32話
◆32話
私は、気に入られてしまったのか、老婦人は泊まっていけと、熱心に勧めた。
「どうせ女性独り暮らしですもの。若い人ともっとお話したいわ」
老婦人が小奇麗で、洒落ていたこともあり、私はつい泊まることにしてしまった。
糊のきいた夜具は、よい匂いがして、私はあっという間に眠りについた。
……夢を見た。
『逃げろ、ユウコ、逃げろ。ここにいちゃいけない』
必死の形相のケンジだ。
私は跳ね起きた。障子ごしに差す月の光りが妙に明るい。
……と、障子に映った人影が動いた。
私は夢の続きを見ているのかと思った。
それはケンジだった。私はあわてて寝巻きのまま、格子戸を開けて外へ出た。
ケンジは走って逃げていく。
「待って!ケンジ待って!」
あと少し、というところでケンジを見失ってしまった。
市電が通る大通りまで出てきてしまった。
時計を見ると3時すぎていて、ほとんど車も通らない。
右手に市電の終着駅があった。何げない小さな車庫に車両が2つ納まっている。
昼間は忙しく街をにぎわしている市電とは別の物体のように静かに沈黙しているのが物珍しくて私は足を止めた。
とたん、市電がカッ、と目を見開いたかのように見えた。
電車のヘッドライトが光ったのだ。私の身体はまぶしい光に照らされた。
「お前はどうして猫にならないんだえ?」
市電から降りてきたのはあの老婦人だった。
「そうか、お前、カステラを食べなかったんだね。……私はね。猫以外には興味はないんだよ!」
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