンウンと頷く。
「そうだな……国島はもう少し人を見ておいたほうが身のためかもね」
そう言って一呼吸おき、口を開いた。
「樺嶋みたいなのって、何するか分かんないからな。十分気を付けなよ」
口の端をつり上げた阿志田の目は、笑っていなかった。
狐のように、ただただ白羅を見つめていた。